海外事情 — ニュージーランド

丸紅ニュージーランド会社
社長
南原 康

1. 当地赴任決定



オークランド


2008年4月末に当地オークランドに赴任して3年が経過しました。
海外赴任は今回で2度目となります。前回は1997年から2003年までの5年半、西豪州パース駐在でした。商社は商品による縦割りが基本で、私は金属資源部門(現金属部門)の出身です。最初の駐在は鉄鉱石関係での赴任なので、ほぼ予定通りの赴任、その後、本社で5年間勤務した後、現地法人である当店主管者への赴任が決まりました。大変恥ずかしながら、ニュージーランド(以下NZ)に赴任する前は、NZの正確な位置、北島と南島に分かれていること、オークランドのスペルがAucklandであること、海に囲まれていることからCity of Sailsと呼ばれていることなど全く知らず、オールブラックスとキウイ(鳥・果物両方)と羊くらいしか、NZと聞いて思い浮かびませんでした。
当店が大規模な法人あるいは金属資源関係ビジネスが主力であれば、普通の人事なのでしょうが、当店の主なビジネスは、ウッドチップ・木材・食料・化学品の4つとなります。前任は紙パルプ部門出身でしたが、おそらく違った切り口ということで、金属部門出身の私が選ばれたのだろうと信じています。総合商社志望理由の1つが「社内転職が可能なのだから一生楽しめそう」という、バブル世代ならではの純粋な(?)考えがあり、パース駐在時代も、専門の鉄鉱石ビジネスの他に、鉄鋼・エネルギー・化学品・機械・物資などさまざまなビジネスに携わった経験があります。2003年に本社に戻ってからも、異動希望には毎年「部門問わず。海外主管者。英語圏。赤字建て直しOK」と書いて いたら、当時内示を受けた際に「君だけが条件に合っていた」と言われ、NZのことは全く分からなくても、希望通りの人事なのでその場で快諾した次第です。人事は自分が決められるわけではありませんが、希望を言い続けることは結構重要なのかなという教訓かもしれません。


2. 林産大国


NZは先進国とはいえ、誤解を恐れずに申し上げると、1次産品を輸出し、2次産品を輸入に頼る後進国型の国と言った方がよいだろうと思います。輸出貿易品目の順位は①酪農品②肉類③林産品、輸入は①石油関連②機械関連③自動車関連となります。豪州との比較で単純化すると、豪州が地下資源、NZが地上資源立脚型のイメージです。国は慢性的な財政赤字状態であり、金属資源開発や電力等国有資産の売却案なども浮上しています。新規案件として、当地における金属資源開発に携わりたいという思いは強いですし、開発が経済発展に寄与することは間違いないでしょう。ただし、緑豊かな国の資源開発が果たして正しい選択肢なのかは非常に悩ましいと感じています。今は、状況を注視しておくにとどめているというのが正直なところです。
当店は過去に羊毛や肉類を相当量取り扱っていましたが、今は中断しています。酪農品は細々とした取引のみ。当店の主力は、林産関係で、特に事業会社2社に関連するウッドチップビジネスとなります。1社がウッドチップの生産・出荷事業であるMarusumi Whangarei社(MWC)(丸住製紙51%/丸紅49%)、もう1社が植林事業会社(中越パルプ工業30%/北越紀州製紙30%/丸住製紙30%/丸紅10%)であるNew Zealand Plantation Forest社(NZPFC)となります。当店は両社における輸出者であり、NZPFCにおいては事業管理も行っています。最初は、チップの専門家でもない私が業務を遂行することは難しいだろうとの声もあったようですが、もともと私は、総合商社の場合は、商品のプロというよりは商売のプロであるべきと思っていますし、今回の赴任は先に述べた転職のようなものなので、前向きに対応しているという感じです。
また、林産大国であることからも、当地では日本企業代表者による木材人会(メンバー7社)という会があり毎年1月に幹事持ち回りで全員が集う会が開催されます。職歴から考えると唯一門外漢の私ですが、今ではすっかり一員に加えていただけるようになり、あらためて皆さまの心の大きさを感じています。パース駐在時代から「世界はボーダーレス化に向かっている。その中で日本企業同士による健全な競争は素晴らしいが、足の引っ張り合いは無意味。日本企業が一丸となって成長していかない限り、日本の未来はない」と信じており、こうした木材人会での活発な交流を見ていると、あらためて安心する自分がいます。


MWCチップヤード(Marsden Point港)


NZPFC植林地


3. オークランド日本経済懇談会(通称二水会)


二水会第1回大会記録(1963年5月12日)

他の国では商工会議所に当たる当地二水会(原則第2水曜日に例会を開催することから付いた俗称)の話に触れたいと思います。
【役職・部会】会長・副会長・商工部会・教育部会・ゴルフ部会・会計・事務局
【会費】1社1名100NZドル/月(以下1名ごとに40NZドル/月)、入会金1社1,000NZドル
【会員数】32社42名(2011年5月1日現在)
【会費の主な使途】①日本語補習校への運営支援金、②NZ概要作成(隔年)
【主な活動内容】月例会・講演会。通常、毎月第2水曜日に例会を開催。現在は偶数月のみ月例会・講演会を開催、奇数月は夜の懇親会(実費割り勘)となっている。最終月(6月)のみ月例会の代わりに年次総会・講演会を開催。
2008年赴任当初、前任者との引き継ぎ時に当時の二水会会長に挨拶。その場で「次回二水会事務局長をお願いしたい」といきなりお願いされました。一瞬驚きましたが、冷静に考えて「普通、事務局は重要な役割であり、駐在してすぐの人には頼まないはず。よほど成り手がいないのだな。当地は駐在員が少ないし、いずれ何かの役職に就くのだろうから、引き受けてしまった方がよいかな。知り合いがゼロな中、皆さんにも覚えてもらえるだろうし」という判断にて引き受けることにしました。事務局長を務めていた2008/09年度は年次総会時に二水会として初めて現役の首相(Mr. John Key)を招待しての特別講演会を開催、受け入れ準備は大変でしたが、盛況のうちに幕を閉じました。いつも心掛けているのは、何事も引き受けた以上は真剣にやるということ、正直1年間の事務局長職は慣れない業務とも並行してのものだったのできつかったですが、いろいろな方々との出会いや信頼関係も生まれ、本当に有意義だったと感じています。来年度(2011/12年度)は副会長職を引き受けることに致しました。


家内・娘達(2010年4月Cape Kidnappersゴルフ場にて)

ゴルフ部会も伝統ある行事で2010年2月には栄えある600回記念大会が家族も交えて泊りがけで開催されました。二水会設立の方が後で、最初は日本企業代表の会だったようですが、第1回大会開催は1963年5月です。基本的に月1回の開催、伝統の重みを感じます。
当地の最大の財産は「日本企業の代表者が原則1名の会社がほとんど。従って、年齢を問わず、横のつながりが大変深くなる」ということです。NZ駐在ということでは一緒でも、業界も違えば経験も違う、自らが「裸の王様」にならないためには、環境が違う人たちと本音で語り合うことも重要と常々感じており、あらためてこうした会の存在意義を感じます。二水会役員はボランティア活動ですし、二水会に入らなくても企業の代表者と出会える機会は他にもあります。しかしながら、そうした会合は「好きな人同士で集まる」わけです。世の中の現実が「好きな人同士で集まればよい」というのなら全く問題ないわけですが、求められる人材は「知らない世界でも自らの存在感を示せ、受け入れてもらえる人材」であることを考えると、企業にはこうした会に加入することの意義が表面的なコストだけでは割り切れない部分としてあるのだろうと感じています。短期的なコスト削減・時間節約ではなく、長期ビジョンに基づいた短期的行動こそ、本来日本人が持っている資質の中で最も素晴らしいもののうちの1つではないかと信じます。


4. 2国での地震で考えること


震災前のクライストチャーチ大聖堂(心が痛みます)

2月22日にはNZ南島の最大都市クライストチャーチを大震災が直撃、その翌月3月11日には東日本大震災が日本を襲いました。本当に心が痛みます。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、1日も早い復興を切に願っています。こういう時こそ、個人個人の矜持が試されているのだろうと感じます。
1年以上追い掛けてきた新規案件が3月上旬に大詰めを迎えており、最終決定のために、当地客先(NZ人)を本社に連れていく必要性が生じました。ところが、連れていこうとした矢先の大震災、この時ばかりはすごく悩みました。すなわち「自分は日本人だから東京への出張は構わないが、混乱している今の東京にNZ人を連れていくことが果たして本当に正しいことなのだろうか?」ということ。大阪など他都市での面談も考えましたが、関係者が全員いる東京本社に連れていかなければ意味がなかろうとも思いました。
その後、理由もなく客先を待たせるのは間違いと判断、素直に客先に聞いてみたところ、「自分自身も丸紅の多くの人に会いたいし、会えば前向きな最終決定を必ず下してくれるはずなので、一緒に東京に行く」との反応でした。私から「NZ企業の多くが東京から避難を開始しているくらいだけど本当によいのか?」と確認したところ、「何を言ってるんだ。われわれは丸紅とパートナーになろうというのだろ?Yasu(私)の両親は東京だし、丸紅の人も東京で働き続けているのだろ?これ以上の安全があるか」との回答でした。何としてもプロジェクトを進めたいという意思があるからこその言葉だとは思いますが、それでも、日本人が逆の立場で同じせりふを言える人が何人いるだろうか、と感じました。豪州およびNZの駐在を通じて感じるのは、平均的には日本人の方が彼らより勤勉なのは間違いがないものの、レベルの高い人はどの国でもいるし、結局は、どう教育されてきたかによるのかなということです。世界には素晴らしい人たちが本当に大勢います。
客先を日本に連れていったのは大正解で、丸紅として同案件は正式に取り上げることになりました。最後に本社役員に呼ばれ話した時には「ビジネスで一番重要なのはパートナー。素晴らしい人物だと感じた」ということでした。
2つの地震を通じて感じたことは、自然の脅威の前に人は無力、だからこそ健康な人は自然と共存しながら真摯に日々を生きる責任があること、また、人は人のことをいろいろ言うけれども、結局自分の人生に責任が持てるのは自分自身だけ、だからこそなおさら、何が起ころうとも言い訳なしで最後は自己責任で日々を生きることが大切なのだろうということです。今ほど、家族4人が一緒に暮らせることの喜びを感じたこともないと思います。
厳しい日本の状況だからこそ、商社が果たせる役割はすごく大きいと私は信じています。今回のNZ経験で得られたものも活かしながら、今後とも日本・世界経済発展のために引き続き寄与していきたいと強く思います。

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