5,000年の歴史と共存する近代都市ムンバイの生活事情

双日インド会社
ムンバイ支店長
西野 正昭

ムンバイに赴任して2年4ヵ月が経ちました。ムンバイ支店はナショナルスタッフ30名を含む総勢34名の陣容で、広大なインドを舞台に日々営業活動をしています。世界同時不況といわれながらも、幸いにしてインド経済の落ち込みは他国と比較して限定的であり、内需にけん引された消費意欲は依然としておう盛です。当社は西インドの特性や地理的条件を活かしながらも、インドの高度経済成長に乗り遅れないように、さまざまな産業分野への参入を積極的に推進しています。


1.ムンバイの気候


ムンバイはインドの西海岸に位置し、アラビア海に面した半島の先端にある都市です。ニューデリーなどの内陸の都市とは違って湿度が非常に高く、気温が30度に届かなくても決して過ごしやすくはありません。気候は主に雨季(6~9月)と乾季(10~5月)に分けられます。4月から5月にかけては、1年のうち最も気温が高くなる時期で、この時期に夏休みを取るインド人も多数います。雨季が終わって乾季を迎える時期はセカンドサマーといわれ、気温が少しずつ上昇していきますが、10月にはそれも落ち着き、光の祭りといわれるディワリ(インド正月)のころからは比較的過ごしやすい気候になります。
雨季のインドは、日本人にとっては、とても陰鬱(いんうつ)な季節で、逃げ出したくなる気持ちにもかられますが、大多数のインド人に陰鬱なムードはありません。雨を神の恵みと考える風習が根付いています。雨でずぶ濡れになって海岸にたたずんでいても、それは暗いような、悲しいようなイメージでは決してありません。モンスーンの影響で波が高くなった海へ服を着たまま飛び込んだり、水をかぶったりと大騒ぎです。雨の中をずぶ濡れになって楽しく寄り添って歩く若いカップルの姿も目に付きます。
インドで流行の最先端を自認し、ボリウッドとして知られる映画の町ならではの風景でしょう。


2.近代化が進む都市


当社ムンバイ支店が入居しているビルと街並み(中央のビル8階が事務所)

半島にあるムンバイでは、開発できる土地が限られています。世界遺産に登録されている建物があるため、その周辺のエリアに多数存在する歴史的建築物は、当然ながら取り壊すことはできませんし、地権も複雑です。簡単にスクラップアンドビルドというわけにはいきません。ただ、そのような事情とともに、ポルトガルや英国の植民地だった時期が長い都市でもあるので、街並みは欧州の趣を多分に残しており、これはこれでとても風情のあるものです。一方で、建物の外観は古くても、建物内に一歩足を踏み入れれば、リノベーションが図られており、最新のシステムによる設備、セキュリティーが整備されている建造物もあるので、これはこれで不思議な感じです。


3.経済発展にともなうさまざまな変化


BRICsの一角であるインドは、目覚ましい経済成長を遂げており、20年前には考えられなかったような生活環境になってきています。インドで中間層といわれる年収50~250万円の人口は、2009年予想で全人口の12.8%に達し、その下の新中間層といわれる23~50万円の層を加えると全人口の47%に達する見込みです。つまり、約6億人が消費人口に参入するという巨大マーケットが出現します。これはASEAN各国の消費合計を上回ります。
9月のリーマンショック以後、経済成長は少し鈍化している傾向はありますが、こういった経済情勢を背景に、現地資本や、現地資本とタイアップした海外大手資本がハイパーマートやショッピングモールを国内各地に建設しており、そのターゲットは、前述の中間層と、台頭しつつある新中間層です。
インドのスーパーマーケットは、西欧や日本に負けずとも劣らずレジャーランド化が進みつつあります。外観や構造、内装など先進国のそれとほとんど大差ありません。開店は朝10時ごろ、閉店は夜9時ごろとなっており、大きな駐車場を備え、週末になると家族そろって買い物に訪れます。平日にできない分、週末に大量に買い込むという光景は西欧や日本でもよく見掛けるライフスタイルで、インドにもその波が押し寄せてきています。
購買力が増して消費が拡大していることや、欧米など海外で生活した経験を持つインド人も増えているため、食料品、日用雑貨、電化製品、玩具、衣類など、手に入るものが増えてきています。品質は日本よりかなり落ちますが、それでも手に入るだけありがたいというのが実感です。
スーパーマーケットの最上階には大体、どこもフードコーナーや小さい遊園地、ゲームコーナーがあり、子供を遊ばせたり、家族で食事をしたりできます。


4.カースト制も変わる


インドには2,000年以上前からカーストというヒンズー教の身分制度がありましたが、現在ではカーストによる差別は法律で禁止されています。しかし、数千年に及ぶ歴史の中で培われてきたものなので、法律で禁止したからといって簡単には生活文化に根付きません。
ただし、差別が少しずつ薄れてきているのも確かです。特に都市部においては、生活スタイルの欧米化をはじめ、経済自由化による新しい職業・職種の増加と雇用・所得の拡大、さらにはさまざまな文化的背景を持つ民族が金を求めて都市部に集中してきているなどの要因から、旧来のヒンズー教によるカースト差別をしていたのでは社会生活がうまくいかなくなりました。カーストが低くても裕福な暮らしをしている企業家や文化人も多くいます。まさに経済の発展が意味のない古い慣習を変えようとしています。
10年前はカーストの低い層はスーパーマーケットやホテルに入ることすらガードマンに止められた時代もありましたが、それは過去のものとなりつつあるようです。今ではカーストに関係なく、それなりの収入がある中間層はスーパーマーケットで買い物をしています。


5.インド特有の食文化


経済発展にともない、さまざまな面で変化を遂げているインドですが、他の国との相違点として挙げられるのは道徳的観念からくる菜食主義者(ベジタリアン)の存在です。インドにはヒンズー教、イスラム教、ジャイナ教、ゾロアスター教、シーク教、仏教などさまざまな教徒がいますが、宗教にかかわりなく、菜食主義者は菜食主義者です。菜食主義者の多くは高所得者であり、徹底している人は、魚や肉はおろか玉子も根の付いた野菜も食べません。
これは5,000年の歴史の中で培われたもので、動物や魚は、殺される時の恐怖心が毒となって身体に蓄積され、それを食べることは毒を食べることと同じであり、自分の寿命を縮める行為と説明するインド人もいます。また、菜食主義を貫くことが、一つの人格的高潔さを示す基準となっている面もあり、動物を殺して食べることは畜生と同じで野蛮な行為と考えているようです。もちろん、ジャイナ教のように厳しい宗教観念からくる菜食主義もあります。
菜食主義者は動物の肉や死んだ魚を見ることも嫌がるため、スーパーマーケットの鮮魚・精肉売り場は小さいか、隔離された場所にあります。最近はレトルト食品が売られるようになりましたが、肉を使っているかいないか(こちらではベジかノンベジかといいます)の記載がマークで記されています。イスラムの世界で戒律に反していない食品を使用していることを保証するハラルマークと同様のものです。
日本食を扱うスーパーマーケットはムンバイにはありません。調味料もほとんど入手できず、たとえ置いてあったとしても、賞味期限が切れているなど日常的に利用できる所はありません。


6.ガネーシャ祭り


インドは秋の深まりとともに祭りのシーズンを迎え、ヒンズー教の暦で新年といえる10月下旬から11月上旬ころに行われるディワリで最高潮になります。
9月の初めには、ガネーシャという象の頭に人間の体をしたヒンズー教の神様に祈りをささげる祭りがあります。ガネーシャは財産をもたらし危難を排除するといわれ、商業都市ムンバイでは信仰する人が特に多く、盛大な祭りが開かれます。粘土や石こうで作られたガネーシャ像を各家庭や人の大勢集まる場所に置き、皆で供養します。そして最終日には、街中のガネーシャ像をアラビア海や地元の川、湖に流し、家族の幸福と繁栄、厄払いを祈ります。


7.究極の格差社会


以上がムンバイなど大都市圏に住む日本人駐在員の生活事情ですが、インド全域には決して当てはまりません。都市圏でないところではまったく別世界の生活をしています。スーパーマーケットの進出もまだまだです。冷蔵設備のない小売店も多く、肉や魚もすぐ腐るので、日本人はなかなか利用できません。
田舎部ではほとんどが自給自足です。菜食主義者も少なく、生きた鶏などを店先でさばいてから売ります。水牛を1~2頭飼い、乳を搾ったり農作業に使ったりします。インドは原始社会と文明社会が同時に存在する、そして最近叫ばれる日本の格差社会など及びもつかない、究極の格差社会です。


8.11.26ムンバイテロを乗り越えて


ムンバイテロ犠牲者への追悼

2008年11月26日、信じられないような同時多発テロがムンバイで発生し、大惨事となりました。公称10名といわれるタリバンの影響を受けたパキスタン系テロリストが、多方面に分かれて2つの最高級ホテルとユダヤ人施設で銃を乱射したうえ施設に立てこもりました。また、世界遺産に登録されたチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅のターミナルでも2人のテロリストが列車待ちの乗客めがけて銃を無差別に乱射し、その後、近くの病院に立てこもりました。国内空港近辺では空港建物に突っ込むことに失敗した爆薬積載のタクシーが炎上、テロリストとインド特殊部隊の戦闘はムンバイ数ヵ所で3日間続き、外国人を含む200人近い人が犠牲となりました。インドの人たちはこの大惨事をニューヨークの9.11になぞらえて11.26と呼んでいます。この大規模テロは、ムンバイに住む日本人駐在員も震撼させました。各社とも帯同家族を含めて外出禁止措置を取って、日本からの出張者の安否を図り、いろいろなデマや噂が飛び交うムンバイにて、本社からの指示に従い、安全情報の収集に追われました。あの大惨事から4ヵ月が経ちましたが、ムンバイはあの出来事がなかったかのように普段の生活を取り戻しつつあります。しかし、ホテルや施設の警備は格段に厳しくなりました。ある知り合いのインド人がテロ後、言った言葉が印象的です。「われわれは、この惨事を決して忘れない。でもすべては神様が決めた試練。インドは顔を上にあげて神様が決めた定めを受け入れ、そしてそれを乗り越えていく。決してテロに負けない」。このような前向きな気持ちが、今のインドの経済成長を支えているのかもしれません。