アジアンパワーの街シリコンバレー

兼松米国会社
シリコンバレー支店長
村松 陽一郎

はじめに


シリコンバレーに駐在して1年強、まだ当地の事情に通じたと言うには程遠いのですが、印象に残ったことや考えたことを紹介してみたいと思います。
まず、シリコンバレーについて簡単に紹介します。実のところ、「シリコンバレー」という都市や地名は地図を開いても見当たりません。それは、サンフランシスコから南に車で約1時間、サンフランシスコ湾の西側に広がった約1,500平方マイルの地域の通称なのです。1,500平方マイルとは、東京都全域と神奈川県の約半分を合わせた程度です。従い、横浜、東京、千葉の商工業エリアをイメージすれば、その大体の大きさが実感できると思います。高速道路を走れば、端から端まで1時間に収まる範囲です。そこに、Apple、Google、HP、Intel、Yahoo!といったIT関連の有名企業、そしてそれこそ無数のベンチャー企業がひしめいています。
中心となるサンノゼ市はサンフランシスコ湾に面する平野に広がった街で、人口が全米10位であり、2009年1月1日には100万人を超えたと発表されました。


「カリフォルニア州」という国


言うまでもなく米国は広く、東部、中西部、南部、西部では、それぞれ若干異なる文化があるようです。その中でもとりわけ西部、特にカリフォルニア州に居ると、他の地域とは一つ違う国にいるような感触があります。
それは、一つには気候のせいかもしれません。ロッキー山脈を越えたこちら側では、夏は雨が少なく乾いた気候になります。また冬場も温暖で、雪の東部または中西部からカリフォルニアに来ると別天地の感があります。
一方、カリフォルニアから東部、中西部、南部へ出張となると、時差の関係から前日に入るか、徹夜便で行くことになり、日帰り出張は困難という事情も、「違う国」にいると感じる一因かもしれません。
当地で戸惑うことの一つに、カリフォルニア州・州法の特殊性があります。例えば、従業員の未使用有給休暇の繰越し等に関しては、他の州とは異なる規定があるため、カリフォルニア州の労務専門の弁護士に確認しつつ、会社の規定との整合性を取っていく必要があります。


肌で感じる不景気


連日、新聞等で報道されているとおり、シリコンバレーの各企業も生き残りをかけたM&Aや、人員整理などリストラを余儀なくされています。さらに当地の大手企業の大半は、2009年に入ってから多かれ少なかれ社員の休暇取得を強制しています。景気の回復時に素早く生産力を復活できるように、ワークシェアリングが行われているようです。週に1日有給休暇を取らせる、まとめて1週間の休みを取らせる、あるいは工場全体を1週間休みとする等々各社共苦心しています。
そのせいか、通勤時の高速道路が空いてきたと思っていましたら、「不景気の影響でベイエリアの高速渋滞は12%改善している」、というニュースが報道されました。さらに中古車価格や借家賃貸料は1年前に比較して明らかに安くなっており、これは新たに赴任してきた駐在員にはうれしいニュースとなっています。
われわれ日本人にとって意外なのは、税収入減少のあおりを受けて、学校のカリキュラムまで変わるということです。多くの学校で9月からの新年度では、授業の種類や各種行事が減ります。税収入が下がれば政府のサービス内容が減るという合理的な話ではありますが、教育関連も例外にあらずという事実には正直驚かされています。


教育熱心なアジア人


さて、冒頭でシリコンバレーの中心であるサンノゼ市は人口100万人を超えたと書きました。そのうち一番多い白人は38%を占めますが、アジア系も次に多く31%も占めています。ヒスパニック系の26%と合わせれば半数を超えるのです。アジア系、ヒスパニック系の2008年比増加率はいずれも3%以上(白人は0.2%減)ですから、今後さらにシリコンバレー人口の「アジア+ヒスパニック化」は進んでいくのでしょう。
さて、子供のいる駐在員にとっては、地域の学校のレベルが住む土地を決める一つの指標になります。当地では、「アジア人の割合が多いほど、優秀な学校」と言われています。これは本当だろうかと、私の住んでいるSan Jose Unified学校区の中学校で、その相関をグラフに取ってみました。カリフォルニア州では、教育局が学校ごとの人種別、共通テスト結果をインターネット上でも発表しています。結果はグラフのとおり、見事にアジア人の比率が高い学校ほど良い点数を取っているという結果になりました。
また、各人種別の平均点数も下記のようになっており、その差は歴然としています。
    アジア系    946点
    白人系     855点
    ヒスパニック系 670点
小中学校に限らず、スタンフォード、バークレイなど全米から学生が集まる当地の大学でもアジア人の比率は25%を超えており、一部の大学ではアジア人の比率を下げる規制まで導入されているほどです。


贅沢なアジアン食事情


中華モール

人口の30%を超えるアジア人がいるだけに、アジア系のレストラン、スーパー、小売店の充実は目を見張るものがあります。全店が中国系の店、あるいは韓国系の店というショッピングモールも多くあり、中には英語が通じないレストランもあります。そんなモールの中を歩いていると、「本当にここはアメリカ?」と錯覚してしまうこともあります。
また、バリエーションも豊富で、人口の多い中華(当然、四川、広東、台湾と中華の中でのバリエーションもあり)、インド料理はもちろん、韓国、パキスタン、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、そしてそれらを混ぜて現代風にしたアジアン・フュージョン料理もあります。それほど多彩な料理を、比較的リーズナブルな価格で食べることができるわけですから、アジアン食に関してはまさに「贅沢な環境」といえるでしょう。
もちろん、日本食レストランも多数あり、日本スーパーもシリコンバレーに少なくとも5軒はあります。世界の他の駐在地に比べてみれば大変恵まれた環境にあります。


環境オタクな人たち


一家にプリウス2台

環境という言葉が出たついでに、少し寄り道してシリコンバレーの環境ブームについて書きます。
トヨタ自動車のハイブリッドカー「プリウス」は販売台数の20%以上がカリフォルニア州で売れているそうです。確かに当地で見る「プリウス頻度」は高く、大通りではその姿を見ないことはないというほどです。これは2名以上を乗せた車のみが走ることのできる高速の優先車線を、エコカーであれば1名乗車でも走ることができるという条例があることが一因となっているかもしれません(朝の通勤ラッシュでは相当な威力があります)。しかし、当地ではむしろ「環境に配慮している」という意思表示ができる点から人気があると聞いています。
また、日本でもポピュラーになりつつあるソーラー発電は、当地ではよく見掛けます。中型ソーラー発電システムを持っている小中学校もありますし、高速道路わきにあるのも時々見掛けます。シリコンバレーの企業が、社会貢献を示すために競ってソーラーパネルを導入するという話もあります。2008年9月には「アプライドマテリアル社が発電量2.1メガワットのソーラーパネルを設置し、これまで企業のソーラーシステムでは全米1位だったGoogleの1.6メガワットを上回った」というニュースもありました。


米国人の「責任」観


リトルリーグとコーチ

これはシリコンバレーに限ったことではありませんが、米国に来て日本との差を最も痛感することは、「責任」に関する価値観の違いです。
多くの日本人駐在員が、夜遅くまで残業し、あるいは深夜まで接待で飲む(数は相当減りましたが、日本人専用のクラブが何件かあります)という生活をしています。そして土日は、とりわけシリコンバレーは冬も温暖な「ゴルフ天国」ですから、ゴルフを毎週楽しむという方も多くいらっしゃいます。奥さまも、「接待もゴルフも仕事だ」と言われれば、子供の教育や家事は一人でこなさざるを得ないという方が多いようです。
さすがに、そのような旧いステレオタイプな駐在員は減りつつあるようですが、それでも日本人には「会社の仕事責任を果たせばよい」という傾向はあると思います。これは日本人には限らず、中国人、韓国人といった東アジア民族にその傾向が強いように思います。
一方、白人系の米国人は、どうでしょうか。
子供の学校で知り合った人たちはほぼ全員、何かしらの形で家事、教育、そしてコミュニティーへの奉仕、貢献をしています。
例えば、野球のリトルリーグのコーチをしている人がいます。それこそシーズン中は毎日のようにコーチし、土日も返上でゲームに参加します。当初は、こういう人たちは会社より地域活動に専念している人々かと思っていましたが、話してみるとそれぞれに会社でも重要なポジションについている人、また社会的にすでに成功している人が多いのです。彼らは、リトルリーグのコーチングにとどまらず、その親同士の交流を促進すべくパーティーを主催する、またリーグで身体障害者のイベントを主催するなど、むしろ地域への貢献という視点で、かつそれらを「楽しんで」行っています。
他にも、自然に関心のある人は公園の緑地化プロジェクトを、絵画が得意な人は学校の美術授業のボランティアを、というように、それぞれができることを行っているようです。学校やコミュニティーセンターでは多種多様のボランティア募集が行われており、年に2時間で済むものから毎週2日フルで、というものまでありますが、それらが確実に埋まっていくのは、興味深い現象です。
また男性が、実に家の仕事をまめに行います。庭の手入れ、日曜大工、遊具の組み立てなど、なんでも器用にこなす姿を見ていると、自分などは何もできない子供に感じてしまいます。
このように、仕事への責任、家族への責任、そしてコミュニティーへの責任という3つの責任を果たしていく姿が大変印象的です。もちろん米国にも「仕事人間」はいます。特にベンチャー系の経営陣は、それこそ「Workaholic」に働いていることがあります。しかし、彼らの年報酬は(うまくいった場合)何千万円、何億円の単位です。そして今は、他の責任を犠牲にして働いていても、成功の後には若くして会社生活からは引退し、公共施設に寄付したり、実親のいない子供たちを引き取って養育したり、その意識は「会社がすべて」「自分がすべて」の日本人(あるいはアジア人?)とはずいぶん違うように見受けられます。
「責任」ということについて、もう一つ印象に残っていることがあります。ある時、「犬を飼いたいなあ」と話をしたところ、米国人の女性事務員から「あなたは飼うべきではない」と言われたのです。それはやっぱり、犬を飼うと旅行に不便だからとか、朝夕の散歩が大変だから、ということだろうなと思って「なぜ?」と聞いてみました。返事は予想に反し、「(あなたの生活習慣では)犬へのResponsibilityが果たせない」と言われ、ハッとしました。私は、旅行や散歩が大変という自分の都合を考えていたのに、彼女は犬への責任ということを指摘したのです。


終わりに


サンノゼ遠景

先に書いたように、シリコンバレーの人口の30%以上はアジア人です。ところが興味深い統計があります。シリコンバレーのテクノロジー系企業の役員全体に占めるアジア人の割合はたった6%と人口比で見ると極端に少ないのです。
これは、なぜでしょう。日本人をはじめとするアジア人の責任意識が、比較的「会社がすべて」「自分がすべて」の傾向が強いことが根本原因ではないでしょうか。そういう傾向が社会の中では嫌われて、リーダーシップの発揮に邪魔をしているのではないかと思うのです。
米国はそもそも移民の国です。しかし、アジア人は比較的後から来た移民であり、出身国の価値観をまだ引きずっているのかもしれません。
今後シリコンバレー生まれ、シリコンバレー育ちのアジア人の子供たちが、米国の価値観に基づいた行動を始める時、つまり会社や自分自身に対する貢献だけではなく、家族や地域に対する貢献、責任を果たす時に、アジア人は、真の米国人への仲間入りを果たし、米国企業のリーダーとなる数も増えるのではないかと見ています。

今から20年後、シリコンバレーのアジア人が名実共に米国人となっているのか、その中で日本人はどういう立場にあるのか、大変興味深く思っています。

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