2025年1・2月号(No.826)
毎朝モスクの爆音アザーンで目が覚めるジャカルタ駐在生活も気が付けば1年9 ヵ月が経過しました。赴任初日、上下スーツにネクタイの日本人スタイルでジャカルタ・スカルノハッタ空港に降り立った私は、完全にまわりから浮いていました。男性は派手な柄のバティック(インドネシアの民族衣装)、女性はヒジャブ(イスラム女性のかぶりもの)を身にまとい、迎えの同僚から「日本人コスプレみたい」とからかわれたのを覚えています。税関では日本から持ってきたウイスキーと日本酒を指摘され、あれやこれやと交渉している途中、職員が急にいなくなり、聞くとお祈りの時間だということで1時間ほど待たされました。いきなり“お酒”と“お祈り”の2つの洗礼を受け、イスラム教の国に足を踏み入れたことを実感しました。学生時代にバリ島には旅行したことがあったものの、ジャカルタは初めての地、そして今回は旅行ではなく海外駐在ということで、久しぶりに感じた東南アジアのじわじわと汗を誘発する湿気も、また違った感覚がありました。気が付けば私も毎日バティックを着て仕事をしており、当時新しくみえた多くの非日常が日常になりつつあります。
さて、住めば都とは言いますが、インドネシア在住者にはインドネシア好きの方が多いように思います。そんな諸先輩方がいるなか僭越ではありますが、本寄稿では、前半にインドネシアの魅力、後半に昨年開通したばかりの最新型高速鉄道Whooshをご紹介させていただきたいと思います。
インドネシアは人口2億8,000万人、17,500の島々からなる島しょ国家で300以上の多様な民族が共存しています。公用語はインドネシア語。世界一簡単な言語とも言われており、時制や性別による単語の変化はありません。駐在されている方の多くは基本的な会話は習得されているように思います。とはいえやはり言語は奥が深く、今でも勉強は続けていますが、インドネシア語はマレー語由来で成り立ったため、マレーシアに行った際にもインドネシア語が通じたことには少し驚きました。
日本で普通に生活をしていて「宗教」に触れることはほとんどないかと思いますが、先にも少し触れた通り、インドネシア人の9割はイスラム教徒です。身近なところでは、お酒や豚肉が禁じられています。インドネシア駐在が始まれば数年は豚肉が食べられないと思い、赴任前に豚肉を飽きるほど大量に食べてきましたが、予想に反して豚肉を食べられるお店は多々ありました。取引先のインドネシア人の方と10人ほどで食事をした際、全員お茶やジュースで乾杯をしていたのには少し違和感がありました。お茶を片手にゲラゲラと盛り上がっており、しらふでここまで盛り上がれるものかと、新鮮な驚きを覚えました。
イスラム教には、一日5回お祈りの時間があります。赴任初日に税関で待たされた1時間は、4回目のお祈りの時間に重なってしまったという訳です。街中にアザーンが鳴り響くと人々はモスクへ集まり、サウジアラビアのメッカがある西に向かってお祈りをします。また、毎年1 ヵ月の断食期間があり、この期間中は日中食事も水分も摂りません。断食期間は、我々日本人もオフィスで水を飲むことすら気が引けます。裕福な人も貧しい人も苦しい体験をともにすることで、貧しい人の気持ちを考え、“食のありがたみを感じる”“初心にかえる”期間となるようです。簡単にできることではなく、多様性を認め共感するすてきな文化だと思います。
他者を認める文化の一例として、ジャカルタ北部にあるMasjid Istiqlalというモスクをご紹介します。これは20万人を収容できる東南アジア最大、世界でも3番目に大きいモスクですが、道を挟んで向かいにはKatedral Jakartaというキリスト教会があります。イスラム教とキリスト教、異なる宗教を象徴する建物が並んでいることは、インドネシアの異民族、異宗教の共存や平和を象徴しています。普段の生活からもインドネシア人の国民性は、おおらかで優しい人が多く、平和な国だという印象を受けます。
高速鉄道Whoosh
Whooshファーストクラス座席
さて、そんなインドネシアですが、2023年10月2日に東南アジア初の高速鉄道が開通しました。それがWhooshです。
前大統領ジョコ・ウィドド氏が「Whooshは、インドネシア語のWaktu Hemat(時間の節約)、Operasi Optimal(最適な運転)、Sistem Hebat(素晴らしいシステム)の頭文字から取っており、発音は『ウーシュ』だ。これは高速鉄道が疾走する音から着想を得た」と開業式典にて説明をしていらっしゃいます。高速鉄道の受注を巡っては、日本と中国の競争⼊札となりました。最終的には2015年、中国がインドネシアに財政支出や債務保証を求めない計画案を提示してこの競争を制しました。総事業費は当初60億ドルを予定しておりましたが、ふたを開けてみれば建設費用は約72億ドルまで膨らみ、超過額の12億ドルについてはインドネシアが公費を投入することになったということです。開業は2019年を予定しておりましたが、建設用地の交渉が難航したことや建設中の事故、コロナ禍影響なども受け度々延期され、紆余曲折を経て当初予定から4年遅れての2023年開業となりました。現在はジャカルタから東に約150km離れたバンドゥンという都市までの路線となっていますが、今後はさらに東へ延伸し、ジョグジャカルタやスラバヤまで開通させる計画です。建設当初、中国側に日本の調査データが流出したとも言われており、中国は未知なる土地のデータ調査・建設には経験がないため、今後の延伸参入については難色を示しているともささやかれています。
そんなさまざまな背景をもつWhooshですが、乗車してみての感想は素晴らしく快適そのものでした。座席は3つのクラスに分かれており、エコノミークラスが20万ルピア(約2,000円)、ビジネスクラスが45万ルピア(約4,500円)、ファーストクラスが60万ルピア(約6,000円)です。普通の電車は初乗り40円から最長距離でも140円ほどですので、インドネシア人にとってはまだまだ高いのかもしれません。
Whooshエコノミークラス座席
Padalarang駅からの景色
とある土曜日、ジャカルタのHalim駅からWhooshに乗車しました。都心のビル街から少し離れたところにいきなりポツンと巨大なHalim駅が現れます。周りの景観に似つかわしくないきれいな駅舎で、搭乗口付近は品川駅さながらです。紙チケットは駅でも購入できますが、今回はアプリで購入。クレジットカード経由で支払いでき、購入するとQRコードが表示されます。改札にかざすと通過できるシステムとなっており、ペーパーレスで非常に先進的です。改札先にはVIPラウンジがあり、ソファスペースでコーヒーやお茶を無料で頂けました。出発数分前に車両に乗り込み出発を待っていると、定刻2分前に発車となりました。乗り遅れた人はいなかったのか不安になりますが、インドネシア人は“Jam Karet”とよく言います。Jamは時間、Karetはゴム、つまり時間はゴムのように伸びたり縮んだりするものだというインドネシア人の時間的概念を表しています。このあたりにインドネシアらしさを感じます。これもインドネシアのおおらかさの表れかと考えます。
WhooshはHalim駅からバンドゥン北西部郊外のPadalarang駅まで、車で3時間ほどの距離を30分で到達します。東京から軽井沢あたりまでの距離を30分でつないでいるイメージです。行きはせっかくなのでと奮発してファーストクラスを購入しました。全601席の内ファーストクラスは9席のみとなっており、左右2-1列の座席配置でスペースは十分にゆったりしています。車内のデザインも高級車を演出するラグジュアリー仕様で、まわりの乗客もどこか裕福な雰囲気が漂っておりました。たった30分の乗車時間ですが、ファーストクラスだけは水やパン、スナックなどの軽食が提供されます。私の確認した限りでは最高時速は348km/h(公表ではmax 350km/h)で、棚田や山々の風景をたのしんでいるとあっという間の到着となりました。
帰りはエコノミークラスに乗車。見た目は“東海道新幹線”そのものです。清潔感、快適性は遜色なく、座席の色味まで日本の新幹線とそっくりです。日本の新幹線よりも窓が大きく設計されていて開放感があり、走行時の揺れもありません。こちらも非常に快適な30分で、あっという間に到着となりました。今回、上下2クラスを乗車比較しましたが、結論、通常利用でしたらエコノミークラスで十分快適です。スタッフに聞いてみると、インドネシア人にとってはエコノミークラスでもまだまだ高いようですが、日本人的には手に届く範囲ですので、ひとつの経験としてファーストクラスを試してみるのもいいかもしれません。インドネシアとは思えないほど洗練された空間で上質な時間を過ごすことができます。Halim駅周辺、Padalarang駅周辺はまだあまり開発されておりませんが、スターバックスやレストランの開業予定もあるようで、今後の延伸や周辺開発も楽しみです。非常に快適な鉄道旅行となりました。
今回はご紹介できませんでしたが、インドネシアには島国ならではのきれいな海やダイビングスポット、多くの食文化、歴史的建造物など、まだまだ多くの魅力が存在します。最近は海外アーティストもよく凱旋しており、先日はBruno Mars、来年はMaroon5やYOASOBIなども来尼するようです。
経済成長率は5.05%、平均年齢は30.2歳と非常に若く、注目すべき国の一つであることは間違いありません。日本では少子高齢化により人口ピラミッドの“逆富士山化”が進んでいく一方、インドネシアでは人口ボーナスが進み“富士山化”していくとみられおり、2032年には人口3億人を突破するとも言われています。著しく経済発展が進んでいる反面、所得や教育の格差、腐敗が存在していることも事実です。2023年の腐敗認識指数では、インドネシアは世界180 ヵ国中115位となっています。2-3年以内のOECD加盟を目指しており、建国100年となる2045年までに先進国入りを実現するという成長目標『Indonesia Vision 2045』を掲げていますが、さらに投資を呼び込んで成長するためには、こうした課題の改善も併せて進めていくことは避けて通れない道だと感じる次第です。
日常茶飯事の渋滞も今では何だかかわいく感じられる今日この頃ですが、今後の発展がまだまだ期待されるこの国へ、まさに成長真っただ中のこのタイミングで、一度足を延ばしてみてはいかがでしょうか。数年後にはガラリと違う景色が広がっているかもしれません。