私とサムライのマンハッタン上陸

双日米国会社
米州事業開発室 シニアマネジャー
小林 正幸

マンハッタンへの誘い



GEビルの屋上から見るセントラルパーク。
公園の右側がアッパーイースト地区。公園の東沿いの道が5番街。


2010年4月からニューヨークに駐在となり、妻と2歳の長男を持つ私は、住居探し(Hunting)から米国生活を始めることになった。他の途上国に駐在している先輩方から反感を買うかもしれないが、さすが「世界の首都」とも呼ばれるニューヨーク、住環境が整っているため、選択肢が多いことが逆に私を悩ませた。
幅4km、長さ20kmの大都市マンハッタン(島)に住むべきか、自然豊かな郊外からフェリーや電車で通勤するか…等。数週間のHunting活動を経て、最終的にマンハッタンのアッパーイースト地区(セントラルパークの東に位置)に住むことにした。
郊外の自然も捨て難いが、徒歩10分弱で行けるセントラルパークの豊かな緑、湖、そして大都会にもかかわらず無数にいるかわいらしいリスたちが、大都会の欠点をカバーし、私をマンハッタンに招いてくれた。ちなみに家賃はセントラルパークに近ければ近いほど高くなる。大都会だからこそ、この公園はマンハッタン住民にとっても、また私にとっても貴重な存在なのだ。


魚対応のすすめ


新しい生活が始まり、日本食が恋しくなったころ、日系のスーパーでサンマを買ってキッチンで焼いてみた。台所には、換気扇が付いているものの、吸った空気を外に出すのではなく、なぜか部屋の中に出すシステムであり、たちまち部屋の中は煙だらけに。そしてすぐに火災報知器が反応してしまい大騒ぎになってしまった。この換気扇のシステムはどのアパートでも皆同じのようだ。不動産屋に聞いたところ、「米国人はそもそも魚を食べないし、煙が出る料理はしない」とのこと。同じアパートの日本人の家では煙が出にくい魚焼き器を使っているようだが、玄関の下のわずかなすき間から「臭いっ、魚を焼くなっ」とメモ書きを入れられたという。とある人いわく、魚の焼くにおいは「人間を焼いたようなにおい」と表現する米国人もいるようだ。何やら日本食文化を完全に否定されたようで気分が良くなかった。
高級スーパーに行けばそれなりに魚はあるが、近所のスーパーには、肉売場の1割程度のスペースしか魚売場がない。しかもあるのはエビとサーモン、あっても白身魚の切り身が少しあるだけ、もちろんすべて冷凍。
わが社の食料部と職場の仲間に米国の魚文化について聞くと、①サーモンなら好んで食べる。②サンマ、シシャモ、イワシ、アジのように頭もしっぽもついた魚料理は食べない。③切り身の状態なら食べる。④マグロは赤身しか食べない。⑤タコも食べない…等、これがわが子だったら毎日「好き嫌いは駄目っ!!」と怒っていたことだろう。味覚も設備もそして人の心も、まったく魚対応がされていない街である。
現地の新聞を読んでいると毎日のように米国人の肥満の話題を目にするが、そのたびに私は「魚対応してみては?」と言いたくなる。現地のフリーペーパー(Daily SUN)から肥満について面白い記事を見つけた。米国の大人の4分の1が肥満という。これ自体は予想の範囲内。問題はこの調査方法、40万人に電話で身長と体重をヒアリングし肥満率を調査したそうだ。どれだけのコストを掛けて調べているのか!!さらにこの記事では「電話での回答者は実際よりも体重を軽く申告している可能性があり、肥満の割合がもっと高い可能性がある」と記載、もっと効率的かつ正確な調査方法があると思うのだが…。
別の日の同新聞に、「子供の3人に1人が肥満」と書かれていた。大人より子供の方が肥満率が高く、これは深刻だ。好き嫌いは子供のころの食生活が大事、米国社会全体で魚対応が必要であろう。


マンハッタンの名物イベント


プエルトリカン・デー・パレード(5番街にて)

マンハッタンに生活していて、魚事件ほど不快ではないが、騒がしいと感じるのが、頻繁に行われるパレードやセントラルパークで行われるイベント。
最近では11月にニューヨークシティーマラソンが開催され、このゴールがセントラルパークであった。4.4万人のランナーが参加、そして沿道の観客は200万人ともいわれた。
季節が良い月は、特にイベントが多く、強烈なのが6月。その1つがプエルトリカン・デー・パレード。なんと10万人以上のプエルトリコ系の人たちが、5番街を歌って踊って行進。パレードが終わってもラジカセを背負い大音量を出しながら歩くため、騒がしくてかなわない。
また6月には有名なゲイ・アンド・レズビアン・プライド・パレードが開催され、同性愛者の地位向上を目指し、その筋の人が全米いや世界から集まりパレードを行う。特別な偏見があるわけではないが、とても2歳の息子には刺激が強過ぎるため、その日は一日中家にいることに。


サムライパレード


2010年6月、サムライパレード セントラルパークにて

そんな騒がしい6月に、セントラルパークでは、日本文化を紹介する目的で「ジャパンデー」というイベントが開催され、約5万人が集まった。
2010年は、1860年に日米修好通商条約の批准書を交換するために、江戸幕府が米国に使節団(万延元年遣米使節団)を派遣してから150周年という記念すべき年に当たる。この使節団はサンフランシスコ、ワシントンほかを経由し、最後にニューヨークを訪問している。マンハッタンのブロードウェイでは、日本刀を差し、まげ、はかま姿のサムライパレードが行われ、この変わった風ぼうのサムライを見たさに50万人の観衆がこのパレードを見物したという。


日米交流の出発点


この記念すべき年に、ニューヨーク市博物館では特別展示会「Samurai in New York:The First Japanese Delegation,1860」が開催された。その中で私が印象に残った展示を紹介したい。
この描写は、歓迎レセプションで、使節団の正使である新見豊前守正興が、米国側の代表者と共に部屋から出て来た際に、随行の武士たちが、多くの米国人が見ている中で、恥らいもなく土下座をしている姿である。生まれながらにして身分が決まる厳しい階級社会の日本と、大統領が一般市民の選挙で決まる米国社会との対照性を表した絵でもある。大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬の言葉を借りれば「上士も下士も分け隔てなく暮らせる世の中」がまさに米国であろう(なお、坂本龍馬が暗殺されるのは1867年、この使節団の7年後)。
この記事やサムライパレードを見た米国人はどのように感じたのだろうか?決して250年も鎖国し、時代遅れとなった日本に対する軽蔑ばかりではなかったようだ。むしろこの土下座のように、この使節団の上品さと丁寧な立ち居振る舞いを評価する声が多く聞かれるようになり、ニューヨーク市民は親しみを込めて日本人に接し、その年は一年中日本ブームが沸き起こったという。
この使節団は、米国建国以来、初の日本からの公式ミッションであり(それ以前の非公式訪問者はジョン万次郎などの遭難者)、また米国の一般市民が初めて接した日本人である。まさに日米交流の出発点といえる。
われわれ、日本人は、当時のニューヨーク市民が感じたような「上品さ・丁寧さ=礼儀正しさ」を大切にしていきたいものだ。


異文化交流研修


ちょうどジャパンデーが開催されたころ、当社では外部講師を招き、駐在員のために「Cross Cultural training」なる研修が行われた。これは米国の人々の精神構造を理解するための研修であり、その中で講師は「米国は日本と違い階級社会ではない。上司や役員に対しても接する態度は変わらない、皆平等という意識だ。この背景にあるのは、米国は欧州の階級社会や社会的抑圧を嫌い移民してきた人たちの集まりであるからだ」と力説していた。私はこの説明を聞いて、この描写のことを思い出した。そして歴史的背景に納得しつつ、日本はもはや階級社会でないとは否定しきれないが、その分、日本の礼儀正しさはわれわれの誇る文化だと心の中でつぶやいてしまった。


使節団の功績


この機会に、日本貿易会の会員企業の方々にはぜひこの使節団の功績の一部を知ってもらいたい。
この使節団に同行した小栗上野介は、ワシントン海軍工廠を見学し、日本との製鉄技術の差にがくぜんとし、記念にネジを持ち返ったという。帰国後、幕府に造船所建設所を提案し、これが横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠)の建設につながり、日本の産業近代化の基盤を作ることになる。
また小栗はパナマで乗った鉄道の建設資金が(当時はまだ運河はなかった)、「コンパニー」という商人組合により巨額の資金が集められ、 そして拠出金額に応じて利益配分される株式会社の仕組みを知った。その後、小栗は幕府に、株式会社による商社設立を提言。これは資本の少なさから日本商人が海外貿易で不利益を被っており、外国と同等に取引するには、コンパニー形式による巨額資本の商社ではなくては、国の利益にはならないと感じたためという。この構想を基に設立されたのが兵庫商社であり、これが現在の商社の経営形態の原型でもある。
司馬遼太郎は小栗を「明治の父」とたたえているが、われわれ商社にとっても「父」的な存在かもしれない。


1860年、ブロードウェイを行進する使節団(注)


「Courtesy Museum of the City of New York, 92.51.48」(注)


上品に礼儀正しく


この150年前のサムライの上陸は、われわれ、商社にとって、日米交流の幕開け、商社の原型誕生、日本産業の近代化等の観点で大きな意義を持つ。今回の特別展示「サムライ・イン・NY」は、マンハッタンに上陸したばかりの私を、今後の駐在生活に向けて心を新たにし身を引き締まる思いにさせてくれた。上品に礼儀正しく、両国にとって有益なビジネスを手掛けていきたい(まずは米国の魚対応に力を入れてみようかと…)。

(注)今回、日本領事館、ニューヨーク市博物館のご協力により、当時のパレードの写真を本寄稿用に頂戴した

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