アンゴラでの駐在生活

豊田通商アフリカ社 ルアンダ駐在員事務所
所長代理
小林 昌夫

1. アンゴラでの駐在開始



首都ルアンダ(ルアンダ湾)


2010年4月にアンゴラの首都ルアンダに駐在した。当社の南アフリカ現地法人 豊田通商アフリカ社のルアンダ駐在員事務所長代理という位置付け(所長は南ア滞在なので、実質現地事務所の長)。当社は、自動車本部がアンゴラで約20年前からトヨタ車販売のトヨタ・デ・アンゴラ社(当社100%出資)を経営しており、私の駐在員事務所は、その歴史・実績を活用して「自動車商売以外のビジネス(非自動車ビジネス)」を開拓するための事務所である。駐在前は東京本社のプラント・プロジェクト部に所属していたことから、アンゴラでの注力中の案件は石油・ガス、発電および運輸関連インフラ案件などである。
アンゴラには2007年5月の初出張、同年10月の日本経済団体連合会ミッションをきっかけに本格的に出張するようになった。当時、所属部で「当社自動車本部の歴史・実績があるアフリカで、非自動車案件を展開するにはどこの国が有望か」という議論がされていた。その時、私が南アフリカ、ケニア、アンゴラの3ヵ国に出張、「アンゴラが一番ビジネスの匂いがする」と報告してから自分のアンゴラ人生が始まった。年に3分の1くらいのペースで出張していたが、案件形成はしているものの受注までたどり着かず、会社から「いっそのこと住んで(駐在して)案件獲得に専念しろ」と言われて受けた。
家内と娘の3人家族だが、娘が小学校に入学することもあり、単身赴任を決意、娘の小学校入学式を見届けた翌日にアンゴラ駐在に出発した(こう書くと、「家族と離れ離れのかわいそうな人」と思われそうだが、実際は土日の家族とのスカイプでの通信、年3回の休暇があり、心配していたほど娘の父親離れは起きていない)。
アンゴラの在留邦人は約50名(当社は邦人駐在員4名、家族を含めると計8名)で他国と比べて極めて邦人の数が少ないが、皆さん厳しい生活環境で生きており、在留邦人同士の付き合いは深いと思う。また、日本大使館の皆さまには大使館邸・大使公邸での定期的な情報交換会ほかのイベントを含めて多大なご支援を頂いているのでいつも感謝している。


JMASの地雷除去現場にて、一番右が筆者、
その隣がJMAS土井代表、左2人は当社鷹巣駐在員夫妻

アンゴラでは地雷の問題が深刻だが、当社はアンゴラでの社会貢献活動の一環として、NGOである「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」の地雷除去活動に、ささやかではあるが協力させていただいている。アンゴラで活動中のJMASさんの自衛隊OBの方を含めた日本人メンバーの現場でのご活動・ご苦労には敬服する。
それでは真面目な話はこれくらいにして、私のアンゴラでの生活や観光スポットなどにつきご披露したい。


2. アンゴラでの生活


2007年出張を開始した当時、「サバイバル」という言葉を口にした日本人駐在員の方がいるがまさにそれがぴったりと思う。
2002年の内戦終了後、石油開発での利潤をベースにしたインフラ建設が大規模に続行中だが、首都ルアンダ内の生活インフラは、まだ完全には整備ができていない。
アパートの家賃は私が初出張時の2007年よりはいくらか落ち着いたが、古くて決して奇麗ではない2部屋か3部屋の物件(夜は入り口の電気がつかない、エレベーターは動かないケースが多い、頻繁に停電・断水が起こる)が1万ドル近くするケースが多々あり。私は駐在後すぐにアパート探しを始めたが、オーナーが登記簿などの必要書類などを持ち合わせていないケースがあり、結局、駐在後8ヵ月も費やしてのアパート入居となった。古いビルを4年前に改修した物件であるが、今のところ電気・水の問題はあまり起こらず助かっている(広さ128㎡、3LDK、それで注目の家賃はというと、1万ドルプラスちょっと?である)。
アパートに移るまでは会社の借り上げ住居で他出張者などと集団生活をしていた。外食も多く(塩分・脂分の多いものが好きなせいか)血圧が上がったが、アパートに引っ越ししてからは自炊するようになった。その時まで人生の中で料理などしたことなかったが、アンゴラでの自炊生活で簡単な食事はできるようになった。年末・年始に一時帰国した際に、私がカレーライスを初めて家内、娘に振る舞ったが、「おいしい」と言われて非常にうれしかった。
外食は、ポルトガル料理を中心に海沿いなどにおいしいレストランがいくつかあるが、値段が(お酒なしのベースで)昼食で30-50ドル、夕食で100ドル近くいくこともあり、外食ばかりしていると大変だ。
アンゴラの物価の高さはよく取り沙汰されるが、一例としては野菜の価格に象徴される。外国人向けのスーパーに行くとキャベツが1個20ドル近くする、さらに白菜などはもっと希少価値があり1個40-50ドルする(白菜にそんなにお金を出して買ったことないので味の方はよく分からないが)。


3. アンゴラでの観光


次は観光。
内戦終了後まだ9年の国だが、もともと地方都市での観光資源が豊富と聞いている。その一例で南部の港町ナミベと、そこから内陸に入った高原都市ルバンゴを紹介したい。まず高原都市ルバンゴは1,000m超の高地に位置しており1年を通して涼しい。特に冬はコートがいるくらい寒い。夜の星が非常に奇麗。以前私が同地域へ車で国内出張したことがあるが、移動中の道が舗装なしの、でこぼこで1日にタイヤが2回もパンク、深夜身動きが取れずに車の中で過ごした(野宿)ことがある。その時夜空に散在する無数の星を見たが、その辺のプラネタリウムなどの比ではないくらい素晴らしかった。またルバンゴはソーセージ(チョリソ)が有名、ちょっとしょっぱいが非常においしい。
そのルバンゴから南部港町のナミベまでは200km弱、まずルバンゴ高原から「Serra Da Leba(セーハ・ダ・レーバ)」という坂道を下っていく、この山道の壮大さが素晴らしい(はるか昔、学生時代に修学旅行で行った日光の「いろは坂」の記憶が何となくあるが、それをもっとダイナミックにしたような感じだ)。植民地時代のものらしいが、当時よくこれだけの建設工事をやったなと感心してしまう。ガードレールが一部ない部分があり、それが少し怖い。その坂道を降りると、あとは砂漠(正確には土漠)の中をひたすら走り続ける。ルバンゴを出てから約2時間で港町ナミベに到着する。ナミベは魚介類が豊富(特に「カニ」が有名らしい)であり、ここで食べる海鮮リゾット(Arroz de Mariscos)は一番のオススメである。ナミベでは滞在するホテルのオプションはあまりなく、いつもコンテナでできた簡素な「コンテナホテル」に泊る。以上、ルバンゴ・ナミベの紹介をさせてもらった。


セーハ・ダ・レーバ(いろは坂)


港町ナミベ(ナミベ港)


ナミベのコンテナホテル


石油開発収益で経済が急成長中のアンゴラだが、ビジネスチャンスはもちろんあるものの、外国人が現地で生活するにはまだまだ生活環境が厳しいところである。2007年のアフリカ初出張で「(南アフリカ・ケニアより)アンゴラが一番商売の匂いがする」と言って自分のアンゴラ人生が始まり、さらには駐在となったが、当社のための商売のみならず、アンゴラ政府・国民の皆さんに貢献できるビジネスを実現できるよう、今後の駐在生活を続けていきたい。

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