2度目の駐在で思うこと — インドネシア事情

伊藤忠インドネシア会社
社長
本岡 卓爾

はじめに


2009年10月18日、私は、再びインドネシアのスカルノ・ハッタ空港に降り立ちました。
1992年末から1998年4月までジャカルタに赴任していましたので、これが2度目の駐在になります。その間、2、3度出張でジャカルタに立ち寄ることはありましたが、いずれも短期間の出張だったため、久しぶりのジャカルタ駐在に感慨もひとしおでした。
振り返りますと、1990年代もアジア通貨危機が起きる前は、インドネシアの経済も順調でした。むしろ、大きなプロジェクトは、スハルト開発独裁政権の下、現在よりも多く実現したように思います。今回、私は、ちょうど2009年10月の第2次ユドヨノ政権発足に相前後したタイミングに赴任したわけですが、この第2次ユドヨノ政権発足後、インドネシアの政治・経済は安定度を増しており、その成長の速度は先行するBRICsと肩を並べる勢いです。自分がインドネシアに駐在した過去と現在が共に右肩上がりの経済であることは、自分自身にとって、インドネシアがとても相性のいい国だという証しだと思っています。


変貌する社会・生活


ジャカルタ中心街の様子
そろそろ交通渋滞が始まる時間

前回の駐在と今回の駐在を比較すると、いくつか面白い違いに気が付きます。例えば、今やゴルフ場にいるキャディーさんは、男性よりも若い女性の方が多くなりました。しかも、みんな綺麗にお化粧をして、中にはピアスをしている人もいます。前回駐在時は、まだ男性キャディーが多く、女性キャディーが登場し始めたころでした。最近のインドネシアのゴルフ場の流行は、女性キャディーにカート付きというものです。それが、増加しているインドネシア人ゴルファーの好みという人もいますが、真偽のほどは分かりません。ただ、その影響で、ゴルフ場によっては、男性キャディーが全員クビになったという悲しい話も聞こえてきます。
また、携帯電話の普及にも驚かされます。街中に携帯が溢れている感じです。それに伴い、ビジネスマナーが悪くなりました。会議中に1度や2度は、必ず携帯の着信音が聞こえます。場合によっては会議にお構いなく、平気で電話で話を始める人もいます。さらに、会議中にメールのやり取りをしている人が多いこと。あまりそれが不快に思われないのは、インドネシア人の寛容さの表れでしょうか。ちなみに、インドネシアでは、携帯端末機は、iPhoneではなくBlackBerryが主流で、Facebookの利用者数は米国に次いで世界2位といわれています。
他にも違いを上げれば切りがありません。例えば、自動車は、当時マニュアルが主流でしたが、今は当然ほとんどがオートマチックです。また、当時中国に対する警戒感が強かったのに、現在は、旧正月が祝日になっていますし、ジルバブと呼ばれるイスラムのスカーフをかぶった女性が増えている一方、一時期増えたイスラム系政党の支持率が最近は落ちているという現象も起きています。


オートバイの通勤ラッシュ

しかし、こうした多くの変化の中で、何よりも目立つ大きな違いだと思うのは、道を走るオートバイの台数が非常に増えたということです。自動車に比べて、以前はそれほど目立たなかったオートバイが、今や先を争うように走っています。2010年は、雨の多い年でしたが、大雨が降り始めると、雨宿りのために、歩道橋などの下にオートバイが集まり、車道を2車線ほどふさいで、大渋滞という光景も目の当たりにしました。また、オートバイは一家にとって大切な家庭車であり、一家4人で1台のオートバイに乗っている光景をたまに見掛けます。残念ながら、インドネシアの道路事情は悪く、場所によっては自動車よりも小回りが利くオートバイの方が便利だというところが少なくありません。2010年度のオートバイの販売実績は、740万台で、アジアではインドに次ぐ台数が売れています。しばらくこの状況は続きそうで、少なくとも1,000万台までは順調に伸びるだろうといわれています。


日本語の不思議なキャッチフレーズ

このオートバイの売れ行きは、いくつかの注目すべきポイントを物語っています。1つは、圧倒的な日本ブランドへの信頼感です。ほぼ100%がホンダ、ヤマハ、スズキといった日本メーカーのものです。もう1つは、ローンの利用により、消費が広がっていること。さらに3つ目は、購買力の源泉である中間層の増加です。日本ブランドの信頼感に関しては、他にも例があります。最近、ショッピングモールのお店のキャッチフレーズが日本語で書かれていたり、商品の容器に日本語が1行入っていたりするケースを目にします。中には、確かに日本語だけど、ほとんど意味が分からない文章もありますが、インドネシアの人にとって、日本語表記が品質の高さの証明であるということがうかがい知れます。


拡大する中間層、伸びゆく経済


前回の国勢調査で、インドネシアの人口は、2億3,700万人となりました。米国に次ぐ世界第4位の人口です。このうち、中間層と呼ばれる人たちが、半数以上の1億3,000万人いるといわれています。こうした中間層の人口は、統計により数字がまちまちですが、つい最近の報道によると、特に、2003年から2010年にかけて一挙に約5,000万人増加したとのことで、この拡大する中間層の購買力が、先に挙げたオートバイのケースのように、現在のインドネシアの経済の下支えをしているのは、間違いありません。1人当たりのGDPも2010年に3,000ドルを突破し、この勢いで、2011年中にはソブリン格付けも投資適格になると期待されています。
これまで、インドネシアは、ポテンシャリティーという言葉に寄りすがっていた気がします。「広大な国土」、「豊富な資源」、「廉価で潤沢な労働力」に恵まれ、大いにポテンシャリティーが感じられるという具合に。そして、残念ながら、過去は、景気が上向いてインドネシアに対する期待が高まると、必ず何か問題が発生し、政治が混迷し、経済の停滞が始まり、結局人々の期待を裏切るという繰り返しでした。ポテンシャリティーはポテンシャリティーのまま、置き去りにされていたのです。今回はどうでしょう。私は、この中間層の拡大という観点から、以前は輸出産業への投資促進・育成が主眼であった経済政策により、どちらかというと外からの力で景気が左右されてきたインドネシアの経済の体質が、ここに来て大きく変わったと思います。もっと筋肉質になったというか、内からの力で自発的な向上を遂げることができる国に変わってきたと思います。


発展の光と影


しかし、急速な経済発展の一方で、インドネシアが抱える問題もいくつか浮き彫りになっています。
1つはインフラです。
道路、電力、ガス、いずれをとっても不足しています。道路に関しては、オートバイや自動車の売れ行きが好調なため、近い将来、首都圏では、二輪車や自動車の道路占有面積が、道路面積を超える「グリッド・ロック」と呼ばれる状態に陥るといわれています。また、水については、一見豊富に見えますが、地下水の過剰なくみ上げによる地盤沈下の弊害がさまざまな場所で見受けられるようになりました。
意外に感じられるかもしれませんが、2010年実施された国民の意識調査の結果を見ると、2010年12月の段階でインドネシア経済が好調と考えている人は24%しかいません。われわれ外国人から見ると、絶好調に見える経済が、どうしてインドネシアの人々にとって不満なのでしょうか。それは、経済発展と共に、貧富の差が広がり、特に貧しい人々のレベルで生活必需品の値上がりや失業問題がクローズアップされているからです。
ジャカルタの都心から車で1時間ぐらいのところに、バンタルグバンの廃棄物処理場があります。そこではゴミ山にうずまりながらの困窮生活が余儀なくされており、子供たちは、異臭・ハエ・粗末な教室や教材など劣悪な環境下で学業にいそしんでいます。
伊藤忠インドネシア会社は、CSR普及の一環として、継続的に、このゴミ山の子供たちの支援を続けています。仮設教室を設営し、教材を提供し、年に1度は都会見学のバスツアーも実施しています。2010年度は、こちらのジャカルタ日本祭りに合わせて開催されたアニメ映画祭に子供たちを招待しました。子供たちは初めて見る都会の風景に目を丸くし、くぎ付けで映画に見入る姿には心が打たれ、拡大する経済格差の落とし子を増やしてはならないと強く感じさせるものがありました。新興発展国で勤務すればこそ味わえる経済の躍動とその影でひしめく貧困、その双方を見据え、自らのできることから、つまり、点から線、線から面に広げていく地道な活動が、やがて底辺の底上げへとつながっていくものと信じています。


ゴミ山の子供たちをアニメ映画祭に招待
ドラえもんに扮した社員が人気(著者後列)


ゴミ山の子供たちと
伊藤忠インドネシア会社のボランティア


日本とインドネシアの絆


震災義援金活動を行う元留学生たち
(「じゃかるた新聞」提供)

2011年3月11日という日は、日本人にとって忘れられない日になりました。
今回、東北・東日本を襲った大震災は、こちらでも連日報道されていました。驚いたことに、刻々と入る情報を見聞きしながら気持ちばかりがはやる日本人を尻目に、日本に留学経験のある若手のインドネシア人を中心とするグループが、震災から2日後の13日から、街頭での募金活動を始めたのです。彼らは、当日インタビューに応え、「ジョグジャカルタやアチェの地震の時には、日本の方々が私たちを助けてくれました。今度は私たちが日本を支援しましょう」と呼び掛けていました。それから、連日のように、震災にあった日本を支援しようという動きが、インドネシア政府、民間企業、有志のグループから湧き起こり、震災から1ヵ月以上がたった今でもチャリティーイベントや祈祷集会など後を絶ちません。これほど、長く、心を込めて震災後の日本を支援しようとしている国は、それほど多くないと思います。
つい先日、先ほど紹介したゴミ山の子供たちから、津波の大被災をどこから知ったのか、お見舞いの気持ちを込めた寄せ書きが届きました。彼らにできることは何なのか考えた結果なのでしょう。金銭では測れない温かい気持ちを大変ありがたく思いました。彼らの行いは確かに小さな点でしかありません。しかしそれがやがて線となり、面となる。われわれができることから始めようと進めたCSRが、彼らの意識とつながっていたことに深い感動を覚えました。
一方、日本は、先に挙げたインドネシアのインフラ問題を解決するために「首都圏投資促進特別地域(MPA)構想」と称し、ジャカルタ首都圏を中心とした地域のインフラ向上のためのロードマップを作成、実行することになりました。具体的には、道路、港湾、電力などインドネシアの経済発展に欠かせない9分野のインフラについて、マスタープランの作成から、事業参画に至るまで、官民連携で対応しようというものです。日本が、未曾有の大震災に揺れ動く中、2010年12月に発表されたこの計画を予定通り推進することは、日本のインドネシアに対するコミットメントの強さを物語るものであり、また、その姿勢に対して、インドネシア政府から、多くの感謝の意が示されています。


おわりに


日本とインドネシアは、お互いの立場を理解、尊重し、それを素直に行動で表すことができる間柄です。同じ海洋国家として歴史を重ねてきたせいか、国民の性格も似通ったところが多いように思います。この素晴らしい関係を、さらに発展させていくために、何をすべきかと自ら問い掛けるビジネスマンが、ここジャカルタには多くいます。インドネシアで幅広いネットワークを有する商社に勤める者として、その先頭に立ち、少しでも両国の関係強化のお役に立てればと思っています。

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