フランクフルト便り ― 変わるドイツと変わらぬドイツ

蝶理ヨーロッパ
社長
西村 健司

はじめに


私は2007年4月からドイツ、フランクフルト南郊外にあるノイ・イーゼンブルクという町に駐在しています。当時、為替は1ユーロ170円目前に迫り、生活支度金として日本から持ち込んだ円をユーロに変えたところ、持ち分を半分にされたような気にさせられたことをよく覚えています。今は、1ユーロ100円目前に迫り、欧州金融危機の中、ドイツも大きく変わりつつありますが、普段の生活の中で私なりに感じるドイツ、フランクフルトを皆さまにご紹介できればと思います。


マインハッタン・フランクフルト


欧州中央銀行

欧州の空の玄関口として、大都会であると誤解されがちですが、人口は約70万人弱で、思ったほど大きくはありません。ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに続き、ドイツで5番目の都市になります。実際、ちょっと車を走らせただけで、すぐに森や畑にぶつかり、緑もたくさんあります。詩人ゲーテが生まれ育った街としても、有名です。市内には、マイン川(ライン川の支流)が流れており、昔は水運で商業が発展しました。現在では、日本でも最近ニュースでよく目にする欧州中央銀行をはじめ、ドイツ大手銀行の各本店の高層ビルが立ち並ぶ金融の中心地でもあります。マイン川から見る金融業界の高層ビル群は、当地では「マインハッタン」ともいわれています。また、約30%が外国人居住者という国際都市としても知られています。アフリカ、アラブ、東欧、南米と世界中から人が集まり、街中至る所でいろんな言語が飛び交っており、路上では、いつもどこかで民族音楽が演奏され、まさに人種のるつぼです。もちろん、世界各地の本場料理も楽しめます。日本ではあまりなじみのない、エチオピア料理、レバノン料理、モロッコ料理、グルジア料理などもあります。フランクフルトの緯度は北緯50度、樺太とほぼ同じで、乾燥した気候は北海道とも似ています。街の中心部にある観光地として有名なレーマー広場の裏側には、今でもローマ遺跡が残っています。ローマ人がアルプスを越えて、ここまで北上して来たのかと驚かされます。同じドイツ人でも北と南で気質が違うとよくいわれますが、天気だけでなく、ローマ人(ラテン)の血が関係しているのかもしれません。


日独交流150周年


2011年は、日独交流150周年の記念の年でした。ちなみに偶然にも弊社創業も2011年で150周年を迎えさせていただきました。私が住むここフランクフルトでも、日本にまつわるさまざまなイベントが行われました。1個1ユーロもするたこ焼きが屋台で売られ、買い求めるドイツ人で長蛇の列ができていました。今から150年前といえば、時は幕末、大政奉還に向う激動のさなか、1860年秋、後のドイツ統一の中心勢力となる、プロイセンの東方アジア遠征団が江戸に到着、翌1861年(文久元年)に日本と修好・通商・航海条約を結び、ドイツとの関係が始まりました。今では、街中、至る所に回転ずし屋があり(怪しげな店も多いですが)、日本料理屋も、箸を上手に使うドイツ人客でいつもにぎわっています。本屋では、村上春樹さんの本がメインフロアで並び、日本の漫画がコーナーを作り、日本の映画がDVDとして売られ、テレビでも、宮崎アニメ、ポケモン、ドラゴンボールが日常的に放送されています。変わり種としては、ここ最近、UKのアパレルメーカーが、若者向けにCool Japan Fashionと称して、「極度乾燥(しなさい)」と不思議な日本語ロゴの入ったTシャツ・トレーナーを販売して、ドイツでもはやっています。日本の文化が150年の時を経て、いろんな形でドイツの人たちに受け入れられていることを感じます。先人たちが培ってきた日本の文化を、私も商社マンという立場を通じて、ここドイツで少しでも伝えることができればと思います。


ドイツ人の気質


ドイツ人というと、規律を重んじる、頑固者というイメージがありますが、私の感じるドイツ人について、3つ挙げてみます。

⑴ 女性天国?
例えば、週末の朝早く、パン屋に行くと、男性が列をつくっています。そこに女性の姿はありません。朝のゴミ出し、これもよく見ると、スーツ姿の男性。朝、子供たちの幼稚園や、保育園への見送り、これも男性。週末、乳母車を押して子供とお出掛けしているのも、男性。ドイツでは、女性の社会進出が進む中、男性の家庭人としての在り方も変わってきているのでしょうか?いずれにせよ、男性は大変です。

⑵ 暗いのが好き?
今でも家庭の明かりにロウソクを使います。スーパーや雑貨店でも普通に照明用のロウソクが売られています。夜10時を過ぎると、私の住むアパート周辺は真っ暗になります。街中にはネオンもなく、狭い道路の信号機は消されます。営業中のレストランやホテルの部屋も暗く、使用されていないトイレの電気も消されています。これらは、環境意識が高く、倹約家でもある証拠だと思います。

⑶ 書面が好き?
ドイツ人は本が大好きです。世界でも珍しい本のメッセ(展示会)が毎年、ここフランクフルトで開催されると、各地からたくさんの人たちがスーツケースを転がして本を買いに来ます。旅行といえば、われわれ日本人は、名所旧跡巡りですが、ご存知、長い休暇を取るドイツ人にとっては、旅行先で本を読むためと言っても過言ではありません。また、違った意味での書面好きで、私たちが困ることに、新聞や雑誌の解約から商品のクレームまで、日本では電話一本で済むことに、全て書面の提出を求められます。


クリスマスのにぎわい


ドイツの人たちにとって大切な行事といえば、クリスマスです。毎年12月のアドベント(待降節)と呼ばれるクリスマスの約4週間前から、あちこちの街では、クリスマスマルクト(市)が始まり、暗く厳しいドイツの冬に暖かい光をともしてくれます。


ホットワイン

⑴ ホットワインで心も温まる
クリスマスマルクトでは、大勢の人々がこの時とばかりにワイワイと街に繰り出します。グリューワインを片手に、カレー風味のソーセージを食べるのが、楽しみの一つです。冬の風物詩でもあるグリューワインは、赤ワインにシナモン、砂糖、レモン等を加えて温めて飲むホットワインです。ドイツ人に言わせると、寒い零下の夜空の下で飲むのが一番おいしいのだそうです。ここ国際都市、フランクフルトでは、宗教の垣根なく、イスラム圏などの人々も違和感なく溶け込んでおり、皆で楽しむ冬祭りという感じです。


クリスマスのにぎわい

⑵ なまはげサンタクロース
クリスマスといえば、プレゼントの入った大きな袋を背負ったサンタクロースです。これは、聖ニコラウスの祝日(12月6日)に贈物交換の習慣があったことから、米国に伝えられ、クリスマス・プレゼントをする今の習慣になったものですが、赤い服に白いひげ、トナカイを引き連れた現在のサンタクロースの姿は、コカ・コーラのCMから生まれたという俗説をドイツ人からよく聞きます。ドイツでは、今でも12月25日ではなく、12月6日の聖ニコラウスの祝日に子供たちは靴下の中に入ったプレゼントをもらえます。面白いのは、良い子はプレゼントがもらえますが、悪い子はループレヒトと呼ばれる聖ニコラウスの従者にムチでお仕置きされるといわれており、日本の「なまはげ」と似ています。


なでしこジャパンの快挙


皆さまもご存知のように、2011年は、ドイツで女子サッカーのワールドカップが行われましたが、ここフランクフルトで決勝戦が行われ、大変盛り上がりました。準々決勝でドイツと日本が対戦しましたが、ドイツ国内では、まさか日本に負けるとは、思っていなかったようです。そんな中、二回りも体の小さい日本チームが、優勝候補であった大きなドイツチームを倒したのは、本当に快挙でした。ドイツ敗退後、われわれ日本人は街を歩けるのかと不安を覚えましたが、それから準決勝、決勝と進むにつれ、ムードが変わり、日本チームを応援するドイツ人が増えました。決勝戦の夜、私はフランクフルト空港にいましたが、空港内に設置された大きな液晶テレビの前では、ドイツ人がたくさん集まり、ため息と歓声の中、われわれ日本チームを応援してくれていました。自国ドイツを倒した日本に勝ってもらいたかったのか、米国に対する反感からか、よく分かりませんが、とにかく数多くの見知らぬドイツ人達から、祝福の声を掛けてもらえたことは、とてもうれしく、国民総サッカーファン、ドイツの懐の深さを見たような気がします。


おわりに


欧州経済をけん引するドイツには、当然のことながら、新しいものを創り出し、取り入れていく力があります。その半面、かたくなまでに古いものを守り続ける精神があります。この2つを分けるボーダーラインは、揺るぎがないように思います。そのドイツ人の気質をよく表すドイツ人哲学者ニーチェの言葉を最後にご紹介します。


「世間を超えて生きる」


世間にありながら、世間を超えて生きよ。世の中を超えて生きるとは、まずは、自分の心や情のその都度の動きによって自分があちらこちらへと動かないということだ。情動に振り回されない、自分が自分の情動と言う馬をうまく乗りこなすということだとも言える。これができるようになると世間や時代のその都度の流れや変化に惑わされないようになる。そして、確固たる自分を持ち強く生きる事ができるようになるのだ。(「善悪の彼岸」 より)
2011年12月記

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