変わりゆくルーマニア

三菱商事株式会社 ブカレスト駐在事務所
General Manager
西岡 周一郎

ルーマニア概観


東欧のルーマニアは、日本人の多くの方には、体操のナディア・コマネチとドラキュラ伝説の他、あまりなじみのない国かもしれません。また、共産主義だったころの独裁者、チャウシェスクの名前を思い出す方もいらっしゃるでしょうが、どちらかといえば暗いイメージがあるこの国も、今ではその姿を大きく変えています。
2007年1月に隣国ブルガリアと一緒にEU加盟を果たし、EU27ヵ国の一つに名を連ねました。人口1,904万人と中東欧ではポーランドに次ぐ規模、国土の面積は23.8万㎢で日本の本州とほぼ同じ、EU 加盟国では9番目の大きさ、国土の多くは肥沃な大地で、歴史的にも農業が大きな役割を占め、石炭や鉄鉱石だけでなく、欧州大陸では珍しく石油とガスを産出する天然資源にも恵まれた豊かな国です。
地政学上も、国土の中央にはカルパチア山 脈が湾曲して存在し、山脈に囲まれた北西側のトランシルバニア地方は海抜400-600mの台地、南のワラキア地方は肥沃な農地、また、ドイツに源流を持ち、欧州大陸を貫く大河ドナウ川が南部のブルガリアとの国境沿いを流れ最後は黒海に注ぐ河川交通、黒海交通の要衝です。河口に広がるドナウデルタは世界自然遺産にも指定された欧州最大のデルタであり、多様な魚種、動植物、野鳥の宝庫で、ペリカンなどの貴重な鳥も見ることができる、自然に恵まれた国です。


ドナウ運河


ドナウデルタ


政治


政治は国民から直接選挙で選ばれる大統領を国家元首とする共和制国家であり、議会から選出される首相が行政を行う半大統領制を採用しています。現在、2004年に就任した中道右派で親米派のバセスク大統領(2009年再任、任期5年)、2012年5月から中道左派政党(社民党および国民自由党)のポンタ内閣が発足し、2012年12月の総選挙では、同中道左派政党が議会の3分の2の安定多数を占める政権が誕生し、今後4年間この国の行政を担います。


経済


2007年のEU加盟への期待感を背景にその数年前からのルーマニアブームで、外国直接投資が増加し、年平均5-6%の経済成長を続けていました。しかし、不動産の値上がりなどのバブルが大きくなっていたところに起きた2008年のリーマン・ショックの影響は甚大で、2009年には、IMF、世界銀行、欧州委員会などが通貨レイ相場の急落と財政悪化を受け、総額200億ユーロの融資を決定。この協定に基づき、ルーマニアは財政赤字縮小のための改革を義務付けられ、2010年には公務員給与の25%削減、付加価値税の19%から24%への引き上げなどを実施しました。
この結果、消費意欲は減退、また銀行の貸し出し基準が非常に厳しくなったことなどから、国内消費は大きく減退、2009年の経済成長率は-7.1%まで落ち込みました。一方、国内最大の輸出企業であるダチアやその部品を製造する自動車産業などは通貨安の恩恵を受けた輸出増で急回復を遂げ、2011年には2.5%の経済成長を記録しました。一転2012年は欧州諸国の需要低迷の影響から、輸出が伸びず0.3%の経済成長率と鈍化しています。そんなルーマニアのブカレストに私が異動したのは、2010年4月。ドイツのデュッセルドルフからの欧州内異動で、その前任地がスウェーデンのストックホルムだったこともあり、欧州内の北から南に2,800㎞、同じ欧州ではあっても、民族(ゲルマンからラテン)、気候風土はもちろん、生活水準、食生活、社会システムの在り方、人々の考え方の違いに戸惑い、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。
また、バブル崩壊の影響が北部欧州に比べて大きく、その厳しい日々の生活を生き抜く人々のたくましさに感心すると同時に、欧州の多様性、これらを束ねるEUという大きな枠組みの懐の深さに感銘を受け、難しさも痛感しました。
そんなルーマニアを知っていただくために幾つかご紹介します。


ルーマニア人とジプシーについて


美人国といわれるルーマニアですが、バルカン諸国で唯一のラテン系民族、ラテンの中でも言語はイタリア語に近く、スペイン・フランスなどの国にも非常に親近感を持つようです。一方周囲がブルガリア、ウクライナ、セルビア、スロバキアなどスラブ語圏民族に囲まれている中で、何故、バルカンで唯一のラテン系なのかという問いは、私の最初の疑問の一つでした。
その答えは、ローマ帝国拡大の歴史にあります。106年ローマ帝国軍が、この地の先住民ダキアを征服、その結果移住したラテン系の多くのローマ人が、ダキア人と混血となり、ラテンを基にした言語の源流ができ、またローマ帝国崩壊後、7世紀ごろにかけてこの地域に移動して来たスラブ人の影響も受けて、現在のルーマニア語になっていったようです。
また、15世紀以降はオスマントルコの長い支配を受ける一方、現在のトランスシルバニア地方はオーストリア・ハンガリー帝国の領土で、ドイツ系・ハンガリー系の人々も多く住んでいた歴史もあり、まさに多くの民族が入り混じって、今のルーマニア人をつくり上げています。ちなみに現在も人口の6%はハンガリー人で、トランスシルバニアのある県では住民の多くがハンガリー語を公用語でしゃべっています。
一方ルーマニアには、ロマと呼ばれるいわゆるジプシーが多く住んでいます。その数は180万人とも200万人ともいわれています。総人口が1,904万人ですから、人口の10%近くを占めます。学校の教科書でも習った記憶がありますが、ジプシーの言葉であるロマニ語はインドの言葉であるサンスクリット語から来たもので、彼らは東方から移動をしてきた民族で、ルーマニアでは14世紀にジプシーの移民が急増しました。定住するジプシーも少数居たものの、多くは、追放されたり、定住を避けるためのさまざまな措置を各国が取ったことから、差別を受け、社会の外側に置かれ、生き残る戦略として、移民・移住し続けたようです。
現在、欧州には約1,000万人近いジプシーが居るといわれていますが、多くは、ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・セルビアなどのバルカン地域を移動するかスペイン、フランスに多く住んでいます。スペインのフラメンコに代表されるように、音楽・芸術性に富んだ民でもあり、ルーマニアでも芸術分野などで大いに成功している一握りの定住者と、地方に集団で生活をするか移動を続ける多くのジプシーの人々。当地でも「いろいろな事件を起こすのはロマの人で、ルーマニア人ではない」とはルーマニア人からはよく耳にするのですが、ルーマニアの中で、依然として存在する、差別。これも今のこの国の一面を表しています。


大都市ブカレストと地方との違い・格差


ルーマニアの1人当たりGDPは8,000ドル強で、EU27ヵ国中26番目ですが、恐らくこの数字、首都のブカレストと地方の農村の間のギャップは他の国のそれとは比較にならないほど大きいのではと思います。
人口190万人を数えるブカレストは国際価格並みのホテル、レストランも数多く、カルフール、メトロ、イケアなど西欧資本のスーパーマーケットも多く進出し、他の西欧・中欧の大都市とあまり変わらない顔を見せつつある一方、一度地方に出ると、広大な農地が広がり、車で通る集落では家の前のベンチで穏やかな老人や女性たちがおしゃべりを楽しむ、牧歌的な風景がごく当たり前に続きます。まだ農業が主要な産業の一つであり、穴だらけの国道にわら束を満載した馬車が何台も闊歩しているのが、現実の姿です。
北部にマラムレシュ地方という、社会主義時代も含め、昔と変わらぬ生活を続ける地域がありますが、やはり農業を中心に、自給自足で野菜や家畜を育て、日曜日には、家族でオーソドックスの教会に出向く、素朴な生活がまだまだ続いていて、同じ国に居るとは到底思えません。


マラムレシュの田舎風景


マラムレシュの木造教会と田舎風景


マラムレシュのイースターのミサ


ルーマニアの食べ物


ルーマニアは農業国で、最大の農産物は、小麦、続いてトウモロコシ、その他大麦、ひまわり、菜種などが生産され、かなりの量が輸出される一方、野菜や商品作物は、専ら国内向けで、一部地域では自給自足分だけを生産し、輸入されるものも少なくありません。伝統的な主食は、小麦で作るパンやトウモ ロコシの粉をおかゆのように煮て、牛乳とバターを混ぜ込んだ、ママリガ(黄色いマッシュポテトに似ている)などです。
料理は、煮込みや肉のグリルなどの調理が一般的で、非常に素朴な伝統料理は、牛の臓物スープや、日本のロールキャベツに似て、ひき肉と刻み玉ねぎ、お米などを混ぜ、キャベツの葉や、ブドウの葉で巻いて煮込んだサルマーレが有名。その他、豚のひき肉団子ミテティや、豚肉・牛肉のシチューに似たトキチュラなども一般的です。この他、周辺国の影響を受けた料理も多く、シュニッツェル(オーストリア)、グーラッシュ(ハンガリー)、マストラマ(トルコ)、ムサカ(ギリシャ)などもごく一般に食べられています。
魚は、基本的には、淡水系の魚が中心で、特に「鯉」はどこの市場でも大量に水槽に入って売られています。ルーマニアでは鯉をグリルするケースが多いようです。淡水魚は海の幸に恵まれた日本人には、ちょっととっつきにくいのですが、黒海で取れる、高級魚の「いぼ鰈」、アジなどは空揚げにして大変おいしく頂けます。


トキチュラ


日本のロールキャベツに似たサルマーレと主食のママリガ


ルーマニアワイン


ワインショップ

ルーマニアのワインの歴史は古く紀元前3,500年以上前には、この地でワインが造られていたようです。今でこそワインの主要生産国は、イタリア、フランス、スペインなどの西欧諸国ですが、これは、ローマ軍が黒海周辺で造られていたワインの製造技術を西に広げていったことによります。ワインは昔から人々の生活に根差した飲み物で、首都のブカレストを少し離れ、郊外に出ますとほとんどの戸建ての庭には、ぶとう棚があり、毎年秋になるとぶどうを収穫して、自家製ワインを造っています。
Feteasca Alba(「白い乙女」という意味)、Feteasca Neagra(「黒い乙女」という意味)などこの地域の古来固有ブドウ種によるワインも多く生産され、新興ワイン生産地にはない、バラエティーが楽しめます。そんなルーマニアワインは街のワイン専門店や市場の中のワイン屋ではボトル売りはもちろんですが、安く手に入るのは、自分でペットボトルを持って行き、樽から量り売りしてもらえば、1ℓ120-200 円程度で買えます。まさに人々の生活に根差した飲み物で、ペットボトル入りのミネラルウォーターの値段とあまり変わりません。


最近の流行


ルーマニア音楽は、欧米のようなポップスに加え「マネレ」と呼ばれるジプシー音楽の流れをくむ伝統的な音楽と融合させたダンスミュージックが若い世代ではよく聴かれています。また、ラテン民族的なテンポとノリの良さがある曲や、トルコ音楽の影響を受けた曲もありますが、最近では、日本にも進出し始めたルーマニアポップス、美人でスタイル抜群の「アレクサンドラ・スタン」も日本でのコンサートを開催。また、2013年のベルリン国際映画祭で、ルーマニアの映画「Child's
Pose」が金熊賞を受賞するなど、芸能、芸術分野での活躍も目立ってきています。芸能、芸術分野では非常に良いセンスを持ち、もっと豊かになりたいとのバイタリティーあふれるルーマニア人。これからますます、注目されると期待しています。


最後に


ルーマニアの人々は、長い歴史の中でいろいろな国の干渉を受けながら、一部は同化し、たくましく生き延びてきた人々です。ビジネスなどの世界では、決して、自分の非を認めず、他人の所為にして責任逃れをする傾向もありますが、これも長年の生き延びるための知恵から出てくるものかもしれません。一方、芸術・芸能のセンスにあふれ、街を歩けば、街角ごとに花屋を見掛け、ちょっとした機会に花束を贈るのがごく当たり前、美しさをめでる感覚などもルーマニア人の素晴らしい感性です。
日本人にとってまだなじみの薄い国ですが、今後、鉄道網の改修、高速道路の整備、港湾などのインフラが良くなることで、そのポテンシャリティーがさらに高まるのは間違いなく、既に多くが進出している小売りスーパー業、加工製造業だけでなく、世界の中の重要な極の一つである、欧州、とりわけEUの今後を見据えて、その投資の魅力はさらに高くなるものと思われ、将来が楽しみな国でもあります。
ぜひ、一度訪ねてみてはいかがでしょうか?

変わりゆくルーマニア 誌面のダウンロードはこちら