なるほど!ザ・ドバイ

興和株式会社
ドバイ駐在員事務所
清瀬 裕之

ドバイモールの噴水前にて(筆者)


ドバイの発展


ドバイの歴史がいつから始まったかに関しては諸説がありますが、紀元前3000年ごろからこの地域にて定住の跡を示す考古学的証拠が見つかっているようです。いずれにせよアラブ首長国連邦の建国は1971年であり、私の一つ年上と非常に若い!国であることは確かです。私の40年は人様に公表できるような人生ではありませんが、ドバイがたどってきた歴史は波瀾万丈です。
1971年にアブダビやシャールジャなど6首長国と連邦結成後、ドバイは今日に至るまでグローバルで多角的な戦略を持ち発展してきました。ドバイ国際空港に続く、ジュベル・アリ港の開港、ナショナルフラッグとしてのエミレーツ航空の就航およびジュベル・アリ・フリーゾーン、ドバイ・エアポート・フリーゾーンの設立などにより世界との扉を開き、多くの国外資本や外国企業の進出とあわせ、「人」と「物」の集積地として中東最大の商業・貿易拠点になる礎を築きました。
それだけではなく、ドバイに何か目玉を!ということで、競馬の祭典ドバイ・ワールドカップやドバイ・ショッピング・フェスティバルの開催、世界最高級の7つ星ホテル、ブルジュ・アル・アラブや、世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファの建築など、世界中から人を呼び寄せるイベントやアトラクションを充実させてきました。


ドバイの転機


急速に発展を続けてきたドバイですが、米国のサブプライムローン問題に端を発する世界経済の低迷を受けた結果、2009年11月にドバイ政府が債務不履行を起こすリスク、また、ドバイへの出資を積極的に行ってきた欧州の金融機関の債権焦げ付きへの懸念から、世界中の株式市場が急落、世にいうドバイ・ショックが発生しました。その後、アブダビ政府が一部資金拠出するなどして、当面の債務不履行は回避されましたが、外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化などにより、多くの建築工事や計画が中断されました。


ドバイの復活


今のところ世界地図を模した人工島群ザ・ワールドや、世界最大のテーマパークを目指したドバイランドなどの超大型案件は中断されたままですが、超高層オフィスビル群のジュメイラ・レイク・タワーズや超高層レジデンシャル・エリアとして人気のドバイ・マリーナなどでは、中断されていたビル建設が再開され、おおむね出来上がりつつあります。過去3年余りにわたって下落・低迷が続いてきたドバイ不動産市況は2012年にようやく底を打ち、回復基調に転じてきました。ドバイ経済の回復を主導する観光、貿易や物流なども順調に推移していて、今後のさらなる発展が強く期待されます。
ドバイへの外国人観光客もドバイ・ショックを乗り越え、2012年度は約1,000万人と、東京への観光客数の倍以上。200万人以上いるドバイ人口のうち、UAE人は15%以下という数字も含めて考えると、いかにドバイが国外からの人や資本で成り立っているかがうかがい知れます。中東域内からはもちろんのこと、世界中から人々が押し寄せて来る背景としては、やはりイスラム社会でありながら、さまざまな価値観を受け入れるドバイの包容力が挙げられる、と思います。
2011年6月に赴任して約2年がたちました。それまでは中東やイスラム社会とは縁がない仕事や生活スタイルをしていたので、ドバイのなるほど!を語り尽くすには経験不足かもしれませんが、私が当地で体験した出来事を紹介していきたいと思います。


ミニチュア模型のようなブルジュ・ハリファからの眺め


空中から見た七つ星ホテル、ブルジュ・アル・アラブ


ラマダン(断食月)の苦労


ドバイはイスラム教の順守に比較的寛容とはいえ、少なくとも断食期間中はわれわれ非イスラム教徒にとってもつらい時期です。ショッピングモールでは、セキュリティー・ガードがドレス・コードをチェックしており、女性の肌が露出し過ぎていれば警告カードを渡され、肩や膝を隠すように注意を受けることもあります。日本人以上に肌の露出が多い服装を好み、周囲をあまり気にしない欧米人女性たちはさぞ多くの警告カードを受け取っていることでしょう。ホテル内などの限られた場所では飲食できますが、基本的にそれ以外の場所や人前では日中は飲食ができないので、皆、引きこもりがちになります。


食事


インドをはじめとする南アジア系の料理屋やアラブ料理屋が多いものの、数多くの外国人が居住するドバイでは日本料理や中華・イタリア料理など、世界中の料理も楽しむことができます。市内の通常のレストランでは、イスラム教で飲食が禁止されているアルコールや豚肉の提供はできません。ライセンスのあるホテルに行けば、値段は割高になりますが、それらを楽しむことができます。やはり私は仕事後の一杯!が楽しみですので、外食となるとどうしてもホテル内のレストランで食事をすることが多くなります。ちなみに大きなスーパーマーケットでは豚肉を購入することができますが、他の食品とは隔離された場所で販売されています。


夏場のゴルフ


中東のゴルフ場は、全て砂漠なのかとお思いの方もいるかもしれませんが、ドバイは、日本ほどではないにせよ、芝や草木が生い茂る奇麗なゴルフ場がいくつかあります。平均気温が20-25度ぐらいの12-2月の冬場は非常に気持ち良くプレーできますが、過酷なのは6-9月の夏場です。湿度100%に近い中で40度を超える日が続き、時には50度を超える日もあります。そんな過酷な環境なのになぜプレーするの?とよくいわれますが、他のアクティビティーが少ないドバイなので致し方ありません。ちなみに夏場、直射日光の下を歩けば、ほんの数秒で汗が吹き出してきます。まさに、「天然のサウナ」です。


希少価値のあるナンバープレート


日本では主にショールームでしか見られないような高級車が、ドバイではたくさん見ることができます。また、珍しい数字のナンバープレートは非常に希少価値があります。通常は4桁や5桁のランダムな数字ですが、2桁や333、5555のように珍しい番号を見掛けることがあります。1桁の番号は王族関係者の所有といわれており、なかなか遭遇することはできません。私の子供たちは、珍しい数字を必死に探し、見つけるたびに盛り上がっています。ちなみに希少価値の高いナンバープレートは、非常に高値で売買されています。


ドバイ観光


埼玉県とほぼ同程度の面積のドバイでは、観光できる場所や施設は限定されていますが、やはり世界中の人々を引き付けてやまない魅力があります。世界最大級の水槽を誇る水族館や、世界最大の噴水ショーで有名なドバイモールだけではなく、屋内スキー場のあるモール・オブ・エミレーツなど、大規模ショッピングモールが市内に幾つか点在しています。また、スークと呼ばれる昔ながらの小さな店が軒を連ねるアラブの伝統的な市場も有名です。シティ・オブ・ゴールドと称されるドバイだけにゴールド・スークは外せませんが、テキスタイル・スークやスパイス・スークなど、多種多様の物品を取り扱う市場もあります。ちなみにドバイから一歩出ると歴史遺産にあふれて魅力ある国々はありますが、残念ながら政情不安により家族で安心して行ける国が少ないのが現状です。


デザートサファリ


ドバイから車で数十分も郊外に行くと、砂漠地域ならではのデザートサファリを楽しむことができます。個人でも行けますが、最低でも車2-3台で一緒に行かなければなりません。なぜなら運転技術に不慣れな素人だとすぐに砂にはまり、1台だけでは出られずに他の車にけん引してもらう必要があるためです。また、多くのツアー会社は、デザートサファリにアラブ料理のビュッフェ、シーシャ(水タバコ)やヘナタトゥー(葉エキスの入れ墨)、ラクダ乗り体験やベリーダンス観賞を組み合わせたパッケージツアーを用意しています。


砂嵐


ドバイを舞台にした映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」を見たことがある方は記憶にあると思いますが、実際はあそこまですごい砂嵐は発生しません。しかし時期によっては砂ぼこりが多く舞って視界が悪くなり、交通事故が多く発生する日もあります。


ドバイで洪水


ドバイでも年に数回だけ雨が降るのですが、まれに土砂降りが発生します。その機会が少ないためか、ドバイではあまり排水設備が整っておらず、いったん大雨が降ると市内のあちこちで洪水が発生します。場所によっては膝上あたりまで水がたまり、ひどい渋滞が起こります。乗用車で移動できない人たちは基本的に家の中で缶詰めですが、水たまりの中を自転車で上手に進む人たちもいます。


人種のるつぼドバイ


前回のイタリア駐在時代は当然イタリア人と仕事をすることが多かったのですが、ドバイでは通常、仕事で相手をするのは人口の大部分を占める外国人、特にインドを主とする南アジア系の人々とのことが多いのが実情です。ちなみにイタリア人の発音も癖が強いのですが、インド系英語の癖の強さは想像以上で、慣れるのに本当に苦労します。エミレーツ航空に搭乗された方はご存じでしょうが、どの路線でもアラビア語・英語だけではなく、いろいろな言語に対応できるように、さまざまな国籍のキャビン・アテンダントの方がいます。仕事のオン・オフにかかわらず、ドバイでは本当にたくさんの人種の方がいるので、あらゆる点において、われわれ日本人との違いを認識させられることが多くあります。


仕事と宗教


イスラム教圏では、日常生活だけではなく仕事中でもいろいろなことが起こります。イスラム教では1日5回礼拝する決まりがあり、敬けい虔けんなイスラム教徒であれば、商談中でも席を外してお祈りに行きます。ほんの5- 10分とはいえ、話の腰を折られた経験がある方は多いのではないでしょうか。また、日本を含めたアジアや欧米では周囲と仲良くなり本音を語り合う手段として、アルコールを含めた会食「飲みニケーション」(言い回しが古い!?)がありますが、イスラム教徒の人たち相手では基本的にこの手は使えません。とはいえ、当然ですが、彼らはアルコールなしでもざっくばらんに本音で話をしてきますので、われわれも最初から本音で対応する必要があります。


最後に


私も含めたドバイ駐在員は、近隣の中東・アフリカ諸国を担当していることが多く、それらの国の方々とも知り合える機会が増えます。やはり所変われば人も変わり、いろいろと対応も大変ですが、さまざまな可能性を秘めたここドバイを拠点に、彼らと日本との橋渡しができるような仕事をしていきたいといつも考えています。

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