2013年12月号 (No.720)
「モザンビーク」と聞くと、どのような印象をお持ちになるでしょうか。この記事をお読みになる方は、きっとアフリカの国であることぐらいはご存じでしょうし、内戦で苦しんだ過去に思い及ぶ方もいらっしゃることでしょう。では具体的にアフリカ大陸のどの辺りに位置していてどんな特徴のある国なのかと問われると、あまり知られているとはいえないかもしれません。私も赴任が決まるまではそうでした。モザンビークはアフリカ大陸の南東の海岸線に位置し、南アフリカの北東に国境を接しています。マダガスカル島の対岸、という言い方もできます。
モザンビークは16世紀のポルトガル統治以前からアラブ地域をはじめ、インド、ペルシア、中国との交易拠点として発達してきた歴史があり、当国の生活、文化はそれらが混在しています。言語は旧宗主国のポルトガル語が公用語ですが、地域によって40以上の民族言語があるといわれています。例えばマプート周辺ではシャンガナ語という民族言語も使われています。特に「ありがとう」を表す「カニマンボ」というノリの良いカニの踊りを想像させる単語は、当地では知らない人がいないといっても過言ではありません。
マプート市内は、1992年の和平協定まで 20年近く続いた独立政府と反政府派による内戦の影響が今でも建物や道路に残っているものの、ポルトガル植民地時代のコロニアル様式などの建築物に出会うことができます。パリのエッフェル塔の設計者として有名なグスタフ・エッフェルをはじめ、当時の著名な建築家たちが多く活躍し、彼らが携わった欧州風のモザンビーク中央駅などが街に彩りを添えています。空港から中心地に向かう途中のレンガ積みの家屋の集落、中心地の建築物の造り、主要交差点にあるロータリーなど、私が駐在経験のあるブラジルと同様にポルトガル人によって開発された町だからなのでしょうか、共通点が多いようです。一方最近は、近代的なビルの新築・改築や、主要道路の整備も盛んに行われており、急成長する国という別の側面も見せています。
モザンビークは、最近こそ資源開発を中心として世界の注目が集まっていますが、かつて深刻な内戦があり世界最貧国だった印象も強く、私自身、アフリカの経験自体がなかったこともあり、駐在前は正直なところ、どれだけ厳しい環境のところなのかと思っていました。一昨年に実際に当地に来たときの印象は「ブラジルに似ている」でした。以前立ち寄ったブラジルのどこかの港町に来たかのような懐かしさや温かみを感じました。また、モザンビークの人は総じて穏やかで、口角泡を飛ばして議論するより、ゆったりとコミュニケーションを取るスタイルです。
日々のマプート市民の活気を体験したければ、中央市場や路上のマーケットが面白く、食料品、日用雑貨が所狭しと用意されています。モザンビークはインド洋に面した2,500 ㎞に及ぶ長く美しい海岸線と幾つもの港を持ち、風光明媚な海沿いの地区、島がたくさんあります。世界遺産に指定された北部のモザンビーク島や、マプート近郊でも車で数時間程度でビレーネ海岸などの美しいビーチに手軽に行くことができます。
一方、首都マプートでさえライフラインはまだまだ貧弱で、停電や断水が多いことには苦労しています。道路も、市の中心地を少し離れると土がむき出しの悪路が多く、また舗装道路であっても大雨の後は大きな穴が開いていたりと、通行時は気を抜けません。それでも、同じ国内でも地方では電気、水道、ガスがなく、燃料はまきや木炭、水は共同給水所までくみに行くという生活の方が多数であることを考えると、マプート他主要都市の生活レベルは、地方と比べると格段に高いといえます。
また、特に地方では蚊が媒介するマラリアの対策に気を使わなければならず、蚊よけを肌に塗ったり予防薬を服用したりする必要があり、少々面倒です。マラリアは一度かかるといったん治った後も肝臓の中にマラリア原虫が住み着き、人によっては体力が落ちるたびに高熱が出てしまう等という症状が続くという恐ろしい話も聞きます。しかし、友人のモザンビーク人に聞くと「マラリア? もう数えきれないほどかかったけど、平気だよ」というたくましい答えが返ってきます。日本の生活に慣れ切ったわれわれは少し神経質になり過ぎなのではないかと思わず感じてしまうほどのおおらかさを、モザンビーク人に対しいつも感じています。
当地は路上マーケットでの商取引がまだまだ多く、野菜や生きた鶏、台所用のプロパンガスボンベまでもが路上で購入できます。一方、最近では、南アフリカ系など外資のスーパーの進出が進み、これまでより品質の高い食料や生活用品を購入することができるようになってきていますが、品物が輸入品主体となるため、物によっては日本以上の価格になることもあります。富裕層の中には、高級な衣服、家具などが必要な場合は、車で3-4時間程度で行ける南アフリカ側の国境近辺の町ネルスプリットまで足を運ぶ人たちもいます。
マプートにはゴルフ場が1ヵ所だけあります。これがなかなか味のあるゴルフ場で、もともとの設計では18ホールあったのですが、数年前のある時期から3ホール相当の場所に人が住みだし、15ホール回った後に同じホールをさらに 3ホール回るという、いかにもユニークなローカルルールができてしまいました。グリーンの数m先の道路の反対側はもう地元コミュニティー。ゴルフ場の中の通路は住民の生活路になっていて、いざ打とうと思って前を見ると、住民がたくさん歩いており怖くて打てないことも多々あります。
人々の時間に対する感覚については、仕事、プライベート共、驚かされることが大変多いです。約束の時間の20-30分の遅れは当たり前、1週間で受領できるはずの書類が1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月、ということもあります。一方、一度仲間と思ってもらえると一生懸命に協力してくれたりもします。そもそも当地の人を含めたアフリカ人は総じて、時間は管理不能なもの、と認識しているという説もあります。仕事ではなかなかそうも言っていられないのですが、みんなが互いに納得して大きな不満もなくゆったりと生活しているのを見ると、1 分1秒を守ることの意味についてあらためて考えてしまったりすることもあります。
また、ビジネスの電話において、日本や欧米のビジネス作法では当たり前の、不在の際の電話折り返しの伝言に対する返電がめったにもらえません。最近当国でも携帯電話が急速に普及していることもあって、むしろ携帯のショートメールの方がしっかりと返信をしてくれることに気付いてからは、直接電話で話せないときはショートメールで伝言を残すことが多くなりました。
モザンビークの車は右ハンドルということもあり、日本車が多く輸入されています。特に昨今、マプート辺りで日本製中古車の輸入量が急増しており、昭和時代の製造ではとおぼしき車も見掛けます。マイクロバスなどの中には、「○○温泉」、「○○幼稚園」と印字されたまま乗り合いバスとして使われているものも多く、確かな品質の日本車がここモザンビークで新たな人生を送っていることを実感できます。
住み始めて分かったのは、食事が大変おいしいことでした。マプートのレストランは、ポルトガル、アジア、アフリカ伝統料理など多岐にわたり、特に新鮮で豊富な海産物を取り入れた料理に定評があります。現地の食べ物では、特にモザンビーク風シーフードライスがお薦めです。ポルトガル料理をベースとしつつ、現地の新鮮なエビ、貝、イカ、タコなどをふんだんに使った雑炊で、シーフードのだしとライスのコンビネーションが絶妙です。おかゆや雑炊という米文化と海鮮のだしという二つの要素が絡み合い、日本人の舌への親和性は抜群です。唐辛子ベースの強い香辛料、その名も「ピリピリ」といいますが、お好みでこれを加えると、さらに味わいが深まります。
また、旧宗主国の影響で多くのポルトガル料理店がありますが、日本のそれとまったく同じイワシの塩焼きや、タラを使った各種料理など、わが国の料理に近いものもあれば、豚肉とアサリを一緒に炒めたような斬新な料理に出会えるのも面白いです。
意外だったのは、世界各国に存在する中華料理店はともかく、マプートにインドカレー店やタイ料理店が多く存在することでした。味も本格的で、日本人以外にも欧米人が家族だんらんに利用している場面をよく目にします。やはりインド洋に面し、交易で発展した港町ならではでしょう。一方、日本料理だけの店はなく、1軒だけ韓国人夫婦が経営している日本・韓国料理店があるのみですが、日本から来ている者にとってはどちらの料理も大変貴重です。同店は常ににぎわっており、地元の方の姿も時折見られます。
地方都市では選択肢は少なくなり、鶏や魚などを塩でグリルしたものが中心となりますが、食材の品質のおかげもあっておいしく頂けます。特に鶏については、民家で朝絞めたばかりの文字通りの「地鶏」がその日の食卓や食堂に出されるので、野性味があふれ骨太な味わいを楽しむことができます。
モザンビークには国産のビール会社があり、数種類のブランドを安価で頂くことができます。一方、ポルトガルと南アフリカの影響で、ワイン文化がしっかり根付いています。国産品こそありませんが、通常の赤と白はもちろん、日本でもおなじみのポルトワインや、ヴィーニョ・ヴェルデという発酵を抑えた若いワインを楽しむことができます。特に微発泡の白のヴィーニョ・ヴェルデは海鮮系の食事と非常に相性が良く、日本から訪問される方々にも好評です。
モザンビークは天然ガスや石炭という豊富な資源を軸に今後急速な経済発展を遂げていく国であると思います。首都マプートで暮らしていると日々大きなビルが建設され、世界中から政府・企業関係者が集まるカンファレンスが開かれていて、発展の息吹を肌身で感じることができます。
他方、例えば2012年の国連人間開発指数調査ではモザンビークは187 ヵ国中185位との厳しい数字であることに象徴されるように、当国には将来に向けての課題も残っています。縁あってモザンビークで仕事をさせてもらっている一人として、また日々の生活の中で当国の隣人をいとしく思う一市民として、資源をはじめとしてインフラや農業・食糧などさまざまな分野においてバランス良く順調に国が発展していくことを願いつつ、筆をおかせていただきます。