チェコ共和国の今

Toyota Tsusho Praha s.r.o.
畠 雄大

社員と


1. はじめに


「チェコ共和国」と聞いて、日本の方はどんなイメージを持たれるでしょうか? 首都プラハの中世の面影が残る奇麗な街並み、スメタナ・ドボルザークに代表される音楽の街、プラハの春・ビロード革命による民主化等々、この国をご存じの方はさまざまなことを思い起こされると思います。
一方で、中欧の遠い国、チェコスロバキア?海はあるの?ドイツとロシアの間の国?等々、あまりよく知られていないというのも偽らざる実情だと思います。
今回はチェコ共和国の首都プラハに赴任後 1年半が経過した時点で、私自身が経験したことを中心に、少しでも多くの方にこの国の実情を知っていただければと思い、寄稿させていただきました。


2. 歴史


簡単にチェコの歴史を振り返ってみたいと思います。
・9-10世紀の大モラビア帝国を経て、10世紀にボヘミア王国設立。14世紀神聖ローマ帝国皇帝を兼ねたカレル4世の時世に最盛期を迎える
・1620年から約300年間、ハプスブルク家の支配下にありドイツ文化の強い影響を受ける
・第1次大戦後の1918年にチェコスロバキアとして独立。オーストリア・ハンガリー帝国の工業資産の4分の3を継承し、世界有数の工業国となる
・1938年 ミュンヘン協定によりズデーテン地方(北西部)をナチス・ドイツ割譲。翌年全土を占領されチェコは保護領、スロバキアはかいらい政権が成立
・第2次世界大戦後独立を回復するが、1948 年に共産政権が成立し以後ソ連邦圏に属す
・1968年に「プラハの春」改革運動が見られたが、ワルシャワ条約機構軍の侵略により粉砕される
・1989年の「ビロード革命」により共産政権崩壊。議会制民主主義・市場経済・欧州回帰への移行を開始
・1993年1月 スロバキアとの連邦国家を平和裏に解消し、チェコ共和国として独立
・1993年3月 NATO北大西洋条約機構加盟
・2004年5月 EU欧州連合加盟
・2 009年1月から6月までEU議長国を務める
・欧州統一通貨「EURO」導入には否定的(未導入。スロバキアは2009年1月導入)
上記のように中世以来、常に隣国による支配を受け続けながらもチェコ人であるという誇りは忘れずに、わずか25年前に民主国家として生まれ変わり、20年前にはそれまで長く共存共栄関係にあったスロバキア国と連邦国家を解消して、現在のチェコ共和国が生まれました。


3. 現在のチェコ


⑴ 基本情報(2012年実績)
人口:1,053万人
国 土 面 積:7万8,866 ㎢( 日 本 の 約5分 の1。
中部地方:10県合計より少し大きい程度)首都:プラハ公用語:チェコ語
通貨:チェコ・コルナ(CZK)
GDP成長率:▲1.3%、GDP:2,172億ドル
1人当たりGDP:2万690ドル(隣国のドイツ: 4万4,111ドル、ポーランド:1万3,468ドル)失業率:7.0%行政州:プラハを含め、全国が14の州(広域行政単位)に分割されている国際空港:首都プラハの他にも地方に2 ヵ所の国際空港がある

現在、日本からは残念ながら直行便がないため、フィンランドのヘルシンキ、ドイツのフランクフルトその他、欧州各国やドバイ等を経由しなければチェコに着くことはできません。一方で韓国の大韓航空は週に2便ほどソウルからの直行便を運航しており、最近街中で見掛けるアジア人の数は、韓国人→中国人→日本人という順番です。
1993年のスロバキアとの分離・独立後、 1994年には経済成長率がプラスに転じ、その後も順調な経済成長を遂げ「チェコ経済の奇跡」と呼ばれました。
しかしながら1997年から1999年の3年間は、共産政権時代からのあしき伝統として残った不正蓄財や法整備の未整備等の問題により、マイナス成長を記録。
2000年以降リーマン・ショック前までは欧州経済が伸び悩む中、内需拡大および、低コストを享受した輸出拡大により再び経済成長を実現。
2009年は世界金融危機の影響を受けて再びマイナス成長となったものの、2010年からは再び低成長率ながら回復へ向かいました。しかしながら輸出依存度が高いため、今後も欧州地域(特に隣国のドイツ)の景気動向に大きく左右される傾向にあります。

また、政治面では2013年1月に大統領選挙において「初めて」の国民による直接選挙が行われました。それ以前の民主化後は、上下両院議員による合同会議で選出されていました。投票率は1回目が61.3%、決選投票が 59.1%と盛り上がりにはいまひとつ欠ける結果でしたが、最終的には中道左派のミロシュ・ゼマン氏が当選し、チェコにおいて初の直接選挙により選出された大統領となり、5年間の任期を務められているところです。


⑵ 主な産業
I. 自動車工業:自動車生産台数:109万台(2012年実績)
チェコ国内には3社の自動車メーカー・工場があります。
・TPCA:トヨタ・プジョー・シトロエンの合弁工場。トヨタブランドのAYGOは日本への輸出は行われていないが、欧州各国に輸出・販売されている
・Skoda:チェコの重工業メーカー。日本では同ブランドの車は販売されていないが、欧州の他、中国・中南米等の国でも数多く販売されている。車だけでなく発電機や電車等も生産している
・H yundai:韓国メーカー。チェコで生産された車はチェコだけでなく、欧州各国に輸出されているちなみに、2012年のチェコ国内自動車販売台数は18万4,000台余りで、実にチェコ国内で生産された車の「83%」が国外に輸出されていることになります。

このようにチェコは中東欧の改革先行国として、1990年代から積極的に外国直接投資を受け入れています。人口1人当たりの外国直接投資受け入れ額を見ても、中東欧主要 4 ヵ国の中でもスロバキア、ハンガリー、ポーランドを抑え、2006年以降常にトップの座を保っています。
国別に見ますと日本はドイツ、米国、オーストリアに次ぐ投資国となっています。特に自動車産業関係の投資が多く、現在チェコには230社以上の日系企業が進出しています(製造業、非製造業、研究機関等)。日本からの直接投資額は総額558億コロナに達し、駐在員1人当たりの投資額は日本が最高額となります。またチェコにある日系企業が創出する雇用は総勢4万4,000人に達し、チェコで生産された製品がチェコ国内だけでなく、欧州各国そして世界中へ輸出されています。


夕焼けに染まるプラハ城

II. 観光業:830万人(2011年入国外国人数推定)
面積がチェコの 5 倍ほどもある日本では、2013 年ようやく入国外国人数が 1,000 万人の大台を超えたようですが、2012 年までの実績ではチェコが日本を上回っていたそうです。
チェコ国内には、ユネスコの世界遺産に登録されている場所が12 ヵ所あります。
 1.プラハ歴史地区(1992年)
 2.チェスキー・クルムロフ歴史地区(1992年)
 3.テルチ歴史地区(1992年)
 4.ゼレナー・ホラのセイレポムツキー巡礼聖堂(1994年)
 5.クトナー・ホラ(1995年)
 6.レドニツェ・ヴァルチツェの文化的景観(1996年)
 7.クロムニェジーシュの庭園群と城(1998年)
 8.ホラショヴィツェの歴史地区(1998年)
 9.リトミシュル城(1999年)
 10.オロモウツの聖三位一体の碑(2000年)
 11.ブルノのトゥーゲントハート邸(2001年)
 12.トゥシェビーチのユダヤ人街と聖プロコピウス大聖堂(2003年)
調べましたところ、現時点での日本の文化遺産は、2013年に認定された富士山を含めて 13 ヵ所ということで、チェコの文化遺産の数とほぼ同じでした。当地に駐在している方の中には、「駐在中にチェコの文化遺産を全て訪れる」という目標を掲げられる方も多くいらっしゃいます。
また、プラハの旧市街地域は「街全体」が文化遺産に登録されているため、「自宅は世界遺産に登録されている」という方もおられます。チェコを訪れる外国人のほぼ100%がプラハに訪れるということで、プラハの街の中は年中観光客でにぎわっており、特に春・秋の旅行シーズンには最大の観光名所の一つである「カレル橋」の上は、まるで休日の渋谷のスクランブル交差点のような人の多さです。


4. 在チェコ日本大使館・日本商工会・日本人会


ここでチェコに在留する邦人にとり非常に大切な存在の大使館および2つの団体をご紹介したいと思います。

在チェコ日本大使館
1919年 国交樹立
1921年 初代大使着任
1939年 国交一時中断
1957年 チェコスロバキア大使館再開
1991年 チェコ・スロバキア大使館
1993年 チェコ大使館
1919年は大正8年。第1次世界大戦終戦翌々年から日本とチェコは国交があったのです

チェコ日本商工会
1994年1月に「プラハ日本商工会」として設立 1998年1月に「チェコ・スロバキア日本商工会」に名称変更
2000年1月に「チェコ日本商工会」に名称変更 2013年6月時点 132社・3団体の計135会員チェコ共和国で活動する日系企業を会員とし、会員の円滑な活動を促進するための諸活動を行い、併せて日本とチェコ共和国両国間の経済関係および友好関係促進に貢献することを目的とする

チェコ日本人会
1973年に設立
2013年9月時点 654人の会員
チェコで生活する会員間の相互交流・親睦の場を設け、教育・文化活動の支援として日本人学校の運営をサポートし、チェコ・日本間の民間交流を深めるための各種行事を企画・実施している

商工会では年8回の月例会の他、チェコ企業等の視察を実施。また日本人会ではソフトボール大会やクリスマス会等の行事を年12 回開催。大使館と合わせどちらの組織も在留邦人にとり、なくてはならない非常に貴重な団体です。


5. チェコでの生活


私自身はこれまで香港・フィンランドでの駐在経験があり、ここチェコは3 ヵ国目の駐在国となりますが、非常に生活しやすい国だと思います。首都プラハで生活しているという面もありますが、プラハ中心部はまるで中世の世界にでもタイムスリップしたかのような美しい建築物に囲まれ、1人当たりの消費量が世界一といわれるビールと豚肉をメーンとしたチェコ料理は、ちょっと塩辛いときもありますが肉そのもののおいしさを味わえます。そして何よりその価格の安さが魅力です。ちなみに缶ビールは500ml:1本がスーパー等で安売りのときは「CZK10」=50円!ということも多く、ついつい飲み過ぎてしまいます。
また時期を問わず毎夜クラシックコンサート、オペラ、バレエ等が開催されており、世界中から訪れる観光客を魅了するだけでなく、われわれ駐在員も出張者のアテンドの際や予定のない夜等は気軽に当日券で各種催しを楽しむことができます。
特に5月から6月にかけて開催される「プラハの春音楽祭」は世界的に有名で、初日はチェコを代表するチェコフィルハーモニー管弦楽団による、チェコが生んだ大作曲家:スメタナの「わが祖国」が演奏されることが慣例となっており、大統領はじめ各界著名人ならびに各国大使等も多く来場され、会場は非常に華やかな雰囲気に包まれます。
スポーツ関係では、東京オリンピックの体操競技で金メダリストとなられたチャスラフスカさんが有名ですが、1998年の冬季長野オリンピックのアイスホッケーではチェコチームが金メダルを獲得し、その記憶をいつまでも残そうとプラハ市内には「NAGANO」というビールバーが今でもあります。
また、欧州では珍しく「野球」が盛んでプラハ市内には専用球場も数ヵ所あり、週末にはチェコ人だけでなく、駐在員のお子さんたちも地元の野球チームに入り、白球を追い掛けていらっしゃいます。日本人会の人気行事であるソフトボール大会も、これらの専用球場を借用し、毎年1回開催されています。


6. チェコのクリスマス


クリスマス料理


鯉売り場



クリスマスの特別料理と言えば何を想像されますか? 日本で生まれ育ち、他国でのクリスマスを経験しましたが、多くの場合は七面鳥やチキンあるいはハム・豚肉等だと思います。
ところがここチェコではクリスマスイブの夜に家族がそろって食卓を囲み、必ず食べる料理の食材は何と「鯉(こい)」です!
クリスマスの1週間ほど前から、国中のさまざまな場所に特設の「活け鯉」販売所が開店します。多くの場合はスーパーやショッピングセンターの入り口付近にあります。大きな鯉を生きたまま自宅へ持ち帰り、バスタブの中で調理するまで泥を吐かせたり、小さい子供に魚という生き物を教えるそうです。多くのチェコ人の友人が「子供時代に初めて生きた魚を見たのは、家のバスタブだった」と言っています。
この鯉の調理方法ですが身の部分は「フライ」にして、付け合わせの「ポテトサラダ」と一緒に食べます。この付け合わせはポテトサラダと決まっているそうで、この日だけはポテトフライへの変更は許されません。また鯉の頭等は各家庭のレシピに従い「鯉スープ」の材料になるとのことで、聖なる夜は「鯉のフルコース料理」がチェコ中の家庭で振る舞われているそうです。
歴史的に近隣国との争いが多く酪農業が発展しなかった中で、比較的容易に養殖が可能で動物性タンパク質を冬の寒い時期に摂取することを目的に、1900年代ごろからこの風習が始まったようです。
実際に一度レストランで食してみましたが小骨が多く、正直なところあまりおいしい食べ物ではありませんでした。


旧市街広場のクリスマスツリー

プラハのクリスマスで有名な場所は、旧市街広場に毎年12月初旬から1 ヵ月設置される「高さ25mのモミの木」です。毎年モミの木の選定および切り出しは大きなニュースとなり、設置後には電飾等の飾り付けを経て、正式な点灯式が行われます。
モミの木の周りにはクリスマス用品や民芸品、そして寒くてもビール販売の露店が立ち並び、古い街並みとの調和が見事でまさにおとぎの国に迷い込んだかのような気持ちになります。


モミの木売り場

各家庭では毎年モミの木の「生木」をスーパーの特設売り場で購入し、家族で飾り付けをして楽しみ、クリスマス期間が終わると燃えるゴミとして捨てられます。
また、チェコでは伝統的にサンタクロースは来ないそうです。これは中東欧地域ではキリストの誕生日は家族の大切な日として盛大にお祝いするものの、プレゼントはサンタクロースではなく、あくまでも神様からの贈り物と考える習慣があるからだそうです。
ですからクリスマス前の街中での飾り付けの中には、サンタクロースの姿は見当たりません。前任地のフィンランド北部のロバニエミという街には「サンタクロース村」があり、一年中(クリスマス期間を除く)サンタクロース本人が観光客と記念写真を撮り、申し込めばサンタクロースのサイン付きの手紙を送ってくれるサービスがあったことと比較すると、同じ欧州でキリスト教信者が多い国家ではあるものの、その風習は全く異なるものだとあらためて思いました。


7. 最後に


今回の寄稿に際しあらためてチェコのことを調べ、思い、そして考える機会を与えていただいたことに心から感謝申し上げます。普段の生活の中で何げなく見過ごしていることも、当然のことではありますが、それぞれの事象に歴史と背景があって今の姿があるのだとあらためて思いました。
チェコ経済そして欧州経済も2013年中には底を打ち、ようやく景気回復に向けての胎動が感じられてきたと実感しています。
日本のアベノミクスによる着実な経済成長をベースに、過去チェコにご駐在されたさまざまな日系企業の諸先輩各位が築き上げられた伝統と実績を守りつつ、チェコ・日本間の経済発展と民間交流の一助となれるよう、引き続き努力していきたいと考えております。

仕事でも観光でもチェコは日本人を大歓迎してくれる国です。ぜひとも欧州にお越しの際は、チェコにも足をお運びいただければ幸いです。おいしくて安い世界一のビールと中世の面影が残るすてきな街が、皆さまのお越しをお待ちしております!

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