オーパの国、ブラジル

住友商事株式会社
南米支配人付
寺本 将人

「オーパ」とはポルトガル語で、軽く驚いたときから心底感嘆したときまで幅広く発せられる言葉だが、日常では「おっと」とか「あれまぁ」といった軽い場面で使われることが多い。扉を開けたら向こうに人がいて、ぶつかりそうなときに双方が「オーパ」と言って笑う。ウエーターが皿をガッシャーンと割った音がレストラン中に響き渡ったとき、お客も、皿を落としたウエーターも「オーパ」 と言って笑う。それで終わり。割れたものは仕方ない。怒られることもない。ブラジルでは全てがイベントであり、イベントは常に楽しいのだ。「遅刻した人を責めるのは大人のすることではない」とブラジル人の知人に言われたことがある。誰にでも事情があるのだ。ブラジル人は他人に優しいし自分にも優しい。よって、自殺する人が非常に少ない。自殺者の割合は日本の4分の1以下と聞いたことがある。宗教的理由(大半がカトリック)も多少はあるかもしれないが、そんなに敬虔(けいけん)な信者ばかりとも思われず、やはり国民性ではないかと思っている。

ここ数年、13年間続いた労働者党政権に対する大規模な反政府デモがブラジル全土でしばしば行われている。デモにはしばしば屋台が出て、ビールや焼き鳥が売られている。日本からの知人をデモに案内したら「反政府デモという名のカーニバルだね」と言ったが、まさにその通り。多くの人はデモを楽しんでいる。そもそもデモの参加者にしても、「ばらまきをやめろ」と言っている人もいれば「もっとばらまけ」と言っている人もいる。一口に「反政府デモで100万人」 と言っても、中身はバラバラだ。集まること自体が楽しいのだ。ちなみに家族連れも多く、幼い子の手を引いて屋台で食べ物を物色している様子は、日本でいえば夏の夕涼みのような風情もあってほほ笑ましい。

こうした国に4年近く暮らしている。サンパウロに赴任したばかりの頃の私の「オーパ」は、英語が全く通じないことだった。売店で水を買おうとして「ウオーター」と言ったらけげんな顔をされ、発音が悪いかと「ワラ」と言ったり「ワーラー」と言っても駄目。ここでは「アグア」と言わねば通じない。オレンジジュースも同様、「スコジラランジャ」と呪文のような言葉を叫ばねば出てこない。世の中に「ウオーター」や「オレンジ」が通じない国があるとは思っていなかった私は途方に暮れた。


ブラジルのデモにはよく出るビールと焼き鳥



1. マットグロッソ州と空手


マットグロッソ州クイアバ市近郊に広がる一面の大豆畑

こうした「オーパ」は枚挙にいとまがないが、本稿では、ブラジルと日本の意外なつながりや最近感じた「オーパ」について紹介したい。ブラジルといえばサンパウロ、リオデジャネイロといった大都市を思い浮かべる人が多いが、それ以外のほとんどの地域は地平線まで続く大農場や原野で、その中に地方都市が点在している。私の同僚が暮らすクイアバ市はブラジル最大の穀物生産地、マットグロッソ州の州都である。

この州は日本と意外な結び付きがある。空手の愛好家が非常に多く、南米選手権や世界大会のブラジル代表選手の大半はマットグロッソ州出身なのだ。学校対抗戦や地区対抗戦などの空手の大会は頻繁に行われるが、何と、ダンス大会との共同開催もある。空手とダンスのコラボとは、これも「オーパ」であろう。

何でも楽しむブラジルらしい企画である。

ブラジルは貧富の格差が激しく、極度の貧困状態にある15歳以下の子供が千万人の単位で存在する。生活苦により窃盗や麻薬密売に手を染めてしまうケースも多い。こうした状況を改善できないかと、2000年にクイアバ空手協会の有志が小学1-4年生に週2回の空手の授業を始めたところ、授業中に席にも着かなかった生徒たちの態度が徐々に変わり始めた。授業に集中したり、規律正しくなったり、先生や親への尊敬の気持ちが表れるようになったのである。これを知ったマットグロッソ州政府が、翌2001年から「Traditional Karate-do : sport and citizenship(略称 Karate-do Project)」と称して、学校の授業に取り入れたり、イベントを開催するなど、空手の普及に積極的な支援を始めた。2016 年で16年目を迎えるKarate-do Projectによって、同州ではドロップアウトする子供の比率が大幅に下がり、当時小学生だった子供の中から医師、歯科医、エンジニア、さらにはハーバード大学で学ぶ学生なども現れている。さらに、社会人になった元生徒が、今度は別の小学校で空手を教えることで良い効果が循環している。

空手の掛け声や挨拶のほとんどが、日本と全く同じであり、空手を通して日本に親近感を持っているブラジル人は、マットグロッソ州では実に多い。その延長線上で、空手のみならず、太鼓や他の武道も人気がある。


空手とダンスのコラボイベント


学生を指導する当社関連会社役員


2. 楽観的なだけではなく、したたかでもあるブラジル人


リオ・オリンピック女子マラソンの会場でケニア、コロンビア、ペルー、ブラジル、米国などからのサポーターと

さて、ブラジルでの最近の話題といえばリオ・オリンピックであろう。このオリンピックは、ジカ熱の拡大、凶悪犯罪の増加、警察のスト予告、有力選手の参加辞退、現職大統領が職務停止中で開会式に出席しないなど、さまざまな異例の事態、逆風の中で開催された。当初は、インフラ整備の遅れもあり、開催自体が危ぶまれたが、無事に終わって何よりである。

この中でも「オーパ」であったのは、市内とオリンピック会場を結ぶ重要な交通網の一部である全長16kmの地下鉄が、開会式のわずか4日前、8月1日になってようやく営業開始にこぎ着けたことである。この地下鉄は、リオデジャネイロ州の財政難もあり、オリンピックまでの開通は無理といわれていた。リオの州知事自身も、オリンピックに間に合わない可能性を何度も示唆していたのである。しかし、連邦政府から29億レアル(約930億円)の財政援助を勝ち取り、最後は突貫工事でギリギリで間に合わせた。リオ州はこの資金を従来からの懸案だった公務員給与の遅配、公的医療施設の閉鎖、警察車両の燃料不足問題などにも活用する。よって、地下鉄工事をわざと遅らせて連邦政府を焦らせ、オリンピックを理由に財政援助を引き出す作戦だったのではないか、という声もある。思えば、2014年のサッカー・ワールドカップのときも、同様のことがブラジルのあちこちで起きた。一部は実際に工事が間に合わなかったものの、それでもワールドカップの実施には問題ない程度には仕上がり、全てのゲームが無事に終わった。ブラジル人は楽天的で「最後は何とかなる」と思っているし、実際に「何とかなる」程度には仕上げる。そして、その過程において、最大限のプラスを引き出す駆け引きを楽しむしたたかさがある。陽気でフレンドリーな面とは別に、冷徹な戦略家の一面もあるように思う。


3. ブラジルに関する報道の「オーパ」


さて、本稿を締めくくる最後の「オーパ」として、最近のブラジルを報じるマスコミの表現について触れてみたい。

オリンピック期間中にブラジルに関する報道量が圧倒的に増えたが、この中で「前世紀の世界大恐慌以来、といわれるほどの景気低迷」という表現が繰り返し使われた。これをブラジル人の同僚に話したところ「オーパ」を連発していた。この表現を目にした読者の多くは、ブラジル経済は恐慌に陥っており、食べるものもなく、国中に失業者があふれていると思ったのではないだろうか。この表現は「ブラジル経済は2015年・2016年の2年連続でマイナス成長であり、2年連続でマイナス成長になるのは世界大恐慌の頃の1930 年・1931年以来初めて」というのがもとになっている。それを故意か無意識か、思いっきり縮めた表現なのだ。

「2年連続のマイナス成長」など世界的にみれば珍しくない。日本においても1990年以降だけで1998年・1999年、2008年・2009 年の2回、2年連続のマイナス成長を記録している。ブラジルは、逆にいえば1931年以降、最近まで一度も2年連続のマイナス成長がなかったのだ。

「景気の低迷」については、1982年のデフォルトに始まり、1980年代後半は毎年1,000%を超えるインフレが続き、1993年にはついに2,500%のハイパーインフレを経験している。当時は「レストランに入った時と出た時で値段が違う」とまで言われ、給料はもらった途端に価値が減り始めるので給料日には家族総出でスーパーに行って物に替えたそうだ。スーパーのカートが今でもばかでかいのはその頃の名残といわれている。「その頃に比べれば、今のブラジルは信じられないくらい豊か」というのが大方のブラジル人の本音であり、「大恐慌以来の景気低迷」とは実態とあまりにかけ離れている。今でも大都市の高級レストランやブティックは連日、客でごった返している。地方都市に行けば次第に寂れてくるのは、ブラジルに限ったことではない。金融機関系のリポートであれば、ポジショントークも含めて意図的にこの表現を使うかもしれないが、一般紙までがこの表現を使ってはあまりに無邪気過ぎるであろう。

こうした実態と乖かい離り した報道がブラジルについては残念ながら多いように思われる。
別の例では、現職のジウマ大統領が弾劾審議により職務停止中で、オリンピックの開会式にも出席しないということが、大変な政治の混乱としてネガティブに報じられた。しかし、当地の経済界では、Dilmexit( ジウメジット)、脱ジウマ化という言葉がはやっている。 Brexit(ブレジット)にかけた造語だが、過去13年間に及ぶ労働者党政権のばらまきや巨大汚職といった、経済成長を阻害する振る舞いにへきえきしているブラジル経済界では、脱ジウマ化の流れを極めてポジティブに捉えているのだ。

ブラジルは日本からは地球の反対側にあり、乗り継ぎも含めて片道30時間はかかる。一方で、ブラジルの存在感の増大に伴い、同国に関する報道量は急激に増えたものの中身が必ずしも伴っていないのが実態であろう。しばらくは、ブラジル側にも日本側にも「オーパ」の種は尽きないと思うが、「オーパ」を楽しみつつ、両国の相互理解に努めていきたい。

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