「濠太剌利 オーストラリア」便り

兼松豪州会社
社長
中根 一朗

1. 創業


シドニー支店での記念撮影(明治38 年)
前列中央が店祖兼松房治郎、左端が北村寅之助


兼松豪州会社のナショナルスタッフと(一番右が筆者)
シドニー病院内にある兼松家の家紋の前にて


「店祖」 兼松房治郎を乗せた英船 「テヘラン号」 は、明治20年(1887年)11月1日神戸港を出発、香港、ダーウィン経由で12月 13日午前5時すぎにシドニー着。入り口で停船し、医師と係官が全員の健康状態を確認後、入港許可を得てようやく桟橋に係留、人頭税徴収のために(日本人は対象外)乗り込んできた税関職員とすれ違いに、房治郎はシドニーに第一歩をしるしました。他国人と間違えられて次々に宿泊を拒否され、在住日本人の紹介を受けたホテルで、ようやく長旅の荷を解くことができたそうです。
半年をかけて、豪州をつぶさに視察し、翌年6月に帰国、1年後の明治22年8月に 「濠州貿易 兼松房治郎商店」 を開業、続いて翌 23年(1890年)4月にシドニー支店を開設して日本企業豪州進出の先駆けとなりました。以来126年、当地で最も長い歴史を持つ会社の一つとなり、初代責任者の北村寅之助から、筆者は32代目だそうです。


2. 足跡


兼松豪州の歴史が刻まれたグリーンプレート

シドニーを象徴する建築物「オペラハウス」


シドニー市は、保存建築物や歴史的に重要な場所として101 ヵ所を選定し 「Green Plaques」 と呼ばれる金属板を掛けています。そのNo.81は、O'Connell Street、日本総領事館の対面に位置する、F.Kanematsuの旧本社と倉庫跡で、「日豪貿易のパイオニア」としての地位と貢献を認定していただいた一つの証左です(ちなみに、ご存じオペラハウスはNo.72)。
また、そこから少し東に行ったシドニー病院には、兼松家の家紋 「違い鷹(たか)の羽」 を刻んだ場所があります。これは、当社の寄付で1933年に完成した兼松記念病理学研究所(The Kanematsu Memorial Institute of Pathology)を記念するもので、当時最新鋭の研究施設でした。豪州へ来た移民に当地独特の風土病や疾患に悩まされる人が多く(特に眼病のまん延は深刻な問題であったようです)、これらを基礎段階から系統的に研究する場所として多くの学者が集まり、ノーベル賞受賞者を2人輩出しました。8階建て、各階に細菌学、血清学、血液学、薬学等の研究施設があり、図書館や病理解剖室を備え、最上階とRoof Spaceには、実験動物が飼われていたそうです(入院患者に悪影響はなかったのかな?と心配になりますが)。第2次世界大戦中は名称変更の動きもありましたが、当時の理事長の強い意向でKanematsuの名前は残りました。残念ながら、建物は老朽化と区画整理のため、既に撤去されていますが、同病院構内でThe Lucy Osburn-Nightingale Foundationの運営する博物館に、往時をしのぶ品々や膨大な標本/資料類が保存されています。人道上の観点から、現在では採取が許されないものも多く、毎年、日本の看護学校の生徒さんもお見えになります。
建設資金を提供したのが大恐慌発生の 1929年、豪州の経済状況も芳しくなかった時期ですが、80年以上も前に、「企業による社会貢献」を実現した先人の眼慧(けいがん)と決断には、やはり畏敬の念を覚えます。その後も、「兼松豪州会社100周年」 に当たる1990年には、病理学の研究者を支援する基金を創設する等の取り組みを続けています。


3. 豪州というところ


世界最大級の一枚岩「エアーズロック」

昔話はさておき、着任して約5年、筆者自身の目に映った豪州の風景をお知らせしましょう。
1)大きさ
Australiaは、ラテン語で 「南の地」 を意味するterra australisに由来し、当て字が「濠太剌利」、略して 「濠州」、常用漢字で「豪州」となるわけですが、まさに 「名は体を表す」、結果論とは言え、うまく名付けたものと感心します。
「国土面積で20倍」 と言われても、「日本は小さな島国」 という固定観念のある筆者などは、いまひとつピンと来ませんが、時折、この地の途方もない大きさを、いや応なしに実感させられます。本土北端のケープヨーク半島からメルボルンまで南北3,024km /パースからブリスベンは東西3,610kmありますから、オスローからアテネの南北2,610km /リスボンからキエフの東西3,350kmの欧州全域が楽に納まるという巨大さです。ちなみに、お隣ニュージーランドのオークランドまで、シドニーから 「わずか」 2,175kmですから、「海外より国内の方が遠い」 という奇妙なことも起こります。
当然ながら、国の発展は、この大きさ=距離と密接に関係してきました。「豪州では、今も鉄道のレール幅が未統一」と知って、驚かれる方も多いでしょう。鉄道建設は、1850 年代半ばから始まりましたが、一つの港が都市となり、その後背地を含めて独立した経済圏を形成していた当時、都市と都市とを 「横につなぐ」という発想が生まれませんでした。というよりそれは海上輸送が担う領域だったのです。
鉄道が登場するまで、内陸への輸送手段は河川か、馬/牛車だけでしたから、鉄道がこの大陸にもたらした恩恵はご想像いただけるでしょう。それ以前の羊毛や鉱産物に加え、運賃が劇的に下がって価格競争力をつけた小麦を欧州へ輸出することが可能になりましたし、膨大な資材や重機を奥地に運び込み、新しい鉱山の開発も進みました。また鉄道建設によって、国内の鉄鋼産業が育ち、石炭や製材の需要が生じ、内陸部にも多くの労働機会が発生しました。加えて、鉄道は、豪州人の生活習慣を変えた、といわれています。一日のリズムを馬に合わせることを強いられていた人々にとって、「鉄道を使えば、夜明け前に起きなくてよい」という幸福感は、朝の苦手な筆者にはよく分かります。
ただ、この時期の鉄道に求められたのは、港に入った物資を内陸へ、輸出品を内陸から港へ輸送するだけの機能でしたから、各都市が、勝手な規格の鉄道を港から内陸に向かって引いてしまい、今もそれが尾を引いているというわけです。


壮大な景色に癒やされる「ブルー・マウンテンズ」

2)気候
Sydneyが南緯33度、赤道で折り返すと、北緯33度は九州ですから同様の天候かと申しますと、さにあらず。南極からの海流が海水温の上昇を抑える冷房装置の役割を果たし、一年を通して安定した気温で 「過ごしやすい」 と感じます。ただ夏場の日差しは強烈で、太陽光線の一本一本が皮膚に突き刺さるような気がします。気温が40度を超えても、日陰に入ればごく涼しく、いわゆる「ねっとりした」 暑さとは無縁ながら、国土の80%が乾燥地域、「干ばつの国」と申し上げて差し支えないでしょう。
特に春先(10−11月)には、過度の乾燥による山火事が発生、毎年数万haを 「焼失」 しています。乾燥しきったところで、温度上昇や落雷が原因で発火するわけですから、同時に、多くの場所で火の手が上がります。家財に直接的な被害が及ぶ場合はそこへ消防隊が出動するとしても、直ちに危険がない場所で燃え広がっている場合は、いつ、どこへ、消防隊を投入するかが毎回問題になります(送ってしまった後、人口密集地付近で火災が発生したら、容易に引き返すことができない)。人跡未踏、従って近づけない奥地なら 「見守る」 しかありませんし(最近はヘリコプターによる消火剤散布も行われていますが)、現場に赴いても、水がありませんから、まずは 「消す」 ことより、「被害の拡大を食い止める」 防火帯を造設するのが主で、基本 「燃え尽きるのを待つ」 のが豪州流。ひどい時は、「走行の摩擦で地表の温度が上がり、火事を発生させるRiskがある」 として、当該地域には、車両で入ることもできなくなります。
2009年、Victoria州の大火災で173人もの犠牲者が出たと聞いては、あまり軽々に申し上げるわけにも参りませんが、山火事の跡地を歩いてみると、繁茂した森林の中で増え過ぎた昆虫や動物の数を適切にコントロールするための、自然の大きな営みの一つなのではないか、という気がするのも事実です。


内容量がバラバラな食用油

3)暮らし
お越しになる方は、そろって物価の高さに目をむいておられます。空港へ着いて、ペットボトルの水が1本3.80ドル(約83円╱豪ドル)、空港から市内まで約20分の電車が片道 18.20ドル、ワイシャツのクリーニングが1 枚5−6ドル、10ドル以下のランチで探すのは難しい、とあっては、日本の100円ショップが全品2.80ドルで 「安い」 と人気を集めるのもむべなるかなといえましょう(ちなみに、日本で200円の商品も一律2.80ドルなので、探せば本当にお買い得かもしれませんが)。
2013/14年度の実質GDPは1兆5,584億ドルで前年比2.5%増、23年連続の成長を実現しており、経済規模は世界12位。これを人口1人当たりに直すと一気に5位に躍進、豊かさの一端がうかがえます。物価が高いのも、仕方ないかもしれません。
ただ、価格はともかく、どうもスッキリしないのが商品の規格です。上の写真は店の棚を撮影したものですが、明らかに、内容量が異なっていますね。これは、特殊な例を探し回ったわけではなく、水やジュースをはじめとする飲料や食用油等、中身の見える商品なら、ごく普通の光景です。取引のある量販店担当者にこの点を指摘すると、普段は話の合う彼が、困惑しきった表情で 「それの何が問題なの?」 と聞き返してきました。彼の言い分はこうです。

・ 表示の量目を下回っているなら、直ちに是正しなければならない。
・ しかし表示より多く入っている部分については、「おまけ」 であって、店にも消費者にも何の不利益もない。
・ 全てのボトルに均一填に充(じゅうてん)されていることは理想であるが、それを実現するために必要な設備投資は、 最終的に小売価格に跳ね返るわけで、店にも消費者にもメリットはない。
・ 「おまけ部分のロスが、均一化に要するコストを上回る」 と判断すれば、設備投資して是正するであろう。しかしそれは製造者が判断すること。

筆者が 「1,000gと表示して販売している以上、1,050gだったり、1,025gだったりすることは、誤表示を放置していることになるのでは?」 と言うと、「理屈はその通りだが、不利益を被る人が居ないのに、表示の正しさを守るためにコストを掛ける意味があるのか? 1,000gピッタリが欲しい消費者は、一番少ないボトルを選べばよいだけの話ではないか」と言うわけで、いずれが正しいのか判断できないまま、話は今も平行線をたどっています。

4)Aussie気質
取引先もPrivateの剣道仲間も、一般に「Laid- Back(のんびり)、Friendly、Social」で、付き合って気持ちの良いAussieが圧倒的に多いのですが、必ずしもそうでもないという小職のNegativeな経験を幾つか。
高速インターネット敷設エリアに入ったので、拙宅に工事を依頼、「混んでいる」 と数週間後の日程をBooking。「時間通りには来ないだろうな」 と思い、当日は休暇を取って待機。1時間過ぎた時点で電話をすると 「分からない、担当と連絡が取れない、できることは何もない」 で、結局その日は無為に過ぎ、翌朝 「3日後の午後2時に行く」。その当日午前10時30分、会社に怒鳴り込むような電話があって、「工事に来たのに、居ないとはどういうわけだ」。
体調悪く、翌日午前9時に病院のアポイントを取り、約束通りに行くとドアは閉まったまま。清掃係に開けてもらって待っていると、 9時15分に事務員が来て 「まぁ、あなた、どうやって入ったの?」 と驚かれ、約束した当人の医者が来たのは10時前。
入院中、毎朝、薬と一緒にペットボトルの水が配られる。開封後は室温に置いていたので、その日の夕方、新しいボトルを看護師に頼むと、Best Before Dateを指さして 「大丈夫。問題ないから、そのまま使って」。
深夜にタクシーに乗ると、隣を走っていた別のタクシーと譲る/譲らないでトラブルに。運転手は窓を開け、口角泡を飛ばし怒鳴り続け(彼の母国語なので、何を言っているのかは全く分かりませんが、想像は容易です)、中指を立ててののしり合う。「危ないから落ち着いてくれ」 と言うと、「あんな奴が居る方が危ないんだ」。
人口2,300万人の豪州に、毎年20万人前後、約1%が移民としてこの国に入ってきます。全人口の4分の1が国外で生まれ、キリスト教徒は広義でみても3分の2に届きません。5 分の1は家庭内で英語以外を話し、地域の図書館には12 ヵ国語の書籍が置かれています。社会の中に、複数の異なる「文化圏」が存在することを相互に容認する、文字通りの多文化国家になりつつあるといえます。
オーストラリア連邦が正式に発足したのは1901年1月1日、国家としての歴史は120 年に足りません(原住民であるアボリジニは、統一国家を形成しませんでした)。英連邦の一員として、伝統的に?英国に付き従ってきた豪州にとって(その象徴が 「White Australia policy白豪主義」 です)、1973年、英国のEC加盟が転機となりました。「英連邦の盟主から欧州の一国に」 という英国の決断により、独自の道を探すことを余儀なくされた豪州は、1975年人種差別禁止法を制定、近隣のアジア諸国を向いたMulti Cultureな国として歩み始めます。以来約40年、この国は、さまざまな人々がおのおのの文化的背景を持ちながらCommunityを形成していく過程の 「壮大な実験中」 なのかもしれません。法律的解釈論はさておき、「Aussieとはどういう人を指すのか?」、そしてAussie気質がどのように変わってゆくのか、また変わらないのか、筆者も楽しみに見守りたいと思います。古人いわく、『「 豪』に入れば、『豪』に従え」。

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