コーカサスの国 ジョージア・トビリシ便り

トヨタコーカサス
社長
小西 満

はじめに


筆者、会社玄関前

グルジアの方がなじみ深いかもしれません。日本では、2015年4月にロシア語読みのグルジアから英語読みのジョージアになりました。地元ではサカルトヴェロ(ジョージア人の国)と言います。
場所は大コーカサス山脈の南、黒海とカスピ海に挟まれた地域の西側にあります。国境を接する国は、北からロシア、東がアゼルバイジャン、南がアルメニアとトルコがあり、そして西は黒海に面しています。
この4月に赴任したばかりで、1年未満の経験ですが、普段知る機会が少ないジョージア・トビリシの様子をご紹介したいと思います。


国の概要


展望台から見たトビリシ市

面積は7万㎢と日本の5分の1で北海道ほど、人口は400万人と少なめ、1人当たりの GDPは3,800ドルと国連および世銀の分類では中所得国に分類されます。
国民の八十数%はジョージア人で、5-6%程度でアゼルバイジャン人・アルメニア人がいます。ロシア人は1%強にとどまります。
ちなみに日本人は約40人です。


言語・宗教


ジョージア正教 三位一体教会

公用語はジョージア語で、ロシア語も広く使われています。ジョージア語は文字も固有なので英語併記でもなければ、看板の理解も困難です。また、特殊な発音がありますので、外国人で話す人はまれのようです。仕事は英語で不自由はありませんので、ご安心ください。
また、ジョージアはアルメニアに次いで、キリスト教を国教にした国で、今も国民の大半はジョージア正教の信者です。町にも教会が数多くあり、通り掛かった人の多くが教会に向かい一礼する様子をよく見掛けます。


気候


街路樹が多いトビリシの通り

大小コーカサス山脈から黒海に至る高低差に加え、湿潤な海側に対し乾燥した内陸部に分かれるため、さまざまな気候があります。
なお、緯度は青森・函館の位置にありますので、はっきりした四季もあります。
これまで経験をした春夏秋では、夏の暑さには参りました。気温は40度近くに上がり、ドライですが日差しが強く日中の外出は控えたくなります。春と秋は過ごしやすく、トビリシ市内にも街路樹が多くあるため、日本のように四季を身近に感じることができます。ちなみに、トビリシ市中心部の標高は 400m、中央に川が流れ、両側を丘陵に囲まれた盆地のような地形なので、これが夏の暑さと冬の寒さを厳しくしているのかもしれません。
(冬は未体験ですが、雪に閉ざされるようなことはないと聞いております)


ワイン発祥の国


トビリシ市内レストラン前のブドウの木


クヴェヴリ:地中に埋めブドウを入れる


クヴェヴリからワインを取り出す

取り出しに使われたひしゃく

ジョージアのワインづくりは8千年の歴史があるといわれ、2013年にはその製法が世界遺産に登録されました。和食と同時期の登録でしたので、ご存じの方も多いと思います。
この地にブドウが自生していたこともあり、自然とワイン造りが始まったようですが、伝統的な造り方はクヴェヴリといわれる地中に埋めた陶器つぼに足で踏みつぶしたブドウを入れ自然発酵させるものです。自然の力をフルに使った、無添加で素朴な味わいです。
ワインはジョージアの主要輸出品であり、最近の新聞報道では、2016年1-9月の輸出は3,200万本(7,400万ドル)でした。一番の輸出先はロシア(1,700万本)で、続いて中国・ウクライナが続きます。日本には13万4,000 本で、前年同期2割増えているそうです。


ギリシャ神話にも登場の歴史の国


アルゴービール

金羊皮を取り戻すアルゴー号の冒険はコーカサスが舞台です。アルゴー号がラベルに描かれたアルゴーという名のローカルビールに出会った時には妙な感動を覚えました。また、観光地で記念撮影用に羊皮のマントを見掛けることがあり、この物語の名残を感じます。
もう一つ、プロメテウスが人類に火を与えた罪で山中に磔(はりつけ)にされたのがコーカサスの山といわれています。コーカサスが当時の辺境だったからと思われますが、この地は古代よりの交易の要衝であったことは確かなようです。


良い治安、注意が必要な道路上


ロシアと国境を接し、2008年には南オセチア紛争が話題になりましたので、治安に不安を感じておりましたが、赴任して安全なのには驚きました。通常の注意は必要ですが、夜の一人歩きもできます。また、街中の至る所にキャッシュディスペンサーが設置され利用されています。これも強奪等の犯罪が少ないことを示していると思います。この治安の良さは、いわゆる色革命の先駆となったバラ革命(2003年)で生まれた政権の成果です。治安は生活の基本ですのでありがたいと感じています。ただし、ドライバーの歩行者への意識は薄く、横断歩道もありませんので、町歩きには注意が必要です。


安定してきた政治


当社はジョージアに本社を置きジョージアだけでなく、アゼルバイジャン・アルメニアにも車両を販売(輸出)しておりますが、その理由に政治・経済の安定があります。
政治ではこの10月に総選挙がありましたが、平穏に進められ、国際的な監視団からも民主的であったとの評価を得ました。民主的なプロセスがあるところに社会の急変はないと思います。また、ソ連からの独立回復後には反ロシアを鮮明にする政権が登場して混乱した時期もありましたが、現在は、欧米・ロシア・トルコなどの周辺国とのバランスにも配慮する政権が誕生し安定してきた印象です。


堅調な経済


トビリシ市内で見掛けた車両

最近発表された国際競争力ランキング(WEF)では138 ヵ国中59番目と、前年66 番目より七つ改善しました。またIMFはジョージアの経済成長率を2016年 3.4%、2017年 5.2%に上方修正しています。
また、世界銀行が発表している「ビジネス環境ランキング」(Doing Business 2017)の Easy of Business Rankingは16位と意外に?上位にランキングされています(日本は34 位)。
隣国のアゼルバイジャンが資源価格下落で大きな影響を受けているのに対し、ジョージアは先の指標が示すように経済は堅調に推移しています。
目立った資源がなくトレーディングが一番の産業であることが、周囲を観察し難局を乗り越える知恵を身に付けさせたと思います。
その一つの例が自由な競争重視の姿勢です。実際に商業活動への規制は少ないと感じます。
当社が扱っている車でいえば、車両法規の規制はなく、輸入関税もなく(乗用車には排気量に応じた税のみ)、保有コストもありません。
排ガス規制がなく、排気ガスを臭く感じるのと、車検制度がなくバンパーなしの整備不良車も平気で走っていることが、玉にきずです。


簡単な入国・赴任手続き


マッシュルームハウス:ガラスの橋奥の白い屋根の建物

ジョージアでは約1年の連続滞在までビザ不要です。手続き的には準備もなく赴任することが可能です。私は、念のため居住届を取得しましたが、市役所に2度ほど出向くだけで面倒なく取得することができました。
トビリシ市ではワンストップ行政サービスが用意されており、写真撮影から書類申請、受け取りまで同じ場所で行うことが可能です。赴任時には業務が重なりますので、この気軽さはジョージアの大きなメリットです。
この行政サービスが行われる建物は外見がユニークで、その形からマッシュルームハウスと呼ばれ、市民に親しまれています。


豊富な食べ物


ヒンカリ:サイズはやや大きい

町の八百屋


さまざまな気候が食材を豊富にさせるのか、特産のワインが食事をおいしくさせるのか、ジョージア料理は旧ソ連圏では人気の料理ですし、実際においしいと思います。
ヨーグルトやチーズが有名で、特にチーズを挟んでオーブンするハチャプリはジョージアピザといわれる国民食です。また、クルミのペーストを使った前菜やバーベキュー肉料理もおすすめです。その中でも小籠包(しょうろんぽう)をほうふつさせるヒンカリは日本からの出張者に人気です。庶民食なので、高級なレストランには置いていない点には注意が必要です。
果物も豊富です。特に夏のスイカ・メロンは大きくとても美味です。春から夏には豊富な野菜や果物が店頭に並び、八百屋や果物屋は町の良い彩りになっています。
居住者が少ないこともあり、日本食・中華含むアジア料理店は限られます。自然とジョージア料理に親しむ機会が多くなりますが、すぐに慣れると思います。


友愛不屈な国民


町の高台、多くの場所から見渡せるところに「ジョージアの母」像があります。左手で杯を高く掲げ、腰の位置の右手には剣を持っています。友愛と不屈の象徴だそうで、ジョージア人の特徴をよく表していると思います。
私も赴任時には歓待されましたが、その後の観察でも来客には親切に応対しています。一方、仕事ではワンマンな経営者がいたり、融通のなさを感じたりすることがあります。私はこのジョージアの母を見るたびにジョージア人の縮図を感じます。


ジョージアの母(右上)を望む


ジョージアの母 近景


ピロスマニと100万本のバラ


新聞に掲載されたピロスマニ特集

放浪の画家として有名なピロスマニはジョージア国民に今も人気です。素朴な画風がジョージアの空気にマッチしているだけでなく、彼の貧しくても自己を主張し誇り高く生きた生き方がジョージア人を感動させるようです。100万本のバラの物語もジョージア人の情熱を表す良いエピソードと思います。


トビリシ市内の花屋


乾杯マスター「タマダ」


ジョージアの宴会には乾杯マスターといわれるタマダが欠かせません。タマダは場が盛り上がるように、最初の乾杯から最後まで適当な間隔を置き乾杯を繰り返します。その際に口上を述べるのですが、身近な人への感謝から世界平和まで、その場の雰囲気に応じ座の全員が納得するような理由を考え出します。その熱い語り口はジョージアが著名な政治家を輩出する原動力ともいわれています。私は日常のささいなことに感謝を述べ、杯を重ねる様子は日本人に近いとも感じています。


最後に


思い付くまま書きましたので、まとまりがなく読みにくい点もあったかと思いますが、赴任1年目のフレッシュ印象記として、ご容赦ください。拙稿にて普段接することの少ないジョージア・トビリシへの距離が少しでも縮まれば幸いです。


展望台からのトビリシ市内


トビリシ旧市街

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