帰ってきたはずなのに、新しい発見ばかり―シリコンバレーでの生活

北米三菱商事会社 シリコンバレー支店 Senior Associate Business Development 
サナ・モ氏

はじめに


「米国勤務」と聞くと、「もともと育った場所なら安心ですね」と言われることがよくあります。実は私は米国生まれで、小学生までカリフォルニア州のベイエリアで育ちました。大学はニューヨーク州、その後は日本へ渡り、20代のほぼ全てを東京で過ごしました。そして約1年前、三菱商事のシリコンバレー拠点に現地採用として入社し、子どもの頃に暮らしていたこの場所へ戻ってきました。正直、「帰ってくるだけだから何も変わらないだろう」と思っていました。ところが待っていたのは、想像もしなかった逆カルチャーショックでした。子どもの頃には当たり前だった景色や文化が、日本で10年以上生活した今では全く違って見えます。逆に東京では当たり前だったことが、こちらでは全く通用しません。「故郷へ帰った」のではなく、「新しい国へ引っ越してきた」ような感覚でした。今回は、そんな大人になって改めて出会ったシリコンバレーをご紹介したいと思います。  



病院へ行くだけで400ドル?


こちらへ来て最初に驚いたのは医療費でした。渡米して間もない頃、少し体調を崩し、念のため近所のクリニックで診てもらいました。特別な検査をしたわけではなく、ごく一般的な初診です。後日届いた請求書を見て驚きました。保険に加入していたにもかかわらず、自己負担額は約400ドル。しかも初診だったため追加料金まで発生していました。子どもの頃は両親が支払ってくれていたため医療費を意識したことがなく、大人になってからは日本で生活していたため、日本の医療制度が自分にとっての「当たり前」になっていました。以前、米国人の友人から「病院へ行くくらいなら数日様子を見る」「救急車だけは絶対に呼びたくない」という話を聞いたときは少し大げさだと思っていました。しかし、自分が請求書を手にした瞬間、その気持ちがよく分かりました。海外で暮らして初めて、日本の医療制度のありがたさを実感した出来事でした。


車は移動手段ではなく相棒


東京では、生活の中心は電車でした。仕事帰りに少し散歩をしたり、夜遅くにディスカウントストアへ寄ったり、ふらっとカフェに入ったり。歩いて生活することが当たり前でした。一方、シリコンバレーでは生活が一変します。家の近くには歩いて行けるお店がほとんどありません。飲み物1本買うにも車でTargetやWalmartまで向かいます。
最初はとても不便に感じましたが、一年もすると、その生活が自然になりました。週末はワイナリーへ出かけたり、BBQをしたり、ハイキングへ行ったり。気付けば車は単なる移動手段ではなく、休日を一緒に過ごす「相棒」のような存在になっています。米国映画では、車に名前を付ける場面をよく見かけます。子どもの頃はその感覚が全く理解できませんでした。ところが今では、自分の車に「ひろし」と名前を付けています。もちろん『クレヨンしんちゃん』のお父さんから取りました。この話を日本の同僚にすると驚かれますが、米国で暮らしていると、「車も家族の一員」という感覚が少し分かるようになりました。


AIブームで再び活気づくサンフランシスコ


シリコンバレーと聞くと、多くの方は「AIの街」というイメージを持たれると思います。
実際、その印象は決して間違っていません。サンフランシスコへ向かう101号線を車で走ると、道路沿いの広告のほとんどがAI企業です。OpenAI、Anthropic、Databricksなど、街全体がAIという一つの産業で動いているような感覚になります。
私自身も仕事柄、毎週のようにAIスタートアップを訪問し、最新技術について議論しています。世界中から優秀な人材や投資家が集まり、「次の未来」を本気で作ろうとしている熱気を日々感じています。一方で、サンフランシスコはここ数年、大きな変化も経験しました。コロナ禍ではリモートワークの普及によりダウンタウンから人が減り、「サンフランシスコは終わった」といったニュースも多く報じられました。しかし最近では生成AIブームの追い風もあり、再び多くのスタートアップや投資家が集まり始めています。その一方で住宅価格や家賃はさらに高騰しており、この地域で働く人々にとって住居問題は依然として大きな課題です。街全体が再び勢いを取り戻していることを、日々肌で感じています。


近所の公園で米国式のBBQ


この一帯の広告はもっぱらAI関連です。


ワールドカップで感じる米国らしさ


これを書いている現在、米国ではFIFAワールドカップが開催されており、近所にあるLevi's Stadiumも開催会場の一つとなっています。試合の日になると、Caltrainには各国代表のユニフォームを着たサポーターが集まり、街中のスポーツバーも大変なにぎわいになります。普段はAIやスタートアップの話題が多いこの地域ですが、この期間だけは街全体がサッカー一色になります。海外から訪れたサポーターがSNSで紹介する「米国あるある」を見るのも楽しみの一つです。特に印象的だったのが「ランチ(Ranch)ドレッシング」。こちらではサラダだけでなく、ピザやフライドポテト、チキンなど何にでも合わせる定番ソースです。「これは絶対に母国へ持ち帰りたい!」と話す欧州のサポーターの動画が話題になっており、改めて食文化の違いのおもしろさを感じました。スポーツをきっかけに世界中の人が集まり、それぞれがお互いの文化を楽しんでいる様子を見ると、この地域らしい国際性を改めて実感します。


マグロ解体ショー&ビンゴ大会を開催


休日は「自然の中」が当たり前


東京で暮らしていた頃、「週末は何をしていたの?」と聞かれれば、ショッピングやカフェ巡り、映画を見たり、おいしいご飯を食べに行ったりと、街の中で過ごすことがほとんどでした。一方、こちらへ来て同僚や友人に「週末は何をするの?」と聞くと、驚くほど多くの人がアウトドアを挙げます。「ハイキングに行くよ」「キャンプかな」「レイクタホへ行ってきた」「ヨセミテで一泊してきた」最初は「そんなに毎週自然へ行くものなの?」と驚きました。しかし、実際に私自身もハイキングやBBQ、ワイナリー巡り、牧場で子ヤギと触れ合うような休日を過ごすようになり、その魅力が少しずつ分かるようになりました。シリコンバレーというと最先端のAIやIT企業が集まる場所という印象が強いですが、車で少し走るだけで雄大な自然に触れられる環境があります。平日は最新技術について議論し、週末は自然の中でリフレッシュする。このメリハリのあるライフスタイルこそ、この地域ならではの文化なのだと感じています。


おわりに


米国は非常に広く、ニューヨークやテキサス、シアトルなど、地域によって文化もライフスタイルも大きく異なります。今回ご紹介したのは、あくまで私が暮らしているシリコンバレーでの日常です。子どもの頃に育った場所へ戻れば、懐かしい毎日が待っていると思っていました。しかし実際には、日本での生活を経験したからこそ見えてきた新しい発見ばかりでした。最先端のAI企業が集まり、世界中から人々が集まりながらも、少し車を走らせればヨセミテやレイクタホのような雄大な自然が広がる。この「最先端」と「豊かな自然」が共存していることこそ、シリコンバレーならではの魅力だと感じています。これからも仕事を通じて最新技術を日本へ届けるだけでなく、この土地で暮らして初めて気付いた文化や価値観も発信し、日本とシリコンバレーをつなぐ懸け橋になれればと思っています。


赤ちゃんヤギとの触れ合い体験