2026年7・8月号(No.835)
2025年、私は伊藤忠カンボジアの責任者としてプノンペンに赴任しました。早いもので、着任からあっという間に1年が過ぎました。
私にとってのカンボジアには、二つの印象深い原風景がありました。一つは、今から20年ほど前、ベトナム・ホーチミンに駐在して繊維ビジネスを担当していた頃、プノンペンの工場との取引を検討するために訪れた際の光景です。当時のプノンペンは、まだクメール・ルージュによる内戦の傷跡が何となく残っていました。もう一つは、旅行者として訪れたシェムリアップの光景です。アンコールワット遺跡群の壮大さと、悠久の歴史が醸し出す静謐な美しさに圧倒されました。その後、出張で数回訪れる機会はありましたが、2025年に腰を据えて生活を始めてみると、高層ビルが立ち並ぶビジネス街、ショッピングモールで買い物を楽しむ若者たち、スマートフォンを片手に日常を撮影する市民、そこには20年前のイメージを覆す、新しいカンボジアの姿がありました。
アンコールワット壁面のレリーフ(浮き彫り)
カンボジアの国土面積は約181,000平方キロメートルで、日本の国土面積のほぼ半分、本州と同じサイズです。平野が多く、農業に適した土地が広がっています。日本は山が多く、国土の約7割が山地ですが、カンボジアは平坦な土地が多いのが特徴です。人口は約1,700万人程度、つまり日本の約7分の1であり、人口密度は日本よりかなり低くなっています。
皆さんは、カンボジアに対してどのような印象をお持ちでしょうか。「特殊詐欺の拠点」「親中国」「タイとの国境紛争」といった、どちらかと言えばネガティブな報道を目にすることが多いかもしれません。また、東南アジア諸国の中で日本からの直行便が就航していない数少ない国(2026年時点)であり、日系メディアの特派員も常駐していないため、正確な情報が日本へ届きにくい状況にあります。
しかし、実際にここで生活し、日々ビジネスの最前線に身を置いていると、カンボジアが「超」が付くほどの親日国であることを肌身で実感します。
2025年10月時点での在留邦人数は2,915人(世界第32位)(注)。コロナ禍前に5,000人を超えていた時期に比べれば減少したものの、近年は再び増加傾向にあります。プノンペンの生活コストは、実はアジアでもシンガポールやバンコクに次ぐ第3位と言われるほど高騰しており、決して「安価な途上国」ではありません。
懸念されている治安面についても、大きな転換期を迎えています。一時は数十万人規模ともささやかれた特殊詐欺拠点に対し、カンボジア政府は2026年始めから本格的な掃討作戦を開始しました。その結果、2026年5月には拠点の大部分が掃討されたと報じられています。実際、私自身も赴任以来、夜間の移動を含めて治安に不安を感じたことはありません。
カンボジアの親日感情は、単なる好意を超えていると感じます。その最大の理由は、1990年代以降の復興期における日本の多大な貢献に由来するようです。
内戦終結後の平和構築、道路・橋・学校といったインフラ整備へのODA支援、医療・教育分野への草の根支援。1992年から93年にかけての国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)への自衛隊派遣、停戦監視要員、文民警察官および選挙要員派遣、そして総選挙の成功への貢献などは、カンボジア現政権の幹部たちに深い感銘を与えました。在カンボジア日本国大使によれば、「日本はカンボジアにとって特別な地位、いわばレジェンドの地位を得ている」とのことであり、日本は単なるドナー(支援国)ではなく、共に歩んできた戦友のような存在として認識されているようです。
その象徴的な証拠が、500リエル紙幣です。そこには、日本の日の丸と、日本の支援で建設された「きずな橋」および「つばさ橋」が描かれています。自国通貨に外国の国旗が描かれる例は極めて稀であり、これこそが揺るぎない信頼の証左といえます。
また、世界中の水道関係者が「プノンペンの奇跡」と称賛するエピソードも欠かせません。内戦で壊滅した水道施設を、日本の北九州市上下水道局が1999年からJICAと共に技術支援し、再建しました。現在、プノンペンでは東南アジアでも非常に珍しい「蛇口からそのまま飲める水道水」が24時間365日供給されています。こうした生活の根幹を支える技術提供が、カンボジア人の対日感情を決定的なものにしています。
現在のカンボジア経済は、年平均6 ~ 7%という高い成長率を維持しています。これはベトナムに次ぐ東南アジア第2位の成長率です。縫製業、観光業、建設業、農業という4大エンジンに加え、人口の約半数が25歳未満という圧倒的な若さが、この国の強みとなっています。
また、国内では今なお米ドルが広く流通しており(取引の約9割とも言われます)、為替リスクが比較的低い一方で、金融政策の柔軟性には制約があります。ただ、道路網、電力、物流などのインフラはなお未発達であり、今後の経済発展に向けた大きな課題となっています。
特筆すべきは、政府の投資誘致に対する積極的な姿勢です。「日カンボジア官民合同会議」は既に31回を数え、これまで数多くの投資環境の改善について、カンボジア政府、在カンボジア日本大使館、カンボジア日本商工会のメンバーで議論を重ねてきました。更に、2026年4月からは日本・欧州・米国・中国・韓国の5か国(地域)合同での新たな対話枠組みも始動しました。昨今のタイとの陸上国境封鎖問題に際しても、物流改善を目的とした臨時官民会議が機動的に開催されるなど、積極的に外の声に耳を傾け、改善に繋げようという姿勢が見て取れます。
プノンペンではよく「AEON前、AEON後」という言葉が使われます。2014年のイオン1号店進出を境に、カンボジアの消費文化とビジネス環境は劇的に近代化しました。もちろん、財務諸表の整備が不十分であったり、加工産業が未成熟であったりと、資本主義経済を本格的に始動させてからまだ日の浅い国ゆえの課題は山積しています。しかし、赴任当初に感じた「既視感」──20年前のホーチミンの経済発展開始前夜に酷似したあの感覚──は、この国が近いうちに飛躍的な発展を遂げる可能性を強く感じさせてくれます。
駐在生活についても触れておきましょう。
プノンペンの季節は一年を通じて「夏のみ」と言ってよく、気候はホーチミンとほぼ同じです。4月から5月、雨季が始まる前が一年で最も暑い時期です。ただ、乾季が始まる11月、12月頃は、日本の冬にあたる時期ですが暖かく、さほど暑くもなく、非常に過ごしやすい気候です。
プノンペンの魅力は、その国際色豊かな食文化にあります。フランス植民地時代の名残を感じさせるフレンチから、イタリアン、中華、本格的なステーキハウス、さらにはジョージア料理や日本料理、そして洗練されたクメール料理まで、美食の選択肢には事欠きません。
国内旅行も多くの楽しみがあります。シェムリアップは、世界遺産のアンコール遺跡群で知られており世界中の旅行者が訪れています。シェムリアップの街中も魅力にあふれ、一流ホテルが立ち並び、市内には国際色豊かなレストランがひしめいています。アンコール・ワットは言わずもがなですが、特に巨大な樹木が建物を飲み込むタ・プローム(映画『トゥームレイダー』のロケ地)の神秘的な光景には、何度訪れても圧倒されます。
最近、実際に訪れてみて面白かったのは、日本が寄付した「元JR北海道キハ183系」に乗って行く南部への旅です。プノンペン駅から朝7時に出発する列車の車内は、まさに「日本の鉄道」そのもの。テレビ番組『世界の車窓から』にも取り上げられています。蟹で有名なケップでの海鮮鍋や、カンポットに新設された「タツノオトシゴ版マーライオン(?)」など、微笑ましい観光スポットも増えています。
今度は、評判の良いロン島へも足を延ばしてみたいと思っています。シアヌークビル港から船で1時間もかからない場所にあり、自然がなお豊かに残る、海の美しい島で、ゆったりとリラックスできるそうです。また、プノンペン市内の「貨幣博物館」や「国立博物館」は、カンボジアの歴史と政治の流れを体系的に学ぶことができる場所であり、カンボジアの原点に触れられる場としてお勧めです。さらに、現在の国王の居所でもある「王宮」、王族の寺院である「シルバー・パゴダ」、プノンペンの名前の由来になった「ワット・プノン」など、市内にも多くの見どころがあります。
最後に、カンボジアという国を語る上で避けて通れない歴史に触れたいと思います。
1975年から79年にかけてのクメール・ルージュによる歴史的な惨劇です。
当時の人口の約3分の1が失われたという事実は、現代のカンボジア社会にも深い影を落としています。私は赴任が決まった際、複数の歴史書を改めて読み込み、さらに現地で第一線の通訳の方から、公的な記録には残らない個人の記憶を学びました。その通訳の方の家系も、父方の6人兄弟のうち5人が犠牲になったという凄絶なものでした。プノンペン市内のトゥール・スレン虐殺博物館や郊外のキリングフィールドに足を運ぶと、その傷跡の深さに言葉を失います。
私たちにとって、この「超・親日」という恵まれた環境は、先人たちが築き上げてくれたレガシーです。私はこのバトンを受け継ぎ、駐在期間を通じて、この国の人々に貢献できる何かを、一つでも形にして残したいと考えています。単なる一次産品の輸出にとどまらず、加工業の育成や物流インフラの改善、そして次世代を担う若者たちへの教育面での貢献などを通じて、彼らの笑顔が、より確かな自信と輝かしい将来へとつながるよう、日々全力で業務に取り組む決意です。
(注) 2025年10月時点 外務省「海外在留邦人数調査統計」などの推計に基づく。