女性が輝く国、ベトナム

日鉄物産ベトナム会社 ハノイ事務所 所長
上野 覚

はじめに


2017年11月からハノイに駐在し、はや5年4ヵ月の歳月が過ぎました。

駐在当初は14人の所帯のうち男性社員は3人だったのですが、会社の事業部の合併や事務所の移転などもあり、今では、男性は私一人となってしまいました。

私の職場環境は、桃源郷?それとも、四角いジャングル?それはご想像にお任せします。

この寄稿の執筆を開始した3月8日は国際女性の日、5年の駐在経験と少しだけ学んだ歴史から、「女性が輝く国、ベトナム」と題して紹介いたします。


年2回の女性の日


筆者 ダラット、ポンゴール滝にて

ベトナムは女性をとても大切にする国で、女性の日が年に2回もあります。3月8日の国際女性の日、そして、10月20日のベトナム女性の日です。世界広しといえども女性の日が2回もある国は珍しいのではと思います。

われわれ男性陣、とりわけ私のような男身一人の駐在員はこの女性の日の両日を絶対に覚えていないといけません。日本の手帳をもらったならば、一番に記すくらい当地ではTET(旧正月)の次ぐらいに位置付けられる重要な日であり、日本でいえばこどもの日やバレンタインデー、いや、それよりも上をいく国民的行事なのです。

ですので、この日に出張を入れるとか、休暇を取得するなんて、あってはならないのです(笑)。

ちなみに当地ではバレンタインデーもありますが、2月14日こそ同じであれ、恋愛祭日と呼ばれ、男性から女性へプレゼントを用意して愛や感謝を表す日であり、日本とは真逆です。

さて、毎年、この女性の日の前日や当日は、プレゼントを買い求める男性陣が街中を右往左往し、一番無難と思われるフラワーギフトも、普段の3-4倍の値まで跳ね上がります。

私も、ご多分に漏れずですが、ホテルのスイーツや、いちごなどの旬の果物、流行のアイスクリームと朝から奔走し、事務所に到着と同時にChúc mừng ngày phụ nữ ! 女性の日おめでとう!と笑顔で声をかけるようにしており、これが年2回の恒例行事となっています。

ちなみに、3月8日は中国、ロシアといった旧社会主義国を中心にこの日を祝っており、国連でも正式な記念日になっていますが、10月20日のベトナム女性の日は、ベトナム共産党が1930年10月20日に「ベトナム反帝婦人会(現在のベトナム婦人連合会)」を発足したのを記念して、この日を女性の日としたそうです。


仕事に見るベトナム人女性


女性の日 事務所前での記念撮影の様子

昨今、どの国でもジェンダー平等が唱えられ女性の活躍が目覚ましいですが、ここベトナムはアジアの中でも特に女性の活躍が目立つ国です。

ベトナム統計総局によると、2020年時点の15歳以上の女性の労働参加率は68.7%と世界平均の49%を大幅に上回り、社会労働力の45.4%が女性であるそうです。また、女性の管理職の割合も39%と高く、これは世界的に見てもフィリピン、ブラジルに次ぐ3番目だそうです。実際、アジアで最も影響力のある女性起業家TOP50に選ばれたベトナム大手乳業メーカー、ビナミルクのマイ・キエウ・リエンさんや東南アジア女性で初のビリオネアとなったLCC航空会社、べトジェットのグエン・ティ・フォン・タオさんは当地ではカリスマ的な経営者として知られ、人々の尊敬を集めています。

私も、会社内外でさまざまな人と出会いましたが、経営者やマネジャークラスは女性の方が圧倒的に多いです。これは、1975年まで続いた戦争により男性の数が圧倒的に減少した中でドイモイ政策(1986年から実施された計画経済から市場経済への転換政策)により女性の社会進出が自然に後押しされたためといわれていますが、戦後の苦しい時代に女性が男性に代わり国や家族を守っていかなければならないといった責任感と、これからはいろいろなことを世界から学んでいこうというストイックな気持ちを強く持ち合わせていたからではないかと思います。

余談ですが、私の身近には、ベトナム人女性と結婚した日本人男性が何人かいます。彼らが口をそろえて言うのは、ベトナム人の奥さまはグリップが強いということです。結婚したら家族を中心に生活していくのは万国共通なのでしょうが、例えば、夜、私と一緒に軽く飲みに行っても、スマホ映像を通して“ウエノさんと一緒にいますよ”の証明(=免罪符)が必要になってきます。私も、この免罪符発行のために、笑顔でスマホの向こうの奥さまに手を振ったりするのですが、大変だなぁ、と思う半面、ドライな家族関係が多くなった日本人には新鮮であろうし、いつも見守られているようで少しうらやましくも感じます。


尊敬される3人のヒロイン


婦人博物館(Bảo tàng phụ nữ)
少数民族や戦争で活躍した女性を紹介している

現在のベトナム社会主義共和国が成立したのはベトナム戦争終戦の1976年。中国にはじまり他国からの侵略に次ぐ侵略を許し、それに抵抗しはね返してきた歴史はとても複雑です。隣国には、中国、ラオス、カンボジアがあり、特に古代から中世にかけては中国からの侵略と独立を繰り返してきた歴史があります。また、近代ではフランスに中南部を占領されたフランス植民地の時代もありましたし、米国を追い出した世界唯一の国でもあります。

その長い歴史の中で、ベトナム人の誰もが尊敬する3人のヒロインがいます。

ハイ・バー・チュン(Hai Ba Trung)

ハイ・バー・チュンのハイとはベトナム語で2という意味でTrung TracとTrungNhiのチュン姉妹の話です。紀元1世紀、中国・東漢王朝の時代、二人の姉妹は漢の植民地政府に対し大反乱を起こします。その反乱によって、わずか3年だけなのですが、姉のTrang Tracは、中国の支配から脱しベトナム歴史上初の女王を称した時期をつくったのです。写真も残っていない1世紀のことなのですが、中国の支配から脱したということでベトナムのジャンヌ・ダルクともいわれ、ベトナムの人々の心を打った伝説の姉妹となっています。ハイ・バー・チュンはハノイ、ホーチミン、ダナンなどの主要都市では、通りの名前にもなっているほどのヒロインです。

ヴォー・ティ・サウ(Vo Thi Sau)


ベトナムでは切手にもなっているヒロイン

ヴォー・ティ・サウは、フランス植民地時代に15歳で革命運動に参加した少女です。フランスに対しゲリラ戦を行い、19歳で捕虜となってしまい残忍な拷問を受けるのですが、その革命の気質を失うことはありませんでした。その後、コンダオ島に送還され最期は処刑されてしまうのですが、処刑される際も目隠しの着用を拒否しフランス兵を震え上がらせたという逸話が残っています。彼女は、近代史であるにもかかわらず神格化されており、今でも、人生の分岐点やビジネスで勝負をかけるときは、老若男女、コンダオ島の彼女のお墓に出向き、祈りや願掛けにお参りする人がいるそうです。

ベトナムの歴史上のヒロインは、ほぼ侵略や戦争に抗する女性になってしまうのですが、他国と少し違うなと感じるのは、戦地に赴く男性をサポートするだけではなく、強制ではなく自ら戦いに赴き、ベトナムを独立国家とするために勇敢に立ち向かったというところです。ベトナムでは昔から男性は家の大黒柱(trụ cột)、女性は家の屋根(nócnhà)と例えられ、大黒柱の男性だけが家を支えるのではなく、女性も一緒に家を守っているのです。

ベトナム婦人博物館公式ホームページ https://baotangphunu.org.vn/en/home/

おわりに アオザイに見るしとやかさ、美しさ


アオザイを着た女性 出典:iStock

戦争で抗したとか、ベトナム女性の強さばかり述べてきましたが、おわりに、ベトナムの伝統衣装アオザイに見る彼女たちのしとやかさや美しさを述べておきます。

アオザイ(Áo dài)のÁoとは“服”の意味で、dàiは“長い”、つまり、単に“長い服”という意味なのですが、このアオザイを身に着けた時の彼女らは、本当におしとやかに見えます。

ベトナム語で、しとやかはDuyên dáng、Dịu dàngの二つの単語があり、意味としては同じなのですが、前者は“姿”からのしとやかさ、後者は“気質”からのしとやかさを表すそうです。

また、アオザイはスラリとした体形の多いベトナム人女性に本当によく似合います。ベトナムの海岸線を指でなぞると何となくSの文字になり、アオザイを着たベトナム人女性のように見えます。まさにベトナム女性の強さやしとやかさ、そして美しさがこの国を象徴しているように思います。

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