夕日の最も遠い国 ~モロッコ王国~

住友商事株式会社 カサブランカ事務所長
竹内 健

筆者(マラケシュのスパイス店にて)

モロッコは、ヴォルビリスの古代ローマ遺跡、フェズの迷宮旧市街メディナ、マラケシュの大広場などの世界遺産を有し、観光では有名ですが、歴史・宗教・産業等については日本ではあまり知られていないと思います。本稿では、その知られざる、いやぜひ知っていただきたいモロッコの魅力を紹介します。

マグリブ地方/呼称の由来


モロッコを含む北アフリカ地方は、歴史的に「アル・マグリブ・アル・アクサ」と呼ばれています。アラビア語でマグリブは「西」、アクサは「最果て」を意味し、古代ギリシャ・ローマ帝国・オスマン帝国などから見て、「夕日の最も遠い国」であったのがモロッコになります。日出ずる国である日本からは地理的に一番遠い国の一つです。

欧州の対岸、地中海の出口に位置するモロッコは、欧米諸国にとって地政学上戦略的に極めて重要で友好国にとどめておく必要があり、現在もそのスタンスは変わっていません。敬虔なイスラム教徒の国でありながら、自身を取り巻くそれら外的環境の中で、欧米文化ともうまく付き合ってきたのがモロッコといえます。


モロッコの歴史/世界遺産都市紹介


⑴ヴォルビリス

ローマ帝国の影響が及び始めた西暦1世紀ごろ、帝国の西限の重要都市としてモロッコ北部に建造されたのがヴォルビリスです。北アフリカに横たわるアトラス山脈から養分たっぷりの川の流れが注ぎ込む肥沃なこの土地で生産された小麦やオリーブオイルがローマに出荷され、ヴォルビリスに富と繁栄をもたらしました。

その遺跡から発掘される建物跡やモザイクなどは、この地方が当時の豊かな地中海文化を共有していたことを物語っています。モザイクとは、陶器などの小片を寄せ合わせ、床や壁に埋め込んで模様を表す装飾で、当時の富裕者が自らの財力を誇示するための象徴的な美術品でした。モチーフとしてはギリシャ神話の一場面や魚群などが好まれたようです。

ちなみにですが、アトラス山脈という名前は、古代ギリシャ神話に登場する神、アトラスに由来します。

~アトラス物語~

世界の初めに存在したカオス(混沌)からガイア(大地)が生まれ、ガイアはティタン神族と呼ばれる原始の神々を産み出します。「ティタン神族」と、その末弟クロノスの子供である「オリュンポスの神々」との間では10年間もの闘争が続き、壮絶な戦いの結果、オリュンポスの神々が勝利し、ゼウスが天界を支配します。ティタン神族派であったアトラスは、いとこのゼウスに「西の果てに立ち天空を担ぐ」罰が科されました。後に、ゼウスの子であるペルセウスから退治したメデューサの首を見せられ、アトラスはたちまち巨大な石山に変わってしまいました。その石山がアトラス山脈です。

⑵フェズ


フェズの手織りじゅうたん職人の作業の様子

その後ローマ帝国が滅びると、アラビア半島からイスラムの波がモロッコに到来します。8世紀末にモロッコ最初のイスラム王朝とされるイドリース朝が興りました。始祖イドリースは、イスラム教創始者である預言者ムハンマドの子孫(=シャリーフ)であり、以降のモロッコ史において大きな役割を担うシャリーフ家系に属していました。そのイドリース朝が、北中部に新都フェズを建設し、知識人や職人たちが集まる文化都市として繁栄しました。

現代のフェズは職人の街としてじゅうたんや革製品・陶器など伝統的な工芸品が大変充実しているので、訪問される際にはぜひ手に取ってその品質の高さを実感してください。トントンと小気味よいリズムでじゅうたんを手織ってゆく工房を備えた老舗じゅうたん店、100槽以上ある皮なめし場を取り囲むように陣取る伝統革製品店、フェズブルーといわれる鮮やかな青色の焼き物を製造直売するだけでなく、高価なアンティークも豊富に展示している陶器店など、いくら時間があっても足りないくらい楽しい時間を過ごせることでしょう。

ここで、実際にフェズで手織りじゅうたんを購入した私の体験談を紹介します。まず、街の観光案内も兼ねてホテル経由でガイドを雇いました。迷宮旧市街メディナの中にはさまざまな伝統工芸品を売る店が軒を連ねていますが、取りあえず見るだけということで、高級そうな老舗じゅうたん店にそのガイドに連れて行ってもらいました。店に入ると2階に通され、そこにはかつてテレビでしか見たことのない手動機織り(はたおり)機が5台ほど並んでおり、ちょうど昼食を取っていた女性の職人さんが「あら、どこの国の方かしら」とか言いながらじゅうたんを織り始めてくれます。図柄や色合いに設計図のようなものはなく、「ずっとやっていると自然に手が動く」そうです。これはすごいとハートをつかまれた頃を見計らって、番頭らしき人に1階の大広間へ案内されます。「いや~、手織りじゅうたんは高価だから」「そんなことないですよ、まずは見るだけ」などと会話を交わしつつ、若い衆がどんどんじゅうたんを広げていきます。鮮青系・赤暖系・幾何学模様系など大中小30枚ほど見ると、もう買うと心に決めてしまいました。ここから価格交渉です。選んだじゅうたん、番頭、ガイドと一緒に地下に下りると、そこにはおかみ店主が座っていました。モロッコ語で、おかみより番頭、番頭からガイドへ第一価格をメモで提示(約10万円)、次にガイドが「バカ言ってんじゃねぇ」と言いながら二重線を引いた上に第二価格を提示(約6万円)、それを見たおかみが「そんな値段で売れるわけないじゃないの」と言いながら番頭経由第三価格を提示(約9万円)、ガイドが「ふざけるな。これが最後だ。これで駄目なら買わずに店を出る」と言い放ち第四価格(約8万円)を提示したところで、それまで鬼の形相だったおかみが承諾し、満面の笑顔で握手しました。店を出てからガイドにどうだったかと聞くに、「新型コロナウイルス感染症の影響で客がまだ少なく、通常この品なら15万円はする。あなたは良い買い物をしたと思う」と言っていましたので、まぁ相場は外していないだろうと自分自身では納得しています。


⑶マラケシュ


11世紀半ばになると、南のサハラからやってきた遊牧民を母体とするイスラム王朝がモロッコ全土を治めるようになり、さらにジブラルタル海峡を越えてイベリア半島アンダルシアにも版図を広げていきます。この時期、サハラ交易を通して南から北へ運ばれる黄金によって、モロッコ中部/アトラス山脈麓の標高450mに位置する都市マラケシュが大いに栄えました。マラケシュの建物は赤土の日干しれんがで造られ、街全体がエネルギッシュな赤茶色を放っています。中心のジャマエルフナ広場では、行き交う人々・取引される品物・交わされる情報であふれ返っており、立ち並ぶ屋台の傍らで大道芸人が火を吹き、コブラを操って観衆の目をくぎ付けにしています。

今日のマラケシュを訪れる際の宿泊は、洗練された中庭を持つ伝統的なモロッコ建築の邸宅ホテルであるリヤドをご利用されてはいかがでしょうか。リヤドの基本的な構造は、噴水のある中庭を囲むように部屋が配置されており、部屋の壁や天井は伝統工芸のモザイクタイル「ゼリージュ」で彩られ、モロッコのアンティーク家具がくつろぎを与えてくれます。

また、代表的なリヤドにはハマムが併設されており、ぜひ施術を受けられることをお勧めしたいです。ハマムとはかつてのローマ帝国の浴場テルマエ文化を引き継ぎ発展したイスラムのサウナ風呂で、語源は「温める」「熱する」を意味するアラビア語の動詞「ハンマ」に由来します。施術を受ける流れとしては、まずフロントで予約した時間に行くと、スタッフの明るい出迎えを受け、渡される簡易水着にロッカーで着替えます。それから、案内された総大理石造りの奥のサウナで10分ほどじっくり身体を温めます。空間が広いので、寝転がってのストレッチなど余裕でできます。そして声がかかり、大理石の柱に囲まれたさらに広い大広間で黒岩塩クリームを身体に塗ってもらい、イスラム式アカスリが始まります。肌がすべすべになった後は、大量の泡シャボンにくるまれた状態でしばし蒸されるのですが、その間は至福の天国タイムで、恍惚感に包まれることでしょう。シャワーで泡シャボンを流したら、身体をガウンで包み控室でミントティーを飲みつつクールダウン、最後に着替えて終了です。これで約1時間、すいていれば1人で貸し切り、王様になった気分を味わえます。

モロッコの人々のアイデンティティー/欧米日との関係


山肌に「アッラー」(神)、「マリク」(国王)、「ワタン」(祖国)と書かれた港の様子

この国の人々のアイデンティティーは「アッラー」(神)、「マリク」(国王)、「ワタン」(祖国)にあります。

アッラーはイスラム教の神様の呼称です。8世紀末以来幾度か支配者は代わりましたが、17世紀半ばに成立した同じシャリーフ家系のアラウィー朝が現在に至るモロッコの王家となっています。その後、20世紀初頭に歴史の荒波の中でフランスの植民地となりましたが、1956年に国王主導の下、独立しました。

おらが国をおらが国王をリーダーとして盛り上げていく、農業やリン鉱石以外にこれといった基幹産業がない中で、貧困・失業・社会的弱者の削減をスローガンに掲げ、いち早くWTOに加盟し欧米とFTAを締結するなど、高い経済成長の実現に向けた経済改革を国民と国王が気持ちを一つにして進めている国、それがモロッコです。

なお、フランスやスペインを含む親欧州、親米国の国であり、イスラエルとも良好な関係を有しています。特に米国との関係は深く、古くは、1776年の米国の独立を世界で最初に承認したのはモロッコであり、米国は苦しい時に最初の友人になってくれたモロッコに親近感を有しています。イスラエルとの関係も歴史的に深いです。古くは、当時イスラム支配下にあったスペインで1492年にレコンキスタによりイベリア半島からイスラム教徒が追い出された際に、同じく多くのユダヤ教徒も追われモロッコに逃げて来てそのまま定住しました。さらに、1890年代に始まるシオニズム運動の流れで、モロッコからイスラエルに戻った人々ともつながっています。それが現在の米国・モロッコ・イスラエルの金融業のつながりとなっています。日本との外交関係はモロッコが独立した1956年に樹立されました。現在、自動車部品製造業や商社など約70社の日系企業がモロッコに進出しています。


最後に


2022年サッカーW杯カタール大会でモロッコは第4位と大活躍し、チームが勝利するたびに街は渋谷状態となり歓喜に満ちあふれていました。人々は、何よりもモロッコという国名が世界に示されたことがうれしいと口々に話していました。

皆さまも、魅惑の国モロッコをぜひ訪問してみてください!

*参考文献: 私市正年・佐藤健太郎『モロッコを知るための65章』明石書店 2007年

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