ベトナム:ゼロコロナからウィズコロナへの転換

ベトナム三菱商事
佐橋 拓哉

1.ビフォーコロナの世界からの一変


私は2021年3月に前任地のサンパウロからハノイに転任しました。赴任当時、新型コロナウイルス(以下、コロナ)の累計感染者数でブラジルは世界第3位の感染大国でしたが、ベトナムは3千人未満と対照的な少なさであり、台湾などと並んでコロナ抑制の成功モデルと称されていました。いち早く経済を正常化させたため、世界各国の経済成長率がマイナスとなる中、ベトナムは2020年もプラス成長(+2.9%)を達成することができました。その分、水際対策は徹底しており、ハノイの空港に到着後、入国手続きを済ませてホテルに移動する際は防護服を着用する必要があった他、集中隔離先のホテルでは2週間、部屋から一歩も出ることができない厳しい隔離を経験しました。

一方で、隔離を経て4月1日に駐在員としての生活を始めると、面談や会合でマスクを着用している方は少なく、会食も自由という完全にビフォーコロナの状況に驚くことになりました。特に、4月下旬に弊社の投資先である某メーカーの年次総会に出席した際は、年間目標を達成したお祝いの意味も込め、参加者一同が乾杯を繰り返し、最後は肩を組んでパーティー会場を練り歩くという盛況ぶりに、「コロナ下において、ベトナムはこの世の桃源郷だ」との思いを強くしました。ところが、5月以降、状況は一変します。


2.感染拡大防止一辺倒(ゼロコロナ)から、経済成長との両立を目指すウィズコロナに転換


(1)市中感染の推移

4月中旬よりハノイ市を中心に市中感染が散見されていましたが、4月末の4連休と、5月23日に実施された国会議員選挙を契機に、感染が全国に拡大し、6月初めの時点で発症中のアクティブ患者数は5千人強に伸長しました。そんな中、ベトナムの変異株はインド型と英国型の混合であり危険との報道が流れ、ベトナムから日本への帰国者は6月4日より空港近辺の宿泊施設で6日間の待機措置が適用されました。WHOが「ベトナムの変異株はインド型の派生であり、混合型ではない」との見解を即座に発表しましたが、日本での空港待機措置は7月17日まで継続されました。ベトナムの安全神話に疑問符がつき、日本からの問い合わせが増えたため、6月以降は週次で感染やワクチン接種の状況、活動規制等につき、社内外に情報発信を始めました。当初は1−2ヵ月で収束すると臆測していましたが、7−8月にかけホーチミン市や周辺省で市中感染が急増し、結果として10月末まで継続することになりました。

11月13日時点で、ベトナムの累計感染者数は約101万人、同死者数は約2.3万人です。アクティブ患者数は約13.7万人と、足元で再拡大基調にあるものの、9月上旬のピーク時より4割減少しています。死者数も1日当たり約80人で推移しており、8月のピーク時の2割まで低減しています。ベトナム政府は新規感染者が確認されると、過去2週間の行動履歴を聴取の上で公開し、濃厚接触者を特定し指定病院に誘導して、6月末までは封じ込めに成功していました。ただし、7月以降は感染急増に対応が後手に回り、軍隊を投入して野戦病院を急造したものの、医療従事者や医療機器の供給が不足し、特にホーチミン市では医療崩壊の危機にひんしました。9月以降は軽症者も含め自宅隔離を認め、移動クリニックを整備することで重症化の軽減に努め、9月下旬になってようやくピークアウトすることができました。



(2)ワクチン確保に奔走


ワクチン接種に協力してくれた病院関係者との記念撮影

従前よりタイやインドネシアと比べて医療事情が劣後しているベトナムですが、感染被害が少なくワクチン確保のニーズが低かったため、6月初めでは100人当たりの接種回数は1.1回とASEAN内で最も立ち遅れていました。6月2日にベトナム政府はワクチン調達に向けた基金(約11億米ドル)を創設し、中央政府の拠出と民間企業の寄付により賄う方針を発表、以降は官民を挙げてワクチンと医療機器の確保に注力しました。こうした努力が実り、10月末までに100人当たりのワクチン接種回数は83回に急増し、ハノイとホーチミンの両市では18歳以上の市民の大多数が2回目の接種を終えています。

ベトナムでのワクチン普及に向け、早い段階で呼び水を入れたのが日本政府です。ベトナム政府の要請に呼応し、6月16日にはワクチン第1弾を緊急搬送し、累計で約4百万回分(アストラゼネカ製)を供与しました。ワクチンの一部は在留邦人や日系企業に従事するベトナム人にも提供され、大変感謝されています。

徐々にワクチンがストックされる中、弊社においてもパートナー企業の協力を得て社員および家族用のワクチン確保に奔走し、9月中旬までにほぼ2回の接種を完了することができました。ハノイでは「越ソ(旧ソ連)友好病院」での接種が実現したので、恩返しの意味も込めて一緒に受診できた日系企業で記念品を贈呈しました。同病院の院長は日本に留学歴のある方で、「今回の接種は日本の皆さんにベトナムの経済に引き続き貢献していただくために行う当然の行動。ぜひこれからも経済発展にご協力願いたい」との言葉をいただき、日越の特別な二国間関係のご相伴にあずかったと強く感じ入りました。

(3)経済再建を念頭にウィズコロナへ転換

感染拡大防止のために、7月から9月末にかけてハノイやホーチミン等の主要都市では厳しいロックダウンが敷かれ、製造現場においても操業継続に際しては敷地内での3オンサイト(労・食・寝)が条件とされたので、経済に急ブレーキがかかり、2021年第3四半期のGDP成長率は前年同期比▲6.2%に低迷しました。また、市や省をまたぐ物流にも制約が加わったため、自動車部品や衣料・履物を中心にサプライチェーン寸断の影響が日本にも及びました。

ファン・ミン・チン首相は感染拡大防止と経済成長の両立を志向し、8月以降は「サプライチェーンの回復」をキーワードに民間企業との対話を積極的に進めています。9月1日にハノイ、ホーチミン、ダナンの各日本商工会は、①ワクチン接種の迅速化、②3オンサイトに際しワクチン接種者の自宅通勤の容認、③スムーズな再入国許可の発行等の要望事項をチン首相に対し提出しました。他国からも要望が相次いだため、チン首相が9月末に主催した官民対話には主要国(日・韓・米・英・EU)の主要商工会議所代表も招聘(しょうへい)され、席上、首相より「Safe、Flexible、Effective」を念頭に、コロナとの共存(ウィズコロナ)にかじを切り経済再建を重視する旨表明があり、活動規制の緩和が加速されました。

3.ウィズコロナの下でのコンサートおよびサッカー観戦

10月以降はホーチミン市でもロックダウンが解除され、全国的に国内航空線や飲食店での店内飲食が再開されるなど、日常生活が回復しつつあります。市中感染は再び増加傾向にありますが、ベトナム政府はワクチン接種の対象を12歳に引き下げ、就学児童の通学再開に向け取り組むなど、不退転の決意で取り組んでいます。本稿を締めくくるに当たり、ウィズコロナを代表するハノイの身近なエピソードを二つ紹介させていただきます。

(1)ベトナム国立交響楽団の定期公演


ベトナム国立交響楽団の定期公演が再開
(ベトナム国立交響楽団提供)

まず、ベトナム国立交響楽団(VNSO)の定期公演の再開です。VNSOはベトナムで唯一の国立交響楽団であり、2001年より日本人指揮者の本名徹次氏も参画しています。ビフォーコロナでは月に1−2回の定期公演が実施されていましたが、2021年4月の演奏以降は中断を余儀なくされていました。ようやく11月6日になって、ワクチン接種済みの聴衆かつ集客率を50%以下に抑制という条件の下で、ハノイ市内のオペラハウスで公演が再開されました。本名先生がタクトを振ることもあり、在留邦人も多数詰め掛けましたが、約半年ぶりに拝聴する生演奏は至福の一時でした。楽団員も久々の晴れ舞台に際し、いつにも増して演奏に熱が入っているように感じられました。その後、ハノイの感染再拡大を受け、定期公演は休止されていますが、12月20−21日にベートーヴェンの交響曲第9番の特別公演が予定されています。「音楽の力で、ハノイを元気で文化あふれる街に!」をコンセプトに、在留邦人を中心に「VNSOと「第九」を実現する会」が発足し、ソリストや合唱団等も参画して実現するべく、準備が進行しています。コロナ禍を克服した象徴的なイベントとして開催されることを切に祈念しています。


(2)ワールドカップ最終予選「日本・ベトナム戦」


ワールドカップ最終予選 日本・ベトナム戦で、
ベトナムサポーターと記念撮影(筆者:左から2番目)

最後に、ハノイで開催されたワールドカップ最終予選「日本・ベトナム戦」の舞台裏もご紹介します。11月11日に開催された同試合では、ワクチン接種に加え、試合開始前72時間以内に受診した検査の陰性証明書の持参が入場条件となっていました。決戦の舞台のミーディン国立競技場は収容人員4万人ですが、密を避けるべくチケットは1.2万枚(30%)のみ販売され、実際の観客は約1万人にとどまりました。結果はご存じの通り、1対0で日本の辛勝でしたが、遠距離の移動や厳しい入国措置を経て日本代表がベトナムに来てくれた感謝の思いもあり、キックオフに先立つ国歌斉唱で既に感傷に浸っていました。ベトナム側サポーターも日本との実力差は認めており、過熱することなくベトナム代表に「Viet Nam Vo dich(ベトナム無敵)」とエールを送っていました。惜しくもオフサイドの判定となった伊東選手の幻の2点目のシーンでは、見事なカウンター攻撃にベトナム側からも一斉に「Nhanh qua(何て速いんだ!)」と称賛の声が上がりました。1対0という結果は、今後の予選通過を考えると日本としては不十分な数字でしたが、一方でベトナムで仕事をさせていただいている身としては、ベトナムのメンツも保てた絶妙なバランスであり、試合後はベトナムサポーターとにこやかに記念写真に納まることができました。

余談ですが、試合後に同僚と交わした祝杯は、代表選の結果のみならず、コロナ下での長い不自由な生活を抜け出した高揚感もブレンドされ、まさに「勝利の美酒」の味わいでした。

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