サラマ・ポ!! 緩やかで 赦(ゆる)し合える 優しい人々が暮らすフィリピン

兼松株式会社 マニラ支店 支店長
勝田 大輔

はじめに

皆さんは、フィリピンが世界でも有数の親日国だということをご存じでしょうか? スーパーやレストランで日本人かと聞かれた時、「そうです!」と答えると、みんな一様に温かいほほ笑みを返してくれます。中には「日本人はいいね!」や、「Cool!」と言葉にしてくれる人もいて、うれしく温かい気持ちになれます。

フィリピンの人々はとにかく優しく、お互いを赦し合います。ともすると、日本人の感覚では「緩い」とか「いい加減!」と感じてしまうこともありますが、そうした「緩さ」はフィリピンでの厳しい暮らしを生きていく上でとても大切なのだと再認識しています。逆に、日本人が他人に厳し過ぎる傾向があるのでは…とも思えてくるのです。

一方、日本の皆さんはフィリピンという国に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。陽気な明るい国? 英語が通じる国? 犯罪が多くて危ない国? 年配の方であれば、第2次世界大戦中の不幸で悲惨な出来事をイメージされるかもしれません。最近では、日本でもフィリピンにルーツを持つ芸能人やアスリートの活躍が目立ちます。人気タレントの秋元才加さん、大相撲の高安関、モノマネメイクで人気のざわちん、EXILEの白濱亜嵐さん、歌手の中島健人さん、料理もプロ級でタレントとしても人気の速水もこみちさん、2020年の日本ゴルフ女子プロ賞金ランキング1位の笹生優花選手など、まだまだたくさんいらっしゃいます。羽田空港からフィリピンの首都・マニラのニノイ・アキノ国際空港までは5時間弱、時差はたったの1時間と比較的近隣国であることも事実。そんな知っているようであまり知らない国、フィリピンについてご紹介させていただきます。

国土


フィリピンの人口は約1億1,100万人。平均年齢は24歳で、60歳以上の高齢者は約635万人(全体の約5.7%)しかいないという非常に若い国です。ざっくりいうと日本の人口ピラミッドをちょうど逆さにするとおおよそフィリピンの人口ピラミッドの形になります。国土面積は日本の8割ほどの大きさで、大小7,109の島々から成り、インドネシアに次いで世界第2位の群島国家。地図を見ると縦に細長く、全体の形がなんとなく日本列島にも似ていて、非常に親近感というか、愛着が湧くのは私だけでしょうか。

火山国という点でも日本と似ており、2020年1月にタール火山が噴火した際は私が住んでいるマカティ市にまで火山灰が降り注ぎ、人生で初めてほうきを持って火山灰を清掃しました。台風の発生地としても有名で、「フィリピンから日本への最大の輸出品は台風」なんていう冗談もあるほどです。1年を通して気温・湿度の高い熱帯モンスーン型気候ですが、季節風の影響で12月から1月にかけては湿度も低めで日差しも比較的緩やか。東南アジア各国の中でもこの季節のフィリピンはとても爽やかで過ごしやすく、ゴルフ好きには最高です。一方、4月から6月にかけては酷暑期でフィリピンの人々でさえ日傘を持って外を歩くほどの強烈な暑さとなります。年によって変動がありますが、6、7月ごろから雨期に入り10、11月ごろまで続きます。雨期には日に何度か滝のような雨が短時間で大量に降り注ぎ、排水設備の整っていない各都市の道路は降り出して数分で川のようになってしまいます。


歴史・政治


1565年から香辛料を求めてやってきたスペインによる統治が始まり、300年以上もの間、交易の中継基地としてスペインの統治下にありました。余談ですが、フィリピン人の中でもスペイン系の血を色濃く受け継いでいる女性たちは本当に美しく、見とれてしまいます。ちなみに2018年にタイで行われたミス・ユニバース世界大会で優勝したのはフィリピン人女性のカトリーナ・グレイさん、2015年の優勝者もフィリピン代表でした。男性の皆さんは急にフィリピンを訪れたくなったのでは?

1898年に米国とスペインの間でパリ条約が調印され、スペインに代わり米国の統治下に。その後は、第2次世界大戦中の1942年に日本軍がマニラを占領しましたが、1944年10月に米軍がレイテ島で日本軍を破り、翌1945年2月に勃発したマニラ市街戦でも米軍が勝利。日本軍からフィリピンを奪還し、大戦後、フィリピンは独立したものの、長く米国に依存した米国主導の政治が続きました。

1965年にフェルナンド・E・マルコスが大統領に就任して以降、時々の政権が、その間クーデターや自然災害に翻弄(ほんろう)されながらも、立ち遅れていたインフラ整備や汚職撲滅運動、税制改正、機構改革を進めてきた結果、2000年から2015年の実質GDP成長率は年平均6.2%を達成し、格段に安定した政情と経済を実現しました。2016年に第16代大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の任期も2022年6月までと、あと1年2ヵ月弱に迫っています。

経済、日本との関係

2021年度の政府予算では、公共工事への支出に1兆1,080億ペソ(約2兆4,950億円)を割り当て、道路や橋、灌漑(かんがい)施設などの改修・整備、水資源関連や情報通信技術(ICT)関連、国家ブロードバンド計画などへの投資を進めています。中でもマニラ首都圏ではフィリピン初の地下鉄導入工事が日本政府の援助の下で始まっており、世界3大渋滞都市の一つともいわれるマニラの市民から大きな期待を集めています。また、二つの新国際空港(ブラカン、サングレーポイント)の新設・拡張工事も開始されました。

輸出分野では、輸出加工基地として特区を設け日本企業を含む多くの海外企業を誘致。2020年1月から9月の全産業輸出額のうち約6割はエレクトロニクス産業によるものでした。また、フィリピンは電気自動車のバッテリーやステンレスなどに使われるニッケルの世界1、2位を争う産出国でもあります。

日本との関係でいえば、フィリピン国内で人気の四輪自動車は、なんと日本車が全体の約8割を占めています。2017年1月には安倍首相(当時)が昭恵夫人と共にドゥテルテ大統領の故郷であるダバオ市の実家を訪れ、ダバオ市民からも大歓迎を受けました。その後2019年に在ダバオ日本領事館が総領事館に格上げされ、2021年1月にはダバオに次いで在セブ領事事務所も総領事館となりました。このことは両国の友好関係が強化されてきた一つの証しといえます。

1910年代、ダバオ市には農園経営のために多くの日本人が移住し、当時は1万人を超える日本人街が形成されていました。現在でも多くの日系2世、3世がフィリピン社会に溶け込んで生活しており、2019年10月には、同市における日本人コミュニティーの100周年を祝って、在ダバオ日本総領事館とダバオ日本人商工会議所の主催で「ダバオ日本人コミュニティー100周年記念事業」が盛大に催されました。会場となったダバオ最大のショッピングモールはフィリピン人の来場者でいっぱいとなり、当社もこの記念事業に一役買うべく企業ブースを出展させていただいたのですが、トイレに行く暇もないほどひっきりなしにフィリピンの人々から話し掛けられ、とてもうれしい悲鳴を上げていたのが昨日のことのように記憶に残っています。


同僚とマニラ湾にて(筆者:右手前)


ダバオ日本人コミュニティー


宗教


フィリピンは東南アジアで唯一のキリスト教国家といわれており、町のあちこちに古い教会があります。日曜日に家族で教会に礼拝に行くのは日常の習慣です。キリスト教はスペイン統治時代に広まり、スペインが伝えたものがローマ・カトリックであったため、今でもフィリピン総人口の9割がローマ・カトリックの信者で、法律や人々の行動規範の中にもその教えが根付いています。フィリピンの法律では離婚や中絶は認められていませんし、割礼の風習が定着していて、男子の9割以上が幼少期に割礼を終えており、これらもキリスト教の影響によるものといわれています。

OFW

OFWとは「Overseas Filipino Workers(海外に出て働くフィリピン人労働者)」の略で、世界的に知られています。フィリピンは世界最大の労働力輸出大国といわれ、国民の10人に1人に当たる約1,000万人が海外に居住しています。多くはフィリピンにいる家族に送金し生活を支えることが目的。その送金額はなんとフィリピンの全GDPの約10%に上ります。フィリピン人が最も大切にしている四つのF、それは、①家族(Family)、②信仰(Faith)、③メンツ(Face)、④お祭り(Fiesta)です。Fの一つに家族があるように、基本的に仕事よりも家族が優先で、子供は結婚しても元の家族との絆を大切にします。各家庭に平均3人の子供がおり、10人以上の大家族も珍しくないフィリピンでは、家族の中でもお金を稼げる子供たちが国内外関係なく働いて、家族を支えているようです。

二輪より四輪がメイン


ジプニー


ある統計データによると、タイ、インドネシア、ベトナムの二輪保有率が3人に1台であるのに対して、フィリピンでは12人に1台となっています。理由は多々ありますが、その一つに安価で便利な「ジプニー」や「トライシクル」が庶民の足となっているからです。日常の生活で使う場合、10−20ペソ(約22−44円)程度で利用できます。


クリスマス


フィリピン人にとってクリスマスは特別な日です。9月になると、「ああ、ついに今年もクリスマスが来たな」という会話が飛び交います。「berマンスはクリスマス!」と当地ではいわれますが、その意味は「September、October、November、December」はもう全てクリスマスシーズンというわけです。実際に9月になるとショッピングモールはクリスマスツリーやイルミネーション、ギフトラッピングなどで装飾されて、クリスマスソングが流れ、子供も大人も関係なく、クリスマスを待ちきれないフィリピン人のもどかしい気持ちが表れています。12月に入ると、ダンスや歌が好きなフィリピン人の間では友人や家族、仕事仲間たちとのプレゼント交換会やクリスマスパーティーがあちこちで盛んに行われます。

誕生日

フィリピンでは誕生日の人が周囲をもてなすスタイル。家族や友人、職場の同僚に、「来週は私の誕生日なんだ! おいしい食事と飲み物を用意するからみんな来て楽しんでくれよ!」と声を掛け、費用も基本的に誕生日の人が負担します。日本では逆だと思うのですが、フィリピンでは今年も誕生日を迎えられたのはみんなのおかげ、だから感謝の意を示す!という考え方です。

観光と地元料理

お薦めの観光地は、世界的に著名な旅行誌で世界ベストリゾートアイランドに選ばれたこともあるボラカイ島。島の西側に広がるホワイトビーチと遠浅の海が国内外の観光客に大人気です。他にも、首都マニラから車で1時間半ほど走った場所にあるヒドゥン・バレー・スプリングスも日頃のストレス解消に最適。山中の川を利用して作った天然温泉プールで、マイナスイオンに包まれます。その他、フィリピンには日本でも有名なセブ島をはじめ多くの美しい島々、歴史ある古い教会など魅力的な場所がたくさんあります。


ボラカイ島


ヒドゥン・バレー・スプリングス


フィリピン料理というと、日本の皆さんにはあまりなじみがないかもしれません。定番デザートは、常夏なので「ハロハロ」というかき氷。さまざまなバリエーションがありますが、基本的にかき氷の上に紫芋のアイスクリームやフルーツ、ゼリー、豆、練乳などの具材がトッピングされています。甘過ぎずさっぱりとした味でほっとしますし、たくさんの具材の食感を楽しめます。シシグは細かく刻んだ豚のほほ肉を豪快に炒めた料理で、ニンニクと唐辛子が効いており、ビールと合わせると最高です。その他にも日本ではなかなか見ることのない絶品ローカルグルメがたくさんあります。


ハロハロ


シシグ


最後に


日本は今後、もっとフィリピンの人材を頼って、緩やかに、赦し合う関係になっていっていいと思います。高齢化が進む日本では介護施設や病院、企業や工場など、現場での労働力確保はますます差し迫った課題となってきます。優秀な人材を確保するという点において、フィリピンの人材資源はとても豊富です。また、フィリピンは労働人口増加による消費拡大が約束されており、消費市場としての魅力も非常に大きいと思います。しかし、両国の相互交流や人材活用の現状を見ると、まだまだミスマッチな規制やシステムが多く、十分に促進されているとは言い難く、今後の飛躍的な改善を切に望みます。

最後に、絶対に忘れてはならないこととして、フィリピン全土に先の大戦の激戦で犠牲となった多くの日本人の慰霊碑があるということです。1973年にラグナ州カビンティ市にあるカリラヤ日本人戦没者慰霊園に「比島戦没者乃碑」が建立され、現在も毎年8月15日に在フィリピン日本大使館が慰霊祭を行い、多くの在フィリピンの日本企業の社員も参列しています。過去の多くの方々の犠牲の上に現在の両国の友好と発展があることを忘れず、未来に向けた新たな両国の関係づくりに小さな一石を投じてゆければと願いつつ、筆をおかせていただきます。

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