イノベーション先進都市・中国深圳の変遷に思うこと

広州伊藤忠商事有限公司
深圳分公司 総経理
石賀 隆彦

はじめに

日本のTVや雑誌、ネットメディアなどで特集を組まれるなど、すっかり話題の都市となっている中国深圳。そのサブタイトルは大半が「イノベーション先進都市」といった類いの内容となっていますね。当社も2018年4月、約7年ぶりに深圳オフィスを再設立したのですが、その狙いはまさに「中国発のイノベーションに学び、次世代ビジネスの創造・事業開発につなげよう!」という特命ミッションのようなものです。読者の皆さまの中には、深圳という街で一体何が起きているのか、その歴史も含めてよくご存じない方もいらっしゃると思いますので、できるだけ分かりやすく、当方の体験談なども交えて現地の実情や雑感をリポートしてみたいと思います。


1980年ごろの深圳市蛇口工業区。経済特区に指定さ
れた深圳で提起されたこのスローガンは改革開放を象
徴する深圳発展の起点となった


このスローガンは現在も蛇口港付近に掲げられている


発展の歴史「史上最速で発展した都市」


深圳発展の歴史は浅く、中国改革開放政策の一環で経済特別区に指定された1980年を起点に始まったとされ、1992年には鄧小平氏が「南巡講話」の一環で深圳等を視察、深圳の発展ぶりを目の当たりにして改革開放政策の加速や市場経済の推進を決定付けたともいわれています。現在は最新の統計(2018年)で深圳の居住者人口は1,300万人を超えたようですので、ほぼ東京都に匹敵する人口です。よく引用される話ですが、1970年代の深圳は人口数万人程度の漁村であったといわれ、たった40年足らずで寂れた漁村が東京都のような大都市に発展した!と考えると、こんなスピードで発展した都市は世界の歴史上存在しないともいわれています。

その発展の原動力となったのは1990年代をピークに2000年代前半ごろまで続いた来料加工を中心とした加工貿易。黄金期の1990年代は、貿易拠点である香港に近い地の利を存分に活かし、多くの外国資本を呼び込んで華南エリアが世界有数の製造拠点となった頃です。一定の中国ビジネスキャリアを持った方なら「深圳」と聞くと、この頃の製造拠点のイメージを記憶に持たれていることがほとんどでしょう。かくいう私もそうでした。


筆者近影。深圳市中心部の福田区金融街をバックに

個人的な経歴紹介となりますが、当方の海外駐在は深圳が4都市目。過去には台北、北京、香港に駐在していました。2004年ごろに初めて中華圏担当となり台湾を中心に中国大陸各都市へも出張等で出入りするようになったのですが、実は奇遇なことに、当方にとって中国ビジネスの筆下ろしとなった場所は、この深圳を含む華南エリア(深圳~東莞)だったのです。当時の華南エリアは「世界の工場」といわれた1990年代の勢いそのままに工場地帯の名残が強く、当方は主に台湾系パートナー工場での各種商談を目的に入り浸っていたわけですが、当時の中国は右肩上がりの2桁経済成長率で得体(えたい)の知れない「イケイケ」の勢いはあったものの、お世辞にも「先進的」などという言葉は当てはまらない「コテコテ」ワールドだったわけです。何がどうコテコテだったのか詳しい話は割愛しますが、当時仲間の間ではこの華南エリアを「Deep China」と呼び、来るたびにいつも、ある種の緊張感をまとっていた記憶があります。


その後、深圳市政府は、北京オリンピックが開催された2008年前後を境に、製造・加工貿易依存を脱するため、インターネット、金融、バイオ、新エネルギー等といった「戦略的新興産業育成」へかじを切ります。これらの一連の流れは、単純に人件費高騰による製造拠点の域外シフトという側面はもちろんあるものの、元々歴史が浅く、地場のしがらみも少ない深圳が持つ進取性や新たなものに臆せず適応していく文化のようなものが、この素早い政策転換の成功を確実に後押ししてきたように考えられます。事実として、新興産業への転換に合わせて深圳には、過去には見られなかった多種多様な人材流入が加速、これが後のイノベーション先進都市確立の土壌となったことは間違いありません。


イノベーション先進都市への成長


深圳市内には、イノベーションを促すさまざまなスローガンが掲げられている

このような経緯で発展を遂げてきた深圳ですが、「イノベーション(=中国語では「創新」)」という言葉が明確に意識し始められたのは2015年に李克強首相により発せられた「大衆創業、万衆創新(一般大衆による起業&イノベーションの促進)」の大号令以降といわれています。それに呼応して深圳市自身も直後に3 ヵ年行動計画を発表、2015-2017年の期間に200とも300ともいわれる多数のイノベーション関連施設が深圳市内に集中的に新設されたといわれています。

私が深圳の新たなムーブメントに気付いたのもちょうどこの頃、正直に白状すると2016年末ごろです。当時、私は香港に駐在しており、北京を中心に中国市場のIT動向を見ていましたが、深圳の新たな動向は完全に見落としていました。2017年に入り、香港から深圳へ頻繁に出向いて現地人脈開拓を開始しましたが、毎回新たな発見の連続でした。特に南山区と呼ばれるエリアは十数年前の記憶では、所々道路も舗装されていないような未開発エリアで、フェリーターミナル(旧・蛇口)に降り立つとある種の危険さえ感じるような場所だったのに、現在は整備が進み、テンセントの本社ビルをはじめとした最新の高層ビルが立ち並び、数多くのサイエンスパークや研究開発センターが設置され、街全体が丸ごと一つのイノベーションセンターのようになっているのです。深圳市は今や年間約40万社が起業し、その数は都市別では世界一といわれますが、そうした数多くのスタートアップ企業の多くはこの南山区に集中しているといわれます。スタートアップ企業だけで、東京でいえば丸の内を何個も並べたような高層ビル群を形成してしまう、こんな風景を持つ街は、世界でも深圳の南山区くらいしかないのではないでしょうか。深圳市は広いのでさまざまな地区がありますが、この南山区という場所が、私の印象ではこの10年で最も変化した場所だと思います。ちなみに当社は、新たなオフィスをこの南山区に設置することにこだわりました。


1980年代、未開拓の南山区


1990年代、区画整備・ビル建設が始まった頃の深圳市福田区


深圳がイノベーション先進都市へ成長した理由はいろいろとありますが、大きくは以下の二つが挙げられます。

(1)製造拠点時代から養われた特有かつ巨大な電子部品サプライチェーン
(2)イノベーションエコシステム(生態系)プレーヤーの集積

(1)については、電子部品集積の象徴といわれる電気街・华强北(ファアチャンベイ)という場所があります。非常に有名なので聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。ここは世界中の全ての電子部品がオーダーから2時間以内のデリバリーで全てそろうといわれ、かつて世界一の電気街といわれていた日本の秋葉原と比べても広さや流通規模は桁違いで20倍とも30倍ともいわれます。製造拠点としての工場の多くは域外に移転しても、このようなサプライチェーンは今もなおしっかりと深圳の地に残っているのです。こうした場所が何故イノベーションの源流となっているのか詳しく語り始めるとかなり長くなってしまいますので割愛しますが、深圳の古さと新しさが交差する独特な雰囲気を持つ場所ですので、来られた際はぜひ、訪問されることをお勧めします。

(2)については、イノベーションを起こすためのさまざまなプレーヤー、新たなアイデアや発想を持つスタートアップ企業自身や彼らを支援するための各種設備(コワーキングスペース/メーカースペース/アクセラレーター等)、彼らに投資を行うベンチャーキャピタルやエンジェル投資家、大企業の研究開発センター、大学の研究院などを指します。当社も4月からの現地での活動では、アクセラレーターと呼ばれるスタートアップ育成機関の方々やベンチャーキャピタルを中心に幅広く人脈開拓を続けています。

深圳では、中国企業のみならず欧米からも数多くのスタートアップや投資家が来て活動しています。しかし残念ながら日本のスタートアップの存在はほとんど見られません。深圳で有名な「HAX」というアクセラレーターには毎年世界中から約1,200社もの参加応募がありますが、日本からの応募はほぼゼロだといいます。

深圳には「来了就是深圳人(深圳に来れば皆、深圳人)」という言葉があり、元々歴史の浅い土地である故、既得権益やしがらみなく外来人を受け入れるオープンな土壌があります。日本からの参加者が少ないことは、主に日本側のマインドの問題だと思われますが、地理的にも近い日本から深圳のエコシステムに参加するスタートアップは今後確実に増えていくことでしょう。そうした流れを後押ししてギャップを解消していくことにもビジネスシーズが潜んでいるかもしれません。


深圳のアクセラレーターには世界中からスタートアップ企業が集結する(写真:HAX提供)


スタートアップ企業が自由に設備を利用できるワーキングスペース。深圳にはこのような支援設備が多数存在する
(写真:HAX提供)


日本企業として深圳でどう生きるか


統計によると深圳市の在留邦人は、5,000人を超え増加傾向にあるそうです。また、統計上の数字は持ち合わせていませんが、視察目的で来訪する日本からの出張者は、この1-2年で相当数激増しているのは間違いありません。ただし、これは深圳に限らず米国シリコンバレー等でも起きている現象ですが、日本からの視察ツアー受け入れはお断りとする現地訪問先も増えているのが実情です。日本からの視察者は本当に見物に来るだけで、何の提案もフィードバックもないケースが多く時間の無駄と思われてしまうケースが多発しています。今後視察ツアー来訪者の数がどうなるか分かりませんが、当社も来訪客を深圳の各地へ案内する機会が多いため、この点は相互に有意義な機会となるように工夫するよう心掛けています。過去に視察に来て刺激を受けたリピーターの方々が、視察をきっかけにして深圳でビジネスに取り組み始めるような事例が増えてくると好循環が生まれるかもしれませんね。

最近、日本で深圳が報道され始めたのは、中国全体におけるイノベーションの台頭、とりわけキャッシュレスモバイル決済やシェアリングエコノミーといった話題が日本でも大きく取り上げられ始めたことがきっかけになっているものと思われます。こうした一連の「中国ITスゴイ論」と呼ばれる論調のサブセットとして同時に深圳が話題になったため、日本のネット界隈(かいわい)ではさまざまな過剰反応が現れました。

(1)日本悲観論型:深圳とかすご過ぎる、日本は完全に負けたとひたすら悲観する人
(2)中国見下し型:中国がすごいわけない、やっぱり日本がすごいと現実を直視しない人
(3)実情勘違い型:中国イノベーションは深圳だけで起きていると勘違いしている人

現地に駐在している人間としては、話題にならないよりもなった方がよいに決まっており、さまざまな論調で盛り上がるのは歓迎すべきことではありますが、極端な意見や誤解に惑わされることなく、現地にいるからこそ持ち得る最新の情報を積み上げ、常にアップデートし、客観的かつバランスの取れた視点で情報発信をしていくスタンスを心掛けています。

また、深圳に対しては、その経緯から「ハードウエアの街」というタイトルをメディアは付けたがりますが、個人的にはこういうステレオタイプな印象付けはあまり好きではありません。発展の経緯や現状はそうかもしれませんが、深圳という街が持つポテンシャルは、そういった既存概念や歴史も超えていくものだと思います。例えるなら、日本の秋葉原が電気街からサブカルチャーの聖地に変貌したように、これからの深圳には、モノづくりに限らない幅広い多様な人材が集まり、新たな産業を興していくことでしょう。

既に深圳には現地に入り込んで地場ビジネスや各種情報発信を行っている素晴らしい日本人が、たくさんいます。その多くは起業されている方であったり、フリーランスに近い活動をされている方だったり、中には現地のスタートアップに一人で勇敢に飛び込むような若者もいます。このような方々を私は心からリスペクトしますし、また、うらやましくもあります。しかしながら、深圳の経済規模に比して、日本人や日本企業の現地での存在感はまだまだ小さいといえます。これからは中国発イノベーションに学ぶため、もっと多くの日本人や幅広い分野の日本企業が深圳という地に引かれて集うことでしょう。大企業もフリーランスもお互いにできる役割を意識しながら、中国企業や欧米企業ともオープンにつながり合える「イノベーションの聖地」として深圳はさらに変貌し、進化していくと確信しています。


オフィス近くの公園にて。多くの仲間と共に、この地で次世代ビジネスの開拓を目指す!

イノベーション先進都市・中国深圳の変遷に思うこと 誌面のダウンロードはこちら