第二の黄金期を迎えるポーランド

Aries Motor Ltd. 社長
Aries Power Equipment Ltd. 社長
増田 謙

はじめに


2011年6月、兼松㈱がポーランド共和国ワルシャワ市で20年以上にわたり経営する 2社、すなわちホンダのカーディーラーを営む Aries Motor Ltd. およびホンダ用汎(はんよう)製品の販売代理店であるAries Power Equipment Ltd. 両社の責任者として着任し、ここポーランドでの生活が始まった。その任期も終わりに近づいた今、自分が経験してきたこれまでの出来事やこれからのことなど、日本ではまだよく知られていないこのポーランドという国についてつづりたいと思う。


なじみのないポーランド


さて読者の皆さんはポーランドといえばどのような印象を持たれるであろうか。
何となく雰囲気の暗い国とか、25年ほど前のワレサ委員長率いる独立自主管理労組「連帯」による民主化運動に伴う国内混乱など、どちらかといえばネガティブな印象を持たれる方が多いかもしれない。私自身もこちらに着任するまでに日本で耳にしたニュースといえば「東欧に大寒波襲来で死者○○人」といった程度のもので、良くも悪くもあまり印象に残らない国というのが実感であった。

実際、日本に限らずポーランドという国は世界でも誤解されやすい。それはポーランドという英語名での発音がオランダと似ているので海外ではオランダと混同され、日本ではポルトガルと間違われることが多い。これは学校で教わる世界史を通じてポルトガルが日本になじみ深いというのがその原因であろう。
私自身もポーランドへの赴任が決まって周りの方々と話をするようになると、よく話題に上るのは「ポーランドって首都はどこでしたっけ?」(ワルシャワです)、「ポーランドって何語をしゃべるのですか?」(ポーランド語です)、「へー、ポーランド語っていうのがあるのですか。何語と近いのですか? ドイツ語みたいな感じですか?」(スラブ語族ですからドイツ語とは全く違うようです)というようなもの。おそらくこれが日本人の一般的な認識であろう。

そんなポーランドに対する日本での報道や見方が変わってきたのが2013年6月の安倍晋三首相夫妻のワルシャワ来訪以降ではないかと感じている。10年ぶりの日本国首相の訪問ということもあり日本からも多数のメディアが押し掛け、グレーのベールをまとっただけではない今のポーランドを詳しく報道するようになったからだ。また、近頃、TVの紀行番組でもポーランドを含めた中東欧諸国が頻繁に取り上げられるようになっていると聞く。日本人に欧州イコール西欧という意識が定着している中で、多くのマスコミを通して東欧を身近に感じてもらえるのは大変喜ばしいことだと思う。


愛すべきポーランド人たち


秋の訪れを告げるポルチーニ茸などのキノコ類

日本人の間でポーランドを語る際によく用いられるキーワードの一つに「親日国」というものがある。
確かに私もポーランド滞在3年半にして、日本人という理由で嫌な思いをしたことは一度もない。いや、正直に言うと一度だけ、ワルシャワの街を歩いていた時に小さな女の子が振り向きざまに両手で両目をつり上げてにらんできたことはある。これはアジア人全般に対する侮蔑を表すポーズだが、それにしてもこの程度のことである。ちなみにポーランド人というのは、良く言うと他人を詮索しない性質、悪く言うと無関心ということだが、とやかく言われることがないので心地よいと言えば心地よいが、半面少し寂しい気もしないでもない。その意味では私が若いころに研修生として1年間過ごした欧州随一の個人主義国といわれるフランスと似ているかもしれない。

ポーランドの親日の源泉は日露戦争での日本の勝利によるものではないかと思う。長年ロシアにじゅうりんされてきたポーランドにとって、辛勝とはいえロシアに勝利した東洋の小国は大変まぶしく映ったに違いない。また第2次世界大戦の結果、多くの都市が戦火で焼け野原になってしまったのも両国に共通する。
その後、ポーランドはソ連を中心とする社会主義ブロックに組み込まれ、日本は民主的な資本主義国家としてそれぞれの道を歩んできた。1980年代後半、社会主義体制が行き詰まっていく中で目覚ましい高度成長を遂げ高性能で魅力的な製品を送り出す日本を見ながら、ポーランドはどこで何を間違えたのかという思いに駆られながら、次第に日本に対するリスペクトが高まっていったとしても不思議なことではないと思う。


販売店との年次懇親会で

国家レベルから人について話題を変えよう。隣国ドイツに駐在する同僚と話をしていると、ドイツ人とポーランド人との大きな違いにいつも驚かされる。それはポーランド人の気質である。ポーランド人はあまり権利意識をむき出しにする民族ではなく、この点も日本人と非常に類似している。
例えば、ポーランド人は業務上やむを得ない場合は残業や休日出勤をいとわず、その代償を大手を振って求めないのだ。当社は個人向けの製品を幅広く取り扱っている関係でシーズン中は週末もポーランド各地でさまざまなイベントを開催するため、当然スタッフの休日出勤が多い。もちろんこの場合は法律により代休を与える必要があり、私からもいつも「お疲れさま。月曜日は代休を取りなさいね」と声掛けをするのだが、「ハイハイ、分かっていますよ」と返事をするものの、このスタッフが週明けの月曜日にしっかり出社していたりする。「どうした? 今日は休みじゃないのか」と聞くと、口ごもりながら「ちょっと片付けなければいけないことがありまして…」などと言う。この感覚は日本人と非常に似ている。彼らの仕事に対する意識の高さや責任感が、日本で経験するものと近いので大変ありがたいことだと感謝している。

日本人との感覚が似ているのは、その同質性に理由があるかもしれない。
戦前のポーランドは今の国土範囲と比べて全体的にやや東に片寄っていた。つまり現在のベラルーシの一部やウクライナ西部までがポーランド領であったのに対し(このことが現在のウクライナ紛争の火種の一つでもある訳だが)、反対に現在の北西から南西にかけての西部地域はドイツ領であった。その中で多くのユダヤ人を含む多様な民族が平和に暮らし国家を形成していた。しかし、戦中のユダヤ人に対するじゅうりんや戦後ドイツの敗戦によりドイツ人が追放されソ連領となった東部地域からポーランド人が多数流入、現在は人口の約97%をポーランド人が占めているため非常に均質性の高い国家となっている。
この歴史上の出来事が明確な理由かどうかは定かではないが、ポーランド人と仕事をしていると日本人と同じようにあまり言いにくいことを面と向かってはっきり口にしないという傾向があるようだ。もちろん、友人同士の会話や社内での営業会議などでは一つ意見を口にすると皆話が止まらず、日本人もびっくりのかんかんがくがくの議論や会話が延々と続くわけだが、こと他人に注意したり悪い評価を伝える際は相手にストレートに言うことは少ないと思う。
それを裏付ける社内でのエピソードがある。私が、上司に当たる幹部社員に「なぜ部下の彼にはっきり伝えないのか?」と問うたところ、「彼はもう大人です。そこまで言わなくとも理解しています」と言われ驚いたことがある。欧米社会ではコミュニケーションの一環として相手に伝えるべきことは言葉にして伝えなければいけないと散々聞かされていた身としてはある意味新鮮な感覚であった。


苦難の歴史


ワルシャワ旧市街の王宮広場

さて、表題の「第二の黄金期を迎えるポーランド」というフレーズは、2014年7月に英エコノミスト誌に掲載されたポーランドに関するものだ。この特集は、11ページもの誌面を割いていることからもお分かりいただけるように、ポーランド経済に着目している。ポーランドはここ数年、欧州経済全体が停滞する中リーマン・ショックの時でさえ、プラス成長を維持した唯一の国ということで注目を集め、欧州内では投資のチャンスが最も多い国という視点で早くから着目されていた。これは大変示唆に富んだ興味深いレポートであった。タイトルの「第二の黄金期」については後述するとして、第一の黄金期というのは一般的に16世紀にバルト海から黒海にかけての広大な領地を統治したヤギェウォ朝を指す。当時のリトアニア大公国と合同し、一時は欧州最大の王国として栄華を誇った歴史にもかかわらず、その後、何度も地図上から国土が消滅してしまうという悲しい記憶を持つポーランド人にとって、東欧の広大な領地を統治していた時代を今でも誇らしく、大いに郷愁を感じるようである。実際、ヤギェウォ朝以降、ポーランドに降り掛かった悲劇は惨憺(さんたん)たるものだった。それは18世紀のロシア・プロイセン・オーストリアの3国による国土分割、19世紀はロシアの勢力下に置かれ、 20世紀初頭はナチスドイツに支配されるなど枚挙にいとまがなく他国に弄翻(ほんろう)された苦難の歴史に満ちている。


インフラ投資が続くワルシャワ市内

また、欧州の歴史を語る上で不可欠な宗教的観点からみても、ポーランドは東欧にありながら幅広くローマカトリックを信仰する国である。ポーランド語表記でキリル文字を使わず、西欧同様にアルファベットを使うのはこのためであり、実際にポーランド語の中にもラテン語由来の言葉が数多く含まれている。一説には世界で最も習得が難しい言語の一つともいわれているポーランド語であるが、アルファベット表記はポーランドに住むガイジンの数少ない救いとなっている。
実際、ポーランド駐在を通して、経済、歴史、宗教、この三つを軸にポーランドについて日本の学校教育で十分に教えられることがないのは大変残念なことであると感じている。


第二の黄金期に向けて


第1次および第2次世界大戦で甚大な戦禍を被った欧州では戦後体制の再構築を目指し、1949年に欧州評議会を設立。その後 1951年に西欧6 ヵ国が欧州石炭鉄鋼共同体を設立、現在の欧州連合(EU)の礎となった。現在、加盟国はベルリンの壁崩壊以降の東方拡大も経て28 ヵ国に及ぶ。欧州内にはこれ以外にもさまざまな枠組みが設けられており、主なものは人々の自由な往来を保証するシェンゲン協定(加盟26 ヵ国)、また将来の単一市場形成を目的とした共通通貨ユーロを導入する国で形成されるユーロ圏諸国が18 ヵ国となっている。
ポーランドは現在EU加盟国であり、シェンゲン協定国でもあるが、現時点ではユーロ圏には属しておらず、引き続き現地通貨ズウォティ(ポーランド語で「金 Gold」を意味する)が流通している。2004年にEUに加盟した時点でポーランドのユーロ通貨導入は既定路線となり、もはや導入しないという選択はあり得ない状態ながら、近年の欧州債務危機の影響は非常に大きなもので、直近の世論調査によると8割近い国民が導入に反対している。当初2012年からの導入予定が大幅にずれ込み、今ではユーロ導入は早くとも 2020年ではないかと予測されている。法定通貨ズウォティを放棄するには憲法改正が必要であり、また独自の金融政策を放棄することへのハードルが国民感情として高いということは理解するものの、ポーランドに投資を行う外国人としては為替リスク・手数料が大きく低減することになるのでぜひとも早期の導入を期待したい。

8月の終わりに開かれた欧州理事会で、次期EU大統領(欧州理事会議長)に現職のポーランド首相ドナルド・トゥスク氏が選出されたことが大きなニュースとして世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。初の東欧出身者、かつユーロ圏以外からのトゥスク氏の選出に一部からは驚きの声もあったようであるが、氏のこれまでの手腕や現在EUが置かれているロシア情勢を考えれば妥当な決定ではないだろうか。かつて長きにわたりローマ法王の地位にあったヨハネ・パウロ2世もポーランド人で東欧初の法王であった。このように「東欧から初めて」の称号は多くの場合ポーランドに与えられる。トゥスク新EU大統領が12月からどのように大欧州を導いてくれるのか、ポーランドというこの愛すべき国の将来と共に楽しみに、また大きな期待をもって見守っていきたい。

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