住めば都 欧州から中国・大連へ

稲畑工貿(大連保税区)有限公司 総経理
佐藤 浩司

はじめに


稲畑工貿有限公司での会議

中国・大連は、私にとって5ヵ国目の駐在先となります。最初の赴任地インドネシアのジャカルタから始まり、いったん日本に帰国後、米国(シリコンバレー)、英国(ロンドン、テルフォード)、ベルギー(ブリュッセル)、そして中国(大連)へは3年前に赴任いたしました。
誰かによく「Bunker to bunker」と言われましたが、日頃の行いが良いのか? 米国赴任以降は日本を経由せず、ずっと外から外へと異動しております。
これだけ転々としているとしばしば「どこの駐在地が良かったか?」と質問を受けます。しかし、これが結構難しい質問で、仕事、生活、趣味等のそれぞれの視点でそれぞれの良さがあり、その都度思うところを述べさせていただいています。そこでこのたびは、ちょうど5ヵ国目となった中国・大連に赴任して感じたことをいろんな視点で書かせていただきます。

欧州駐在員からのイメージ

ブリュッセル駐在時に電話一本で「大連に行ってくれる?」と言われた時は、ショックでした。と言いますのも中国は1990年代に数回出張で来ただけで知見もなく、欧州駐在当時は、中国製品のダンピングやその影響、中国企業による欧州企業の買収、一気に増えてきていたマナーに?の中国人観光客、不法移民等悪い話題が多く、極めてネガティブなイメージに支配されていましたので。一方、大手欧州企業は、急激な成長により巨大市場となった中国をにらみ、欧州地区のリストラをしながら、同国への投資を積極的に進める姿勢が鮮明になっておりました(欧州各国の一般的な人々にとってはネガティブなイメージが大半だと思います)。当時の周りの方々も、「それは大変」、「中国はブラックホールですから吸い込まれたら出られないよ」、「Sorry for you」等々の励ましとも哀れみとも分からぬお言葉をいただき、精神的に撃沈気味での赴任でした(注:今から振り返ると、欧州の駐在員で中国経験者が少ない故の誤解を含んだ言葉だったような気がします)。

赴任して


大連市内の友好広場

赴任した直後、引っ越しの疲れから、妻はパスポートを大連の周水子空港(大連国際空港)で落としてしまいましたが、現地の係員が丁寧に対応してくれ、しかも落し物として保管されており無事手元に返ってきました。ここから、イメージが変わり始めました。なぜなら、欧州はどの国もスリが多く、警察に届けても流れ作業的に通り一遍の対応をされ、まず返ってくることはありません(経験あり)。
大連の良い面を端的に言えば、「便利」、「安全」、「生活しやすい」でしょうか。まず、驚いたことは、社内も含めレストランや通常の生活で日本語が使えることです。これまでの駐在拠点ではあり得ませんでしたが、大連は日本語人材の層が厚く、日本の地方都市との交流(福岡県北九州市、京都府舞鶴市と友好都市)も活発で、日本語能力試験N1の受験者数は中国の中で突出して高いとのこと。また、大連には東北3省の在留邦人、日系企業の8割が集まっております。日本商工会の会員数は上海に次ぐ規模であり、アジア地区でもバンコクに次ぐ3位の規模で、活発に運営されております。さらに、大連市の外資投資累計(2013年末)では、日本のシェアは件数で、30.1%で第1位。実行額累計では18.4%を占め香港に次いで第2位で、中国の中で日本および日系企業のプレゼンスがこれほど高い都市は他にありません。その意味では、中国の中でも日系企業にとって極めてビジネス上便利な拠点といえるでしょう(現在は約1,700 社の日系企業があり、日本人約6,000人)。

経済環境


大連日本商工会の賀詞交歓会

歴史的には日本との関係が深く、気候も穏やかで風光明媚な大連。世界と中国東北部をつなぐ海の玄関口として、改革開放経済の下、日本を中心にする外資を導入し、目覚ましい経済発展を遂げてきています。2014年8月に従来の東北振興策を強化・徹底する国務院の方針が発表されています。
確かに、東北3省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)は他の中国の地域より規模、伸び率も小さくビジネスの難易度は高いかもしれませんが、それでも人口1億人以上を擁し、車両の生産台数も300万台を超え市場は拡大していますので、伸びない他国の市場よりははるかに可能性がある有望な市場だと考えています。また、何よりも日本に最も近い主要都市で、飛行機で関西空港まで2時間20分前後、成田空港まで3時間です。ソウルまでは1時間20分程度ですので、地理的条件としては極めて日本に近く便利ですし、潜在的な可能性は高いと考えています。

食は文化なり

さて話は食に関してですが、私は好き嫌いがなく、比較的なんでも食べられることから、赴任地や出張先で地元の食材を食べることを一つの楽しみにしています。インドネシアのナシゴレンから、米国のステーキ、英国のイングリッシュブレークファスト、ベルギーのムール貝、チョコレート、イタリアやフランスの田舎料理やワイン、サラミなど各国での好物を挙げればキリがありません。ここ大連では、ちょっとした昼食で食べる餃子、包子(バオズという肉まんサイズの餃子)、ガーダータン(中華風すいとん)が好きでよくお世話になっています。大連に来て驚いたことは、食材が豊富だということです。中華料理でも海鮮は大連の名物ですが、日本の食材も豊富にあり、日本なら高級魚のヒラメ、メバル、アイナメ等の刺し身からウニやアワビの刺し身まで新鮮で種類も多く美味です。上海の日本料理屋でも新鮮な魚は大連産と称して出すくらい大連がブランド化しています。
欧州でも新鮮な魚を求めてマルシェの魚屋さんにはよく行きましたし、当時それなりに満足していましたが、大連の方が、圧倒的に種類が多くかつ新鮮です。
ある本に書いてあったのですが、食を物資と見なす国と食を文化と見なす国があるとのこと。食を物資と見なす国の代表はジャンクフーズを発明した国を筆頭にその祖先のゲルマン系の国々が中心となります。一方、食を文化と見なす国は、日本、韓国、欧州のラテン系の国々、そして何よりこの中国を食文化大国として紹介していました。まさに中国何千年の歴史の中で、多くの異民族の料理文化を取り入れた、いわば雑食の文化が長い歴史を経て発展してきたためでしょうか。その特色の一つに、早くから庶民の食文化も高い水準に達していたということで、古くは孔子なども結構グルメで「食ノート」を書いたそうです。孔子というと紀元前の春秋戦国時代の人。もうこのころから中産階級はかなり豊かな食生活をしていたようで、外食文化も早くから発達していて、レストランも漢の時代からあったといわれています。フランスでレストランが出てきたのはフランス革命後の18 世紀末から19世紀です。つまり産業革命により欧州が豊かになるまでは世界経済の中心は中国とインドが占めており、中国は昔から大国であり豊かだったようです。1820年の世界GDPに占める中国のシェアは32.9%、インドが16.0%で、この2ヵ国で世界の48%を占めていたことになります。


海腸(ハイチャン)








話は大連の海鮮に戻りますが、大連に来た当初、個人的にあまり目にしたくない食材がありました。大連では地元の料理として好きな方が多いようですが、「海腸」と書いてハイチャンと呼びます。韓国ではユムシと呼ばれるその食材はミミズのオバケのような見た目がとてもグロテスクで、見た瞬間一気に食欲を失っておりました。しかし地元の人たちが美味だと喜んで食べる姿に引きずられ、勧められるがままにいざ食べてみると、イカのような味で悪くない味だということが実感でき、まさに食わず嫌いを克服することができま し た。これも中国の長い食文化の歴史の中で生み出された料理の一つでしょうか? 

皆さんも機会があれば元気な海腸の姿を観察してから!?ぜひご賞味されてみてはいかがでしょうか。



お酒もそれぞれの国で堪能し、欧州駐在時代、妻がワインにのめり込んだのをきっかけにワインを求めて欧州各地の旅行をしておりました。中国もワインブームのようで煙台など良質の国産ワインを造る地域も出始めているようですが、中国といえば、やはり白酒でしょう。特に東北の方は男女関係なく強いようで、赴任以来毎年1、2回意識がなくなり、社員に家まで送り届けてもらっています。そうした苦い経験からも赴任以来白酒をおいしいと思ったことはありませんでしたが、最近になって一つおいしい?と思える白酒ができましたのでご紹介させていただきます。中国五岳の泰山のことを意味する名前で「五嶽独尊」。独特の強い臭いがなく味もまろやかで非常に飲みやすい白酒です。白酒は苦手だと思い込んでいる方もぜひ一度試してみてください。


五嶽独尊

最後に

よく中国の他の地域の駐在員に、大連は良いところと言われます。大連赴任の内示をいただいた時も「大連は住みやすくて良い所」と言われたと思いますが、当時の私の理解は「大連=中国」でショックでしたが、今は「中国を代表する良い都市大連」との認識で、赴任地としてはラッキーだったと思えるようになりました。
東北の人柄も他の地域と少し違うようです。私が担当している現地法人は、商社兼プラスチックコンパウンド工場の兼業形態で、これまで担当した現地法人の中で最も社員数が多いのですが、中国の南の地区と比較すると定着率が圧倒的に高く、人間関係が良い意味で濃いような気がします。2015年1月には老齢80を超えた私の母を大連に連れてきたのですが、プライベートで社員と一緒にハルピンの氷祭りを見に行くことができました。本来私が面倒を見ないといけないのですが、老人を大切にする慣習があるのか、率先して面倒を見ていただき、マイナス30度ぐらいのいてつく環境で、美しい氷の彫像を一緒に楽しめたのはとても良い思い出になりました。
多忙にかまけてあまり中国語含め中国自体の勉強ができていませんが、地理的な条件、人材、食材・料理、環境からまだまだビジネスの可能性もあり楽しむことが多々あると感じておりますので、今しばらく大連の地から踏み込んで中国ビジネスに取り組むとともに、中国の生活を楽しむ勉強をしていきたいと考えております。
どの国どの町も住めば都! インドネシアに始まり5ヵ国の駐在地を経てたどりついた「どこの駐在地が良かったですか?」に対する私なりの答えです。

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