バングラデシュ 大いなる可能性を秘めた国

ナガセシンガポール
バングラデシュ事務所 所長
柳原 農一

白紙からのバングラ



国会議事堂と筆者


バングラデシュに事務所を開設してほしいとの要請・アサインを受けて、はや3年半、自分としても、全く白紙の状態からスタートしたのですが、ようやく事務所としての活動も本格化した中、本欄の執筆を依頼されましたので、振り返ってみる形で、筆を執りました。

アサインされた理由が、昔、インド、パキスタンによく営業で出張していたこと(そのたびに太って帰国)、染料・染色について熟知していたことから、バングラデシュで縫製産業の前段階である、染色・仕上げ加工のサポートを任せても問題ないだろうということでした。主に日本から進出され製造や製造委託をされている縫製品の機能性を付与する薬剤手配のサポートができればと思って日々奔走しております。


バングラデシュの概要・歴史


火災樹

年配の方はバングラデシュより東パキスタンと学習され、英国領より独立する際(1947年)にヒンズー教はインド、仏教はスリランカ、イスラム教はパキスタンと中学時代の地理とか歴史で習われたのでは。
そのためか、ベンガル湾地域において、イスラム教であるバングラデシュは、西はカルカッタ(今はコルカタ)等、北東はアッサム(高原で紅茶で有名)等のインドのヒンズー教圏に囲まれ、南端部の一部のみがミャンマーの仏教圏と接しています。
パキスタンからの独立戦争(1971年)の動機は、西パキスタンの公用語(ウルドゥー語=ペルシャ文字に近い)を押し付けられるのに反対して、伝統のベンガル語(ヒンズー文字に近い)を守るためだったそうです。
でもあいさつは「アッサラームアライクム」と同じです。
商業活動は基本的に英語で問題ありませんし、インドほどなまりが強くなく聞きやすく感じています。狭いが平坦な国土(北海道の2倍弱)に1.5億人(世界で8番目)が住み、米は豊富(年2-3回収穫)で食べるには困らない国ですのでのんびりしていたといわれていますが、今後は近代化に伴い、購買力が上がっていき、若年労働者の多い伸びしろの大きな国とみています。


対日感情は大変良い


リキシャ


日本に対しては、非常に友好的(パキスタンからの独立の際にインドと同じく最初に国連での承認に賛成してくれたことや、ODAの援助も多いことから)で、そのためか現在の国旗は日本の国旗をまねたような、緑の下地に朱色の日の丸となっています。バブルのころには多くのバングラデシュ人が日本へ働きに出掛けていたこともあり、日本で4-5年働き小金をためて、そのお金でアパートを建てて家主として悠悠自適の生活をしている人も多くいます。
ただ非常にプライドが高い国民性であることをいろいろな面で経験しましたので、その辺りは日本の常識では通らないところはありますから要注意です。アポイントもドタキャンは常で、渋滞を理由として30分-1時間遅れは誤差範囲内です。最近ではそれが一般的と割り切って腹も立たなくなりました。


食べ物等 日本のカレーの原点


日本のカレーライスの原点はここだと思いました。主な地元の料理はいろいろなカレー(豚以外のマトン、チキン、エビ、野菜等)をご飯と混ぜて食べる。インドやパキスタンのような小麦で作ったナン等はあまり見掛けません。味も辛さも抵抗なく、出張者の方も食べ物にはカレーが苦手な方以外なら困りません。揚げ物が多いですが、油もヤシ油ではなく大豆油が主体です。それとフライドチキンはおいしいです。KFCもありますが、バングラ・ブランドがスパイシーで病みつきになります。
東南アジアと違い、お酒は現地人向けには禁止で、高級ホテル等以外では持ち込みで飲酒することになります。パスポートがあれば自由に酒類を購入できる店が2-3軒ありますので、皆で持ち寄って乾杯です。
いわゆるAfter 9のお店はないので、日本時間(時差3時間)に合わせて無理なく(9時消灯、5時起床)仕事をすることができます。


ファッション


女性を街中でもよく見掛けますが、服装は明るく、イスラムでありながら、女性はかぶり物もファッション的なショールみたいな感じで、マレーシアやインドネシアの女性のように無地でしっかり頭を包む感じではありません。
パキスタンでは女性が外にいる場合はほとんどが黒か、白のブブカですっぽり覆っており、男性も民族衣装的なダバダバ服ですので、一層バングラデシュには親しみを感じています。バングラデシュの男性は綿100%の濃い色のカラー柄シャツのジーパン姿が多いです。
縫製工場から一斉にお昼時に外に出てくる女性のファッションもほとんどが原色に近いプリント柄の民族衣装で、ほとんど他の女性とかぶる(重なる)柄を見掛けないことにも驚きます。日系の工場(制服着用)以外は、ほとんどがこの平服のままでの作業です。女性はほとんどがこの民族衣装的服装ですし、結婚式などはもっと豪華なサリーを着用します。在バングラデシュの日本人女性もこの民族衣装がお好きです。


昼休み


イスラム圏だから当然ラマダン(断食)


交通手段

完全太陰暦で毎年11日前後早くなっていき、2014年は世界的には6月28日から7 月27日までとされていますが、バングラデシュでは6月29日の夜から7月28日まででした。バングラデシュだけになってきたようですが、イスラム教の高僧が月の満ち欠けを実際に目で見て判断するとかで、ラマダンの開始日は直前まで決まらない(2014 年は1日遅れた)わけです。雨期で月が見えないのにどうして決まるのか不思議な感じはしますが、1-2日前に最終的に新聞などで発表されて決まります。
ラマダン中は就業時間が朝1-2時間早くなり、終業時間は昼休みがなく、午後は効率が悪くなるとかで1.5時間から2-3時間繰り上がります。お祈りの時間(1時ごろの15分程度)は確保する必要はありますが。早く帰ってイフタール(日没後にまず甘い飲み物とお菓子などで軽い食事をする=まさに Breakfast)を楽しむためとか。続いて普段より多く、豪華な夕食に続いていくそうです。だからラマダン中は経済活動が鈍り気味で開発案件は進まなくなりますが、消費はラマダン休暇に向けた買い物も含めて活況です。夜はお祈りを確実に実行(1日5回)する必要があり、朝は日昇直前の食事ではなく、4時ごろにたっぷり食べ少し寝てから出勤です。どうりで金持ちは肥満になるはずです。
2014年はサッカーのW杯も重なって夜は騒がしくなっています。なぜか町中にブラジルとアルゼンチンの国旗がはためいていました。クリケットの次に人気のスポーツですが、決して強くはなさそうです。
ラマダンが終わるとイード休暇で、日本の正月や東アジアでの旧正月と同様です。この後2 ヵ月後に犠牲祭(豊かな人が牛やヤギ等を家の前の路上で食肉処理して近所に配ったり、貧しい人に施しとして分け与えるため、町中が血の海となる)のイード休暇もあります。どちらも実際の祝日は2-3日ですが一般には前後1-2週間は休業状態になってしまいます。


政情含め最後に


バングラデシュでは、2013年は世界的にもニュースになった、縫製工場ビルの崩壊事故やその後の5年に1度の国政選挙に向けた与野党の駆け引きでハルタル(ゼネストみたいなもので暴動も伴う)が頻発して経済が停滞しましたが、2014年初めの選挙は結局野党がボイコットをしたため、与党は粛々と選挙を実施して圧勝し結果的には政権が安定して強権で野党の活動を抑え込んでいるようで、政情・治安が意外に安定しています。
タイの政治構造・動きとよく似ていますが、日本ではどうしてもタイの報道の方が多くなっているようです。
5月にはハシナ首相(女性)が公式訪日し、その返礼も兼ねて安倍首相の訪バが予定されており、日バの経済交流が一層増えていくと大いに期待できる状況になってきています。
投資環境も一層改善されていきますので、この機会にバングラデシュをいま一度見直していただき、関心を持っていただければと願う次第です。

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