ウズベキスタン「シルクロードの親日国」

丸紅タシケント出張所
所長
藤井 康彰

はじめに


私がタシケントに赴任したのは2014年4月、それからまだ半年とたっておりませんが、これまでの雑感も交えてウズベキスタンのことについて触れさせていただきたいと思います。
中央アジアというだけあり、ウズベキスタンもアジアの一国といえますが、残念ながら多くの日本人にとってはまだまだなじみが薄く、遠い異国と映るのではないでしょうか。当地への駐在辞令をもらった後、社内外の知人にその旨を伝えても、「ところでウズベキスタンってどこにあるの?」とか「首都は何ていうところ?」といった質問の連続で、いかに一般の日本人の間でウズベキスタンの知名度が低いかをあらためて痛感させられました。当地に駐在する日本人で「この国のことを日本の皆さんにもっと理解してもらう必要がある」と思っているのはきっと私だけではないでしょう。


ウズベキスタンとは?


ヒヴァのイチャン・カラ(世界文化遺産)内の風景

ディーニャの売り場の風景


ということで、まずは簡単にウズベキスタンのことを紹介させていただきます。ウズベキスタンは中央アジア5 ヵ国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタン)の一国ですが、その中では 3千万人と最大の人口を有し、しかもその約 60%が25歳以下と若者が多い国です。旧ソ連崩壊後、国として独立したのは1991年ですので、そこから数えるとまだわずか23年にすぎませんが、南北を流れるアムダリア川、シルダリア川に挟まれたオアシス、古くからシルクロードの中心地として栄え、日本に勝るとも劣らぬ長い歴史と文化を有した国で、国内に4つの世界遺産もあります。内陸地なので寒暖の差が大きく厳しい気候ではありますが、果物や野菜が大変豊富で、季節ごとに台所をさまざまな色彩でにぎわせてくれます。今がちょうど旬ですが、ディーニャ(ウズベク産のメロン)などは絶品ですのでぜひ日本の皆さまにも一度は食していただきたいものです。
基本的にはムスリムの国ですが、中近東諸国と比較するとそれほど宗教色は濃くなく、原則お酒は自由、料理にも特段の制約はなく、新鮮な海鮮物が手に入らないことを除けば食については比較的恵まれていると感じます。定住農耕型、またアジア人としてのメンタリティーも手伝ってでしょうか、一般のウズベキスタンの人々は概して親切で温厚、基本的にはとても真面目で、老若男女を問わず勤勉でよく働きます。また、ウズベキスタンは天然ガス、金、ウラン等の天然資源にも恵まれており、中国をはじめとする周辺国への重要な資源供給地としても注目されていますが、近年では毎年安定して7-8%の経済成長を遂げています。


ウズベキスタンの問題点

上記だけ読むと「ウズベキスタンってとても良いところじゃないの?」との印象を与えるかもしれませんが、問題点も少なくありません。経済の面ではいまだに旧ソ連時代の負の遺産も背負っており、行き過ぎた管理社会の悪い側面がまだ多く残っています。仕事の上でも私生活においても許認可の取得等では非常に複雑な手続きや制約に悩まされることが多く、ちょっとしたことを進めるにも莫大な時間と労力を割くことが決して少なくありません。また、外貨のコントロールが異常といえるほどに厳しく、外貨換兌(だかん)や海外への外貨送金の問題はビジネスを推進する上での大きな障壁となっています。
政治は安定しているものの、独立以来、今日に至るまでカリモフ大統領が継続して大統領職を務めている独裁体制であり、76 歳の高齢となった大統領の後継者が誰になるのか、政治体制が今後どのように変わっていくかは当地でビジネスを行う誰もの関心事となっています。例えばですが、もしも何らかの事象をきっかけにイスラム過激派の侵入を許すようなことがあると、国自体が大変な状況に陥る可能性があるとの見方もあります。当地で長期にわたってビジネスを行う観点では、この辺のリスクをどう捉えるかも重要になります。


ハズラティ・イマーム・モスク


古代ホレズム王朝時代のカラ(城市)遺跡


聖ウスペンスキー主教座大聖堂


ウズベキスタンの一般事情


ウズベキスタンの気候
典型的な内陸性の気候なので夏場は非常に暑く、40度を超える日が続きます。突き刺すような日差しがとても厳しく、直射日光の下に長時間いると体力に自信のある人でも結構きついと思います。ただし、非常に乾燥しているため日本のようなじっとりした暑さではなく、汗かきの私でも汗だくにはならず、一度日陰に入れば十分辛抱できます。一方、降雪量はあまり多くないものの、冬場は結構寒く、マイナス20度程度にはなるそうです。従い、もし当地にお越しになられるとすれば日本と同じく春か秋がお勧めかと思います。


クダルカシュ・メドレセ(神学校)

ロシアとの関係
ウズベキスタンは多民族が住む人種のるつぼとの印象がありますが、民族構成としては約8割がウズベク人、公用語はトルコ語系のウズベク語になります。ただし、ある世代以上はロシア語教育を受けているため完全にロシア語を解し、特に首都のタシケントではどこに行ってもまずロシア語で言葉は通じます。私の事務所にはウズベク人とロシア人のスタッフがおり、私も通常はロシア語で会話を取っています。しかし、ウズベク人同士だと当然ウズベク語での会話になることも少なくなく、そうすると途端に私には理解できなくなってしまうのですが、これはロシア人のスタッフとて同様です。旧ソ連時代にはウズベク語の表記はそのほとんどがキリル文字だったのですが、国策により今ではその多くがラテン文字に改められています。
また、昨今はロシア語教育を受けていない子供も出てきているなど、一時に比べると国内におけるウズベク語の比重がより高まっているように感じられます。旧ソ連時代にこの国を実質的に開拓したのはロシア人ですし、今でも5%の人口はロシア人が占めていると聞きますが、年々ロシアに移住するロシア人も増えており、ロシア人の数が減少傾向にあるのも注目すべき点かもしれません。ウズベキスタンとロシアの間に際立った民族問題等が生じているわけではありませんし、ロシアとの関係は切っても切れぬものであることに違いはないでしょうが、将来ウズベキスタンにおけるロシアの影響がどのように変化していくのかは個人的にも関心があります。

通勤と治安
ムスリムの国ですが一般の企業では日本と同じく月曜から金曜が就業日で土・日が休日となっています。当社事務所の就業時間は9-18時で、13-14時の1時間が昼休みとなっていますが、イスラム教のお祈りの時間とかいったものは一切ありません。私自身は仕事の都合で多少早く出社することもあれば、少し遅めに帰宅となることもありますが、現地のスタッフは特別な事情がなければこの時間内できちんと仕事を済ませます。こちらにいる日本人駐在員の大半は運転手を使って車で通勤しているようですが、私の場合は前任者から引き継いだ社宅が事務所に近いため、毎日徒歩で通っています。東京勤務の時分と比べると通勤時間が短くて済むのは助かります。
また、平素より身の安全に気を付けてはいますが、警官が街中のあらゆるところに配置されていることもあって治安はとても良く、人通りのある道を歩いている限りは身に危険を感じることはほとんどありません。家族を帯同している者としてはその辺に余計な心配をしなくて済むのはありがたいことです。日本人の間ではどうも「~スタン」と付く国は危なくて怖いというイメージを抱く方も多いようですが、ウズベキスタンはとても平和で安全なところです。

買い物・食生活
今回当地に駐在してやや驚いたのは、小奇麗なスーパーマーケットやレストランがたくさんできていることです。ここ数年の間にかなり数が増えたようですが、正直これはうれしい誤算でした。いずれもそれなりにもうかっているのだと思いますが、私が数ヵ月駐在している間にも新しいお店がどんどんオープンしており、一般消費が伸びていることを感じさせます。
日常の買い物の場としてのバザール(=フリーマーケット)が依然として市民の重要なスポットであることに変わりなく、こちらも日々多くの人々でにぎわっていますが、最近では利便性や衛生面等を考えてスーパーマーケットで買い物を済ます人も増えており、時間帯によってはレジで行列ができています。多少調べてみましたが、物の値段はバザールで買ってもスーパーマーケットで買い物をしてもさほど変わりません。
ちなみに私の家では食材を含む日常生活品の買い物の主役は妻ですが、品質重視ということで今のところは両者を使い分けています。ただし、スーパーマーケットとは違い、バザールで売られている野菜や果物は売り場で値段が付けられていないことが多いため、都度売り子の人に値段を聞いてお金を払います。また、外国人と思いきや高値を吹っ掛けてくることもたまにありますが、そういった際には値引き交渉が必要となります。商売好きなシルクロード商人の血を引き継いでいるのでしょうか、ウズベク人はそういったやり取りがどうも大好きなのですが、それは今も昔も変わりません。なお、日本人感覚で言うと、当地産の野菜や果物は総じて品質も良く、値段も安いのでお得感はありますが、輸入品に関しては輸送費が高くつくため、ロシアからのものも含めてかなり高めで、物によっては日本よりもずっと高価なこともあります。
レストランについては残念ながら和食の店はほぼ皆無ですが、韓国、中華、イタリアン等の選択肢もあり、取りあえずは大きな不自由はありません。また、地元のウズベク料理もプロフ(肉、野菜を混ぜた炊き込みご飯)、シャシリク(肉の串焼き、ビールに合います)、ラグマン(日本のうどんと似た麺に肉と野菜をぶっかけたもの。麺はしこしこしていておいしい)など代表的なものは比較的日本人の口には合うので、初めて当地に出張で来られる方には一度は試してもらうようにしています。


バザールの様子


スーパーマーケットの様子

ラグマン


当地の日本人について


日本人墓地墓参の様子

現在120-130人ほどの日本人がウズベキスタンに在住していますが、その大半がボランティアを含むJICA(国際協力機構)関係者の方々であり、民間企業の駐在員は両手で数えられるくらいしかいません。従い、当地での日本人同士の付き合いもおのずと濃厚なものになりますが、非常にアットホームな雰囲気のコミュニティーが形成されています。
他方、隣国の韓国は当地でのビジネスにも大変積極的に取り組んでおり、当地の在留韓国人は数千人と日本人の数をはるかに上回っています。また、中国人もここ数年で急増しています。必ずしもこれらの国々にライバル意識を持って張り合うということではありませんが、やはり数は力なり、日本とウズベキスタンの関係をより拡大・発展させるべくより多くの日本人が当地を訪れ、徐々にでも駐在員も増えたらいいなと思う次第です。
第2次世界大戦後に多くの日本人がソ連に抑留され、ウズベキスタンにも約2万5千人が捕虜として連行されましたが、強制労働により多くの方々が当地で亡くなり日本人墓地で眠っておられます。当時、捕虜の身でありながらも日本人としての誇りを捨てなかった先人は、ウズベキスタンの地で非常に頑強でデザイン的にも優れているとして知られるナボイ劇場をはじめとする建築、多くのインフラ整備を進めました。
そのような背景もあり、ウズベク人は今でも非常に親日的で、日本の技術や文化を高く評価しており、日本への留学生も年々増加、多くのウズベク人が日本語や日本のことについて学んでいます。当地では夏場に日本人会にて日本人墓地の墓参を行っていますが、両国の友好関係の歴史が先達のそれら日本人によって支えられていることを忘れてはなりません。
紙幅に限りもありウズベキスタンのことを十分紹介できたとは言えませんし、自身ももう少し勉強してこの国の良い部分を日本の皆さまに伝えていければと思っておりますが、本稿が少しでもこの国のことに関心を寄せていただくきっかけとなれば幸いです。

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