愛すべき国と民、ミャンマー

アジア大洋州住友商事会社
ネピドー出張所長
倭 昌輝

私は、これまで、1987年を皮切りに、計3度、通算9年、ミャンマー最大都市ヤンゴンに駐在し、さらに4年間、毎月1週間ヤンゴンに出張していた。そして今回は、2012年から、新首都ネピドー(2006年にヤンゴンから移転)に勤務している。
このたび、寄稿の機会を頂戴したので、せんえつながら、ミャンマー人の文化的特性、つまり、長い歴史の中で、彼らが国造りをし、社会を形作ってきた基本的精神とともに、何故、彼らがわが国との親和性が強いのかという点について、私論を述べさせていただきたい。ただし、私が直接触れ合ったミャンマー人は、都会に居住するビルマ民族の官僚や実業家、つまり、国民全体から見ればかなりのインテリに属する人たちに偏っている。今では、学者の方々が、ミャンマーの農村を含めた庶民からビルマ語で広くかつ直接入手された情報に基づく、素晴らしいミャンマー文化論の本がたくさん発行されているが、私の主張は、彼らの説明から少し逸脱している面もあることを、ご容赦願いたい。それは、いわば、「学術書」と「小説」の違いに似ているかもしれない。


言葉の類似性


まず、言葉である。ビルマ語は、膠着(こうちゃく)語といって、助詞を使って名詞の機能(主語なのか目的語なのか等)を決める言葉で、同じ膠着語である日本語・韓国語と文法が酷似している(私は学んだことはないが、トルコ語もそうらしい)。ミャンマー人が、英語が通じにくい日本に行くと、半年もたたないうちに流ちょうな日本語を話し始める。例えば日本語では、「行きます」と「行きません」との違いは、文の最後になるまで決まらないが、ビルマ語もほぼ同様である。そして、ともすれば、最後まで言わずに打ち切ろうとする傾向がある。風邪で熱があるので、早退したい場合、英語なら、「早退させてください。熱があるので」と言うのが普通だが、典型的ビルマ人紳士は、「熱があって」までしか言わない。あるいは、それさえも言わずに、上司の前でせきをして、上司から「どうした? 顔が赤い。午後は帰ってもいいぞ」と言ってくれることを期待する。つまり、「言わなくても、分かってほしい」という文化で、日本人には、思い当たる節があるはずである。言語の類似は、単なる偶然ではなく、文化そして心根の類似と裏腹だ。


上座部仏教の影響


ミャンマーの仏塔

次に、ミャンマーでは、人口約5,100万人のうち、仏教徒が9割を占めており、皆、極めて虔敬(けいけん)である。ある統計によると同国の寺院数は、約5万7,000との由だが、これは、人口が同レベルである隣国タイの、約1.6倍である。僧侶(比(び)丘(く))の数は、タイとほぼ同じ25万人だが、20歳未満で比丘になれない見習僧(沙弥(しゃみ))の数は、実にタイの4倍以上の30万人に上り、日々修行している。ちなみに、重要な祝日の大半も仏教に根差している。日本でも神社仏閣は人々の集う場所ではあるが、ミャンマーでは、日常生活において若者から老夫婦までが、心の安らぎを得るために、長時間たむろする場である。
そして、ミャンマーの上座部仏教は、バラモン教の影響らしいが、輪(りん)廻(ね)転生を本気で信じている。つまり、前世の自分の行いが、現世での自分の幸・不幸に大きく影響しているので、例えば、誰かにだまされたり、嫌なことをされたりしても、少なくとも理性では、その相手を恨むということをせず、「起こってしまった過去のこと」、「仕方のないこと」として冷静に受け止めようとする。
第2次世界大戦当時、逃げる日本兵を、同国の多くの貧しい農民が、危険を冒してかくまったことは、よく知られているが、国としても、戦後の日本との戦後賠償金交渉を真っ先に妥結し、ビルマ米を優先して供与して日本人を飢餓から救ってくれた。その後、鎖国的なビルマ式社会主義の時代も含め、ずっと日本とは友好関係を続けたことにも、その「恨まない」姿勢が生き続けている。
同様に、ミャンマー人達は、現世での行いが、来世、どういうところに生まれ変わり、どういった人生を送るのかについて、大筋を決めてしまう、と信じている。自分の利益のために人殺しをすれば、来世で確実に地獄に落ちるし、自分の欲望のために盗みを働いたりして、他人を苦しめれば、餓鬼道に行く。耳が痛い話だが、欲に任せ暴飲暴食や、感情を表に出したりしていれば、たとえ他人を悲しませることがなくても、畜生道に生まれ変わる。そうはいっても、普通、過ちを犯すし、他人に迷惑をかけることもあるのだが、来世も人間に生まれ変わるためには、そういった悪行を補って余りある善行を積まねばならない。
英国のチャリティー団体が行った調査における「世界寄付指数」の2014年版によると、ミャンマーで「数ヵ月以内に宗教団体・政治団体・慈善団体等に寄付を行った」人は、実に91%で、ダントツの世界一(2位はマルタの78%)だった由。寄付以外の人助けやボランティア活動を含めた総合指数順位でも、 64%で、米国と並ぶ首位。これぞ、上座部仏教の影響であろう(ちなみに、日本は、総合指数26%で、90位だそうである)。


パゴダ

実は、「人を悲しませた」罪を補うための善行としては、仏塔(パゴダ)や寺院への寄付以上に、「人を幸せな気持ちにする」ことこそ最適なのである。ここでいう「人」とは、自分の回りの家族や友人、職場の仲間等、自分の身の回りにいる人たちを指す。このため、とにかく楽しい時も困った時も、笑顔を振りまくことになるので、「交渉する」ことは苦手である。
仕事の場においても、敬虔かつ紳士的なミャンマー人は、会話を行っている今の場の雰囲気を悪くするようなことは、口に出せない。これは、「NOと言えないミャンマー人」、つまり難しいことを取りあえずいったん引き受けた格好になり、結果として「できないことが多いミャンマー人」という印象を抱かれる原因になっている。彼らが期限通りに仕事を終えられないことがあっても、単に「楽観的過ぎる」とか「のんきだから」というのではなく、彼らが「優し過ぎる」から、最初に明確に断れなかっただけなのである(ミャンマー人に、何らかの仕事を頼む際に、期限を守ってくれる確率を一気に高める秘訣がある。これは私見であるが、理屈をこねるよりも、その人が期限を守らない場合に、いかに、あなた個人が窮地に陥るか、つまり、悲しい思いを強いられるか、ということを、それとなく伝えることである)。


ミャンマーの現政権


そのようなミャンマー人たちを統治している現政権は、その大半がテイン・セイン大統領を含む元国軍幹部で構成されており、以前の軍事独裁政権とつながっていることから、彼らに対する批判的な声も多い。ただ彼らも、ほとんどは大変敬虔な仏教徒である。つまり、国のために懸命に戦い、時には仏教の教えに反することさえも実行してきたことで、来世で「地獄」に落ちるかもしれないという不安・恐怖を抱いており、その罪を補うために、善行を積みたいという気持ちが、人一倍強い。その裏返しとして、国のために自らの来世を危険にさらしてきたという自負もそれ以上に強い。ともすれば優柔不断なミャンマー人の文民に任せきりにせず、自分たちが責任を持って決断していかねばならない、という強い意志もある。
実は野党のスーチー氏も、それを重々理解しているので、彼女とて、現政権の実績を全面的に否定するような憎しみあふれる発言は決してしない。また日本政府関係者もその点を十分理解しているからこそ、現政権下で、他国を圧倒する協力関係が急速に構築されたのだと思う。そして、来る総選挙において、現与党USDPあるいはスーチー氏率いるNLDいずれが、政権を握ったとしても、わが国は、現在の友好関係を引き続き維持・促進できるのである。


平等主義の伝統


首都ネピドーの国会議事堂

話を一般的ミャンマー人の共通した心情面に戻す。ミャンマー国民の8割を占めるビルマ族の名前だが、例えばアウン・サン・スー・チー氏の名前は「アウン・サン」が姓、「スー・チー」が個人の名前だと誤解されやすいが、実は、全てが彼女だけのためのギブンネームである。つまり、「家」や「家系」という概念がなく、「家に属する財産」というものもないので、「家を長男が継ぐ」という発想もない。記録の残っている11世紀のパガン王朝時代から、親から子への財産相続は、兄弟姉妹間での平等分割が大原則であり、また、官職の世襲というルールもない。そうなると、日本の藤原氏のような大貴族や、殿様よりもお金持ちの大庄屋、みたいなものは生まれ得ない。
ある本からの受け売りではあるが、王朝時代には、度重なるタイとの戦争の後に連れてこられた同国兵士と、犯罪者や破産者などが奴隷にされたが、それは一代限りの話で、その子供たちは普通の平民として扱われたそうである。そもそも原始仏教は、バラモン教のカースト制度を否定し、カーストにおける最上位にある聖職者を、全面的に在家からの布施に頼らねば生存できない立場に置いたところから始まったといえるし、その直系の上座部仏教を国造りの柱としてきたビルマ民族なのだから、当然なのかもしれない。とにかく、男女差別も人種差別もないし、もちろん、「不可触民」も存在しない。
ちなみに、ある日本の研究機関のレポートによると、ミャンマーの国家公務員の51%が女性で、課長代理以上の37%が女性だそうである。実際、官庁の大部屋をのぞくと、実に女性が目立つ。当然、夫婦共働きが多くなるが、その場合でも、財布の紐は、ほとんどのケースで妻が握っている。ミャンマー人紳士の多くは、われわれ日本人サラリーマンが「自分の家庭では、妻が財務大臣だ」と言うと、破顔一笑、「あなたはラッキーだ。私の妻は、財務大臣どころか、大統領だ」と答える。よって、日本のように、急に職場の仲間同士で飲みに行く(つまり、家族との夕食をキャンセルする)ことは、ほとんどあり得ない。しかし、そこを突っ込むと「決して妻が怖いからではなく、『家族との約束をたがえる』というお釈迦様でも許さない罪悪を犯すことになるので、できないんだ」と弁解する。
話が少しそれてしまったが、もちろん、差別はなくとも、貧富の差は大いにあり、極貧の家庭もある。しかし、どの村にもお寺があり、そこでお坊さんが全ての子供に読み書きを教える。老いても、遠慮なく子供の、子供がなければ親戚の世話になる。わずか 1歳の差でも年長者を徹底して敬う伝統の中で、身寄りのない老人は、寺が面倒を見るが、その寺はといえば、先に述べた通り、世界一寄付をする人たちの集まりである村全体で、援助される。その結果、この国の老人たちは、自分の人生を振り返りながら来世を信じ、心安らかに仏塔に祈りをささげているのである。


ミャンマーの発展と日本との友好


ここまでお読みいただければ、ここミャンマーに、われわれ日本人が、必ずしも実現できず、あるいは、過去にあったとしても、急速に失いつつある幸福な精神世界が、脈々と受け継がれていると感じていただけるのではないだろうか。
われわれ日本人が、国同士の間で、友好関係を保つだけでなく、ビジネスにおいてもミャンマー人とWIN-WINの関係で共に成功していくためには、ややこしいノウハウや理論は不要である。ただ、初めての方が、私が述べたようなことを、肌で感じていただくようになるまでには、少し時間を要するかもしれない。しかし、慌てず、われわれが国内ビジネスで行うのと同じ誠意を持ち、頻繁に会って人間関係を築きながら、相手の言い分に耳を傾ければ、やがて、自然とうまくいくはずである。
実際、政府関係者や、われわれビジネスに携わる者は、この辺りのことを実践しており、今後のミャンマーの発展と国民の幸福度向上に寄与するという観点からは、まさに適切である。加えて、この2年間、わが国の若者たちが、留学なり就職なりで、どんどんミャンマーに来て、チャレンジし、この流れを加速してくれていることは、極めて心強い。あえて申し上げれば、これ以上、多くを望むことは不要であり、後は、ミャンマー人たちを精いっぱい信じることで、同国民もこれに応え、わが国の最大かつ最強の友となってくれると信じる次第である。
私の個人的体験に基づく話が多かったが、この拙稿をきっかけに、少しでもミャンマーの人たちに親近感を持っていただければ、幸せである。

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