トップフォーラム「21世紀―日本の針路」

一般社団法人寺島文庫 代表理事
寺島 実郎氏

2023年9月20日(水)開催の当会常任理事会にて、一般社団法人寺島文庫 代表理事 寺島実郎氏にご講演いただきましたので、その要旨をご紹介します。

ロンドン報告


産業の新しいニーズを解決していくため、商社は情報が命である。本論に入る前に、3年9ヵ月ぶりにロンドンを訪問したのでその際の所感を3点ご報告したい。

1点目は新型コロナウイルス感染症の影響について。新型コロナウイルスが流行した3年半の間に、英国では約23万人が亡くなり、日本では約7万5,000人の方が亡くなっている。英国の人口は日本の半分程度なので、英国の死者数がどれだけ大きなものか分かる。米国では約118万人が亡くなっている。米国の人口は日本の倍。致死率においては、世界全体でも英国と米国が1%前後で上位に入るが、日本は0.22%である。

2点目はブレグジットについて。2020年の1月31日に英国は正式にブレクジットした。世論調査を見ると、約6割がブレグジットは失敗だったといっている。世論調査上、保守党が劣勢なのだが、2024年予定されている選挙で単純にそうなるのか。英国が欧州回帰するのではないかという見方があるが、それほど単純ではない。いったんブレグジットした以上、英国がどのような方向に向かうのか。グローバル・ブリテン、つまりかつての大英連邦時代のネットワークの中で生きていくのではないかという見方がある。5年前に『ユニオンジャックの矢』を出版したが、そこで英国をグレートブリテン島単体と考えるだけではなく、かつての英連邦ネットワークでこの国のポテンシャルを考えるべきだと述べている。その流れに今まさに向かう状況になってきた。

3点目は英国にとっての対中関係について。3年9ヵ月の間にパラダイムが変わった。英国は歴史的に香港問題があり、中国との緊密なコミュニケーションのネットワークが存在した。例えば1949年に中国共産党政権が成立した際、英国は速やかに本土の中国を承認した。米国は1972年のニクソン訪中をもって米中国交回復といわれるまで台湾に引っ張られ続けた。しかし、2020年6月に中国が国家安全維持法を打ち立てたことにより、英中関係が悪化し始めた。対中政策が大きく変わる中で、2023年英国のTPPへの参加が承認された。アジアの貿易自由化の仕組みの中で不思議だと思う方もおられるかと思うが、グローバル・ブリテンで考えると思った通りの展開である。

米国、インド、豪州、日本の4ヵ国で構成される中国封じ込めのイメージがあるQUAD。その5ヵ国目に英国が加入してくるのではないか、とも言われている。2021年に空母クイーン・エリザベスをアジアに派遣して、QUADに加入しているかのような動きを続けている。米国にとってはQUADを、英国が加わったNATOのような仕組みにしたい思惑があるかもしれないが、インドは伝統的に非同盟であり、世界を同盟関係で分断しないというのが外交の基本コンセプトである。英国のQUAD加入はそう簡単には進まないとみている。


埋没する日本と海外の視線


埋没する日本は海外からどのように見られているのか。世界のGDPシェアの推移を長期的に見てみると、日本のGDPは世界シェアの3%程度しかなく、世界のエコノミストの間には日本3%定位置論が出てきている。

江戸時代末期1820年、日本のGDPシェアは世界の3%、米国が2%、アジアが56%となっており半分以上をアジアが占めていた。第1次世界大戦が始まる前の年に当たる1913年、第2次世界大戦に敗れて5年が経過した1950年も日本は3%程度だった。世界人口に占める日本の比重は1.7%程度であり、人口に対して世界のGDPの3%を占められているならいいのではと思う方もいるかもしれないが、昭和末の1988年のデータを見てみると、日本の世界に占めるGDPシェアは16%もあった。この間日本が工業生産力モデルの優等生として復興成長を進めた。2000年のデータでも日本は15%に持ちこたえている。そのころアジアは中国、インド、ASEANをかき集めても7%であり日本の半分にもなっていなかった。日本は世界でも断トツの産業経済国家として21世紀に入ったわけだが、2022年はわずか4%、アジアが25%と日本の6倍を越した。2000−2020年のパラダイム転換についていけていないのはなぜか。

次にアジアにおける一人当たりGDPについて。GDPは付加価値の総和と捉えられるが、2022年の一人当たりのGDPでシンガポールが8.3万ドル、日本が3.4万ドルでダブルスコア以上に置いていかれている。香港は4.9万ドルであり追い抜かれているがここにきて急速に失速してきている。一番重要なポイントは日本、台湾(3.3万ドル)、韓国(3.2万ドル)が並んだこと。インバウンドで日本経済活性化というが、シンガポール、香港などの経済力を持った人が家族で来日するハイエンドな観光客層に移行してきている。日本は一人当たりのGDPではアジアで現在4位。世界では31位。豊かさの指標でいうと日本はG20にも入っていない。健全な危機感がないことが日本の一番の危機。

こうなった理由についてキーワードが二つある。一つ目はアジアダイナミズム。アジアダイナミズムに突き上げられるように日本は埋没している。二つ目はデジタルトランスフォーメーション(DX)。シリコンバレービジネスモデルであるAlphabet(Google)、Apple、Meta(Facebook)、Amazon、Microsoftの5社の時価総額が2023年7月末時点で9.2兆ドル、日本円で約1,303兆円。東証上場全企業の株価時価総額が850兆円くらい。500兆円もビッグテック5社で上回っている。

1960年から日本の株価時価総額上位10社を見てみる。日本のトップランナーはトヨタ自動車だが、アップル1社で350−360兆円といわれている中で、現在40兆円もない。2023年7月末にファーストリテイリングが11.3兆円と5位に入ってきた。オリエンタルランドが9.9兆円で10位。資本主義社会を生きていく限り、市場が企業価値を評価する時代であり、マーケット評価は経営の全てではないが、重要な指標だ。企業はマーケットバリューを無視した投資やプロジェクトなどできない。

DXの時代をどう考えるか。そもそもインターネットは米国のペンタゴンが軍事目的で開発したもの。1989年に冷戦が終しゅう焉えんしインターネット元年になったが、日本にインターネットという用語が出てきたのは、商業ネットワークとしてインターネットが解放された1993年ごろ。日本はIT革命などといって、キャッチアップした。アマゾンが日本に登場した時にネットを使って書籍の通信販売をする会社だと思った方も多いはず。しかし、データを握るものが全てを握るというのがプロジェクトのコンセプトだったということにやがて気が付く。2012年がディープラーニング元年といわれているが、この辺りから日本はDX時代に後れを取り始める。

アジアダイナミズムと日本海物流

アジアダイナミズムと日本海物流についてはアジアの台頭により日本の埋没が進むという単純な話ではない。米中対立が極まり、権威主義陣営対民主主義陣営の戦いに世界が二極化しているという世界認識を持つと見誤る。実際、米中貿易総額は増え続けており、選別的対立といえる。先端技術をめぐってはしのぎを削っているが、米国と中国の物流は確実に増えている。大中華圏とは、中国を中華人民共和国単体として捉えるのではなく、政治体制の壁を越えた海と陸の華人・華僑圏を含めた有機的連携体のことだが、大中華圏−米国間貿易は日米貿易の4倍にもなっている。その米中貿易の物流は、津軽海峡を通って日本海を抜けている。津軽海峡を経由すれば、太平洋を通っていくより、2日早く輸送することが可能である。北海道千歳市に「ラピダス」が工場を建設中であることは知られているが、千歳市を選んだ理由は、すぐ南に苫小牧港があり、その沖合には津軽海峡があり、米中物流が動いているからである。

世界港湾ランキングを見てもらいたい。私が三井物産に入社した1973年ごろは神戸港、横浜港は世界第1、2位といわれていたが、現在は世界72、73位。トップ10のうち実に八つの港が、大中華圏に属する港である。7位の釜山に注目してほしい。今はダイレクトに釜山につなぎ、釜山トランシップがメインになってきている。アジアダイナミズムが突き上げているのは遠い向こうの話ではなく、日本列島の物流軸まで急速に変えてきている。日本海側の港湾の重要性が上がっている。日本海物流と、日本海側と太平洋側を戦略的につなぐことが重要であり、首都圏における関越自動車道の持つ意味、中京圏における北陸東海自動車道の持つ意味、関西圏における舞鶴若狭自動車道の持つ意味がどんどん重くなってきている。今後日本の貿易の6割が対アジアの物流になってくるだろう。10年後に向けて日本海側の持つ意味が変わってきているということを視界に入れておいてほしい。

中国と英国のネットワーク型世界観

台湾のGDP規模は日本の九州7県、中国地方の5県、四国の4県を足し合わせたくらいのボリュームがある。ついこの間まで台湾は日本製品の部品の下請けなどを産業としていると考えられていたが、シャープが台湾のホンハイ精密に買収されたあたりから変化に気付いた方も多いはず。パラダイムが変わってきている。京都、奈良、大阪に三重、和歌山、滋賀を加えた関西ブロック全体の国内総生産をもってしても台湾の90%に過ぎない。なぜ台湾はこのようになったか。

台湾のGDPの約2割はTSMCに象徴される半導体要素。台湾で一番大きな銀行は中国信託銀行で、日本の有力企業に確実にリーチするため4年前に東京スター銀行を買収している。円安が追い打ちをかけているので、日本の人材、資源、企業も「半額セール」に出ているかのような感覚で台湾は眺めている状態ではないか。

ネットワーク型世界観というのは商社パーソンが身に付けるべきもの。10年前に出版した『大中華圏』では、世界に広がっている約7,800万人のオーバーシーズチャイニーズに注目すべきと書いた。中国と日本の歴史の決定的な差は異民族支配である。モンゴル族に支配された元、満洲族に支配された清という時代があり、漢民族が中華民族の中核であることは間違いない。しかし、移住するなどして海外に出ていったオーバーシーズチャイニーズは現在約8,000万人いる。台湾、香港、シンガポールは華人・華僑圏であり、タイ840万人、マレーシア700万人、インドネシア1,100万人もの華人・華僑が住んでいる。アジアでの成功のカギは、華人・華僑との連携や提携が重要だと言える。

なぜ習近平国家主席は「中華民族の偉大な復興」を唱え続けるのか。中華民族で力を合わせる目的にみえるが、オーバーシーズチャイニーズへのメッセージでもある。中国の成長の背後には香港、シンガポールなどの資本と技術を取り込んだことにある。ところが第3期の習近平政権に対してはオーバーシーズチャイニーズが腰を引き始めている。漢民族は誇り高い民族であり本土の中国を支援するエネルギーになっていたが、ここにきて危機感がみえてくる。タイのCPグループも台湾の資本も、日本を新しい視点で見直し始めている。

ユニオンジャックの矢とは、ロンドンを基点に、中東のドバイ、インドのベンガルール、シンガポール、シドニー、ニュージーランドをつなぐ1本の矢を指す。ユニオンジャックの矢は英国のポテンシャルそのもの、サバイバルファクターである。ソフトパワーのネットワークとエンジニアリング力を擁する英語圏の強み、英国法というリーガルを基盤として共有することの重み、それから英国の文化。この力が英国のポテンシャルになっている。今英国を率いているスナク首相はインド系の人であり、ユニオンジャックの逆流とでも言うべき状況だ。

ユダヤネットワーク

ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系だが、なぜユダヤ人がウクライナに集積したのか。その起源は17世紀にさかのぼり、ポーランド領の開拓をアレンダ制に伴ってユダヤ人に信託したところから始まる。次に、18世紀にはロシア帝国のユダヤ人の強制居住地域となった。私がウクライナで調査している際に驚いたのは、キーウ国立工科大学に技術が集積していたこと。1957年に米国よりも先にソ連邦が打ち上げた人工衛星やチェルノブイリ原発の技術はキーウ国立工科大学のユダヤ人たちが支えた。冷戦が終わった後、100万人を超すユダヤ人が旧ソ連からイスラエルに戻った。要するにゼレンスキーを支える力学は社会的なユダヤネットワークにある。

ユダヤファクターがいかにロシア史に絡みついているのか。社会主義時代のロシアについてみていくとマルクスはユダヤ人であり、レーニンの母方がユダヤ人、赤軍のトップだったトロツキーはウクライナ出身のユダヤ人だった。つまり、ロシア革命の本質は何か。ロシア革命のことを、当時のロンドンではユダヤ革命といっているくらい二重写しになっている。プーチンがいまだに支持を受ける理由は何か。プーチンは社会主義には興味を示さず、正教大国ロシアを目指し、国を束ねていこうとしている。ソ連邦崩壊後、ソ連経済を引き継いで台頭してきたオリガルヒにはユダヤ系が多い。プーチンはそのオリガルヒたちをたたき出した。今のロシア、ウクライナを理解する上でユダヤファクターをしっかりと見つめる必要がある。

今の米国を理解する上でなぜトランプがイスラエル支持にこだわったのか。『人間と宗教』という本で検証しているが、キーワードは「クリスチャン・シオニズム」。福音派プロテスタントがトランプの岩盤支持層だった。なぜ福音派プロテスタントがイスラエル、ユダヤを支持するのか。9.11以降の分断の構図の背景にあるのは何か、著書で紹介しているので参考にお読みいただきたい。

イスラエルから見た中東20年の地殻変動について見ていく。イスラエルは人口わずか950万人の小国であるが、存続のためのしたたかな戦略によって価値を最大化させている。まず取り囲むイスラム圏の分断と弱体化。北のレバノンは実質的破綻国家、シリアはISによる混乱と荒廃、エジプト、ヨルダンはもともと穏健派アラブだが「アラブの春」以降の混迷の中で動けない。イラクはサダム体制が崩壊し、イランは「核疑惑」によって封じ込められた。そして米国の取り込みと利用。アブラハム合意でイスラエルはUAE、バーレーンとの国交を樹立した。イスラエルは高度技術やインテリジェンスをもっていつの間にか中東で不気味な存在感を放っている。この構造変化を理解する一助として、私の体験的ネットワークを具現化、体系化、理論化し『ダビデの星を見つめて』を出版した。

ネットワーク型世界観をビジネスの場で共有してほしい。商社には次に日本がどう進むのかについて一定の役割と責任があり、海外との接点に置いて日本の目でなくてはならない。

トップフォーラム「21世紀―日本の針路」 誌面のダウンロードはこちら