トップフォーラム「最近の話題」(経済産業省 経済産業事務次官 多田 明弘氏)

経済産業省 経済産業事務次官
多田 明弘

2021年9月15日(水)開催の当会常任理事会にて、経済産業省 経済産業事務次官 多田 明弘氏にご講演いただきましたので、その要旨をご紹介します。

経済産業政策の新機軸 ~政策フロンティアへの挑戦~


経済産業省 経済産業事務次官
多田 明弘 氏

コロナ禍など不確実性の高まり、先進国経済の長期停滞、デジタル技術を中心とした革新的な技術の進展、新たな地政学/地経学リスクの顕在化など、世界は今、大きく変化している。特にビジネスの世界からみると、予見可能性が非常に下がっており、不透明感がある状況が続いている。

こうした中で、各国の政府も相当変わってきていると認識している。中国のみならず、欧米においても、国民の生活と安全を確保するべく、大規模な財政支出を伴う強力な産業政策を展開している。これら新たな産業政策は、伝統的な産業振興・保護とも、相対的に政府の関与を狭める構造改革アプローチとも異なり、気候変動対策、経済安全保障、格差是正など、将来の社会・経済課題解決に向けてカギとなる技術分野、戦略的な重要物資、規制・制度などに着目し、ガバメントリーチを拡大するものである。

日本も、この機会に従来の産業政策の検証を行いつつ、時代の大きな変化に合わせて「産業政策の新機軸」を確立し、実行していくことが求められているのではないか。こうした問題意識の下、今日はわれわれが取り組もうとしている政策の萌芽(ほうが)を紹介させていただきたい。

背景にある世界の変化

英国のEU離脱、米中貿易摩擦、各国の自国優先の動きなどに加え、最近は新型コロナウイルスの影響で世界の不確実性がかつてないほど高まっている。また、中国が急速な経済成長を遂げる一方で、先進国では長期的な成長停滞と合わせて賃金低迷と格差拡大が問題となっている。さらには、コロナ禍の中で所得や賃金などが二極化する「K字」型回復も懸念されている。

また、世界規模でデジタル化が急速に進展し、経済・社会システムの再設計と企業経営のデジタル・トランスフォーメーションが加速していることに加え、国主導で産業政策が展開されつつある。中国では、産業戦略である「中国製造2025」により、次世代IT産業、ロボット産業、新エネ自動車などの重点強化産業の育成を進めており、科学技術力・サプライチェーンの強化やコア技術の国産化も表明している。欧米でもサプライチェーンの強靭(きょうじん)化、戦略的自律を標榜(ひょうぼう)して産業政策を展開している状況である。

また、中国のハイテク分野での技術力向上が顕著となり、米中の技術覇権を巡る争いなどを背景に、戦略産業の育成やグローバル・サプライチェーンの見直しなど、各国で経済安全保障に関する取り組みが強化されている。米国やEUなどでも競争力のある新産業の育成や技術イノベーション政策を重視する動きがある。半導体等の要となる機微技術については、国際的に管理強化の動きが活発化しており、こうした経済安全保障を巡る問題は戦略的に取り組んでいく必要がある。日本政府としても、サプライチェーン補助金、すなわち、企業の大小を問わず、サプライチェーンをつくり変える際に支援する補助金を導入したが、各国においてもガバメントリーチを拡張する動きが大きくなっている。

さらに、世界的に脱炭素化を深化させる動きが加速し、再生エネルギー・新エネルギー、スマートシティ、革新的エネルギー・環境技術の開発が進展している。カーボン・ニュートラル以外にも、廃プラスチックなどに関するサーキュラーエコノミーへの関心も高まっている。

米国政府・議会内の動き

米国では、かつて「産業政策」は市場への介入であるとして強く批判されていたが、内外一体の経済政策を標榜するバイデン政権は産業政策を重視している。特に製造業については、中国企業との競争が念頭に置かれており、現在では民主党・共和党とも産業政策を実施すべきとの考え方がコンセンサスとなりつつある。また、欧米のアカデミアにおいても「新産業政策」の概念が登場し、議論が活発化している。

わが国の産業政策の変遷

わが国の産業政策は、時代の変化に応じて変遷してきた。東京大学の大橋弘教授の整理をベースに振り返ると、1940−60年代の「特定輸出産業育成」期は、ターゲティング政策の典型例で海外から相当批判を受けたが、他方で戦後の荒廃からの復興、国際競争力を付けていく産業を育てるという意味では効果を発揮していたと考えている。

1970−1984年の「安定成長と国際摩擦」期は、ドルショックやオイルショックが起きた1970年代初頭から経済成長のスピードが少し減速していく過程で、安定成長下における新たな産業政策として知識集約型産業構造への転換が進められた。他方で、大きな問題として貿易摩擦があり、海外からの批判も受けた。

1985年のプラザ合意を機に潮目が変わり、内需主導経済への転換の必要性が高まり、1990年代後半から2000年代初頭にかけては、規制緩和、自由化、民営化(航空、鉄道、通信、郵政等)、競争環境の整備、「小さな政府」など、市場機能の強化を目指した「構造改革」が推し進められた。その後、リーマン・ショックや東日本大震災により、2009−2012年は外生的需要ショックで企業が経営危機に陥ることを避けるための「緊急避難的な措置」が展開された。その後、2013−2020年はアベノミクスの「3本の矢」を中心に、デフレからの脱却と富の拡大を目指す経済政策が進められてきた。

そして今、世界が大きく変化し、産業政策に再び光が当たる中、日本と海外のマーケットをみて、日本の企業の力はどうなっているのか、どのような産業政策が必要になるのかを考えていかなければならない。

「経済産業政策の新機軸」について

単に過去に戻るのではなく、時代に求められる新たな産業政策の要素はどのようなものなのか。これからの経済産業政策は、産業の競争力の強化そのものを目的とするのではなく、多様化する中長期の社会・経済課題を解決する「ミッション志向」でなければならないと考える。その結果として、社会が必要とする産業が育ち、競争力も高まっていくという認識だ。また、不確実性への対応として、これまでのルールで市場のみに任せていてはなかなか新しい萌芽が成長しない、スピード感が遅いという面があるので、政府による市場の創造も重要である。

加えて肝に銘じなければならないのが、政府もリスクを負うという点だ。各国が数々の施策を打って自国企業のビジネスを応援する状況の中、間違えないことを重視して何も手を打たない、日本政府が不作為であるが故に日本の企業がこの産業でグローバルに戦うのは難しいという事態に陥ってしまわないよう、政府もリスクを負っていくべきだと考えている。

失敗してもよいと開き直るつもりはないが、失敗を恐れずにスピーディーに挑戦し、失敗から学ぶ「フェイル・ファスト」の精神が重要であり、今日の政策に求められていると感じている。また、予算単年度主義である現行制度においては難しい面もあるが、大規模・長期・計画的な財政支出についても模索していくべきだと考えている。

各国の産業戦略が掲げる社会・経済課題について

欧米の産業政策では、グリーン、レジリエンス、デジタルに加えて、格差や分配を課題の一つに掲げるのが潮流である。例えば米国では、サプライチェーンや気候変動などの社会課題の観点だけでなく、公平性という観点から産業政策の構築を目指している。また、英国は国の団結や地域格差是正を掲げており、EUもかねてよりソーシャル・インクルージョンといった言葉があり、格差に対する問題意識を持っている。

このように社会・経済課題の一つとして改めて格差問題に光が当たっている中、われわれも、例えば非正規労働者の問題をどうするのか、など、この分野もこれまで以上に注力していくべき課題なのではないかと考えている。

経済安全保障の観点からの「脆弱(ぜいじゃく)性の克服」と「優位性の確保」

ガバメントリーチが拡大している分野の典型例として、経済安全保障関連の課題が挙げられる。この課題の解決に当たっては、まずわが国の優位性や脆弱性を把握することが重要であり、経済安全保障上重要な半導体、AI、量子などの技術やレアアースをはじめとする物資について、そのサプライチェーン上のチョークポイントを特定する必要がある。そして、脆弱性を克服するために、生産拠点の多元化や、米国をはじめとする有志国との信頼を軸にしたグローバル・サプライチェーンの構築を目指し、実行に移していかなければならない。

先に紹介したサプライチェーン補助金も、こうした考えに沿ったものであるが、単に財政的支援を行うのみならず、企業や大学の研究室が持つ重要技術が海外に流出しないよう、制度整備も含め、機微技術管理の強化にも注力する必要があると感じている。加えて、半導体、蓄電池をはじめとした製造基盤の強化にも取り組んでいくべきと考えている。

ビジネスと人権に関する経済産業省の取り組み

経済安全保障と同じくガバメントリーチの拡大という観点から、ビジネスと人権に関する問題が注目されている。「共通価値」への関心が欧米で急速に高まる中、人権侵害への対応として、人権デュー・ディリジェンスや輸出入規制など、企業のサプライチェーンに影響する措置の導入が進展している。

そうした中で、われわれもまずは組織的な対応を明確化し、産業界との窓口をワンストップ化するべく、ビジネス・人権政策統括調整官とビジネス・人権政策調整室を設置した。今後は、産業界への情報提供を強化するとともに、兆候を捉えていくことが重要であり、ビジネス界とも議論を深めていきたいと考えている。国内企業の対応状況を調査し、関係省庁と連携して政策対応を検討していく。

新たなエネルギー基本計画(案)について

最後に、現在パブリック・コメントを進めている次期エネルギー基本計画案についても簡単に触れておきたい。言うまでもなく、エネルギー政策の要諦は安全性、安定供給、経済効率性の向上、環境への適合の「S+3E」である。今後の電源構成に関しては、S+3Eを大前提に、再生可能エネルギー最優先の原則を今回初めて明記した。また、火力発電についても、2030年に向けて非効率石炭火力のフェードアウトに着実に取り組み、水素・アンモニア混焼では2030年の電源構成の1%を賄う目標を定めるなど、脱炭素型火力の導入促進を目指している。

ただ、再生可能エネルギーのみで電力を賄うには限界があり、どれほど蓄電池があっても難しいのが実状である。その意味で、非化石エネルギーである原子力についても安全性の確保を大前提に、可能な限り依存度を低減しつつ必要な規模を持続的に活用していかなければならないとの認識を明記した。

エネルギー問題は、産業活動にも大きく影響するが、国民一人一人の暮らしや生活にも直接影響するもの。にもかかわらず、まだまだ国民の理解や関心が十分ではない。ひとえにわれわれ政府の説明不足によると思う。国民からの信頼確保が大前提ではあるが、日本は島国であり資源が少ないという厳然たる現実を踏まえ、われわれの前にある選択肢を冷静に判断していけるよう、次世代の若者も含め広く課題を認識し、自分事として議論がなされるような環境を整えていきたいと考えている。

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