ともに築こう、サステナブルな世界を 日本貿易会 ~LEAPING AHEAD INTO A SUSTAINABLE WORLD~

日本貿易会会長(丸紅株式会社)
國分 文也

第98回定時総会(5月31日開催)にて当会の代表理事・会長に就任された丸紅株式会社 國分文也会長に、新会長としての抱負やキャッチフレーズに込めた思いなどを当会 河津司専務理事がお伺いしました。

第14代日本貿易会会長に就任された心境と抱負をお聞かせください。


國分会長

日本貿易会は設立から70年を超える歴史を有する業界団体であり、その会長職を拝命するのは大変名誉なことであり、身の引き締まる思いです。

当会の成り立ちやこれまでの会員の変遷を振り返ると、日本の経済発展とともに歩んできた団体であると感じています。会員である商社は、時代の変化に応じて貿易から投資へと業態を変化させながら、日本の経済発展をリードしてきました。相次ぐ地政学リスクの顕在化により緊迫した国際情勢が続いていますが、自由で公正な貿易・投資環境の維持・発展に向けて、微力ながら全力を尽くしたいと考えています。


日本貿易会の歴代会長は、活動方針を分かりやすいキャッチフレーズにしています。國分会長は新キャッチフレーズを「ともに築こう、サステナブルな世界を 日本貿易会」と定められましたが、キャッチフレーズに込められた思いをお聞かせください。


国際社会全体の目標として「持続可能な社会」というある意味で当たり前なことが強調されるようになったのは、世界が矛盾や課題のある社会となっている表れだと感じています。その点で、今は時代の大きな変革期にあります。

「サステナブル」という言葉は、「環境」「貧困」「人権」など社会的な課題がフォーカスされがちですが、本当にサステナブルであるためには経済的な成長や安定も同時に必要不可欠であると考えています。新型コロナウイルス感染症の拡大、ロシアによるウクライナ侵攻など、ここ数年で起きた事象を振り返ってみて、改めて、われわれの繁栄はヒトやモノの自由な移動が前提にあることを認識しました。

時代が大きな変革期を迎える中で、日本貿易会として、サステナビリティの本質をいま一度考え、全ての人が豊かさを感じられる社会の構築に向けて、政府をはじめ関係各所に働き掛けていきたいという思いを込めました。

コロナ禍を受け、世界政治および国際社会はかつてない速度で変化しています。商社を取り巻く事業環境について、どのように捉えられていますか。


國分会長(左)、河津専務理事(右)

世界経済は世界的なワクチン接種の進展や水際措置の緩和などにより総じて回復基調にありますが、感染再拡大の脅威だけでなく、各種資源・原材料の供給懸念による価格高騰、サプライチェーンの脆弱(ぜいじゃく)性の表面化などの懸念材料が残っています。そのような状況下、懸念されていたロシアによるウクライナ侵攻が現実のものとなるなど、国際社会ではサステナブルな世界に背を向けるような動きが散見されるのが実情だと思います。

例えば先日、日本や米国、韓国、台湾など7ヵ国・地域は、個人データの移転ルールをアジア太平洋経済協力会議(APEC)の枠組みから独立させることで合意したとの報道がありました。政府サイドは、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の実現という理想を掲げ、崇高なゴールを設定しているものの、どこかでロシアや中国が戻ってくるという、少し楽観的な考えで議論を進めているように感じます。

私たち企業サイドに突き付けられているのは、国際社会がかつての状態には戻らない可能性も含めて現実を受け止め、事業活動を進めなければならないということです。政府サイドと企業サイド、それぞれが取り組むべきことの線引きをしっかり見極めつつ、民間の活力を失わないように、セキュリティーを担保していく必要があると思います。

そうした大きな変化の中で、商社の中長期的なあり姿、日本貿易会の役割をどのように見られていますか。


商社は、これまでさまざまな困難に直面しつつも、貿易から投資へと業態を変化させながら成長してきました。これは商社が、自身が有するグローバルなネットワークやあらゆる産業に接点を持つという強みを駆使して、その時々で直面する社会課題を解決してきたことに起因すると考えています。

近年、社会課題は多様化しているものの、解決に向けてベースになるものは変わらないと思います。例えば、欧州主導で進められている環境の話一つをとってみても、日本の立ち位置、特にアジアの中で日本がどのように距離を保ってイニシアチブを取っていくかという点は、今後の重要な課題です。先ほども申し上げた通り、政府サイドと企業サイド、それぞれが取り組むべきことのバランスを取ることが重要ですが、日本の成長を支えるために商社が中長期的に果たすべき役割は非常に大きいと思っています。

その商社の業界団体として幅広い会員の声をまとめるという点で、日本貿易会の役割、働きどころがこれまで以上に出てくるのではないかと感じています。

新会長として、特にどのような活動に力を入れていかれますか。

商社業界が直面する諸課題について、政府などへの提言・要望をプロアクティブにとりまとめ、実現に向けて積極的に働き掛けていきたいと思います。会員企業一丸となって、キャッチフレーズに掲げた「サステナブルな世界」をともに築いていきたいですね。

また、社会貢献の観点から、国際社会貢献センター(ABIC)と一層の連携を図っていきたいと思います。


國分文也会長略歴


1952年10月6日生まれ、69歳
1975年4月 丸紅株式会社入社
2005年4月 執行役員、名古屋支社長
2006年4月 執行役員、エネルギー部門長
2008年4月 常務執行役員、社長補佐、資源・エネルギーグループ管掌役員
2008年6月 代表取締役常務執行役員、社長補佐、資源・エネルギーグループ管掌役員
2010年4月 専務執行役員、米州支配人、丸紅米国会社社長・CEO、丸紅カナダ会社社長
2012年6月 代表取締役副社長執行役員、社長補佐、CIO、市場業務部 情報企画部 経済研究所担当役員、エネルギー第二部門管掌役員、投融資委員会委員長
2013年4月 代表取締役社長
2019年4月 取締役会長(現職)

國分会長のご経験やご趣味について、当会若手職員の高田かれん、馬場もも子がお伺いしました。


商社パーソンとしての長いキャリアの中で、一番印象に残っていることを教えてください。


ニューヨークでの最初の駐在経験が、その後の仕事・経営における考え方に大きく影響を与える、私の原体験になっています。入社2年目に石油のトレードを行う部署へ配属され、入社8年目の30歳で世界の石油取引の拠点であるニューヨークに赴任しました。仕事が軌道に乗った頃、現地のトレーダーと一緒にフィラデルフィアで事業会社を設立しました。

当時の私は、丸紅の社員というより、石油の世界でトレーダーとして生きていくという目標を強く持っていたこともあり、自分は一生米国にいて仲間たちと一緒に事業を拡大していこうと青写真を描いていました。当初は順調だったものの、1991年に湾岸戦争が勃発すると相場が荒れ続け、赤字が膨らんでいきました。打てる手は全て打ちましたが、会社を清算せざるを得ませんでした。

その後、断腸の思いで社員に解雇を通告し、彼らの再就職先を探しました。オフィスの家具も全部売り、最後に電気を消して、鍵を掛けて、管理事務所に鍵を返しに行った日のことを今でも鮮明に覚えています。一つの会社の立ち上げからクローズまでを経験し、とても濃い5年間でした。

新入社員時代にはどのような目標や希望をお持ちでしたか。

元々、学生時代は会社に就職するのではなく、友人たちとウナギの養殖をやりたいと考えていました。今から振り返ると突拍子もない考えですが、資金調達のために奔走するも思うように集まらず、いったん起業を諦めて就職活動をする中で、縁あって丸紅に入社しました。

入社当時は起業の夢を諦めきれずにいたこともあり、初めは明確な目標を持てないままでしたが、入社2年目にロンドンでトレーダーとして活躍していた先輩に出会ったのが転機となりました。当時、石油のトレーダーといえば華やかなイメージがあり、「自分もこの人のようになりたい」と強い憧れを抱くようになりました。それからは、トレーダーとして独り立ちすることが私の目標になりました。

その後、本当にやりがいを感じるようになったのは、入社5年目の頃。第2次オイルショックが起こり、石油の需給が逼迫(ひっぱく)する中、どのようにして日本の石油を確保するのかという時期でした。若手だった自分にもさまざまな業務を任せてもらえたこともあり、仕事が面白いと感じるようになりました。

駐在で最も印象に残っているご経験は何でしょうか。


國分会長(右)、高田(中央)、馬場(左)

30歳から米国に10年ほど駐在した他、シンガポールに約3年、香港に約2年駐在し、50代後半で再び米国に駐在しました。海外経験は合計で17年以上になりますが、基本的にどの駐在地も日本にいるより楽しかったです。駐在地に赴任して1週間もたつと、その地に昔からいる感覚になり、逆に日本に帰ってくると違和感を覚えるほどでした(笑)。いずれの駐在地でも現場に出てたくさんの人に会い、コミュニケーションを取る機会が多かったので、「わくわく感」がありましたね。

感銘を受けた本・映画などについて教えてください。

昔から本を読むのがとても好きで、今でも月に5~6冊は読んでいます。以前、日本の本を翻訳して海外に紹介する「ジャパンライブラリー」の委員を務めていたこともあります。ジャンルにこだわらず、いわゆる乱読ですが、強いて言えば歴史物では、第1次世界大戦以降の現代史をよく読んでいます(それ以外でも、塩野七生氏、司馬遼太郎氏、本田靖春氏や沢木耕太郎氏の書いたものはほとんど全部読みましたが)。また、日本の小説家では浅田次郎氏、原田マハ氏や平野啓一郎氏の書く文章が好きでよく読んでいました。

座右の銘を教えてください。

いろいろな言い方がありますが、「逆境に悲観せず、順境に楽観せず」です。人間の本性はその逆で、順調なときほど楽観しやすい。元々それほど悲観する方ではないですが、順調なときこそ気を引き締めるように、自分自身への戒めとしていつも考えています。

ご経験のあるスポーツやご趣味を教えてください。

中学校から30歳くらいまでずっとサッカーをやっていました。その経験もあり、サッカーを見るのが好きです。サッカーに限らず、野球などスポーツ全般を見るのが好きですね。

趣味というほどではないかもしれませんが、好きなことはたくさんあります。読書の他には音楽や靴磨きも好きです。音楽は、中学校ぐらいの時からいろいろなもの(宗教音楽、ジャズ、クラブ系など何でも)を聴いていて、友人とクラシックコンサートに行くのも楽しみでした。

最後に、当会の委員会で活動する会員各社の委員の皆さまや、事務局職員へのメッセージをお願いします。

若い人たちには、自分たちのアイデアを基に、いろいろなことに積極的にチャレンジしてほしいですね。会社などの組織に所属していると、慣例にとらわれてしまい、何となく受け身になってしまいがちです。「昔はそうだったかもしれないが、これからは違うのではないか」という視点を持ち、自分の考えや意見を積極的に発信し、挑戦することを諦めないでほしいと思います。

國分文也会長のご趣味等

好きな作家塩野七生氏、本田靖春氏、沢木耕太郎氏など
過去に面白いと思った映画(映画は好んで見るというほどではありませんが)「慕情」「しあわせの隠れ場所(The Blind Side)」
座右の銘逆境に悲観せず、順境に楽観せず
スポーツ経験サッカー(中学校から30歳まで)、野球など
趣味読書、音楽を聴くこと、靴を磨くことなど

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