2020年5・6月号(No.788)
まず、新会長としての抱負をお話しする前に、新型コロナウイルスで影響を受けた皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。また、医療関係者他さまざまな場所で社会を支えていただいている方々に敬意と心からの感謝の意を表します。
1947年に創立され、70年以上の長い歴史がある日本貿易会の会長を拝命したことを名誉に思います。身の引き締まる思いがしますが、全力を尽くして日本貿易会の発展に貢献したいと思いますのでよろしくお願いいたします。
日本貿易会の成り立ちやこれまでの会員の変遷を振り返ると、今まで日本が経済発展してきた過程において、自由貿易や投資活動を推進し、世界をつなぐという役割を日本貿易会は担ってきたと理解しています。商社はあらゆる産業にアクセスを持っているということが強みの一つだと思っています。この強みをよく認識し、他の経済団体と連携しながら新しい取り組み、あるいは政策提言を政府に対して行っていきたいと考えています。
このキャッチフレーズはくしくも新型コロナウイルスの影響があり、未知の海へとこぎ出していく状況と重なりました。過去十数年間で世界全体が大きく、すさまじい勢いで変化していることがその背景にあります。具体的には、デジタル化による社会の仕組みや生活の在り方の変化に加え、ポピュリズムや自国優先主義などによる国際協力関係の変化がみられます。また、新型コロナウイルスの感染拡大により、「人々の命を守る」「安全や健康を最優先に掲げる」という価値観が強まっていると感じています。まさに未知の新時代が到来しており、われわれ日本貿易会のメンバーが未来を切り拓いていかなければならないという思いを抱いています。今後も社会や経済のさまざまな変化が想定される中で、その変化に合わせ、新しい取り組みを推進していきたいということが、このキャッチフレーズの原点です。
新型コロナウイルスの影響を受ける状況は中長期的に継続すると考えています。二次感染や医療崩壊を防ぐことなど、政府・行政・企業が足元でやるべきことは、まだまだたくさんあります。従って、新型コロナウイルスが無事収束に向かっていったと仮定し、どのような世界が到来するか、ということについて想像の域でお話しいたします。
現状、世界各国で新型コロナウイルスから自国民の命を守ることを第一とする対策が取られています。今後、政治・経済の両面で、自国主義が一部定着する可能性があると考えています。また、新型コロナウイルス感染拡大前から続いている米中の覇権争いは、今後もしばらく続くとみています。新型コロナウイルスの収束のめどが立っていない状況下、世界的には地政学的な大不況(GreatDepression of Geopolitics)が続いていくと思っています。
これまでもその兆候が一部でみられましたが、新型コロナウイルスによって、国際協調を基にしたグローバリズムが崩れ、自国の安全保障を念頭に置いたサプライチェーンの見直しが行われる可能性があります。結果として、ヒト・モノ・カネ等の国境を越えた自由な移動が制限される状態になることには危機感を抱いています。新型コロナウイルスの対策を含めて、政治・経済・医療等、あらゆる面での国際協調が今こそ最重要になっていると感じます。
また、新型コロナウイルス感染拡大前から進められてきた動きとは、次元が異なるデジタル化が加速する他、テレワークの常態化や、ワークライフバランスに対する価値観の多様化により、働き方にも劇的な変化が出てくるでしょう。
日本国内に目を向けると、新型コロナウイルスの対策を講じるべく、政府が超大型の予算を組み、「大きな政府」になりつつあると感じています。「大きな政府」は、最終的に国民がその負担を背負うことを意味しています。これらの負担をなるべく短期間に、合理的に解消していくためには、デジタル化の推進や失業問題の解決、教育のオンライン化、地方の分権化など、やるべきことがたくさんあります。格差の拡大を防ぎ、日本の経済・産業構造を強靭(きょうじん)化していくためには、日本が従来から得意としてきた「自由な国際貿易」の旗頭・よりどころとなり、世界の国々から頼られる存在になっていかねばならないという思いを強く持っています。
商社は、あらゆる産業に接点を持っており、日本の経済を俯瞰(ふかん)しながら、ダイナミックに物事を考えられるという強みがあります。需給のバランスを取る、食料資源も含めたさまざまな資源を確保するなど、これまで商社が果たしてきた機能は今後も継続して求められると思います。経済安全保障に考慮し、サプライチェーンの見直しを日本の産業界と共に行っていくことで、日本の産業構造の価値を見いだしていくという役割があるのではないでしょうか。
まずは新型コロナウイルスの感染拡大を防止することが最優先であると考えており、業界一丸となって感染拡大防止に向けた取り組みを進めたいと思います。また、国民生活に必要不可欠な物資の確保に取り組むことが商社には求められており、日本貿易会として、それらの活動を下支えする役目があります。より大きな視点で申し上げますと、国際協調と自由貿易を基調とした新たな体制構築に向けた日本の役割は大きいと考えており、積極的に政府にも提言などを行っていきたいと考えています。
左:小林会長 右:河津専務理事
日本貿易会が立ち上げたNPO法人「国際社会貢献センター(ABIC)」には、商社OB・OG等を中心とした海外経験豊富な人材約3,000人が登録し、国内外のさまざまな分野において各種ニーズに対する協力や人材の紹介等の活動を行っていると聞いています。経済価値の追求だけでなく、社会価値、環境価値も並行して追求していくということは、各社の使命であります。人生100年時代に即し、例えばABICに所属する皆さんと連携し、豊富な知識・経験をフルにご活用いただき、社会のお役に立てるような地盤をつくっていきたいと思っています。
1949年 | 2月14日生まれ、71歳 |
---|---|
1971年 | 7月 三菱商事(株)入社 |
2003年 | 4月 執行役員 シンガポール支店長 |
2004年 | 6月 執行役員 プラントプロジェクト本部長 |
2006年 | 4月 執行役員 船舶・交通・宇宙航空事業本部長 |
2007年 | 4月 常務執行役員 新産業金融事業グループCEO |
2007年 | 6月 取締役 常務執行役員、新産業金融事業グループCEO |
2008年 | 6月 常務執行役員 新産業金融事業グループCEO |
2010年 | 4月 副社長執行役員 社長補佐 |
2010年 | 6月 取締役 社長 |
2016年 | 4月 取締役会長(現職) |
小林会長から貴重なお話しを伺うことができました。
(右:小林会長、中央:乙咩、左:渕上)
私は1971年7月に三菱商事に入社いたしました。お二方のご両親よりも先輩になるかもしれません。入社以降、日本経済の成長や変化と、キャリアを共にしてきました。入社した当時の為替レートは1ドル360円の固定レートでしたが、その後、308円、240円と円高が進み、さまざまな変動を経て、今は110円前後になりました。鉄鋼・造船等を輸出していくことが日本経済のエンジンだった製造業中心の時代、石油化学産業、半導体や自動車産業の台頭、金融や投資を基にしたサービス業への移行など、日本経済の長い歴史を商社パーソンとして経験しました。「日本経済の変遷を自分自身で体験してきたこと」が印象に残っていることですね。
商社のファンクションは大きく変化してきたと思いますが、日本の製造業が世界的に高いプレゼンスを有していた入社当時、この強い産業集団と一緒に事業に携わり、海外展開あるいは合弁事業を伸ばしていくという役割を担いたいと思っていました。結果的に私は、造船・海運のビジネスに約20年間携わりました。浮き沈みはありましたが、日本の強い産業集団を世界に広げていく一翼を担えたのは幸せなことだと感じています。
1980年代後半に造船・海運業界に世界的な大不況が到来しました。当時の三菱商事のファンクションは既に投資や金融に大きくシフトしており、商社も海運会社に融資をし、造船会社でつくった船を海運会社に傭船(ようせん)に出すというビジネスモデルを展開し始めた時期でした。大不況の影響を受け、海運会社の多くが厳しい経営状況に陥りました。一方、造船は国内の各地方において、地域を支える大きな産業に育っていました。従って、大不況に伴い、契約をキャンセルし、造船を中断することは社会的に与えるインパクトが大きく、契約を履行するという社会的使命を果たさなければならない、という状況に直面しました。結果として、三菱商事は納入先のいない十数隻の船を抱えることとなりました。そのような状況下、三菱商事として資金を手当てし船員を雇い、船会社をつくりました。当初は赤字が続き、数年にわたって苦労をしましたが、約10年間をかけ、十数隻の船を販売し、最終的には事業を黒字化させることができました。物事を長期的にみることの大切さと、社会と共生していくことの重要性を勉強しました。
本を読むのは好きでいろいろ読んでいます。例えばですが、斎藤茂吉が書いた『万葉秀歌』が好きですね。万葉集の歌を400首くらい集めて解説をした本です。なかなかいい歌が集められています。日本の映画では、野村芳太郎監督の『砂の器』が好きです。松本清張の小説を映画化したものですが、所々に涙を誘う場面があり、お気に入りの作品です。従ってこれは一人で見ますね(笑)。
「志は高く、目線は低く」ですね。あまり奇をてらったことはやるべきではないというのが、この言葉の真意です。仕事における本当のプロというのは、強い足腰を鍛え、次に何が起きるのか、未来を予測しながら、常に志を高く持っておくことが大事だと考えています。野球に例えると、ピッチャーがどのような球を投げ、どこにボールが飛んでくるかを予測し、正面でゴロを捕球できるようにするのが大事だということです。三遊間のゴロが飛んできた際に、派手な動きでボールを取り、ジャンピングスローでアウトにするのは、一見すると素晴らしいプレーに見えますが、ゴロを正面で取り、簡単にアウトを取るのがプロだと思います。基本の徹底が、やはり重要だと思います。
中学校から大学までずっとバドミントンをやってました。大学3年生、4年生の時には国公立の学生選手権で2年連続シングルスのチャンピオンになりました。しばらくバドミントンはプレーしておりませんが、これはちょっとした自慢です。昔は、ラケットが木製でしたので、お互いが打ち合う玉が遅く、バドミントンは攻撃のスポーツではなく、守りのスポーツだったと思います。守って、守って、耐え抜いて相手のミスを待つことが勝負の分かれ目であり、我慢する忍耐力が磨かれたと思います。また、相手の苦しさを理解することも覚えました。守りの強い者が最後は強いということを、バドミントンを通じて会得しましたね。
趣味は落語を聴くことです。寄席に行って落語を聴くのはもちろんですが、なかなか時間を割けないこともあり、自宅で水割りを一杯飲みながら、CDの落語を聴くというのが一番の癒やしです。特に5代目の古今亭志ん生とその息子の志ん朝の親子2人が好きです。親子が演じる一つの演目を聴き分けるのは、なかなか奥の深い癒やしの時間です。
小林会長から力強いメッセージの数々をいただきました。
(中央:小林会長、左:渕上、右:乙咩)
若手時代に1年程度インドに滞在し、30代前半から約6年間、ロンドンに駐在後、50代初めからシンガポールに駐在しました。シンガポールでは支店長のポジションに就いていましたが、支店長業務は非常に勉強になりました。会社の仕事だけではなく、日本人会や商工会議所のトップを経験し、現地の要人と交流する機会にも恵まれました。お客さまに3分間でシンガポールのことを話し、ファンになってもらうように心掛けていました。これは結果的に今でいうプレゼンテーションについて勉強したことになりましたね。
日本貿易会には4年ぶりの復帰となりますが、このたびは会長職を拝命いたしましたのでよろしくお願いします。日本貿易会の活動を支えていただいている多数の委員の皆さま、事務局、出向者の方々にまずは感謝申し上げます。年間300件近い各種の会合を開催し、さまざまな政策提言につなげているということを伺っておりますので、今後ともその専門性を発揮し、業界の発展に貢献していただくことに期待しております。また、現状、最優先すべきことは、皆さまの健康と安全であります。2021年1月には新しいオフィスへの移転を控えており、大変なミッションが続きますが、心身の健康を大切にし、一緒に頑張っていければと思います。
愛読書 | 斎藤茂吉『万葉秀歌』 |
---|---|
感銘を受けた映画 | 野村芳太郎『砂の器』 |
座右の銘 | 志は高く、目線は低く |
スポーツ経験 | バドミントン(国公立大学選手権シングルス2 連覇) |
趣味 | 落語を聴くこと |