10年後の世界から今のインドを振り返る ―インドにおける歴史的な変革期の予兆

経済産業省 通商政策局 前 南西アジア室長
笹路 健

以下の「はじめに」から始まるこの少々長い論考を、職場の有能な「物言う若手」に見せてコメントを求めたところ、まずはインドの分かりやすいイメージ、「象」とか、「IT技術者」とか、「カレー」とか、東京裁判の「パール判事」とか、誰もが抱くインドのイメージを最初に示して「つかんで」から、そのインドが「今まさに変化の時期を迎えている」という結論をまず端的に示すべきだ、との意見をもらった。

確かにその通りで、そこから始めたいと思う。

最初に出てきた「象」。第 2 次大戦中のエピソードを描いた「かわいそうなぞう」の悲しい童話はあまりに有名だが、戦後まもなく、まだ米軍占領中の 1949 年、「また象に会いたい」という日本の子供たちの願いをかなえるべくインドのネルー首相はインド象を真っ先にわが国に寄贈した。ネルーの愛娘と同じ「インディラ」という名前。1983 年に生涯を閉じるまで 34 年の長きにわたり上野動物園で日本の国民に愛された。

ただ、「日本とインドと象」という関係に絞った場合、そのつながりは意外にも江戸時代にまでさかのぼれる。当時日本に来たのは、インドのベンガル地方の象。現在のインドの西ベンガル州(州都はコルカタ(昔のカルカッタ。英領インド時代に首都も置かれた街))とバングラデシュのあたりから来た象である。私は、これを長崎のカステラ元祖の老舗「松翁軒」のカステラの包装に用いられている当時書かれた絵で偶然知ることになった。その絵には、肌の黒い現地の象使いが象を操り、オランダ人商人が、江戸時代の長崎を引き連れている。その絵を見て、江戸時代にも日本に来たインドの人々がいたんだな、としばし感慨にふけった。ただもっとさかのぼれば、奈良の東大寺の大仏の開眼供養(752年)はインドからわざわざ招いた高僧が導師を務めていたりするなど、インド太平洋ワイドのコネクティビティは意外に古い。

このように、日本人にとってインドという国は、つながりが深い一方で、知らないことが随分とたくさんある。現在、中国やASEAN と比べても圧倒的に情報量も少ない。なので、将来を嘱望されるインド経済を理解するには、まずありったけの情報を集めること、これが誰にとっても最も基本的で、常に大事であり続けることである。その情報の一端について、私なりの考え方も織り交ぜながら、以下読者の皆さんとしばしの時間を過ごしたいと思う。

1. はじめに

私がここで共有したいのは、将来、5 年後、10 年後の世界から「現在のインド」を振り返ったときに、人々の暮らしから経済の営み、街の姿、国のかたちに至るまで、インド社会そのものが大きな歴史的、構造的な変革期に差し掛かるターニングポイントとなった時期になるのではないか、という問題意識である。これは、今後のインド市場戦略を練る上で、最も基本的な視点になるのではないかと私は考えている。

具体的にインドにおける「歴史的・構造的な変革」をもたらしていく現在の予兆は何か。

私は、それはインドにおけるこれまでにないレベルでの、①都市化の進展、②生産性の向上の可能性の高まり、③社会的課題の解決のための技術革新やシステム転換の進行、④国際経済へのエンゲージメントの深化、という「四つの潮流」に集約できるのではないかと考えている。

2. インドにおける歴史的・構造的な変革の先駆けを告げる「四つの潮流」

(1)都市化の進展

現在、都市圏に 1,000 万人以上の住民が住むインドの都市は、デリー、ムンバイ、コルカタの 3 都市である。また、500 万人以上の都市は、この 3 都市に、チェンナイ、バンガロール、ハイデラバード、アーメダバード、プネの 5 都市を加えた 8 都市にとどまっている。これに対し、同レベルの人口規模を擁する中国では、500 万人以上の人口を擁する都市は 18 に上る。ただ、インドでも、都市化の波はかつてと異なる勢いを見せており、例えば、1990 年代後半から 2000 年代にかけての IT 産業の発展によって急成長したバンガロールやハイデラバードのような都市や、自動車関連産業などの集積や商業・物流機能の発展により成長したチェンナイ、プネ、ムンバイなどは、人口増加が著しく、近年の都市化の顕著な例である。

中国と比べるとインドは、緩やかな速度で発展してきたことも相まって、今後潜在的に成長する都市は、これらの 8 大都市にとどまらず漸進的増加してくることが予測できる。特に、2022 年には、中国を抜いて世界一の人口を擁するインドの現実にかんがみても、都市の成長はインド経済の成長を底辺で支える最も大きな原動力となる。例えば、チェンナイ(タミル・ナドゥ州)の北にインド洋に1,000km 近い海岸線を有して広がるアンドラ・プラデシュ州(AP 州)は、人口が 5,000 万人の州である。これは、ミャンマー一国に匹敵する人口規模であり、AP 州は、いわば国と同規模のスケールを有している。他方、AP州で最も人口の多い都市は、同州北部の港湾都市ヴィシャカパトナムで 180 万- 190 万人、第二の都市は、陸上交通の要衝で新州都の建設予定地に近いヴィジャヤワダで 100 万- 150 万人である。これに対して、ミャンマー最大の都市のヤンゴンは、人口 500 万人超であり、他の 4,500 万- 5,000 万人規模の人口を有する諸国の最大都市は、最低でも 300 万- 500 万人の人口を擁している(人口 5,000万人の韓国の首都ソウルに至っては 1,000 万都市である)。これは、いかにインドで都市部への人口集積が発展途上かということを端的に物語っている。言葉を換えれば、インドでは、いまだ農村部にべったりと人口が張り付いており、インドで一層の産業化や IT 化が進めば、加速度的に都市への人口流入が進み、さらなる都市化が進むことが予測できる。

それでは、インドにおける都市化の波が具体的にどのような経済的効果をもたらすのであろうか。

第一にもたらされる重要な帰結は、膨大な都市インフラ需要の創出である。PwC の試算によれば、インドにおけるインフラ投資需要は、2025年までに 6.6兆 USドル(700兆円)に上る見込みであるが、特に需要が喚起される戦略的に重要なインフラ・セクターとしては、エネルギー、交通、住宅・都市整備、産業施設、健康・医療、教育など、都市化と密接に関わる分野が、全体のインフラ投資をリードしていくことが見込まれている。これらの都市インフラは、日本がこれまで技術や知見を豊富に蓄積してきた、まさに課題解決型のノウハウ・経験と密接に関わる分野であり、インドにおける膨大なインフラ需要に応え、インドの持続的な経済成長を後押ししていく上で日本が貢献できる余地が極めて大きい分野といえる。

さらに、都市化の進展に伴う第二の重要な影響は、潜在的な個人消費が掘り起こされ、そうした中で、増加する個人消費や消費と密接に関わる都市機能の整備への投資が増え、それらがけん引する新しい都市経済機能が活性化してくるということである。より具体的に言えば、これまで農村で自給自足の生活を営んでいた国民が、都市部の職場や工場での仕事に従事し初めて給与をもらって暮らすようになり、新しい消費の担い手が急拡大する。しかも、もともと農村の家族・親族共同体の中で一生を過ごすことを希望していた層にとっても、スマートフォンなどの IT化の進展により、容易に都市部に移り住んでも故郷の親兄弟とのクロースなコミュニケーションを維持しながら、新天地での生活が営めるようになっている。こうした技術革新による複合的な要因により、インドにおける都市経済は、これまでの延長線上にない発展期を迎えることになる。

そして、第三に重要な点は、上記の二つの要素、都市型の個人消費の喚起と都市インフラの整備が「好循環」を形成する可能性が高いということである。すなわち、潜在的「都市型消費者」の掘り起こし・増加を通じて、新しいブランドイメージや買い物行動(モールの利用等)に触発されつつ、ITやファッション、食事、エンターテインメント、さまざまな消費財、eコマースなど個人消費が喚起されるとともに、個人の住宅・アパートメント、多様な都市システム(メトロや BRT(バス・ラピッド・トランジット)等の現代的都市交通システムの整備、スマートカードを利用した交通システムや決済システムの構築、エネルギー最適利用の面的展開など)への投資等々が飛躍的に増大していくことが見込まれ、さらに潜在的な都市型インフラ需要の増大につながっていく。

このように、これまでの何千年のインドの歴史の一コマというには余りある、歴史的に非連続的な現在のインドの都市化の流れは、今後のインド経済や社会の大きな変化と発展を裏付ける最も重要かつ不可逆的な趨勢であると捉えるのが適切である。これは、今後の市場戦略を構築する上で、まずもって念頭に置くべき要素であり、こうした分野で、国際競争力を有する日本の関連メーカー、製造小売産業等が活躍できる可能性はあまりに大きいということができよう。

(2)生産性の向上の可能性

インドの歴史的、構造的な変化の予兆を示す第二のポイントは、これまでとは異なる生産性向上の可能性である。

産業革命期以降のインドを他の主要国と比較すると、産業革命期と同時期のムガール帝国末期にインドには一定程度の技術水準があったにもかかわらず、インド国内での発明やイノベーションの速度の遅さと外国からの技術の導入に対する消極さ、鈍さ故、インドの技術革新や生産性向上を阻んできたとされる。その歴史的な背景・原因としては、カーストの下で、生産技術の未発達さ、稚拙さを補う、カーストで既定された職能ごとにきめ細かく細分化された驚くべきレベルでの熟練に達した膨大な量の低賃金労働力の存在を指摘する研究もある(Irfan Habib)。

しかしながら、現在の状況を見ると、都市化や産業化に伴うカーストの実質的な変容や、経済のグローバル化と IT 化の進展の中での外的世界に対する感受性の高まりを受けて、インドのモディ政権により大きな構造変革に向けた挑戦が大胆に繰り広げられつつある。具体的には、どの分野でそうした動きが見て取れるであろうか。

生産性向上の第一の可能性は、「製造業」においてのそれである。このことは、現在のモディ政権の Make in India 政策(製造業振興政策)や外資誘致の積極的政策(外資規制緩和の実施、州政府も含めたプロアクティブな投資プロモーション政策の展開等)、人材育成(Skill India 政策)やベンチャー・起業促進策(Start-Up India 政策)などが実績を挙げることで、これまでにない生産性の向上が実現する可能性がある。

そもそも、インド連邦政府が、現政権ほど外資誘致や投資の促進、産業・経済の振興にプライオリティを置いて取り組んだ時期はこれまでにない。また、インドの一部のやる気のある州政府においても、現在ほど、自州への外国企業の投資促進や経済振興、インフラ開発に力を入れている時期はこれまでになかった。これらは、現在のモディ首相が、グジャラート州首相の時代に日本企業や海外企業の誘致やインフラ開発(港湾開発や電力の安定供給の実現等)により経済面での成果を挙げ、中央の連邦政府の首相に上り詰めたという実績によるところが大きい。

このように、中央政府のみならず複数の地方レベルでも外資誘致・投資促進の機運がこれほどまでに高まっている時代は、これまでのインドの歴史においてはなかった。これは、かつて連綿として志向されてきた「閉じたインド」を根本から変える動きであり、経済のグローバル化の中で、インドの中央・地方の指導者の双方が、国際競争力のある企業の投資促進なくしては将来のインドや地元経済が立ちゆかないという「確信」を抱いたことに裏付けられる動きであると捉えられる。

また、企業の投資促進と密接に関わる「人材育成」策や、周辺産業を指させる「起業促進」策なども行おうとしており、こうしたトータルでみた産業振興策は、これまでのインドの歴史的な系譜とは異なるスピードやレベルでの生産性の向上、イノベーションの創出を今後のインドにもたらす可能性がある。特に、インドの歴史的・社会的事情をうまく乗り越えた製造業にまつわる「人」の技能育成は、インドの歴史の大転換点を物語る大きな社会変革のエネルギーとなっていくことだろう。

インド市場の内需をターゲットにする戦略にせよ、インドをグローバルな輸出拠点にする戦略にせよ、日本企業が今後インドで事業展開を行う際には、こうしたインドでの生産性の向上、インドなりのイノベーションの創出を常に念頭に置いてビジネス戦略を考えることが求められるといえる。これは、日本企業だけではなく、インドの地場資本や欧米等の外国企業にも当てはまることであるといえる。そして、ゆくゆくは、こうした経済社会での生産性向上やイノベーションの動きが、カーストを含むインドの社会構造や人々のマインドセットにも一定の影響を与えていくことも考えられる。

インドの歴史的な生産性向上の第二の分野は、「農業」とそれと密接に関連する「食品関連産業」などの分野である。

これは、①かんがい設備の整備などの進展による基礎インフラの整備の進展、②農業の機械化の進展、③肥料や多収量品種の育苗など農産物や育成技術の向上、④自給自足の農村経済を脱して食品加工産業との結び付きなどを通じた高付加価値化の実現や都市型の消費者を新たにターゲットとした新たなマーケティングの登場、⑤体系的な農業関連の人材育成の促進と農業従事者の技能の向上等を通じて実現される。

こうした要素は、日本企業を含む外国企業がインドに新たな技術をもたらしたり、経営・マーケティング等の上でのノウハウをもたらすことで、加速度的に農業分野での生産性向上が実現できる。また、日本の円借款等の経済協力においても、かんがい事業などのインフラ整備にとどまらず、高付加価値型の食品加工産業の育成やフードパークへの産業集積など、より体系的にフードバリューチェーン全体を見渡した新たなアプローチが展開可能である。さらに、日印の大学などの教育機関相互の連携なども農業人材の育成に極めて効果的である。

インド経済の 6分の 1を占める農林水産業であるが、こうした農業、あるいはより広く農林水産業の分野での日印連携がインド経済の生産性向上と持続的な成長に大きく貢献できる分野であることは極めて戦略的に重要な視点であるといえる。

(3)社会的課題の解決のための技術革新やシステム転換の進行

インドが大きな変革期に差し掛かっていることを物語る三つ目の点は、インドの歴史上長い間難しい問題であったさまざまな社会的課題・チャレンジの解決に向けて、これまでと異なる政府の戦略的アプローチが採用され、そのための技術革新やシステム転換が進行する兆しが見えていることである。幾つか具体的な分野を例示したい。

第一の例は、「公衆衛生」(public health)の分野である。

モディ政権が進めているクリーン・インディア(Swachh Bharat)は、インド社会の変革の核心に迫るこれまでにない、極めてプラグマティックな政策の思考軸である。モディ首相は、連邦首相になる前のグジャラート州首相時代から、「Build toilets first, templeslater」と唱え、連邦首相への就任後初めての独立記念日に際しての演説(2014年 8月 15日)でも、マハトマ・ガンディの清廉の精神と行動も援用しつつ、インドの社会変革のためには「トイレの改革」が必要であり、学校内で男女別のトイレを造ることなど、諸々の具体的アクションを 1年以内に実行することをうたい、実行に移していった。モディ首相も独立記念日の演説で自ら行っていることであるが、一見首相自らが訴えるような内容なのか、と疑問を呈する向きもあろう。しかし、この国を挙げた政府の運動方針は、インドの貧困削減、国民の福祉向上に始まり、海外に開かれたインドの実現(外国人観光客の誘致、海外直接投資の誘致)、さらには健康な国民から成る強いインドの実現など、過去から引きずってきた「遅れた貧しいインド」の根源に横たわっている積年の課題に正面から挑んでいる政府の断固たる姿勢に他ならない。こうしたインド社会の本質を突く、大きな社会改革に向けた最初の出発点となる意思表明が、過去のインドの政府にいかに欠如していて、まさに現政権のプラグマティックな改革志向を如実に表しているかということを十分理解すべきである。そして、この分野では、日本がこれまで培ってきた技術や経験・ノウハウが大いに活かせる分野であることは言をまたない。

第二の例は、それとも関連するが、「貧困」である。

貧困削減は、おそらくインドの歴代政権に共通の課題であっただろうが、現在進んでいる最も歴史的な事業として「国民 ID 構想」がある。貧困層にもファイナンスのアクセスを広げるとともに、さまざまな給付の確実な実施を目的として、全ての国民の銀行口座を作ろう、その前提となる国民 ID をつくろうという試みである。しかし、そもそも自らの生年月日も生まれた土地もわからないあまりにも多くの貧困層を抱えるインドでどのように ID をつくるのか。ここでも日本の企業が育んだ技術がインドの社会変革に貢献している。日本のバイオメトリクスの技術(指紋・顔・虹彩による本人認証)で 12 億人以上のインド国民の ID 付与が着実に進んでいる。

第三は、「水」である。

2016 年もインド西部など各所で渇水に見舞われた。渇水は、数多くの犠牲者をもたらすとともに、かんがい設備の整わない農業生産にも直接の影響を与え、経済成長の低迷やインフレ率の上昇等経済に直接の影響を与えてきた。また、2016 年の渇水では、例えば、インド西部に生産拠点を有する化学メーカーで、川の渇水の影響でプラントでの生産停止を余儀なくされるなど、製造業の分野での影響が生じている。さらに、新たな工業団地の立地に際しても、水の供給がままならないなどというのは、しばしば聞く話である。

これをどう乗り越えるかは、インドに生産拠点を構える外国投資家にとっては最も重要な課題である。地理的状況に応じて、安定的な水供給を可能とする水系を整えたり、中長期で絶対的な供給安定性を保障する海水淡水化を進めたり、幾つもアプローチがあるであろうが、とりわけ、日本工業団地など日本企業が集積するエリアでの水供給インフラの整備を重点的に進めることが政策的には足下で最も重要である。

ただ、この「水」の問題にどう取り組むかは、今後のインドの経済や社会の持続的な発展を考える上で死活的に重要な論点になってくるものと思われる。インドの水不足は、最大の将来の成長制約要因になり得る。これに対して、現在のうちから、技術やノウハウの面でのソリューションを日本が提供することは、極めて戦略的に重要な視点である。また、「水」は、チベットやヒマラヤという水源・国境紛争という観点から印中関係に大いに影響を与えてきた要素にもなっており、インドにおける安定的な水供給の確保は、地域の安全保障上も極めて重要な課題であり、日本がこれにさまざまな面でできる限り応えていくことは、日印のウィンウィンの「特別戦略的パートナーシップ」(2014 年の日印首脳会談で合意)を発展させていく上で、あまりにも重要な視点である。

最後にもう一つ、最も重要な分野の例は、「エネルギー・環境」分野である。

国際エネルギー機関(IEA) は、WorldEnergy Outlook 2015 において、インドが2040 までの世界のエネルギー需要の増加分の 4 分の 1 を占め、中でも、石油の需要については、2040 年までにインドは他のどの国よりも増加し、日量 1,000 万バレルに迫る勢いであると見通している。その上で、今後「インドが世界のエネルギー舞台の主役になる(India seizes the centre of the worldenergy stage)」と予測している。

こうした中、現在のモディ政権は、産業振興・投資促進に不可欠な安定的なエネルギー供給、とりわけ電力供給を確保するため、エネルギー安全保障と気候変動問題を共に実現する電源のベストミックス、具体的には、高効率石炭火力や原子力、再生可能エネルギーの導入促進のほか、省エネ等の低炭素技術の導入促進、系統安定化の促進等に取り組んでいる。また、より効率的な電力供給を実現するIPP等に係る制度改革の実施も求められる。さらには、エネルギーの輸入や流通を円滑にするインフラ整備等も喫緊の課題である。

環境問題についても、都市化の進展に伴い、デリーなど都市部での大気汚染が社会問題化・政治問題化している。デリーでは最高裁の行政命令であまり合理的根拠を持たないディーゼル車規制が時限的に導入されたり国の対応にも混乱が見られるところであり、インド連邦政府が、しっかりと科学的根拠に基づき、中長期的に全体最適を実現するホリスティックな環境規制やインセンティブ、ディスインセンティブ等の施策のフレームワークを築くことが必要不可欠である。

そういった意味において、エネルギー・環境分野におけるインドの取り組みは、いまだ緒に就いたばかりであり、一部に混乱も見られるが、インドにおけるこの問題への意識の高まりは、インドが持続的な経済成長と社会の厚生を実現するという内発的な動機を基本としつつ、国際社会におけるインドの経済的・政治的地位の高まりに応じた応分の責任を果たしていこうというインド自身の自覚の漸進的な高まりとが相まって、インド政府の政策の思考軸がより合理的で持続可能なものに変わっていく可能性が高まっていると看て取ることができる。

わが国としても、政府レベルで、規制や政策面での協力(政策協力、技術協力等)や協調(エネルギー消費国としての共通行動等)を推進するとともに、日本の企業や大学・研究機関等が有する経験や知見、技術をフル動員できるよう、さまざまなエネルギーや環境をめぐるプロジェクトに対して、戦略的な研究協力や、経済協力の実施、通商金融その他の貿易や投資のプロモーション策を通じた官民連携での具体的な案件組成を加速度的に行っていくことが極めて重要であり、今後の10年、20年のインドの経済成長を持続可能で安定軌道に乗せる最も重要な仕組みづくりを今からしていくことが重要である。

以上、「貧困」「エネルギー・「公衆衛生」「水」環境」の四つの分野の例を示したが、それ以外の分野も含めて、インド社会のあらゆる場面で課題解決のための技術革新やシステム転換が進行中、あるいは進行する兆しを見せている。それは、インドの現政権の改革姿勢とともに、日本企業を含む海外からの技術や経験が流入しつつあること、またそれが今後着実に拡大していくことによって確かで骨太のトレンドになっていくことを示唆している。そして、現在から数年の動きが、今後の 10年、15年のインドの社会経済構造を大きく規定する重要な要素になり得ることを十分念頭において、現在のインド市場戦略を日本企業は見据えておくことが必要であると考えられる。

(4)国際経済へのエンゲージメントの深化

インドの変化を方向付ける最後に指摘するポイントは、インドがいや応なく国際経済のフレームワークに組み込まれていくとともに、その下での自らの位置付けをインタラクティブに(一方的に自己の主張を繰り返すことはしないという含意)行っていく時期に入っているということである。

もちろん、WTOなど、インドが国際社会の中で独自の主張に固執する場面は依然として見られなくはない。WTO貿易円滑化協定をめぐる混乱は記憶に新しい。しかしながら、過去のこうした行動はインド経済が世界経済にそれほどエンゲージされていないが故に可能となってきたものであると考えられ、今後、グローバル経済という世界の潮流や、インド自身が志向する Make in India の実現や海外からの直接投資の増加、さまざまなインド国内の社会変革の進展に伴い、インドが国境を超えた生産ネットワーク、バリューチェーンで海外と結ばれることにより、おのずとインドのスタンスも変化するのが、インドにとっても合理的な選択肢となる。

また、先にも触れたが、インドの経済成長と国際的なバランス・オブ・パワーの観点からの政治・安全保障上の位置付けの変化に対応して、国際社会の中においてインド政府が相応の国際的責務を果たそうという動機をより強く持つことも合理的な行動となってくる。2016 年 6 月のモディ首相訪米時に、米印首脳で合意された気候変動分野における協力の合意、特に、パリ協定の年内批准を両国が目指すという政治合意は、その萌芽と解することもできる。

Make in India 政策に立ち戻ると、人によっては、単なる輸入代替策であり、昔と同じようにフルセットの産業をインド国内で完結させようという政策にすぎず、昔と何ら変わっていないとの見方をとる。しかし、私はこれは正しくないし、そもそも輸入代替策をインド政府が目指しているとすれば、これだけトランズナショナルな経済のネットワークが築かれた現下の状況において、およそ浮世離れしたナイーブな思考であると言わざるを得ない。むしろ現在のインド政府が目指しているのは、Make in India が外資規制緩和や海外からの直接投資促進の政策スタンスにも表れているように、インドを積極的に国際経済の現実世界にエンゲージさせ、国際競争力を持ったインドの産業を育成しようという「開放的な」産業政策であり貿易投資政策につながっていかざるを得ない、と理解するのが適切である。

ただし、いきなり「開放的」な経済政策が随所で見られるかというと、依然として短期では保護主義的な対応が見られたり、国内産業保護などの観点から旧態依然とした規制が残存するセクターが残ったりする(マルチブランド小売り分野など)のも事実である。しかしながら、ここで重要なのは、インドがかつてのような「閉じたインド」に、もはや戻ることはできない、という厳然たる現実である。インドの政策当局者はこの点をよく理解しているし、短期的には利害調整などの観点から閉鎖的、保護主義的な施策もとられることはあるかもしれないが、それは「開かれたインド」に向かう趨勢を根底から方向転換するものではなく、一時的な部分最適的な利害調整の局面として捉えるべきである。そういった意味において、まずは実態ベース、インドとアジア太平洋地域との間で、産業ネットワークやサプライチェーンのコネクティビティをより一層深化させ、「インド太平洋」ワイドでの経済統合をプラグマティックに推進し、インドと日本も含むアジア太平洋諸国との間で、共有する将来利益(shared interests)を増やしていくことが戦略的に重要である。その上で、その shared interests を維持・増大させるために、国家間・地域での法の支配や予測可能性(predictability)の向上、自由で開かれた貿易・投資などの目標、価値観が共有された段階(shared values の段階)で、インド太平洋ワイドでの制度的フレームワークが構築されることが将来期待される。

以上、インドにおける歴史的、構造的な変革が今後進んでいくことを予感させる「四つの潮流」について触れてきたが、こうした潮流の中にあって、わが国は、インド市場に向かってどのようなアクションを取っていくことが可能であろうか。

3. インド市場への今後のアプローチの考え方

(1)インド市場の膨大な需要に日本の知見・経験・技術などでプロアクティブに応える貢献

まず第一に、既に触れた都市化や個人消費の旺盛な伸び、インフラ需要の増大などに、日本が積極的に応え、インドの今後 10年、20年の「国づくり」に貢献していくということである。

例えば、今後のインフラ整備が見込まれる重点分野は、エネルギー、交通、住宅・都市整備、産業施設等の分野である。こうした分野は、日本が戦後の経済成長過程で、さまざまな課題を乗り越えつつ、持続可能で人の顔の見える研ぎ澄まされたインフラ関連の技術やシステムを構築してきた分野である。また、現政権が力を入れる公衆衛生対策や貧困対策でも同様の経験や技術の蓄積がある。もともと親日的なインドの国民性であるが、今のわれわれには今後の 14億人のインドの国づくりを日印両国が手を携えて行っていく、という揺るぎない志を持つことが求められる。

この際、特に、日本としては、インドにおける社会や経済面での変革(先に述べた生産性の向上や社会的課題の解決等)をより促すようなわが国の技術や知見の展開を戦略的に図ることによって、日本の過去の経験によってインド市場における潜在的なニーズを発掘したり、先駆的な取り組みをインドに導入することによる改革のアーリー・ムーバーとしての橋頭堡を築いていく視点が極めて重要である。

(2)日本からインドへの直接投資の促進と戦略的な産業集積の実現

前述した「四つの潮流」を捉えつつ、Make in Indiaに貢献したり、今のインド市場のニーズに積極的に応えたりしていくためには、やはり国際競争力のある日本の製造業が、インドに直接投資を行い、市場立地のメリットや、グローバルなコスト競争力を有する生産拠点、グローバル供給拠点としての戦略的なバリューチェーンを形成していくことが重要である。

この際、インド市場の特有の困難さについては十分理解した上で、これをいかにうまく乗り越えていくかという工夫が必要不可欠である。より具体的には、インフラの未整備や激しい競争環境、州政府が大きな権限を有する特異性、法制や税制の運用の不透明性、人材育成面での課題等々である。こうした世界でも特有の困難さを伴うインドという市場において、日本企業が直接投資や事業展開を行いやすいように、戦略的に日本企業を集積させ、その周辺でのインフラ整備(道路、水、電力等)や投資環境の整備を、インド連邦政府や州政府と緊密に連携しながら重点的、計画的に進めていく仕組みづくり(institutional mechanisms)が重要である。こうした観点からも、日印両国政府で合意している「日本工業団地」12地点における周辺インフラ整備や投資環境整備等について、重点的に施策を講じていくことが今後極めて重要である。また、日本政府としては、NEXIと JBICによる1.5兆円規模の「日印 Make in India特別ファシリティ」の創設を通じて、日本企業のインドへの直接投資や日系現地法人のインドにおける事業活動等に必要な特別の金融支援を行うこととしており、官民連携の下での大胆なリスクテイク機能の強化も進めている。

その上で、「四つの潮流」の第四の点でも指摘したように、インドがアジア太平洋地域の産業ネットワークにより参画できるようになることにより、インド太平洋ワイドでの物理的なコネクティビティの向上やサプライチェーンの深化に資する企業の投資や貿易の促進、関連する物流インフラの整備等を総合的に行っていくことが必要である。



(3)インドの州政府との関係強化

最後に、前述の日本工業団地の周辺インフラ整備や投資環境整備とも密接に関係するが、やはり、インフラ整備や許認可等の絶大な権限を有し、同時に地域の産業誘致・投資促進に雇用創出や州の経済成長実現という観点から実質的な利害関係を有する州政府との関係強化が、日本政府はもとより、各企業にも求められることを指摘したい。

私は、インドについてあまり知らない方から「基本的なことを教えてほしい」と頼まれたときに、必ず「インド≒欧州?」というタイトルをつけたインドと EU 双方の地図を A4横の紙に並べたパワーポイントの資料を使うことにしている(上記図参照)。インドは、ロシアを除く欧州とほぼ同じ面積、EU は現在 28 国から成るが、インドは 29 の州から成る。インドの州は、人口の多いところでは、約 2 億人(ウッタル・プラデシュ州)に及び、EU で独・仏・英・伊に次ぐ人口規模のスペイン(約4,500 万人)を超えるインドの州は、九つに上る。欧州で国によって言葉が違うように、インドでも州によって言葉が違い、インドの場合は、さらに文字まで大きく異なる。インドの州政府は、インフラ整備や許認可、税制など数々の絶大な権限を有しており、特に経済・産業関係では、州政府の政策の与える影響が極めて大きい。こうした状況を踏まえれば、インドの州は、EUにおけるドイツやフランス、英国、イタリアといった国と同様に考える方がむしろ自然であり、欧州においてブリュセルだけを頭に置いて仕事をするのでは十分ではなく、パリやロンドン、ベルリンの考え方や戦略も念頭に入れて仕事をすることが必要不可欠であるのと同じように、インドを捉える際にも、デリーだけでは十分ではなく、戦略的に重要な幾つかの州については、日本の政府も企業も、積極的に州政府の幹部と直接のコミュニケーションを持ち、州の発展のためにどうしたらいいのか、という共通のアジェンダを設定し、共に考え、共にソリューションを見つけていく、「当事者意識(a sense ofownership)で結ばれた関係構築」を行っていくことが極めて意義深い。そして、日本の政府や企業が、こうした積極的な方針にかじを切るのは、今をおいて他にはない。というのも、インドの州政府の側にも姿勢の変化が見られるからである。それは、「州の経済政策の積極化」であり、従来のポピュリスト的政策を乗り越え、産業を誘致し、雇用を拡大し、それにより州の発展と州民からの支持を得ようとする政治的リーダーシップがモディ政権になって拡大していることを意味する。

州の産業誘致に向けた意気込みを物語る象徴的な出来事は、2014年秋-2016年初の1年余りの間にインドの主要 5州(AP州、ラジャスタン州、マハラシュトラ州、マディヤ・プラデシュ州、ハリヤナ州)の州首相が相次いで来日し、州首相自ら投資促進や産業協力の推進についてトップセールスを日本で行ったことである。それまでは、日本を訪れ州首相自らトップセールスを行ったのは、当時グジャラート州の州首相であったモディ現(連邦)首相くらいである(2007年と 2012年に2回訪日)。

日本側としても、やる気のある州政府の動きに積極的に応えている。経済産業省は、2014年 11月以降、インドの州政府がビジネス環境整備に大きな権限(土地収用、インフラ整備、許認可、税制等)を有していることを踏まえ、日本企業の戦略的な産業集積を目指し、地理的な優位性や州政府のリーダーシップの卓越性などの幾つかの基準に照らし、経済関係を強化するに足る重点を置くべき「戦略州」をアイデンティファイし、こうした戦略州との関係強化を進めている。日本政府が州との戦略的な関係強化に動き始めたのは、ここ 1年半余りのことである。

具体的には、2014年 11月に、経産省とアンドラ・プラデシュ州(AP州)との間で協力のための覚書を締結し、国交省、農水省、外務省等の関係省庁やJETROや NEDO、JICA、JBIC、NEXI等の関係政府機関と一緒になって、製造業振興や投資促進、都市開発(新州都開発等)、インフラ整備、農業・食品加工産業の振興等の分野で協力をしていくための、日本政府とインドの州政府との間での直接の制度的枠組み(institutional framework)を初めて確立した。その後も、経産省としては、その他の戦略州であるグジャラート州、カルナタカ州、ラジャスタン州、マハラシュトラ州、マディヤ・プラデシュ州との間で協力覚書を締結している。また、タミル・ナドゥ州との間では、JICAプログラムローンも活用しつつ投資環境改善に向けた重点的取り組みを行い、投資環境改善のためのワーキング・グループやモニタリング委員会を州政府との間で開催するなど、実情に応じた現実的なアプローチを採用している。

今後は、企業に対しても門戸を開き、投資家に対してビジネス・フレンドリーな態度をとる州政府をまず第一に評価すべきである。そして、特に、州政府のリーダーシップ、とりわけ官僚機構のさまざまな弊害をも乗り越える「州首相本人のリーダーシップ」が州のパフォーマンスを決定付ける第一の要素であるといっていい。それが企業が新たに投資をする際の最も重要なメルクマールとなるであろうし、進出後の事業に関する継続的かつ誠実なサポートを期待できるからである。

4. 終わりに

最後に、こうしたインドにおける歴史的な社会変革(ソーシャル・イノベーション)が、なぜ今われわれの眼前に現れているのかという点について触れておきたい。それは、決して偶然このタイミングで出現しているわけではなく、経済のグローバル化と、技術革新(狭義の技術イノベーション)の進展、という二つの大きな国際的潮流が背景となっている。

インドは戦後長らく内向き志向の経済政策をとってきた。具体的には、英領からの独立運動を背景とした国産品愛用(スワデシ)運動や戦後の輸入代替政策・外資規制、社会主義的な国有企業政策などとして現れたが、何より経済的に重要な点は、大きな人口に根差した相当規模の国内市場の存在、米ソ冷戦構造下での世界市場の分断、英領時代の投資や技術の一定水準のレガシー(遺産)の存在(それなりの技術基盤や産業基盤の存在)等が、国際貿易体制下で「閉じたインド」を可能にしてきたと考えられる。

しかしながら、製造業の国境を超えた生産・販売ネットワークの形成、ICT や金融技術革新による世界経済のグローバル化・サービス化の急速な進展を前に、インドの経済社会も不可逆的にこれらに巻き込まれ、その中で、これまで変化しそうでなかなか変化してこなおりかった社会の底に潜む澱のようなものが徐々に変化し、新しい地殻変動を巻き起こしつつある。そして、われわれの目に接する外に現れた端的な現象が、先に私が指摘した「四つの潮流」に他ならない。

この「四つの潮流」は、いずれもポジティブに捉えられるものである。それは、日本とインドの双方の国民にとってのチャンスであり、日本の持てるリソースを活かして、インドの変革(transformation)を一緒に創り出していく時代がやってきている。

2015 年 12 月に訪印した安倍総理は、モディ首相との会談の冒頭で、「日印関係は『世界で最も可能性を秘めた二国間関係』であり、モディ首相と協力して、日印関係を可能性のつぼみから、現実に開花させて咲き誇る関係にして、日印新時代の幕開けを迎えたい、強いインドは日本のためになる、強い日本はインドのためになる、強固な日印関係でインド・太平洋地域、さらには国際社会の平和と繁栄をけん引していきたい」旨を明確に述べている。こうしたより強固な日印関係を築く担い手は、首脳同士に限られたものでは決してなく、国民一人一人、数々の企業やさまざまな組織の間で、重層的に進めていっていい大事なテーマである。ぜひ、一人でも多くの人が、現在のインドの「変化の兆し」を敏感に感じ取り、それを将来のチャンスにつなげ、日印関係の一層の強化と深化の過程への「能動的参画者」としての役割を大いに果たしていかれることを期待したい。

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