インドの持続的な経済・社会開発に向けたJICAの協力

独立行政法人国際協力機構
インド事務所長
江島 真也

1. 対インド経済協力の概観


わが国の対インド経済協力(以下、「対印経協」)は 1952年の国交樹立から6年後の1958年に始まり、以後50年以上にわたり継続してきている。その概要を同じ大国かつ新興国であり、わが国からのODAの大宗を有償資金協力(円借款)が占める中国と比較してみよう。興味深いことに、対中円借款の承諾累計は3.1兆円、対印円借款の承諾も2011年度末に3兆円に達した。既に終了した対中円借款の承諾最終年の2008年の中国の1人当たりGNIは3,040ドル(世銀、以下マクロ指標は特記を除き世銀)だったのに対し2011年のインドは1,410ドルと、2倍以上の開きがある。対中円借款の終了理由は1人当たりGNIが3,000ドルを超えたからではないが、対印円借款の今後を見通す上で1つの参考となろう。ちなみに中国の1人当たりGNIが現インド並みだったのは2004年、東南アジアだとタイの1992年ごろがこれに相当する。単純比較はできないものの、中国とインドの経済成長の時差が約10年、タイとは20年あるともいえる(注1)。
インドは12億人超の人口と日本の9倍近い国土を有する開発途上国であり、インフラ需要は圧倒的と言ってもよい。自動車の急増に道路整備は追い付かず、都市部での渋滞は常態化。水道があっても給水は1日に数時間、下水道整備は一部の都市でようやく始まったばかり。インフラの弱点をさらけ出した感のある7月末の大停電は影響6億人と報道されたが、まだ国民の34%は電気へのアクセスすらかなわない(2009年)。タイも中国も経済成長のボトルネックとしてインフラ不足が指摘され、わが国からの経済協力を活用して整備を進めてきた。まさに今のインドでも同様の指摘があり、インド政府はインフラ整備において、わが国からの協力に強く期待しているのである。
これに対しわが国はODA、なかんずく、有償資金協力(円借款)を積極的に供与し整備を支援してきた。とりわけ近年の拡充は目覚ましく、円借款承諾累計3兆円のうち6割近い1.7兆円は、直近10年間(2002-2011年度)のものである(図1)。1.7兆円の内訳は運輸分野が47%、水分野とエネルギー分野がそれぞれ20%、そして森林 ・ 農業分野が12%であり、インド政府が掲げる成長の加速および包摂的な成長という2本の柱に応えるものとなっている(図2)。

(注1)筆者はインドの人たちから今のインドの状況を聞かれると「今のデリーは20年前のバンコク並み」と答えている。



2. 代表的事業


デリー準州首相によるデリー・メトロ全線開業式典 
2011年8月(撮影:DMRC)

対印経協の代表的事例はデリー ・ メトロ事業(注2)である。デリー ・ メトロは首都デリーの交通事情と環境の改善を目的としたもので、わが国(JICA)は、1996年度を皮切りに第1フェーズと第2フェーズ合わせて3,747億円の借款を承諾し、並行して技術協力を実施した。事業実施機関のデリー ・ メトロ鉄道公社(DMRC)では2002年12月に部分営業を開始し、2011年8月には全線開業にこぎ着けた。現在、DMRCは190㎞の営業路線(民活路線を含む)で朝6時から夜11時まで、ピーク時は2分半間隔で電車を運行し、毎日200万人もの乗客を運んでいる。この事業はまた、デリーの街の形状を変えるという巨大なインパクトをもたらした。メトロの開通で郊外から都心への移動が容易となったことで、デリー近隣のハリヤナ州やウッタル・ プラデシュ州にまで延びる路線沿いに新たな街が生まれ、また地価が高い都心を避け、メトロ沿いに新たなビジネス街が形成されている。デリー ・ メトロの開業により、先進国ではおなじみの現象がインドでも起きたのだ。先般、DMRCは放射状の既存路線を環状に結ぶ第3フェーズに着手した。同フェーズに対しても、わが国(JICA)は支援することを決め、2012年3月に1,279億円の借款を承諾した。第 3フェーズ103㎞の全線開業は2016年の予定である。
もう 1 つの代表的事業は、デリー-ムンバイ間産業大動脈(DMIC(注3))構想の中核をなす 「貨物専用鉄道建設事業」(DFC(注4)西回廊)である。インド政府は成長の加速には首都デリーとコルカタ、ムンバイを結ぶ区間の貨物輸送能力増強が不可欠と考え、わが国に協力を要請した。JICAによる事業化調査を経て、インド政府はデリー-コルカタ間(東回廊)とデリー-ムンバイ間(西回廊)の貨物輸送の大容量 ・ 高速化の並行実施を決定した。そしてわが国は、2006年12月に両国間で合意済みのDMIC推進構想を踏まえ、DFC西回廊1,500㎞に対する円借款供与を決めた(東回廊は世銀借款で実施)。現在JICAでは、DFC西回廊のうち優先度の高い北側950㎞を対象に約930億円の借款を承諾済みであり、今後、事業の進しん捗ちょくに応じ南側区間にも借款を供与していく。DFC西回廊事業はDMICの中核であるのみならず、インドの持続的な経済成長の鍵となる巨大事業であり、インド政府が目標とする2017年の開業後は、デリー-ムンバイ間の輸送力が飛躍的に拡大される(全線開業は 2019年)。なお、DFC西回廊事業に対する借款はわが国の技術を活用すべく、本邦技術活用(STEP)条件により供与される。
以上に加え、デリー以外の主要都市(チェンナイ、コルカタ、バンガロール、ハイデラバード)で円借款を活用したメトロ事業が進行中である。上 ・ 下水道分野やエネルギー分野においても、わが国の支援による事業が多数実施されている。インフラ以外では、インド政府はわが国の支援を得て森林や生物多様性の保全に取り組んでいる。エネルギーと気候変動問題については、円借款資金を国内の省エネや再生可能エネルギー事業に投入している。一方で、インド政府は若年層の増加を背景に、製造業強化や人材育成を重要政策としており、JICAでは製造業経営幹部育成支援(VLFM(注5))(技術協力)や、インド工科大学ハイデラバード校設立支援(技術協力 + 円借款)などにより応えている。

(注2)正式プロジェクト名は「デリー高速輸送システム建設事業」だが、本稿では地元で広く用いられている「デリー・メトロ」と呼ぶ。都心部は地下を走行するいわゆる地下鉄であり、郊外に出ると地上に出て高架式軌道を走行する。デリー・メトロ全体では地下より地上区間の方が長い。
(注3)DMIC: Delhi – Mumbai Industrial Corridor
(注4)DFC: Dedicated Freight Corridor
(注5)VLFM: Visionary Leaders For Manufacturing


3. 日印パートナーシップ


対印経協の近年の拡充は、2000年8月の「日印グローバル ・ パートナーシップ」 を嚆こう矢し とする。その後、2005年4月の小泉首相(当時)の訪印以降、相互訪問による年次首脳会議が定着し、二国間関係の強化が図られてきた。最近では2011年12月に野田首相訪印時に、「国交樹立 60周年を迎える日インド戦略的グローバル・パートナーシップの強化に向けたビジョン」 なる共同声明が発表された(注6)。同声明のうち ODA 関連では、デリー ・ メトロ第 3 フェーズや、DFC西回廊の残り区間が言及された。またDMICについて、わが国官民合計45億ドルの資金を利用可能とするとの意図がわが国から表明された。さらに、本邦企業の進出が進むインド南部(チェンナイ-バンガロール間)でのインフラ整備の重要性が強調された。加えて、インドの高速鉄道開発におけるわが国の技術と専門性の活用を野田首相が希望し、シン首相はこれを歓迎した。連邦と州という二重の巨大な行政機構を抱えるインドでは、ともすれば検討や手続きに多大な時間を要し、州をまたぐ大型事業では州間の調整に困難を来す場合がある。ところが、首脳会議で両首脳によりビジョンが共有され、共同声明で協力内容に具体的に言及されることで、インド側実務レベルでの検討や調整が円滑に進むことになる。また、わが国からの支援や関与についての予見性が高まるため、インド側での大型開発事業の構想や企画に弾みがつくという効果ももたらされるのだ。

(注6) 外務省HP に詳細
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_noda/india_1112/joint_statement_jp2.html


4. 課題と展望


順風満帆に見える対印経協に課題はないのだろうか。まず考えられるのは、膨大な開発需要に対し、わが国はどこまで応えていくのかという点である。そもそもインドの開発需要をわが国を含む海外からの支援だけで賄うのは到底無理な話だ。インド政府もこれを認識しており、わが国からの支援は両国間で合意された重点分野・事業に優先的に充当していく方針である。また、例えばメトロ事業では、比較的工事が容易な地上(高架)部分は自己資金で実施し、難易度の高い地下工事と車両・軌道・電気施設などの部分に円借款資金を活用するのがインドでの通例である。このようにインド政府は円借款の対象となる事業と内容を選別していく方針であるところ、わが国は上流での政策協議の緊密化を通じ、円借款対象が両国にとり納得できるものとしていく必要がある。
次に、PPP等の民活方式との役割分担が挙げられる。インド政府はインフラ整備において民活を積極利用する方針をとっていて、有料道路、発電、空港ターミナルなどの事業が民活により実施されている。ここで留意すべきは民活による実施可能と不能の線引きである。線引きは、一義的にはインド側の責任だとしても、民活事業が進捗しないと結果的にボトルネック解消が遅れ、開発や投資に負の影響を与える。例えば、ムンバイ ・ メトロの2号線事業はインド企業に事業権が付与されたが、全く進捗していない。このためムンバイ側は3号線事業は円借款を活用し直営で実施したい意向である。民活事業の対象範囲は慎重に見極められるべきであり、見極めに当たってはわが国からの助言が有用であろう。
また、本邦企業の活動との関係もある。2011年のわが国からの対インド直接投資は対前年比136%増の31億ドル。モーリシャス、シンガポールに次いで第3位であった(JETRO)。投資の増加に伴いインフラ不足が顕在化してきており、その解消につながる戦略的な支援が期待される。すなわち、インドに対する経済協力ではあるが、直接、あるいは間接的に本邦民間企業の活動にも資する支援である必要があろう。例えば、前述の日印共同声明に盛り込まれた南部インド開発は、本邦企業の進出が目覚ましいインド南部のインフラ・産業開発支援を図るものであり、JICAでは作業に着手済みである。
もう1つ付け加えるなら、円借款事業における本邦企業の受注の増加であろうか。STEP条件であるDFC西回廊事業以外の円借款事業では、国際競争入札を経て請負契約が結ばれる。地元インドのゼネコンが力をつけ、第三国企業もインド市場参入に熱心であることから、競争は厳しい。かかる状況に照らし、JICAでは、本邦企業の技術力が活かされる事業内容とすべく、事業形成段階から工夫を凝らしている。ただ、グローバル化した今、あらゆる財とサービスを日本から調達するのも非現実的であり、世界中から優れた品質と価格の財とサービスを集め、最適なパッケージを提案することがより重要である。これは、わが国総合商社が最も得意とするところであり、筆者も大いに期待したい。


5. おわりに


2012年は世界経済が停滞気味で、インドも例外ではない。インド政府は経済政策において、国内政治との兼ね合いで難しいかじ取りを求められているが、今のインドの成長の端緒が1991年の経済自由化にあるのは明白であり、自由化政策の大幅な後退は考えにくい。インドは今後も海外からの投資を必要とし、特に技術に優れるわが国からの投資に大いに期待している。筆者としても、両国首脳の力強いリーダーシップの下で、二国間関係が拡大・発展し、お互いがなくてはならない存在になることを願ってやまない。そして、わが国の対印経協がその一助となれば幸いである。
(本稿は筆者の個人的見解でありJICAの意見を代表するものではない。)

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