日本とミャンマーの関係強化に向けて

在ミャンマー日本国大使館 公使参事官
丸山 市郎

ミャンマーは、2011年3月のテイン・セイン政権登場後、矢継ぎ早に民主化、経済開放化に向けての諸策を打ち出し、それに呼応し、これまで厳しい経済制裁措置を取っていた欧米諸国もそれを基本的に撤廃し、世界各国から熱い視線を集めています。

1962年に当時のネー・ウイン国軍司令官がクーデターで政権を掌握し、その後、鎖国主義的社会主義政策を取り、その間 ASEAN諸国が経済発展を遂げる中で、ミャンマーは最貧国として取り残されてきました。1988年、冷戦崩壊の1年前、ミャンマーでは民主化を求める全国規模のデモが起こりましたが、再び国軍がクーデターで政権を掌握し、それはテイン・セイン政権が発足する2011年まで続きました。ミャンマー国民の目から見れば、1962年から半世紀にわたって、軍事政権の下で、自由な発言や行動も厳しく統制を受け、今ようやく、民主的で豊かな国に向けた動きが始まりだしたということでしょう。

さらには、今年2014年は、ミャンマーが1997年のASEAN加盟以来、初めてASEAN議長国の重責を担うことになっています。特に8月には ASEANプラス3(日中韓)外相会合、経済大臣会合が、さらには11月には東アジアサミットが開催されることになっており、このサミットには安倍総理が、オバマ米大統領と共に出席することが予定されています。そのため日本のみならず、欧米諸国、ASEAN諸国、さらには中国、韓国等の国際社会の主要なプレーヤーがミャンマーに対する政治的・経済的関与を一層強めていくことになると思います。

このような動きの中にあるミャンマーに対して、日本は、最大の支援国として、官民一体となった取り組みを行ってきています。ミャンマーは日本にとって、戦前、戦中、戦後と一貫して政府レベルだけではなく、国民各層のレベルで交流が途切れることなく続いてきた特別な国であり、その意味からも日本が今こそ支援の先頭に立って進むことが、この長い交流の歴史を確かなものとし拡大していく上で重要といえるでしょう。またそのことが、日本とミャンマーの関係だけではなく、日本と ASEANとの関係の拡大強化にも大きくつながっていくことになると考えられます。

2013年5月、安倍総理は、総理として36年ぶりにミャンマーを公式訪問しました。テイン・セイン大統領との首脳会談では、ティラワ経済特区のための電力、港湾整備、ミャンマー全国を対象とする貧困削減を目的とした地方開発等計約510億円の円借款、ならびに鉄道、保健分野等を対象とした無償資金協力約400億円、総額約 910億円の支援を表明しました。

また2013年12月には安倍総理は、東京で開催された日・ASEAN特別首脳会議出席のため訪日したテイン・セイン大統領との首脳会談において、マンダレー・ヤンゴン間(これは東京・大阪間の東海道本線に相当するものです)鉄道整備、ヤンゴン市上水道整備、ティラワ経済特区への接続道路建設等計約630億円の円借款の供与を表明しました。2013年の約半年の間に円借款、無償資金協力と合わせて総額1,540億円の支援を表明したことになります。

この額は、2013年度のミャンマー政府当初予算歳出が約1兆6,000億円、全省庁事業予算が5,700億円であるため、当初予算歳出額の約10%、全省庁の事業予算については約27%を占めるものであり、いかに大きな支援額であるかを示しています。今後は、この表明した支援を、ミャンマー政府のみならず関係日本企業とも緊密に協力しながら、ミャンマー国民がその支援の果実を一日も早く、そしてしっかりと実感するために確実に実行していくことが最重要になっています。

ミャンマーの国民から求められているのは、就職の機会を創り出し、そして所得の向上を図ることです。その重要な役割を果たしていくのが、ティラワ経済特区です。ヤンゴン市南方約23kmに位置し、山手線内の約40%に相当する2,400haの広大な土地です。

2013年11月、ティラワ経済特区の起工式が開催されました。2012年初め、ミャンマー政府はティラワ経済特区開発を前面に打ち出し、日本としてもこれに取り組むべくミャンマー政府との間で協議を重ねてきました。当初ミャンマー政府は、2015年までに2,400ha全体を完工してほしい、それができないのであれば4分割し他の国の関与も検討したいとしていましたが、日本が粘り強く、そして官民挙げて熱意を持って協議を続けてきた結果、日本がその重責を担うことになりました。2015年までに400haの開発を進めるため、日本とミャンマー双方の官民一体となっての取り組みが進められてきており、大使館としても、その成功のために全力を傾注していく考えです。

この経済特区成功のために越えるべき課題は多々ありますが、ミャンマーで初めての経済特区を成し遂げることが、ミャンマーの国造りに向けての日本の支援を、日の丸を掲げて、先頭を進んでいく象徴となると確信しています。日本から来られる関係者の方々から、ミャンマーの魅力として低廉な労働力が挙げられます。しかしミャンマーの魅力は、そうではなく、親日的で、そして教育レベルの高い良質の国民が多くいることだと思います。

2014年のASEAN議長国の責任を果たし、来年2015年になれば、10月または11月には総選挙が予定されており、ミャンマーは政治の年に向かって進んでいくことになります。この選挙はアウン・サン・スー・チーさん、多くの少数民族政党等、全ての関係者が参加するものであり、その意味では、1960年以来半世紀ぶりに行われるものです。この選挙結果がどのようなものとなるか予測することは、世論調査機関がないこともあり困難ですが、いかなる結果になってもミャンマーがこれまでの民主化、開放化の歩みをさらに進めていくことは確実であり、またその歩みを確かなものとするためにも、日本としては引き続き全力で協力に取り組んでいきたいと考えていますので、ぜひ日本貿易会の皆さまのご指導、ご協力をお願い申し上げます。

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