2015年4月号(No.735)
日本に住む私たちは、集団順応主義の社会に生きています。多くの人は集団の中に心地良さを感じ、和を乱さないように衝突を避け、仕事や遊び、家庭においての円滑な人付き合いを望みます。この和の精神は、日本文化の礎です。私たちは日本人であることに誇りを持ち、文化規範を尊重すべきです。しかし、このような文化規範は、ときに奇想天外な発想を生み出す制約ともなり得ることを留意しておきましょう。
私は15歳まで、米国で暮らしていました。日本と米国での生活経験により、それぞれの強みを体感しました。日本では、自分に何ができる、できないかを、周囲と比べて判断します。また、何をすべきか、すべきでないかも周囲がどう思っているか推測して判断することが多いです。このような考え方は、創造的プロセスの成熟を阻み、個人が可能性を発揮するのを邪魔します。新しいことへのチャレンジをちゅうちょさせ、人にどのように見られるかを恐れるあまり、自らの成長を阻害してしまうのです。これは、国として本来持ち合わせた可能性発揮の障壁にもなります。私たち一人一人の可能性を損なうことが、国としての痛手になるのです。
日本には長い歴史があり、世界に誇れる文化があります。しかしなぜ、人口が日本の3分の1でしかない韓国は、ITやエンターテインメントの分野においてマーケットシェアを世界的に拡大しているのでしょう。サムスン電子は、米国アップル社と世界を土俵に競合しています。K-POPはアジアのみならず、世界でも大変な人気があります。韓国は日本同様、限られた資源しかなく、人材という共通の一資源に頼らざるを得ません。同じアジア圏でありながら、何が違うのでしょう。労働意欲でしょうか。または教育制度でしょうか。このような疑問を投げ掛けるのは、韓国に焦点を当てたいからではありません。他にも急激な成長を遂げ、世界的に市場を支配している国々があります。中国やインドなどがそうです。
韓国を含むアジアの多くの国が日本よりもたけていること。それは、失敗を恐れず新しいことに挑戦する姿勢だと思います。失敗は成功のもと。成功のために間違ってもいいという考え方は、革新やリスク引き受けに向けての重要な第一歩といえるでしょう。この革新やリスク引き受けこそ、世界的市場支配というゲームで優位に立つために必要不可欠な要素です。この点において、韓国は日本よりも一歩先を行っていると私は感じています。彼らは革新的な何かが新しい発明や商品につながるかどうか、自ら進んで新しい考え方やコンセプトを試しています。
あらゆる分野において、韓国が日本の存在を脅かすことができるのはなぜでしょうか。それは、失敗から学ぶ姿勢だけとは思いません。彼らは、既存の枠にとらわれない思想による、選択肢の創造を高速で行うことを自らに強要しているからだと思います。
一例を挙げましょう。サムスン電子は、地域スペシャリストという戦略を立てました。地域スペシャリストとして任命された社員は、世界中の重点地域へ移り住み、現地の人と仕事や日常生活においてさまざまな関係を築きます。これによってサムスン電子は、商品を売り込みたい重点地域を徹底的に調査することができました。任命された社員は社内の国際化を促進し、企業、そして国の成長を後押ししました。このような既存の枠にとらわれない、思い切った発想が日本には足りないと思います。この例から学べることは、一人一人がさらなる努力をし、自分自身の目標を達成するということです。
私は、「守破離」の概念を頻繁に活用します。守破離とは、技能の熟達における順序段階のことです。「守」は、師匠(ある技能や分野において優れたスキルを保有する者)の教えを学び、価値観を吸収します。「破」の段階は教えに従いながら、自らの考えや価値観を加え、自分の道を創っていきます。「離」の段階では師匠から離れ、自分が創った道を改良し、洗練させていきます。つまり守破離という思想は、優れたスキルを持つ者を観察し、学び、そして自分の考えを加え、自らの真の潜在能力を知り得る方法です。
日本では多くの「守」、少しの「破」とわずかな「離」しかないように見受けられます。日本がこの 100年で成し遂げた成功は、守破離のおかげであると考えますが、現在の日本は「離」の精神に欠けています。逆に米国では、「離」の段階を求め、「守」と「破」の段階を踏みたがりません。これは権利意識と失敗をもたらします。日本と米国の組み合わせが素晴らしく、お互いにもっと学べば偉大な結果が得られます。米国の子どもたちには、守破離の概念を受け入れ、「守」と「破」の段階を乗り越えて初めて「離」の段階に入れると考えてもらいたいです。そして日本の子どもたちには、「離」の段階へ達することができると信じてもらいたい。またそうできるように、親や周囲の人が積極的に働き掛けてほしいと思います。
「離」の段階にいくためには、リスクを引き受けることになります。しかし、時にはリスクを受け入れるべきです。日本は、もっとリスクや変化を受け入れられる国になる必要があるでしょう。伝統と文化的規範は尊重しなければなりませんが、だからといって新しい手法を試せないわけではありません。集団主義を尊重しながら、その集団を率いることのできる強い個人を目指す。調和を重んじながら、必要な変化を恐れない。序列を尊重しつつも、上の考えをそのまま受け入れず、納得できるまで疑問を呈する。既成概念を疑えば、革新やリスク引き受けを通して、自分で自分の人生を生きようという意欲のある個人が生まれます。そうした個人が増えることにより、世界で戦える強い国になっていきます。
人生に目標を持ち、そのためのプランを立てて努力することが、国際社会を生き抜くスキルの第一歩です。人生はリスクであるからこそ、マインドセットして強く生き抜くことが必要だと考えます。