寄稿 インド太平洋地域の新たな経済連携の在り方

経済産業省 通商戦略室長
田村 英康

復活した地域の経済外交

2022年5月後半は、日本国内で「アジア」や「インド太平洋地域」がハイライトされた半月となった。5月21−22日にAPEC貿易担当大臣会合が3年ぶりに対面で開催されたのを皮切りに、23日は日米首脳会談とインド太平洋経済枠組み(IPEF)立ち上げイベント(首脳級)および非公式閣僚会合、24日は日米豪印(Quad)首脳会議が東京で立て続けに開催された(IPEF立ち上げイベントは、日米印のみ対面参加のハイブリッド形式、非公式閣僚会合は完全オンライン形式の実施)。それに続くように、5月26日と27日には日本経済新聞社主催の国際フォーラム「アジアの未来」も3年ぶりに対面開催され、マレーシアのイスマイルサブリ・ヤーコブ首相、シンガポールのリー・シェンロン首相、そしてタイのプラユット・チャンオーチャ首相の3人が対面で参加した。新型コロナ危機前の状況には及ばないとはいえ、地域の首脳同士が対面で会談し、随員の閣僚たちも日本のカウンターパートと議論する(実際、萩生田経済産業大臣も米国のレモンド商務長官、マレーシアのアズミン上級大臣兼国際貿易産業大臣、ベトナムのファム・ビン・ミン筆頭副首相と相次いで会談した)様子は、この地域に「経済外交」が戻ってきたことを実感させるものだった。こうした首脳・閣僚レベルの議論において、将来のあるべき経済秩序の構築に向けた腹を割った話をできる環境の実現こそ、「自由で開かれたインド太平洋地域」の実現に向けた重要な道筋であると改めて実感した次第である。

自由化なき経済連携の時代

「10年前のカンボジアを思い出したんじゃないですか?」5月23日の夜、アジアに造詣の深い記者さんから、そんな電話をいただいた。確かに、私からすると、IPEF立ち上げイベントや閣僚会合の様子を見て、2012年11月の東アジアサミットにおけるRCEP交渉立ち上げ宣言(シェムリアップ)や、2008年11月のAPEC閣僚会合における米国、豪州、ペルーが参加する形でのTPP拡大交渉開始の発表(リマ)を想起するところはあった。ただ、その頃に比べて明らかに違うことが一つある。それは、「貿易・投資の自由化なき地域経済イニシアティブ」というトレンドである。過去30年、インド太平洋地域において、首脳級で経済枠組みをハイライトするとき、そこには常に「自由化」があった。ボゴール目標や早期自主的分野別自由化措置(EVSL)で非拘束的な貿易自由化を打ち出したAPEC、2000年代に始まった「ASEAN+1」の経済連携協定(EPA)交渉、そしてTPPやRCEPと、その流れは一貫して続いてきた。他方、2022年5月の首脳レベル会合で東京にいたのは、TPP離脱を経た米国と、RCEP合意に最終盤で不参加を表明したインドだ。そして、その背景には関税引き下げが輸入増を通じて雇用を奪うといった国内世論があることは否定できない。

また、そうした「内向き」志向は、米・印に限ったことではない。例えば、インドネシアでは、スマートフォンやタブレット型パソコンの輸入に際して、インドネシア国内での現地調達率を考慮することを工業大臣令で定め(2016年)、近年ではその運用が厳格化されているとの情報もある。

かかる環境下においては、地域ごとで経済連携に取り組むにせよ、2010年代とは違った切り口や手法が求められる。その鍵となるのは、地域の共通課題であるサプライチェーン脆弱(ぜいじゃく)性への対応である。

「サプライチェーン」というマジックワード

日本貿易会・市場委員会のディスカッションペーパー「自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた商社のダイナミズム」(2022年3月)においては、各所にサプライチェーンの「再構築」「強靭(きょうじん)化」「多元化」といった言葉が並んでいる。これは、「自由化なき経済連携の時代」のマジックワードであるサプライチェーンの重要性を改めて明確化した点で、時宜を得た切り口といえる。

実際、Quad首脳会談では、「重要技術サプライチェーンに関する原則の共通声明」が公表され、日米豪印政府が産業界等と連携し、①製品等のセキュリティ、②サプライチェーンの透明性、③第三国の影響等からの自律性・健全性、の向上を目指すことが宣言された。また、グローバルな半導体サプライチェーンにおける日米豪印の、「供給能力及び脆弱性に関するマッピング調査」を踏まえ、相互補完的な強みを一層活用し、多様で競争力のある半導体市場の実現に取り組むこととなっている。

IPEF立ち上げの共同声明においても、サプライチェーン強靭化に向けて、「サプライチェーンの透明性、多様性、安全性、及び持続可能性の向上にコミット」し、「サプライチェーン混乱の影響軽減のための協力の拡大、主要原材料・加工材料、半導体、重要鉱物、及びクリーンエネルギー技術へのアクセスを確保するよう努める」ことが明記された。IPEFに参加を表明した多くの国も、新型コロナ危機やロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けたサプライチェーンの途絶・混乱には極めて大きな問題意識を有している。そのため、IPEF成功の帰趨(きすう)は、サプライチェーン分野でどのような成果を上げられるかにかかっているといっても過言ではないだろう。そのためには、地域全体にサプライチェーンを張り巡らせている日本企業の経験から、分野ごとにどのような課題があり、相互補完的な調達関係を深化するにはどのような方策(例:緊急時の相互融通、税関はじめ貿易手続きの迅速化、物流インフラの整備)が必要かについて、積極的に発信していただくことが極めて重要だ。

また、必ずしもIPEFやQuadにおける取り組みではないかもしれないが、サプライチェーンにおける人権侵害や環境破壊のリスクをいかに最小限にしていくかという点も非常に重要である。サプライチェーン全体の詳細情報を把握する難しさは多分にあるが、その中で可能な限りデューデリジェンスの取り組みを進めていただくことを強く期待したい。

将来の経済統合深化に向けて

前述の通り、足元では貿易・投資自由化に対して、必ずしも前向きな動きばかりではない。そのような中ではあるが、既に発効しているCPTPPやRCEPをはじめとするEPAを積極的にご活用いただき、貿易自由化の恩恵がさまざまな企業に及ぶという実例を生み出し、またハイライトしていくことも必要だ。実際、RCEPは発効後半年足らずで原産地証明書の発給件数が3万5千件近くに及ぶなど、多くの企業に活用いただいており、それは日本企業の輸出競争力や国内生産基盤の維持・強化に貢献していると自負している。日本貿易会の提言でも、FTAの活用拡大と質の向上の重要性を明記していただいているところであり、政府としても企業の活用事例を強調しつつ、将来的な質の向上に努めていきたい。

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