やって来た「日本」の出番

経済産業省 通商政策局 中東アフリカ課長
岡田 江平

これまでの中東地域

第2次大戦以降今日に至るまで戦火が収まることのない中東地域であるが、大小の戦乱、政治的混乱を経ながらも、かぎかっこ付きの「安定」をかろうじて保ってきた国々も部分的には存在する。その要因として最も重要なものから挙げれば、欧米、特に米国の強力なコミットメントの存在である。1960年代末に英国がスエズ運河以東から事実上撤退した後、中東、特に湾岸諸国の安全保障・治安維持は圧倒的に米国に依存してきた。

第二に、石油・ガス資源の輸出から生ずる潤沢な資金力である。いわゆるオイルマネーは、資源国においてはもちろんであるが、周辺の石油・ガス資源に恵まれない国々にも、1次産品の輸出や、労働者の輸出、援助などの形での所得移転を通じて、一定の資金還流をもたらし、地域の安定に寄与してきた。

第三に、人口が少ない国が多く、所得の再分配も比較的容易であったことも好条件であった。

以上に加えて、第四の要因として、域内のほとんどの国において、強権的な指導者・指導層の下、厳しい情報・言論統制が行われてきたことも挙げられよう。

変わる前提

しかしながら、近年、「安定」の前提となってきたこれらの環境が変化している。

第一に、米国の対外コミットメントの変化である。一例として、2014年5月、オバマ大統領は、ウエスト・ポイント陸軍士官学校の卒業式で、米国兵士の海外派兵が困難となってきている認識を表明したとも解釈し得る演説を行った。もちろん、米国は対外コミットメントの変更を公式に宣明したわけではないし、今後の状況次第での揺り戻しもあり得よう。しかし、国としての存立の前提ともいえるほどの圧倒的なレベルで米国に安全保障を依存してきた国々においては、その「兆し」さえも、十分な衝撃となり得ている。

第二に、化石燃料資源の多様化である。シェール・ガスやタイト・オイルのマーケットへの登場、ロシアのガス市場における積極的攻勢などにより、圧倒的な競争力を持っていた中東地域の原油・ガスの地位が揺らぎを見せており、これまでのような莫大にして安定的な収入が必ずしも将来的には担保されない気配が生じている。

第三に、人口の急増である。元来人口が希薄だった湾岸諸国も含めて、中東地域の人口は急速に増加しており、ほとんどの国において、過去30年で倍増あるいはそれ以上の人口増を見ている。エジプト、トルコ、イランなどの大国は、遠くない将来に1億人に迫る勢いである。特に、もともと人口の少なかったサウジなどは過去30年で実に 3倍となり、3千万人を目前としている。人口増による1人当たりの原油収入の分配の低下を、近年は油価の高騰で補ってきたが、油価の低迷が続けば、これまでのようにぜいたくな福祉はいよいよ不可能になってくる。また、産油国、非産油国を問わず、人口が急速に増えた結果、若年層の失業率が高くなっており、国民の不満・不安が生じやすい状況を生んでいる。

第四に、ソーシャルメディアの普及である。域内のほとんどの国で行われてきた強権的なメディア・コントロールも、携帯電話や SNSなどの個人発信型メディアが普及したため、かなりの程度「尻抜け」になっており、国民の不満・不安が拡散、顕在化しやすくなっている。

日本への期待

このように、これまで中東地域を、部分的ながらも「安定」させてきた諸条件が変化しつつあることから、大くくりに言えば、域内諸国はいずれも過渡期の不安定な状況にあり、また、その中で、従来の、政治・経済・安全保障から文化に至るまでの欧米一辺倒が徐々に見直されている。

かかる文脈で、もともと中東地域において潜在的には存在した日本に対する漠然たる期待が、具体化し、本格的に高まりを見せつつある。第一に、直接投資の主体としての日本企業への期待である。域内全ての国に共通する最も深刻な課題は、テロリストの温床ともなっている若年層の失業問題の解決である。従って、製造業投資やインフラ投資の主体として、どの国も外国企業の誘致を切望しているが、中でも日本企業への期待は高い。その背景として、日本企業の技術力に対する憧憬もさることながら、長期的視野に立って丁寧に現地人材の育成をすることに対する高い評価がある。

また、同じ流れで、長年欧米のマーケットであり続けた中東諸国が、ようやく日本のモノやサービスに対する正当な評価を行うようになってきた。これまで、わが国が支払ってきた膨大な原油代金のほとんどは欧米の財やサービスの購入に充てられてきたわけであるが、それを多少なりともわが国に環流させる契機が生じているのである。

例えば、生活習慣病対策が国家的課題となっている湾岸の富裕国においては、日本の高度な医療技術や医療機械に対する関心が特に高い。性質上表には出にくいが、昨今は、日本への医療ツーリズムにも、富裕層や要路の人々の間で隠れた人気がある。また、現地と日本の医療機関同士の提携や、病院システムの輸出計画も進んでいる。

また、読み書き計算など基礎学力の獲得を重視する初等教育や、自立心や礼節を重んじる武道への関心は、教育サービスの輸出の可能性につながっている。「食」についても、元来、かなり保守的な地域であるが、近年は日本の「食」への需要が高まり、すしなどの高級和食のみならず、贈答用の菓子などでも日本製品が大きな人気を博するようになった。

もちろん、従来から日本の存在感があった高度なインフラへの需要もさらに高まっている。特に、人口増によるエネルギー需要の肥大化や慢性的な交通渋滞に悩まされる湾岸産油国は、競って「メトロ」の導入を急いでいることから、運行の正確さや効率性において世界一であるわが国の都市交通システムに強い憧れを持っている。また、原発や省エネルギー技術についても、原油の国内消費を減らすことで歳入を増やし再分配のレベルを維持するという政治的な文脈から、極めて関心が高い。

より広く域内を見渡せば、湾岸諸国の対岸にあるイランも、先進的な医療や環境対策などの面で、日本の協力を希求している。先般、核交渉の枠組み合意が行われたところであるが、これが本合意に至り、順調に合意上の義務が履行されれば、イランもわが国の重要な市場として徐々に復活を遂げるであろう。

また、伝統的な親日国であるトルコも、原発や橋梁、病院などの国内インフラ整備や、アフリカや中央アジア等第三国でのビジネスなどにおいてますます日本との協力を具体化させつつある。


(作成)経済産業省 通商政策局 中東アフリカ課

実際、2014年は、1月のトルコのエルドアン首相(現大統領)の来日を皮切りに、2月のサウジのサルマン皇太子(現国王)およびUAEのムハンマド皇太子、4月のカタールのモーザ妃、5月のイスラエル・ネタニヤフ首相、11月のヨルダンのアブドッラー国王と、中東諸国の元首・準元首級の訪日ラッシュの年となった。特にイスラエルはネタニヤフ首相の主導で日本のビジネス界との関係強化を急速に推進しており、2015年1月の安倍総理のエルサレム訪問時には、「対日経済関係強化3か年計画」を発表し、大阪に経済代表部を置くことなどを決めた。また、カタールについては、2014年のモーザ妃に引き続いてタミーム首長がこの2月に来日し、ドーハ・メトロを日本企業に発注することを発表するとともに、日本のビジネス界や大学関係者の代表とも交流を深めた。

おわりに

政府の「日本再興戦略」においても、企業の国際展開の支援は最重要項目の一つとして位置付けられている。このため、総理や閣僚等による海外訪問や、各国首脳の来日時には、総理や閣僚自ら主要なビジネス案件を相手方に提示し、日本企業を後押ししている。また、可能な限り、企業の代表の方々に首脳会合などにご同席いただき、商談の進展の一助となるよう努めている。首脳のリーダーシップが相対的に強力な国が多い中東地域においては、特にこのような、官民一体での「トップセールス」の推進が効果的であり、その証左として、既に上述のような具体的な成果が続々と出ている。

もちろん、日本企業の進出は、単に日本だけの利益にとどまらない。地域の経済成長や雇用の増大、その結果としてのより適正な所得再分配、さらには日本企業が得意とする産業人材育成などを通じて、テロや戦争の恐怖からより自由な、より安定した中東地域の実現にも貢献し得る点も、わが国として胸を張れるものと考えている。

※本稿は筆者の個人的見解であり所属組織の見解ではありません。

やって来た「日本」の出番 誌面のダウンロードはこちら