予測不能な世界を嘆く前に ~トランプ時代の米国と賢く向き合うための三つの心得~

経済産業省
通商政策局 米州課長
浦上 健一朗

国家の通商政策にスポットライトが当たる時代が再び訪れようとしている。自国第一主義が公然と語られ、激化する米中のパワーゲームのはざまで、グローバル・サプライチェーンを寸断する貿易制限的措置や、対抗措置の応酬を通じた負の影響の連鎖は、日本企業にとっても、世界経済全体にとっても、差し迫った現実のリスクとなっている。

米国政府による貿易赤字削減を至上の価値とするかのような政策傾向が最大のかく乱要素だと見られがちであるが、問題はそう単純ではない。そもそも自由貿易体制への信認は、米国の有権者に限らず、世界各国で決して高くはない。一部の新興国による自由な競争の基盤を侵食するような市場歪曲(わいきょく)的な措置や、デジタル保護主義といった21世紀型の新たな課題に効果的な対処ができているのかといった問いも、現行システムに同様に重く突き付けられている。

トランプ政権発足から1年半余り。中間選挙や次の大統領選挙に向けて、世界はますます乱気流に巻き込まれていく観もあるが、それに振り回されるあまり、われわれ自身が超近視眼的な思考に染まってはなるまい。もとより今後の展開をつぶさに予見することなど誰にもできないが、予測不能な世界の貿易秩序や日米経済関係の今後を考える上で、本稿では、日本の産業界の方々にも共有をお願いしたい「心得」のようなものを大きく三つお示ししたい。

第一に、日本企業の対米投資の持つ戦略的意義の自覚と活用である。これまでの日本企業による対米直接投資は、自動車産業を中心に、約86万人もの雇用を生み出した。日本企業は、雇用創出や他で代替できない高品質な製品の供給を通じ、米国の地域社会に根差した良き企業市民として、米国の経済社会に多大な貢献を行っている。

こうした投資貢献は、日米経済関係を他と差別化する上で、最大の戦略資産である。貿易制限措置がうんぬんされようとも、その妥当性を議論するに際して、日米双方が共有すべき出発点となる。この「資産管理」を、現地拠点に任せっきりにするのでは、あまりにもったいない。米国内における健全なロビイング・パワーの源泉として、本社ベースで、あるいは、オールジャパンの発想で、より有効に活用されるべきものではないだろうか。

第二に、日米協力の分野ごとの進展への高い感度の保持である。「摩擦」という言葉に象徴された日米関係は、既に過去のものである。日米間の産業レベルで実際に存在している協力関係を端緒に、具体プロジェクトに結び付け、より深掘りをしていこうとする試みは、この先も模索されていくだろう。確かに、日米経済対話における「分野別協力」の柱は、成果を語るには、まだ道半ばかもしれない。しかし、第三国でのインフラ整備やエネルギー協力、あるいは先端技術開発の諸分野で、インド太平洋戦略という地政学・地経学的な文脈とともに、米国産業界との連携を接点として、各論を膨らませていく展開となることが見込まれる。先般、ワシントンにおけるイベントで、ポンペオ国務長官らトランプ政権の関係閣僚がこぞってインド太平洋戦略の具体化に大きな意欲を示したこともその傍証である。こうした日米間の動きに俊敏に耳を澄ませ、各社のビジネスチャンスの拡大(あるいは、事業リスクの低減)につなげるという発想を持っていただけないだろうか。

第三に、ルール・ベースの通商政策を貫徹する覚悟の共有である。今や日本は、「自由貿易の旗手」として最もプロアクティブに行動する主体となった。TPP11、日EU・EPAの早期発効を進めるとともに、中国・インドも入ったRCEPも、「市場アクセス」と「ルール」のバランスを取りながら、年内妥結の実現に努力している。日本の産業界の方々にはまだなじみがないかもしれないが、2017年12月にブエノスアイレスで初めて開催した「三極貿易大臣会合」は、不透明な補助金や強制的な技術移転などの市場歪曲的な措置を是正するため、日米欧の3ヵ国・地域が政策協調を進める画期的な取り組みである。これまで既にブリュッセル、パリで3回にわたって開催し、閣僚級での議論を積み重ねてきた。その成果も生かしながら、日本が議長を務める2019年のG20に向けて、引き続き世界の先頭に立って、わが国が主導的に対応していく舞台は用意されている。ルール・ベースの通商政策の再構築に向けて、本来であれば自由で開かれた市場主義を標榜(ひょうぼう)する上で自然なパートナーであるはずの米国も巻き込み、わが国が果たすべき役割は、歴史的に限りなく大きい。

貿易投資という分野で法の支配という価値を貫徹し、行動規範として世界に広げていく。これは、わが国が国際社会に対して掲げるべき大義であろう。この価値軸は、あまたの艱難(かんなん)を経てより精緻に磨かれていくのか、それとも国際政治の現実の中で著しく相対化されてしまうのか。われわれは未来の分岐点にいる、との感覚を持つ。世界の未来を決めるのは、政策当局者だけではない。世界の民間プレーヤーの大宗が、ルールに基づく自由で開かれた市場の意義を信じ、かかる政策の実現を強く働き掛けない限り、正しい進路は選択されないのではないか。

「劫初(ごうしょ)より 作りいとなむ殿堂に 
われも黄金(こがね)の釘(くぎ)一つ打つ」(与謝野晶子)

故・与謝野馨氏が好んでいた句だという。ルールに基づく紛争解決システムという先人の築いた「殿堂」の名に恥じぬ、プリンシプルに基づく理性的な政策論争に努め、日米関係にも「黄金の釘」を打っていく。米国とは、こうした意識を持ちながら、心あるカウンターパートたちと真摯(しんし)な議論を尽くしていきたい。

なお、貿易投資における「公正性」とは何かという点に関して、特に、恣意(しい)的な解釈による「結果思考」が管理貿易につながる懸念について、わが国の政策当局者の思考回路を簡潔かつ直截(ちょくさい)に記した文書が「不公正貿易報告書2018」の巻頭言にある。貿易に携わる日本企業の方々に、ぜひ一読をお勧めしたい。

(※本稿は、政府の取り組みの紹介を主眼としますが、見解は全て筆者個人のものです。)
(本稿は2018年9月3日に入稿いただいたものです)

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