「WTO改革の方向と可能性」 国際貿易投資研究所との共催セミナーより


日本貿易会は、9月6日、一般財団法人国際貿易投資研究所(ITI)と共催で、「WTO改革の方向と可能性」と題するセミナーを開催した。冒頭、主催者を代表して日本貿易会の河津専務理事が、日本貿易会とITIとの関係を紹介し、本セミナーへの期待を述べた。その後に、3人の講師が講演、質疑応答を行った。以下その概要を紹介する。(講演者の役職や発言内容は全てセミナー開催時点の情報に基づいている)


1.「WTO改革を巡る議論の動向」中央学院大学教授 中川淳司氏



議論の背景としてのWTO危機

WTO危機には三つの側面がある。一つが交渉フォーラムとしてWTOが機能しなくなっていること。WTOで2001年にスタートした多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)では、多くの交渉テーマについて交渉結果を一括受諾して、コンセンサスで採択する方法が採られたが、先進国代表の米、EUと途上国代表のインド、中国、ブラジルの間で多くの点で意見がまとまらず、10年余りたっても包括的合意に至らなかった。

二つ目は、紛争解決手続の機能不全。米国は上級委員会の解釈権限強化等を批判し、上級委員会の委員が退任した後の後任者選任への同意を拒否している。その結果、定員7人に対し、現在の委員は3人、2019年12月にはこのうち2人が退任、1人しか残らない。1案件は3人で担当するので、上級委員会は機能できなくなる。米国の上級委員会に対する批判は、(1)WTO協定の解釈を通じて協定作成時の各国の合意を超えた適用を行っている、(2)紛争解決に不要な傍論を展開している、(3)退任した委員が在任中に担当していた案件を機関の承認なしに引き続いて担当しているというもの。

WTO改革を巡る主要な論点と各国の立場

三つ目は、米国のトランプ政権による保護主義的な関税措置の横行である。1962年通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミへの追加関税や1974年通商法301条に基づく制裁関税は、WTO協定適合性が疑わしい一方的な関税引き上げ措置であり、そうしたWTO協定への違反が米国という最大の加盟国によって繰り返され、それに対してなすすべがないという状況が問題である。



改革の機運の高まり

WTO改革には、幾つかのグループが取り組んでいる。そのうちの一つが日米欧三極貿易大臣会合である。第三国(=中国)による市場歪曲(わいきょく)的な措置に共同で対処するということを目的としており、2018年11月には具体的な提案として、「WTO協定の透明性向上と通報義務の強化のための手続」をWTOの物品貿易理事会に提出した。

もう一つのグループはG20である。2017年12月に、ブエノスアイレス首脳宣言でWTO改革への支持を表明したのをはじめ、2019年6月には、大阪でWTOの機能改善をするため、必要なWTO改革への支持を再確認し、他のWTO加盟国と建設的に取り組んでいくことを表明した。その他には、EUの取り組みがある。2018年9月にWTOの近代化に関する論点整理を公表し、同年11月には、EUおよび11の有志国による紛争解決手続の改革提案を行っている。WTO改革に関する有志国オタワ閣僚会合という動きもある。これはカナダが提唱し、日本、EUも加わっている。米国は2019年2月、独自に途上国の卒業に関する条件を策定する提案を出している。

WTO改革の個別テーマ:産業補助金と国有企業

三極貿易大臣会合では、中国を念頭に置いて市場歪曲または過剰生産能力の問題に対処するため、産業補助金と国有企業に対するルールを強化することを、当初から目標として掲げており、2018年6月の第3回会合では、産業補助金ルールを強化するベースをまとめたスコーピングペーパーを採択した。現在、通報漏れに対する罰則を定めることなどにより補助金の透明性を改善すること、国有企業の市場歪曲的行動に対処すること、特定分野では禁止も含めより効果的な補助金ルールを設けることの3分野を特定し、テキストベースの提案をとりまとめる方向で作業中である。EUは2018年9月提案にて、補助金通報の不備を指摘し、通報義務の強化を提案している。また、国有企業に対する市場歪曲的行動、また国有企業による補助金の規律の明確化、市場歪曲的補助金の範囲の拡大と明確化を求めている。オタワ閣僚会合グループは、カナダによるディスカッションペーパーを2018年9月に公表しており、国有企業および産業補助金による市場歪曲の規律をルール策定の対象に掲げている。

2020年6月の第12回WTO閣僚会合では、補助金、国有企業と産業補助金に関する新たなルール交渉のスタートが実現する可能性がある。ただ、多角的貿易協定の交渉の開始には、コンセンサスが必要であり、中国が自らの手を縛るような交渉に同意するとは思えないため、その場合には有志国によるルール作りが進んでいくことになるだろう。

2.「WTO改革の方向と可能性~電子商取引ルールを巡る議論」
みずほ総合研究所 政策調査部主席研究員 菅原淳一氏



WTO改革と電子商取引ルールの構築

WTOの機能には、協定履行監視機能、紛争解決機能、交渉機能の三つあるが、そのどれもが現在、機能不全となりつつあり、WTOの危機が叫ばれている。機能不全がWTO体制への信頼性を毀損(きそん)し、加盟国を自力救済に向かわせている。こうした危機を招いた原因は幾つかあるが、私はWTO発足時には想定できなかった新たな貿易投資環境(新興国の台頭、デジタル・エコノミーの発展、国家資本主義の拡大等)にWTOが十分に対応できていないことにあると考えている。

WTOの電子商取引ルールに関する議論の現状

WTO発足後に生じた新たな貿易投資環境の一つであるデジタル・エコノミーの発展に対応すべく、WTOの交渉機能を回復させる試みが、電子商取引ルールの構築を通じて進められている。WTOにおける電子商取引の議論は発足直後から行われているが、最近の議論の発端と言えるのが、2017年12月の第11回閣僚会合における電子商取引有志国会合の立ち上げである。71 ヵ国・地域による共同声明を発出し、「電子商取引の貿易関連側面に関する将来のWTO交渉に向けて探求的作業を開始すること」を宣言した。その後、有志国会合が9回開催された。この流れを受けて2019年1月の世界経済フォーラム(ダボス会議)に集まった76ヵ国・地域が、交渉開始の意思を確認する共同声明を発出している。そこで、「可能な限り多くのWTO加盟国の参加を得て、既存のWTO協定および枠組みに基づく高水準の成果の達成を目指す」ことがうたわれている。

こうした中で開かれたのが2019年6月のG20大阪サミットであり、「デジタル経済に関する首脳特別イベント」で「デジタル経済に関する大阪宣言」を発出し、大阪トラックの立ち上げが宣言された。他方、G20大阪サミット共同宣言には、「DFFT(Data FreeFlow with Trust、信頼性のある自由なデータ流通)」という考え方が盛り込まれた。これは、安倍総理が1月のダボス会議で提唱しており、「プライバシーやセキュリティーに関する信頼を確保しながらデータの自由な流通を実現していく」ものである。このDFFTという考え方に基づいて、今後、WTOにおいても電子商取引については、信頼性の確保と自由なデータ流通を二つの柱として議論が行われていくことになる。

これまでに各国がWTOで提案した内容等を整理すると、電子商取引の「円滑化」、越境データ流通の「自由化」、個人情報保護等の「信頼性」等に関する要素が主になる。これまでのWTOや他の国際フォーラム、二国間取り決めやFTA等における議論が土台になっているが、各国の提案を見ると、主要要素で示した以外にも、例えば政府保有データの活用、強制的技術移転の禁止、プラットフォーマー規制等を提案している国もある。

主要国の立場を見ると、日米等は円滑化や信頼性を担保した上で自由化を進めることを重視しているのに対して、中国等は、円滑化や開発を重視し、自由化については消極的である。中国は実際、越境データ流通やデータ・ローカライゼーションについての議論は時期尚早だと主張している。


(注) 公開されている各国提案(WTO文書(INF/ECOM/*))から主なものを抽出。要素は例示であり、網羅的ではない。分類は暫定的であり、今後変更の可能性がある。日本政府による分類(INF/ECOM/7)及び日本政府資料を参考に作成。
(出所)WTO文書および外務省並びに経済産業省資料より作成


今後の課題

今後、合意を目指すに当たっては、新興国の参加拡大、高い水準のルールの確保、可能な限り早期の合意の三つの要素を考える必要がある。ただし、この三つを同時に満たすのはかなり難しい。高い水準の協定を目指せば交渉が長期化する懸念があり、最大公約数の協定では自由化は進まない。一つ考えられるのが、貿易円滑化協定で実現したようなカテゴリー別段階的な協定であり、高い水準を確保しつつ、まずは最大公約数から始めるという形になるが、両方の長所、短所も持ってしまうことになる。

3.「WTO改革の方向と可能性~紛争処理」早稲田大学 社会科学部教授 福永有夏氏



紛争処理の危機

紛争をWTOに付託するときは、協議から始まり、協議をして解決しなければパネル、上級委員会と裁判的な手続きに移っていく。パネルが第1審、上級委員会が第2審に当たる。ただ、裁判所ではないので、判決ではなく、報告を出す。報告で違反有無の認定、違反があった場合には勧告が出される。次に、紛争解決機関(DSB)による報告の採択が必要となる。パネル報告に上訴がなければ報告採択となり、上訴があればパネル報告と上級委員会報告を合わせて採択となる。あとは勧告実施で、違反が認定された場合には違反の是正が行われる。パネルの場合は9ヵ月以内に報告を出すことになっているが、実際には平均533日を要している。上訴率は70%程度。上級委員会は90日以内に報告を出すことになっているが、平均125日を要している。

紛争処理は現在危機にあるが、これまで大きな成果を上げてきた。実際、これまで付託された件数は587件で、これは他の国際紛争処理手続きと比べても例外的に多い。現在、パネルに付託されているのは36件、うち米中貿易摩擦に関連するものは5件、その他米国の保護主義的措置に関するものは7件ある。現在、上級委員会に付託されている上訴件数は13件である。

あらためて上級委員会に何が起こっているのか説明する。上級委員会は加盟国のコンセンサスによって任命される7人の委員から構成され、任期は4年、1回のみ再任可能。1件の上訴につき3人の委員が審理を担当する。それが米国の任命拒否により現在3人になっている。3人のうち2人は2019年12月10日に任期満了を迎え、12月11日以降は在籍1人となり審理できず機能停止になる。



改革議論の現状

改革論議の主な論点は六つあるが、米国は上級委員会がWTO協定の一部で紛争解決のルールと手続きを定めたDSUで認められた権限を逸脱していると主張している。これに対して、EUは逸脱しないようにするためにDSUを改正しようと提案している。その上で、上級委員会が任務を続けられるよう直ちに委員任命過程の開始に合意するよう求めている。日本は一定程度、上級委員会に対する米国の懸念を共有しており、逸脱しないようにするためにDSBの中で何かしらの決定をすることを提案している。ただ、この改革論議が具体的な成果を生むことはないだろうと思われ、好ましくない影響も幾つか出てきた。まず2019年4月に韓国の日本産水産物等に対する輸入規制事件の上級委員会報告では、韓国による措置の違法性に関する最終的な結論が出されなかった。2019年7月に出た米国の対中相殺関税措置事件の上級委員会報告では、審理に当たった上級委員会委員の1人が上級委員会の解釈を批判する反対意見を付けた。

今後の見通し

2019年12月11日以降は上級委員会委員が1人になり、同日以降に上訴されたものに関しては、審理が行われなくなる。しかも、パネルの報告も採択されなくなる恐れがある。次善の策としては、EUとカナダが、二審性を維持する目的で上級委員会の代わりに仲裁を利用することで合意をした。もう一つの次善策は、上級委員会に上訴しないことについての合意をするという考え方である。

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