<インタビュー>WTO紛争解決機能のあるべき姿

長島・大野・常松法律事務所顧問、東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、元WTO上級委員
松下 満雄

1. 通商ルールを巡って大きな変化が起きている

WTOの紛争解決機能の問題が発生したバックグラウンドとして、WTOが成立した1995年から現在に至るまでに通商ルールを巡って大きな変化が起きていることが挙げられる。WTOの基本原則である多国間主義に対して、最近は一種の疑問がさまざまなところから出ているのはご案内の通りである。

例えば、トランプ大統領の二国間主義はその典型であり、英国のBrexitもEUという共同体から離脱しようとする一国主義であり、世界全体がそちらに動いている傾向がある。WTOの基盤が沈下しているといえ、WTOで集中的に貿易を管理していく方向から、一種の分権主義の方向に変化し、それに伴ってWTOの規律も次第に緩んできている。

なお、ここで言う分権主義とは、多国間で条約を締結し国際的な枠組みの中で自由貿易を推進していく方向から、国際的な枠組みから外れて、国の主権を主張し、独自行動を取っていく傾向を指している。世界の歴史をみると、常にある種の集合と分散を繰り返している。戦後の1947年ごろから1995年ごろまでは集権化する方向でうまく機能したが、これがある意味での飽和状態に達して、現在は分権化の方向にあるという一つの表れだと思う。

2. 国際機関は加盟国とのバランスで成り立つ

近年、上級委員会に対しては批判が強いが、どうして問題が起きているのか考える必要がある。幾つか考えられるが、一つには、米国の動きがある。そもそも、WTOは加盟国間の微妙な力関係の上に成り立っている存在であり、国家機関のようにがっちりとした基礎があるのではない。また、他の国際機関と同じように、各国はWTO協定を締結して自国の主権の一部を譲渡し、その範囲で国際機関に貿易を管理してもらう。しかし、各国の意識としては、一定の範囲について主権を譲渡したが、本来の権限については自国で持っており、譲渡したもの以外は全て自国の権限であるという意識が強い。米国は特に強い。従って、各国は国際機関がいわば自国の主権を侵害する、つまり権限を肥大化させることに非常に警戒している。

上級委員会が1995年に創設された当時、私も含めて委員一同はこの微妙な国際関係について極めて慎重に行動し、決して加盟国の主権を侵害しないようにしていた。ところが、最近10年ほどの傾向をみると、そこが少し緩んできている。上級委員会が決定した、いわゆる判例が非常に多くなり、相当に高い評価を受けるようになると、ある意味で地位が安定し、どうしても少し気が大きくなる。そうしたところが、最近の上級委員会の報告書等を見ると散見される。司法界の言葉で言えば、司法が積極的に介入することで加盟国の政府の領域にまで影響を与えるという司法積極主義の傾向がある。これでは、規制を受ける側からすれば、権限が肥大化していると受け取るのではないか。

これは国内でも起こり得る。例えば、米国の最高裁が非常に大胆な判決を下した場合、これは司法積極主義に当たり、司法が不当に他の分野に介入していると苦情が起きることがある。ただし、米国や日本という国家の場合には、紛争処理機関に当たる最高裁を頂点とする司法機関は社会の信用を得ており、そう簡単に基盤が揺らぐことはない。しかし、WTOのような国際機関ではその基盤が非常に脆弱(ぜいじゃく)なため、少しでも問題が起きれば、紛争処理機関自体の存立問題に発展する。ここが国家機関との非常に大きな違いである。

3. 米国は上級委員会の権限肥大化を懸念

米国が提起している論点は六つあり、中でも国内法の審査、勧告的意見、先例について強く指摘している。

(1)国内法の審査

例えば、米国がアンチダンピング(AD)法を適用して輸入規制する際、WTO協定におけるAD協定で許容される範囲を超えて規制が行われた場合、影響を受けた輸出国から不満の声が上がり、紛争になる。その際、米国のAD法が果たしてWTOが定めているADのルールを超えているかどうかを審査するのがパネルと上級委員会の業務である。米国が指摘しているのは、WTOの権限は、米国のAD法がWTOのAD協定を外れているかどうかを判断するだけであり、AD法という国内法をどう解釈し、適用すべきかについては権限に入っていないというもの。つまり、ここでは権限の肥大化を指摘している。

(2)勧告的意見

紛争が起きた場合、上級委員会の役割は、紛争を処理することであり、紛争に対してどういう判断をしたか、そこに限定して意見を述べるべきで、それを超えて関係のない事項について意見を述べることはしてはいけない、というもの。国内の判決でも、例えばaとbが争い、裁判所が判断をする場合にaとbの言い分を聞いた上で、××法を適用して紛争を解決する。裁判所の役割は本来そこまでである。それを仮説の問題としてもしもαが起きれば、βと判断すればよいのではないか、といった実際には紛争の原因になっていない事項についてさまざまに言及するのは越権行為であるというのがその内容である。上級委員会が勧告的意見を述べた結果、すぐに米国が重大な不利益を被るわけではないが、このように権限が肥大化し、もしくは肥大化する一つの兆候が表れていることを懸念している。特にAD、相殺関税、セーフガードについて自国の主権を侵害するような判断が将来なされる可能性や兆候をみている。

(3)先例

日本では、例えば最高裁で民法×条に照らして判断を下すとそれは判例になるが、その判例は将来の裁判所に対して拘束力を持たない。拘束力を持つのは法律だという考え方である。他方、英法系=コモンロー系の国では、判例が拘束力を持つ。米国もその一つであるが、米国は、WTO加盟国はWTOを創設する際、上級委員会にそのような権限を与えていないと主張している。ところが、上級委員会は、あたかも自分たちが判断をした判例が、パネルを拘束するかのようなことを言っている、これが間違いだと、こういう主張である。

(4)紛争解決機能の回復にはチェックス・アンド・バランセスの仕組みを

2019年12月10日には、現在3人いる上級委員会委員のうち、2人の任期が切れ、上級委員会の機能は停止する。この事態を放置すれば、上級委員会だけではなく、パネルまでも機能しなくなる。ただ、上訴制度は残っている。これにより、何が起こり得るのか。パネルである国が敗訴し、上訴する、すると決定する委員がいないため、敗訴の決定を無期限に引き延ばすことができるという事態が起こり得る。このように、WTOの紛争処理機能全体が機能しなくなるのは防がなくてはならない。

一つのやり方としては、上級委員会の機能が停止する前に、一般理事会が上訴制度が機能しない間は上級委員会に上訴しないという決議をすることだろう。パネルはそれにより機能していく。これでもWTO成立以前のパネルよりも強力である。当時は、パネルの報告書が出されると、その判断はコンセンサスにより一般理事会で採択していた。一般理事会には、敗訴した当事国も参加しており、コンセンサスであるから、拒否権を発動すれば、通らなくなる重大な欠陥があった。この欠陥をなくすためにWTOでは逆コンセンサスを採用した。全員一致で反対しなければ、その議題は採択されるということであり、一票でも賛成があれば採択される、このシステムは残る。しばらくの間、第一審だけで対応しながら、現在の上級委員会制度をどう改善してくのか検討していくことが大事である。

上級委員会については、さまざまな国から改革の提案が出されているが、私は上級委員会と一般理事会との間で、定期的な協議をする制度をつくるのがよいと考えている。1年に1回ないし2回、一般理事会から上級委員会の判断に対して問題点を指摘し、上級委員会でそれを加味して将来の判断につなげていく。現在の紛争処理システムの大きな欠点は、上級委員会の判断に対してレビューする機関がないことである。それは権限の肥大化にどうしてもつながる。どんな機関でも必ずチェックス・アンド・バランセスの仕組みがなければ、ある部分が突出し、バランスが崩れ、全体も機能しなくなる。ただし、そこにもう一つの要素として、一般理事会に参加する加盟国の代表は必ずしも法律家ではないため、適切なコンサルテーションを行うための法的なアドバイスをする機関が必要である。これは常設機関でなくてもよく、世界各国の著名な裁判官や有識者を配置してはどうか。

もう一つは、WTOの設立について定めた国際条約=世界貿易機関を設立するマラケシュ協定の9条2項において、閣僚理事会または一般理事会がWTO法の解釈について、最終的な判断をする権限を持っていると記載しており、現在でもレビューはできる。ただ、この判断は4分の3の多数決で行うため、なかなか実施できない。これを3分の2あるいは単純多数決など、要件を緩和する考え方もある。

その他、細かい問題ではあるが、上級委員制度について、現在、委員は専任である必要はなく、兼務も可能となっている。しかし、現実には兼務が非常に難しいため兼務禁止にして専任にしてはどうだろう。そのためには、報酬を引き上げたり、秘書官をはじめサポートする人材を多くしたり、費用はかかるが必要なことだと思う。

同時に、米国が主張している国内法の審査をはじめとした論点については、WTOの上級委員会の権限はこういうものだというプリンシプルを幾つか立て、理事会の決議あるいはガイドラインにしてはどうかと考える。上級委員会がパネルの判断をレビューする場合の法的な原則について包括的に述べておくことは非常に意味がある。

(聞き手:広報・CSRグループ 横溝博一)

松下 満雄
立教大学卒業、Tulane University大学院修了、東京大学大学院博士課程修了。法学博士。東京大学教授(1984-94年)、成蹊大学教授(1994-2013年)、WTO上級委員(1995-2000年)。

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