WTO改革に向けた わが国の取り組み

経済産業省 通商機構部長
黒田 淳一郎

はじめに

9月に米国政府が中国に対する追加関税第4弾の一部を発動させ、中国政府も米国製品に追加関税を課す報復措置を一部実施した。米国は中国による産業補助金・知的財産権侵害・外国企業への強制技術移転要求といった不公正な貿易慣行に対して通商法301条に基づく措置を発動し、中国は米国の一方的な制裁措置に対抗しており、米中による応酬が収束する兆しは今のところ見られない。

貿易は公正なルールに基づき行われ、紛争が生じた際はルールに基づき解決を目指すべきであるというのが、第2次世界大戦後の国際経済を支えた、「多角的自由貿易体制」の基本的な理念である。そのルールを加盟国間で交渉・策定し、履行状況を監視し、紛争を解決する機能を有するWTOは、最近の世界的な保護主義的措置の広がりに対して解決策を打ち出せずにいる。10年余りに及ぶドーハ・ラウンドの停滞によって、WTOの交渉機能への信認は揺らいでいたが、ここにきて、WTOの機能を強化する「WTO改革」が、緊急性を持って通商を巡る議論の俎上(そじょう)に上ってきた。日本が議長を務めた2019年のG20貿易・デジタル経済大臣会合と大阪サミットにおいても、「WTO改革」の必要性が確認された。ハイレベルでの合意により、改革機運は高まっている。

WTOの機能不全に対する危機感と改革の必要性

まずは、WTOの有する機能と、その課題について概観しておきたい。

WTOの主要な機能に、多国間交渉による貿易ルール・市場アクセスの改善(交渉機能)、多国間による貿易政策・措置の監視(監視機能)、準司法的手続きによる貿易紛争解決(紛争解決機能)がある。

交渉機能について、最新の交渉ラウンドである、ドーハ・ラウンドが立ち上げられたのは2001年である。鉱工業品の貿易自由化のみならず、農業、サービス貿易、アンチダンピングなどの貿易ルール、知的所有権、貿易と環境、開発といった当時の時代の要請に応じた幅広い交渉分野を扱う包括的な内容であった。ラウンド設立当初より、先進国・途上国の立場の違いが表れていたが、今日WTO加盟国は164ヵ国・地域に上っており、全会一致の原則の下で、新たなルールメーキングを行うことは困難を極める。貿易円滑化協定の発効(WTO設立後初のマルチの協定合意。2014年採択、2017年発効)や、ITA(情報技術協定)拡大交渉の妥結(2015年)による対象品目の関税撤廃という成果が上がっていることは、WTOによる交渉が世界経済に意義ある結果をもたらす証左ではあるものの、ドーハ・ラウンドは2008年の閣僚会合で交渉の基本的ルールを巡って決裂して以降、事実上膠着(こうちゃく)しており、WTOにおける機動的なルールメーキング機能の停滞が懸念されている。

監視機能として、WTOの各協定で定められている措置(補助金をはじめ貿易に影響のある国内措置など)導入時の通報による透明性の確保、規格や適合性評価手続を取り上げる貿易の技術的障害委員会や衛生・植物検疫委員会といった各種委員会における個別政策・措置に関する議論、貿易政策検討制度に基づいて定期的に行われる加盟国の貿易政策審査などがある。これらを通じて、加盟国の貿易政策・措置を明らかにし、相互に監視を行うことで、貿易紛争を未然に防ごうという狙いである。しかしながら、先進国以外では、補助金などの措置導入時の通報義務が十分に履行されておらず、通報義務を怠っても罰則が科されないため、通報制度が機能していない、あるいは、各種委員会において個別の貿易上の懸念に対し効果的な対処がなされていないなどの課題が指摘されている。

紛争解決機能について、WTOの紛争解決は、二審制を導入している。紛争当事国間が協議を行い、満足すべき調整が行われなかった場合に、当事国はパネル(案件を審理する委員会)の設置を要請することできる。そして、パネル報告に不服がある場合には、上級委員会に上訴できることになっている。この上級委員会の委員の定数は7人であり、委員の任期満了前に再任や次の委員の選考が行われることになっているが、プロセスを開始するためのコンセンサスが形成されず、現在7人中4人が欠員、さらに2人が2019年12月に任期満了となる。このままいけば、上級委員会の委員は必要最低限の3人を切り、二審制とそれによる十分な審理が担保できなくなってしまう。委員任命をブロックしているのは米国であるが、米国は、ドーハ・ラウンドの停滞により交渉機能(立法)が停滞する中で、上級委員会(司法)が、先例によるルール形成を通じて、加盟国が交渉で合意したルールを超えて、事実上の立法をなしてきたとして、上級委員会の逸脱を批判している。

WTOの各機能が抱えるこうした課題に対処すべく、ルールメーキング機能の向上、より効果的な監視メカニズムの構築、上級委員会改革を含む紛争解決機能の改善に取り組んでいこうというのが、いわゆる「WTO改革」である。

「WTO改革」の取り組み

「WTO改革」を巡っては、政治レベルでも精力的に議論を重ねている。

2017年12月に、第11回WTO閣僚会合がブエノスアイレスで開催された。貿易大臣が集まるこの機会を利用する形で、第三国による市場歪曲(わいきょく)的な措置に共同して対処すべく、世耕弘成経済産業大臣(当時)の呼び掛けで、ライトハイザー米国通商代表とマルムストローム欧州委員との、第1回日米欧三極貿易大臣会合が行われた。以降2年弱の間に6回の会合を重ねてきている。

三極貿易大臣会合で扱っている主なテーマとして、(1)特に途上国において、国内規制や補助金導入時にWTO協定上の通報義務の順守が不十分であることに対処するための、通報制度改革、(2)途上国などによる過剰生産能力をもたらす市場歪曲的な産業補助金に対処するための、産業補助金ルールの強化、(3)投資先政府が、投資の許認可などに際して外国企業に技術提供や営業秘密の開示を要求する慣行に対処するための、強制技術移転の抑制、(4)非市場経済国家による経済・企業活動に対する過剰な介入への対処(市場志向条件)、(5)多角的貿易体制でのルールが存在しない電子商取引(電子的方法による商取引、電子データの流通等)のルール作り、などがある。これらのテーマは、いずれもWTOの交渉機能や監視機能を向上させるものである。

通報制度改革については、三極貿易大臣会合での議論をベースとして、日米欧を含む数ヵ国で、通報義務を順守しない場合の罰則や、そもそも通報するキャパシティーを持っていない途上国に対する技術支援等に関する共同提案を、WTOの場で行っている。産業補助金ルールの強化については、三極の間で、産業補助金に対する規律強化のための「スコーピングペーパー」(2018年5月第3回三極貿易大臣会合 付属書Ⅰ)を作成し、透明性の改善、公的機関/国有企業の問題への対処、有害な補助金等に対する規律強化について新たなルールを策定すべく議論している。強制技術移転の抑制、市場志向条件についても、それぞれ規律強化や市場経済の要素の特定などについて、議論を進めている。

直近では、2019年5月にパリで第6回会合が開催された。この会合での主な成果として、産業補助金ルールについては、次回の三極貿易大臣会合までに、市場歪曲的な補助金の定義の明確化や禁止すべき補助金のルール化に関して、事務レベルでのテキストベースの作業を完了させること、その後にWTOにおいて有志国を巻き込んだ議論を進めていくことに合意した。通報制度改革については、共同提案について早期合意を目指すべく、各国から支持を取り付けるために、アウトリーチを強めることに合意した。また、WTOにおける電子商取引のルール作りについて、高いレベルの結果を、可能な限り多くの加盟国の参加の下で実現することを目指すことを確認している。

政治レベル以外でも、日本は、上級委員会改革について、ジュネーブにおける建設的な議論の土台とすべく、審査範囲、審査期限の厳守、加盟国の権利・義務を追加・減じる判断の禁止等の項目について、2019年4月、豪州・チリと共に紛争解決機関に提案を行った。ジュネーブの大使級でも、WTOの紛争処理の機能不全をどのように回避するか、他の加盟国と共に議論している。

2020年6月には、カザフスタンの首都ヌルスルタン(旧名:アスタナ)で、第12回WTO閣僚会合の開催が予定されている。前回の閣僚会合では、最終日まで参加閣僚による交渉が行われたが、閣僚宣言はまとまらず、議長声明の発出にとどまった。2019年のG20プロセスを通じて主要国の閣僚級・首脳級間で高まった「WTO改革」へのモメンタムを、次回のWTO閣僚会合での具体的な成果としてつなげられるかが、今問われている。日米欧三極貿易大臣会合や、その他のさまざまな機会に引き続き政治的コミットメントを得ながら、切迫感を持って、WTO加盟国で建設的に取り組んでいかなければならない。

デジタル貿易とWTO

最後に、WTOの交渉機能に関連して、WTO電子商取引の共同声明イニシアチブについて特記しておきたい。

国境を超えたデータのやり取りが指数関数的に増加する中、個人情報や知的財産などのデータを適切に保護しつつ、自由なデータ流通の実現を目指すため、国際的なルール作りが急務である。TPPないしCPTTP(いわゆるTPP11)、日EU・EPAなど、EPA/FTAの分野では「電子商取引章」が設けられ、実行的な法的規律の設定が進んでいる。WTOにおいても、電子的送信に対する関税不賦課のモラトリアムなど、電子商取引の議論は行われてきたものの、デジタル貿易時代に適合した多国間でのルールは存在していない。

前回2017年12月の第11回WTO閣僚会合にて、日本・豪州・シンガポールが主導し、デジタル貿易に関するWTOでのルール作りに向けた議論を行うため、「WTO電子商取引有志国会合」が立ち上がった。これには現時点(2019年9月)で80加盟国が参加している。日、米、欧を含む14加盟国から将来の協定に含めるべき要素などについて提案がなされており、日本からは、貿易円滑化(ペーパーレス貿易・電子署名など)、自由化(越境データ流通の自由原則・ローカライゼーション要求禁止など)、信頼性向上(ソースコード開示要求禁止・暗号開示要求禁止・消費者保護など)を盛り込んだ提案を提出している。

また、6月のG20大阪サミットの折に開催された、安倍総理主催の「デジタル経済に関する首脳特別イベント」では、トランプ米大統領、ユンカー欧州委員会委員長、習近平中国国家主席など27ヵ国の首脳の参加の下で、データ流通や電子商取引に関する国際的なルール作りを進めていくプロセスである「大阪トラック」が立ち上げられた。その宣言文では、WTO交渉について、2020年6月の第12回WTO閣僚会合までに実質的な進捗(しんちょく)を目指すことが合意された。

有志国80加盟国は、データフリーフローを志向する米国から、個人情報保護を強化する目的で一般データ保護規則を設けるEU、国家安全保障の名の下でデータ移転規制を敷く中国まで、各国の規制措置も利害もさまざまである。ルールのレベル、法的枠組み、第12回閣僚会合にアーリーハーベスト(部分的な先行的な合意)を実施するかなど、論点は多い。「WTO改革」のモメンタムを失わないためにも、電子商取引のような新たなアプローチで成果を出していくことが重要である。

おわりに

WTOに体現される多角的貿易体制は、予見可能で安定的な貿易・投資環境を実現するための最重要インフラであり、国際秩序を維持するための英知である。「WTO改革」を前進させ、WTOへの信認を取り戻し、加盟国のコミットメントを維持・強化していかなければならない。そのためには産業界の後押しも不可欠である。改革の成否が、WTOの分水嶺(れい)になるだろう。

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