震災復興・再生に向けての経済政策

株式会社日本総合研究所 調査部長 チーフエコノミスト
藤井 英彦

1.はじめに

東日本大震災は深刻な爪痕を残した。復興は容易でない。もっとも、政府は4兆円規模の補正予算を組み、復興に向けた取り組みが始まった。さらにマクロ経済の視点からみれば、回復に向けた動きがより鮮明に看取される。例えば物流動向では、首都高速道路を通行する平日の大型車両台数は3月前年比▲7.1%と大きく落ち込んだものの、4月は同0.6%と一転してプラスとなり、わずかながら前年を上回った。サプライチェーンの復旧に向けた取り組みが企業の垣根を越えて広がり、生産の回復が進む。一方、消費者マインドにも持ち直しの兆しがみられる。毎月、月末に調査される内閣府の景気ウォッチャー調査によると、家計動向の景気の先行き判断DIは2月の47.1から3月25.9と大幅に低下したものの、4月は一転して38.7に上昇した。2月には及ばないものの、ほぼ2010年秋に比肩する水準である。

しかし、復旧が最終目標ではない。目指すべきは長期低迷が続く日本経済の復活である。2011年1-3月期のわが国名目GDPは季節調整済年率ベースで469兆円に落ち込んだ。震災影響のない2010年10-12月期でも476兆円である。いずれにせよ、今日の経済規模は過去最大の1997年4-6月期比1割小さく、ほぼ20年前に戻っている。被災地、さらに日本経済が震災の打撃を乗り越え再び力強い競争力を取り戻すために、どのような経済政策が必要か。

そもそも経済政策には短期対策と中長期対策がある。短期対策は原因が明確で早期に対策の効果を引き出すことが必要なケースに採られ、震災復旧や景気対策が典型である。一方、中長期対策では一般に競争力の強化や所得雇用の増大など目指すべき中期目標が定められ、実現手段として研究開発の推進や産業構造の高度化が追求されるケースが多い。

加えて、中長期対策では情勢変化を踏まえることが欠かせない。変化はチャンスであると同時に、変化に即したメニューが求められるからである。2011年入り後の推移をみても、北アフリカや中東地域で民主化運動が広がり原油価格が上昇した、あるいは南欧諸国で財政問題が一段と深刻化し国債金利の水準がさらに切り上がるなど、情勢変化が相次ぐ。さまざまな変化のうち、経済政策策定上、最重要の焦点は相対価格の変化であろう。本稿では以下、まず相対価格の変化について概観し、それを踏まえてわが国が採るべき中期経済政策のポイントを整理してみた。

2.相対価格の変化

素原材料と製品の価格動向をやや長い目でみると、総じて従来、素原材料価格が横ばいで推移する一方、製品価格は趨勢的に上昇してきた(図)。第1次産業から第2次・第3次産業への転換が経済発展の原動力として作用してきたゆえんである。しかし状況は反転した。

1990年代に入り製品価格の上昇ペースが次第に鈍化し、2000年代入り後、横ばいから下落に転じた。一方、素原材料価格は2000年代に入り、次第に騰勢を強めている。2008年秋から2009年初め、一時的に大幅な下落に陥ったものの、2009年春以降、再び騰勢を取り戻し、2011年に入って騰勢が加速している。中国やインドをはじめ新興国の急成長が主因である。


まず資源やエネルギー、食糧など素原材料分野では需要が大幅に盛り上がり、世界規模で需給が逼迫した。資源国や川上企業への投資が増え、資源国通貨が増価し、川上企業の株価上昇が続いている。一方、製品分野では新興国は労働コストの安さ、製品の低価格を武器に輸出を増やし世界市場を席巻した。先進各国では製品価格の下落が止まらない。

そうした事態は19世紀後半にも起きた。1870年代初めから90年代半ばの局面である。20年強にわたって欧米各国の物価は下落し続けた。当時も今日と同様、先進国と新興国の構図があった。19世紀後半はパクス・ブリタニカ時代であり、英国が世界経済をリードした。しかし、化学工業や鉄鋼業、あるいは産油や石油精製など鉱工業の生産力では競争力を失い、代わってドイツや米国が急速な勃興を遂げていた。図式化すれば先進国の英仏とそれに対する新興国の米独である。

加えて物流革命が起きた。19世紀半ば以降、英国で始まった鉄道敷設ブームが欧州大陸、北米を経て中東やアジア、南米など全世界に広がった。物価下落が始まる1870年代目前の1869年には、中東でスエズ運河が開通し水運力が飛躍的に拡大した。米国では南北戦争が終わりマニフェスト・デスティニーを旗印とする西部開拓が本格化する中、最初の大陸横断鉄道が開通した。植民地を含め世界のさまざまな生産地は英仏を筆頭とする消費地とつながり、供給力が急拡大し需給緩和が進行した。

翻って今日はどうか。先進国と新興国の構図は同様である。加えて当時の物流革命に相当する変化がIT革命だろう。IT革命以前、途上国の工業はノックダウン工場での低付加価値品生産に限定された。人材や資金、情報や設備などさまざまな生産要素が不足する中、先進国市場のニーズや変化を的確に捉えたデザインや設計、研究開発を進めることは困難だった。しかしIT革命後、情勢は様変わりした。最新情報が世界の隅々まで行き渡って誰でも安価でアクセスでき、過剰流動性が積み上がる中、資本移動が拡大して設備投資が迅速に行われるようになると、人材問題も成長制約から成長源泉に変わった。生産コストの削減に向け、むしろ途上国の安い労働力の魅力が増した。

素原材料には今日的課題もある。供給制約である。近現代社会の経済成長は化石燃料に依存してきた。19世紀は石炭、20世紀入り後は石油である。そうした中、2010年11月にIEA(国際エネルギー機関)は世界の産油量は2006年をピークとし、今後漸減するとの見通しを発表した。シェールガスを中心とする天然ガスと再生可能エネルギーによってエネルギーバランスが保たれるシナリオである。例えば電気自動車や電車が普及すれば、陸運の問題は克服に向かおう。しかし海運や空運では難しいし、陸運でも短期間のうちに電気自動車への転換を進めることは容易でない。とりわけ新興国では総じて道路網の整備に比べて鉄道網の整備が遅れ、鉄道利用が低水準にとどまる。飛躍的な新興諸国の経済発展は石油需要を大幅に増加させ、価格上昇に拍車を掛ける懸念が大きい。エネルギーコストの増大は肥料の値上がりや物流コストの増大を通じて物価の上昇を助長し、輸入国の所得流出や消費者マインドの悪化に作用しよう。端的な例が米国である。ガソリン価格が1ガロン4ドルを超える中、2011年春に入り個人消費に陰りがみられる。


3.中期経済政策


21世紀の新たな相対価格、すなわち素原材料高と製品安の構図を前提にすれば、今後わが国が採るべき中期経済政策の柱は(1)省エネ市場を中心とした経済構造転換、(2)積極的雇用政策、(3)地方分権、の3つであろう。ポイントを整理すれば次の通りである。

第1の経済構造転換についてみると、まずわが国には1970年代の石油ショックに直面し、省エネ経済へ転換した成功体験がある。自動車メーカーは排ガス規制を乗り越え、さらなる競争力を手にした。今日、原油価格が上昇する中、ハイブリッドカーをはじめ日本車に対する需要が米国など各国で再び盛り上がっている。さらにスマートメーターや蓄電池システムをはじめとする再生可能エネルギー市場、水処理や植物工場のグリーン市場など、資源制約下の成長分野でわが国は世界屈指の競争力を備える。エネルギー政策や国土計画の転換など新たな経済政策を展開し、構造変化を加速させるべきである。

第2は積極的雇用政策である。構造変化に新たな担い手は欠かせない。既存企業が推進するとしても、新たな市場に即した人材が必要な時期に必要なだけ供給できるか否かが新産業や新市場創出の成否を分ける。失業者に生活資金を融通したり、新たな就業能力の付与を図る従来型の消極的雇用政策では対応できない。積極的雇用政策は1990年代後半にデンマークが創始し、その後欧州各国が成長戦略の要として相次いで導入した政策であり、新市場への人材供給を主眼とする。弱者救済から成長戦略へ、雇用政策の衣替えが焦眉の急である。

最後に地方分権である。国全体としてエネルギー政策や国土計画を転換し、コストがかさむ集中型でなく分散型を目指すとしても地域によって最適解は異なる。成長が期待される新産業や新市場もエリアによって異なる。さらにわが国は南北に長く、地域の違いが大きい。北フランスでベネルクス三国の、南仏でイタリアやスペインの地方公共団体と連携して地域振興を図る地域があるように、今後わが国でも同様の取り組みが本格化する可能性は大きい。地域によって必要な人材は異なり、地域に即した構造転換策や雇用政策が成功の鍵を握る。ポイントは地方分権にある。分権の成否が成長戦略の行方を左右しよう。

途上国を含め経済成長に向けた国際競争が一段と激化している。各国の取り組みを凌駕する総合的かつ強力な成長戦略の迅速な推進が喫緊の課題である。

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