震災後の日本経済を考える

株式会社双日総合研究所 取締役副所長
吉崎 達彦

東日本大震災の発生から、すでに3ヵ月がたとうとしている。2011年3月11日という日は、日本の近代史にある種の断層を形成することになりそうだ。震災、津波、原発事故の3つが同時に東北地方を襲ったその日は、ちょうど米国における「9/11」同時多発テロ事件がそうであったように、それまで「当たり前」とされてきた多くの事柄を一気に変えてしまった。

一般論に従うならば、およそ天災が発生したときの鉄則は「時間はすべてを癒やす」ことであろう。天災は起きたその日が最悪であり、1日たつごとに物事は少しずつ改善していく。経済はもちろんダメージを受けるし、悲惨な出来事を嫌というほど体験してしまうけれども、後から振り返ってみれば復旧、復興は着実に進んでいる。だからこそ、「天災に売りなし」という相場格言があったりもする。

しかし、「3/11」後の政治の混乱や原発処理の困難さを見ていると、ここから先の再生はまことに容易なことではないようにも思えてくる。大きな天災の後は一種の興奮状態が続くので、世論のブレは大きくなるし、政策判断のミスも生じやすくなる。このような中で、われわれは何をなすべきなのか。そして商社の役割とは何なのか。

以下、本稿では「経済復興」「原発問題」「歴史的観点」の3点からこの問題について俯瞰(ふかん)してみたい。


1.経済復興の行方


最初に「3/11」以降、われわれが経験してきたことを列挙してみよう。以下はどれ1つとっても、以前には考えられもしなかったことではないだろうか。

「東北地方におけるサプライチェーンの寸断」(生産)
「東電管内の計画停電」(生産、消費)
「電池や水、パンなどの買い占め」(消費)
「テレビCMからお花見まで広がった『自粛』」(消費)
「放射能漏れによる農産物、漁業などへの風評被害」(生産、消費)
「1ドル76円の史上最高値と、G7による協調介入」(為替)
「日銀による過去最大の資金供給」(金融)

震災後の日本経済にとって、困難を伴う課題と目されたのは大きく分けて以下の3点であった。

①サプライチェーン問題

グローバル化時代の製造業は、思わぬ形でつながっている。東北地方で生産されるシリコンウェハー、マイクロコントローラーなど、それまで会話に上ることもめったになかった製品が、不足するとなると世界各地の企業経営を脅かすことになった。ただし、これについては、復旧活動は当初の予想以上に早く進捗しているようだ。

②電力供給の不足

東京電力の供給力低下により、当初「首都圏はこの夏、25%の節電が必要」とされた。昨今は火力発電の上積みなどにより、どうやら15%程度で済みそうな雲行きだが、他方では原子力発電所の運転停止が全国に広がりつつある。おそらく数年がかりで、エネルギー供給構造の革新に取り組まねばならないだろう。

③消費マインドの冷え込み

いわゆる「自粛ムード」の問題であるが、これも5月の大型連休くらいから「平常への回帰」が進み始めた。もっとも「3/11」後の消費者心理には、どこか根本的な変化が生じているようでもある。少なくとも首都圏の消費者は、「3/11」を契機にコンビニやケータイに頼る便利な暮らしの限界を痛感した。彼らが今後求める「エコ」な暮らしとは、単なるファッション上の問題ではなくなるはずである。

思うに地震と津波は、天災の多いこの国においては歴史的に何度も繰り返されてきたことである。それだけに「被災したときにどんなふうに行動すべきか」は、日本人のDNAの中に刷り込まれている。悲惨な状況下でも暴動が起きない、人々が冷静に秩序を守る、警察、消防、自衛隊、電力会社、ボランティアなどが献身的に行動している—といった被災地の反応には、海外から高い評価が寄せられた。おそらくそれは、「その方が良い結果が得られる」ことを皆が本能的に知悉しているからであろう。天災が多い歴史が、国民にそういう教育を施したのかもしれない。

さらに言えば、復旧や復興の作業も少なくとも苦手ではないようだ。目標が明確で、「やるべきこと」が分かっているときの日本の組織は強い。誰かが中央で計画するのではなく、末端がそれぞれに工夫することによって仕事が進んでいる。日本企業が持つ現場の力はまだまだ健在だ。この点では商社もまた、日本経済の一部を構成する重要なプレーヤーの一員である。各社とも組織がフル回転していることはいうまでもないだろう。


2.原子力事故が示すもの


ところが災害対策に比べて、原発事故への対応は心もとない。この手の前例のないケースに対し、日本の組織は弱い。日本政府は、福島第一原発の事故発生から1ヵ月後になって、これがチェルノブイリと同じ「レベル7」相当であると発表し、東京電力は2ヵ月以上が過ぎてからようやく「1号機から3号機まででメルトダウンが起きている」ことを発表した。こうなると今後の収拾策を示す「工程表」の信ぴょう性も揺らいでくる。

これまでの対応を振り返ると、関係者の見解が希望的観測に流れがちで、「慎重な悲観論」が伝わらなかったことが最大の反省点だろう。つまり、現代版の「大本営発表」になってしまったわけだが、情報の出元のみならず、伝えるメディアや受け手も一緒になって、「悪い情報を教えない、伝えない、認めない」共同作業をしてしまったのではないだろうか。日本社会の悪い習性が、今回の事故に際して表面化したような気がしてならない。

ふと思い出すのは、1980年代に書かれた「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」(戸部良一他/ダイヤモンド社)である。歴史学者や組織論研究者たちがノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルなど6つの「日本軍の失敗」を検証し、現代の組織にとっての教訓を読み取ろうとした労作だ。その研究結果を一言でまとめると、日本軍は平時的状況の下では有効かつ順調に機能したけれども、大東亜戦争では組織的欠陥を露呈した、ということに尽きる。同書の指摘は、今回の事態にもきれいに当てはまる。危機に弱いという日本型組織の性質は、今日の組織にもそのまま受け継がれていた。福島原発の問題は、そのことをまざまざと見せつけたのではないだろうか。

せめてもの救いは、今の日本は世界を敵に回しているわけではなく、米国やフランスなど多くの原子力先進国やIAEAのような国際機関の協力を得られることである。放射能の被害を最小限に食い止め、エネルギー供給を安定させていくことについて、世界はいわば同じ船に乗っている。福島の問題が克服できるかどうかは、これら他国の協力をいかに利用するかにかかっているといっても過言ではないはずだ。

それと同時に、日本のエネルギー供給体制を再構築する仕事がある。短期的には火力発電などを通じて電力不足に備えるとともに、中長期的には太陽光や風力などの再生可能エネルギーの拡大を図らねばならない。省エネ技術の革新やスマートグリッドによる送電効率の改善なども課題といえる。エネルギービジネスに長い経験を持つ商社にとっては、いずれにおいても果たすべき役割は大きいといえよう。


3.歴史が教えること


エコノミストの視点から言えば、あのリーマン・ショックからわずか3年後に、今回の事態に至ったという不運がつくづく惜しまれる。今回の「3/11」は、リーマン・ショックと同様、「ブラック・スワン」級の超低確率の事象ではないかと思う。それらが連続して発生したために、もとより健全ではなかった日本の財政が、さらに悪化することになってしまった。ここから先の復興は、財政再建との二兎を追わなければならず、少子高齢化現象が続く中で細心の注意が必要になってくる。

とはいえ、このような不運が過去に絶無だったわけではない。わが国は戦前昭和に、「関東大震災」(1923年)の6年後に「世界大恐慌」(1929年)に見舞われたことがある。80年前のこの不運とは天災と国際金融危機の順序が違うが、どちらも「踏んだり蹴ったり」の経験であったことに変わりはない。

当時の日本は、大方の予想を裏切って関東大震災からの復興を迅速に成し遂げた。恐慌からの脱出も、高橋財政によって世界に先駆けて成功した。つまりは2つの試練を立派に乗り越えたのである。

しかしながら、あまりに不運な1920年代を経験した日本は、それから以後、満州事変(1931年)、二・二六事件(1936年)、真珠湾攻撃(1941年)と、破局への道をひた走ることになる。政策判断にミスが続いたのは、その前の2つの不運と無関係ではなかったのではないか。

1920年代がそうであったように、日本は今回も危機を乗り越えることができるだろう。それは災害の多いこの島国に住む人々が、昔から繰り返してきたところでもある。日本は震災ではつぶれない。だがそういうとき、政策選択を誤りやすい。われわれは天災に対し過度に萎縮する必要はないが、くれぐれも人災は警戒しなければならない。歴史に学ぶべきことがあるとしたら、その点が最たるものではないかと思う。

筆者は今、日本貿易会商社原論研究会のメンバーとして、各商社の歴史を研究している。そこから浮かび上がってくるのは、戦前昭和の時代に多くの財閥系や関西系の商社が雄飛したことだ。中には鈴木商店のように震災後に倒産した例もあるが、他方では多くの産業を育てて後世に残している。経済危機の時代は、資本主義を育てた時期でもあったのである。

おそらく今の商社にも、同じことが当てはまることだろう。願わくば今この瞬間に生まれてくる世代に対し、将来の「坂の上の雲」の時代を用意したいものだと思う。それこそ現役世代の責任というものではないだろうか。

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