ロシアにおける「食品ビジネス」の展望

味の素株式会社 モスクワ事務所長
味の素(ロシア)社長
田口 茂明

1. 一般論としてのロシアビジネス

これをお読みの方々が、日本人一般のロシアに対するステレオタイプな印象「共産ロシア、北方領土」をお持ちとは思いませんが、日本経済の中でのソ連・ロシアとのつながりを考えると、ただただ遠い存在であると思います。私はロシアを説明するとき、「3Sロシア人」というロシア人の印象から話します。3SとはShy・Sentimental・親日です。ロシア人の第一印象としての「仏頂面」は他人への強い警戒心と恥ずかしがりがない交ぜになった非常に意味深い表情です。粗野な体形の内に浪花節的な人情家の側面も持っています。ロシア人は親日家です。この話を日本ですると皆驚かれて「少し、ロシア人の印象が変わった」とおっしゃいます。これはビジネスにとって大切な要素だと思っています。
次に、ロシアビジネスのポイント。一つ、「商い」の歴史が切れ切れで経験と知恵不足が否めない。一つ、「商い」の基本が「力関係」にあり、需給バランスだけが優先する交渉姿勢。一つ、流通が経済活動の「ボトルネック」になっている。物流・商流(卸店・ディストリビューター・小売店)の選択肢が少なくコストアップ・値切りの大きな要因になっている。また、長い教条主義的共産イデオロギー下で「商い」をさげすむ気質が育まれたのではないかと感じさせられる場面に多く遭遇します。


2. ロシアにおける「食」と「食文化」


Ⅰ ロシア料理の特徴


1) 塩漬け(含むイクラ・キャビア)、酢漬けの野菜やキノコ。
2) 前菜とスープの種類が豊富。
3) 「 ピロシキ」に代表されるパイ(中身は、肉・野菜・キノコ・卵・果物)。
4) 料理の味付けはシンプル(塩・コショウと大量の香草)。
5) 果物の保存法としての甘煮。
6) メーンディッシュには、「これぞロシア料理」といえる特別なものは多くない。
7) 食材としては赤カブ・ライ麦・小麦・野生の鳥獣(ジビエ)・淡水魚・ザリガニ・エビ。
8) その他、フランス料理の影響が大。一方、大きな影響も与えている。


Ⅱ 気候・自然・地理・宗教による特徴


1) 寒冷地で育成する穀物類や森での採取が可能なキノコやベリー。野生の鳥獣(ジビエ)、川や湖の恵みである「魚」淡水魚・甲殻類が重要なタンパク源であった。
2) 東方(モンゴル・タタール・中央アジア・カフカス)、ピョートル大帝以降の西方欧州の影響という東西の食文化が巡り合う場所。
3) 10世紀以降ロシア革命までのロシア正教影響下での食生活。肉食・乳製品を断つ「ポスト」と呼ばれる斎戒の期間(過去は年間200日もあった)と、肉食が許される期間が交替するというメリハリのついた食生活のリズムが現代ロシアでも垣間見られる。
4) そして、歴史的要因としてのロシア革命。ロシアは食生活においても壮大な実験場と化した。食文化がふっつりと途切れてしまった。


Ⅲ ロシア家庭料理


市場調査の一貫として、当社では独自に「ロシア人が外食したい(和食以外)料理」を調べてみました。

1) スープ部門では、ボルシチを抜いてサリアンカ(Solyanka)。厚い肉または魚にマッシュルームとオリーブ、ケーパー、塩漬けきゅうり(家庭では料理、特に味付けが難しいと理由だと思われる)。
2)ス ープの後のメーンディッシュと共に供されるのがシーザーサラダ(Salad“ Caesar”)。(あまり料理の経験もなく、まずは味見からという理由だと思われる)
3) パンは黒パン、そして各種ピロシキ類(Patties / kulebyaka / rasstegai) 家庭でもよく作る。
4) 小麦輸出量でも世界第3位になった小麦大国。パスタは既に国民食(Spaghetti / pasta / macaroni)。とにかく、手軽で安心できるメニューとの位置付け。家庭でもよく作る。
5) ロシアメーンディッシュといえばビーフストロガノフ(Beefstroganov)。
6) アントレコート(Entrecôte)、ビーフステーキ。牛肉を食べる機会がほとんどない家庭では、まさにレストランで食べるメニューの王道。
7) 包み焼き(Stuffed fish)。薫製・塩漬けした淡水魚に詰め物をした物。オリジナルはユダヤ料理。家では作れない。
8) 言わずもがなのフレンチフライドポテト(French fries)。ロシアの家庭料理では、あまり油揚げメニューがない。
9) 番外では、中央アジアンレストランでの定番シャシリク(Shashlik)。ダーチャ(別荘・農作業小屋)での定番です。語源は、シシカバブ(Shish kebab)。ソ連邦時代からの大衆食、ラム肉がうまい。
10) もう一つ番外。ペルメニ PELMENI(dumplings)、まさに餃子です。ロシア全土での冷凍ペルメニの生産量は50万tといわれており、ロシアの食品産業の草分け的存在です。最近は家庭では作らず冷凍食品で購入、どれもおいしくない。


Ⅳ 食品流通


食品業界におけるモダントレード(メガマート・ハイパー/スーパー・キャッシュ&キャリー)での販売は、ロシア全体でもあまり多くはありません(2010年で、ロシア全体で30%以下だったようです)。首都モスクワですら、半分程度と推定しています。法律で規制を始めましたが、今でも街の市場(ルイノック・ウエットマーケットともいわれる旧公設市場と新設の小規模商店群)や道端のキオスク(ちなみにコンビニエンスストアはないが、24時間営業しているスーパーが散見される)が、レストラン房厨(ちゅうぼう)・家庭の食卓に食材を提供しています。地方都市に行けば、まだまだソ連時代の体育館のような建物の中に商店が立ち並ぶマーケットがいくつも存在しています。


3. ロシアにおける「食」ビジネスの可能性


1990年1月31日マクドナルドモスクワ1号店の開店から、ロシアの「食の新しい歴史は始まった」が私の持論です。2012年の今では、モスクワにもローカル・和洋、数多くの外食産業(レストラン・カフェ・ファストフード)ができていますが、一説にはパリの10分の1以下(もっと少ない印象がある)といわれています。そして和食レストランは、モスクワ・ペテルブルグで、われわれが確認できただけで250店強。そして驚くことにメニューに「SUSHI(すし)、MAKI(巻きずし)」のあるレストラン(イタリアンの多くが「すし」メニューを持っている)を数えるとどれだけの数に上るかつかめていません。
レストラン以外での「和食」ビジネスは、どうでしょうか?即席麺(インスタントラーメン)は、既に「日本の即麺」からオリジナリティー(良い意味でも悪い意味でも)を持った「ロシア即麺」になり、ロシア・ウクライナ・旧ソ連邦諸国で25億食の市場があります(日本は53億食)。スーパーの「魚」売り場近くにある「すしコーナー」には、普通に、とびっこ、サーモン、カリフォルニア・フィラデルフィア等の巻物、おすし弁当等が並べられています。他方、不思議な現象は「中華料理」の市場が極めて小さいということです。モスクワで中華レストランは、ほぼ数十店。食材店も数えるほどしかありません。中華レストランに入るとロシア人でにぎわっており、じわじわと勢力を拡大しつつあると感じはしますが、親中家ではない国民性か、爆発的な「中華ブーム」はまだまだ先と思います。
さて、こんなに魅力いっぱいのロシア食品ビジネスですが、当面の対応は、安易に中国産日本食素材、加工食品、調味料との価格競争に巻き込まれないということ。そして、われわれ独自の商品で市場を創っていくことにあります。とても魅力的でまだまだ市場の広がりがあるロシアでの展望のポイントは、

① 調味料の普及がまだ遅れている。ロシア人は味には敏感で「うま味」に対する感受性も鋭いにもかかわらず。
② 魚食への抵抗感がない。寿司がロシア中で好まれている一因か。
③ 斎戒の習慣が残っている。定期的に食材のシャッフルが人工的に起こる。
④ 旧公設市場が健在。底堅い需要の定着が期待できる「場」がある。
⑤ 食文化の再構築の過程にある。


4. 最後に


われわれ味の素㈱は、ここロシアで、研究所、モスクワ事務所、現地販売法人を置いています。
「食のバリューチェーン」である、アミノ酸発酵の研究から、アミノ酸飼料添加物、アミノ酸系うま味調味料「味の素®」と、これを生かした各種食品、サプリメントの販売と、この広大なロシアで大きな花を咲かせるべく活動をしています。

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