寄稿 ASEANの変化をどう見るか

日本貿易振興機構(ジェトロ)  調査部 アジア大洋州 課長
岩上 勝一

新型コロナ禍を経て、ASEANは急速に変化しようとしている。デジタル経済の進展や、経済・社会の脱炭素化などを背景に新たなビジネスチャンスの拡大を期待する外国企業の直接投資が増加する一方、若手起業家がIT技術を活用して社会課題などの解決に挑むスタートアップ企業(SU)も勃興している。安定した経済成長は富裕層・中間層を増加させ、若年層の価値観も多様化している。本稿では、ASEANの「変化」の一側面を捉えて、日本としてのASEANとの今後の関わり方について考えたい。

日本の対ASEAN直接投資残高(2022年末)は36兆7,560億円だった。国・地域別の構成比で14%を占め、米国(35%)、EU(16%)に次ぐ地域である1。一方、日本企業の海外現地法人の売上高(2022年度)を見ると、ASEANは38兆4,936億円で、北米(47兆7,950億円)に次ぎ2位である。現地従業員数(約156万人、2022年度末)は中国(香港を含む、約90万人)、北米(約61万人)を大きく上回り、世界で最多である2。日本企業の海外事業においてASEANは重要な地域である。

ところが、世界のグリーンフィールド投資(GF投資、件数ベース)3を見ると、近年、日本のウエートは大きく低下している。2022年の世界のGF投資は1万6,536件(前年比17.9%増)で、新型コロナ禍前(2018−19年)に記録した過去最高水準まで回復した。一方、日本のGF投資(対世界)は427件にとどまり、データが入手できる2003年以降3年連続で過去最低件数を更新した。日本のASEAN向けGF投資は、2014年に300件と国・地域別で最多だったが、その後は下落基調が続き、2022年は41件だった。世界のASEAN向けGF投資件数に占める日本の割合は、2010年代前半の20%前後から、2020年に12%、2021年に8%、2022年には4%にまで低下し、米国(23%)、シンガポール(9%)、英国(9%)、中国(6%)、ドイツ(5%)、インド(5%)、フランス(4%)に続く8番目と、没落ぶりが浮き彫りになっている。

もっとも日本の対ASEAN直接投資の歴史は長く、近年、同地域への投資を拡大してきた国・地域と単純に比べることはできないとの見方もあろう。一方、世界のASEANへのGF投資の47%(488件)がソフトウエア・ITサービスやビジネスサービスなどの成長産業に集中する中、両分野への日本の投資は11件と、米国(115件)の10分の1以下である。ジェトロは、グローバル市場で成長する新事業領域へのシフトが進んでいないことも、ASEANにおける日本企業の地位低下の要因の一つと分析している4

ASEAN各国政府は、新たな産業戦略を策定し、その実現を後押しするための投資奨励政策を導入することで、経済・社会のデジタル化、グリーン経済化などを一層推進する構えである。なかでもグリーン分野は、ASEAN各国では2050−2065年までのカーボンニュートラルまたはネット排出ゼロを目標に掲げており、その実現に向けエネルギーの利用効率化(省エネ化)、電源や燃料の脱炭素化とグリーン産業の促進(再エネ化、代替燃料化など)の事業領域で新たなビジネスチャンスが高まるとみられる。

ASEANにおいて日本企業が圧倒的なシェアを誇ってきた自動車市場でも、電気自動車(EV)の登場により地殻変動を予感させる兆候が出ている。タイでは、2023年1−8月の低炭素排出車(LCEV)5の新規登録台数が11万台(前年同期比2倍)を超え、2022年通年の約8.5万台を上回った。なかでもバッテリー電気自動車(BEV)が前年同期比9倍の4.3万台に急増し、LCEVに占めるBEVの割合は2022年の12%から39%にまで急伸した。BEVではBYD(シェア35%)を筆頭に中国など非日系メーカーが上位を占める中、2023年以降は中国メーカーによるBEVの現地生産計画が相次いで発表されている。日本企業が大きなシェアを握るハイブリッド車(HV)も前年同期比で1.4倍(5.9万台)に増加しているが、LCEVに占めるHVの割合は2022年の75%から2023年1−8月には53%まで低下している。

インドネシアでも2023年1−8月のLCEVの新車販売台数(卸売り、乗用車)が3.8万台と、2022年通年の2.5倍に急増した。新車販売台数(卸売り)に占めるLCEVの割合は1.5%から5.7%まで拡大している。タイとは異なり、インドネシアではHVが販売台数を好調に伸ばしているが、2022年には五菱汽車(中国)、現代自動車(韓国)がBEVの現地生産を開始、2023年以降も中国、日本のメーカーが現地生産計画を発表している。ガソリン車と比べた車体価格の高さ、充電ステーションの不足などの諸課題も踏まえて、EVの普及には時間を要するとみられていたが、EV購入補助金などの政策が奏功している国では、急速にEVの販売が伸びているという声もある。

変化をけん引する将来世代

では、現地日系企業を取り巻く事業環境がどうなっているか。ジェトロが2022年8−9月に在ASEAN日系企業に対して実施した調査によれば、現地での経営上の問題点として「賃金上昇」と回答した企業の割合が74%に上った。「調達コストの上昇」(71%)、「為替変動」(67%)などと合わせて上位を占める一方、「従業員の質」(41%)、「マネージャー・管理職の採用難」(38%)、「従業員の定着率」(36%)など、労務・人事関連の項目も多く指摘されている。現地の雇用環境を踏まえて企業自らが対応の見直しを迫られているともいえる。

ASEANでは、新型コロナ禍からの経済活動の正常化により、失業率はベトナムで2.3%(2023年第3四半期)、タイで1.2%(同8月)など低下している。世界的な物価高騰も相まって、各国は新型コロナ禍で凍結していた最低賃金を相次いで引き上げており、賃金相場の押し上げ圧力が強まっている。現地日系企業からは、とりわけ管理職・専門職・技能職・IT職など、いわゆる高度人材について、外資系企業や地場大手企業の好待遇によって自社の人材が引き抜かれるとの声も聞かれる。極端な例ではあるが、2022年のシンガポールの公立大学新卒者の月収(中央値)は4,200シンガポールドル(約45万円)とされる6。少子高齢化が進むシンガポールやタイでは労働人口の減少が進むことが確実で7、マレーシアも慢性的な労働力の不足が課題である。

ASEAN各国の就職情報サイト等での人気就職先ランキングを見ると、巨大IT企業など欧米系グローバル企業や、自国でのプレゼンスを高めている地場の財閥や大手企業が上位に顔を並べている。新卒者など若年層に対する調査では企業のブランドやイメージが先行しがちともいえるが、若年層の企業認知度を知るという点では参考になろう8

インドネシアのコンサルティング会社の調査9によれば、同国の新卒者が理想的な職場と考える要素について尋ねており、「キャリアパス」(54%)、「快適な職場環境」(49%)、「給与水準」(44%)などが、「会社の評判」(29%)や「企業の価値観(ビジョン・ミッション)」(26%)を大きく上回った。同社は、「労働市場とビジネスの変化のスピードが増す中、若年層にはキャリア形成のスピードが自らの成功を示す指標と映る」と分析している。こうしたASEANの新卒者層のキャリア意識などを踏まえた雇用・人事システムの導入や企業広報は、高度人材の採用・定着に向けたヒントとなろう。

デジタル経済の急速な進展も見過ごせない。米グーグルなどの調査によれば、東南アジアのデジタル経済の規模(GMV:流通取引総額)は新型コロナ禍の2021年の1,610億ドルから、2023年には2,180億ドルに増加した。2025年には2,950億ドルに達するという(全体の63%が電子商取引)10

デジタル技術を使って社会課題の解決などを狙うSUも勃興している。シンガポールのベンチャーキャピタル会社CentoVentures11によれば、2021年の東南アジア主要6ヵ国におけるテック系SUへの投資件数は991件と、前年の744件から33%増加した。ロシアのウクライナ侵攻を受けた世界的な物価高騰や金利上昇などを受けて2022年の投資金額は大きく落ち込んだものの、件数では929件と高い状態が続いている。投資金額ではインドネシア(46%)が最大で、シンガポール(25%)、フィリピン(9%)、ベトナム(8%)と続いた。分野別では、電子決済などの金融サービスが43%と最多で、新型コロナ禍前(2019年)の15%から急増している。

ジェトロが2022年10−12月に実施したASEANのSU経営者へのヒアリングでは、①技術によって多くの人が利用できるプラットフォームを構築し、社会にインパクトを与えることが起業の目的、②海外留学で形成した人的なネットワークと英語でのコミュニケーションにたけている、③特定国への先入観は持たず、価値観を共有できる相手とパートナーを組む、という点でおおむね共通することが分かった。日本企業との事業提携については、相互の信頼関係に基づく長期安定的なパートナーシップの構築、日本企業が保有する経験・ノウハウの活用に期待を寄せる一方、意思決定の遅さ、英語人材の不足に不安を感じているようだ。今後の経済成長を支えていく次世代起業家の世界観、価値観から学ぶ要素もあろう。

米ゴールドマン・サックス12によれば、2050年にインドネシアは中国、米国、インドに次ぐ世界第4位の経済大国になるという。また、英ユーロモニターの推計によれば、年間所得が1万5,000ドルを超える層(富裕層・上位中間層)が人口に占める割合は、インドネシアで2020年の3%から2030年に11%へと増加する。2022年の同国の一人当たりGDPとほぼ同じ5,001ドル以上の層まで範囲を広げると、48%まで増加する見込みだ。1億人以上の人口を抱える新興国でも、富裕層・上位中間層の割合は、フィリピンで3%から12%へ、ベトナムでも2%から9%へとそれぞれ拡大する見通しである。拡大する消費市場は、今後のASEANをみる上での重要な視点である。

求められる意識改革

ASEANは、日本企業にとって「生産コストの抑制・削減を実現する場」と一般的に位置付けられてきた。賃金水準の上昇や労働者不足が顕著になりつつあるとはいえ、特に中進国・後発国では、日本と比べて相対的に安い賃金で労働者を確保しやすいという魅力は現在も十分ある。しかし、既述の通り、ASEANを取り巻く事業環境や、今後の経済成長を担う若年層の価値観の変化は、今後さらに加速していくことが見込まれる。今後、ASEANは世界の企業にとって、グローバルサプライチェーンの中核拠点、拡大する富裕層・中間層がけん引する消費市場、SUなどにより新たなビジネスや価値を生み出すイノベーション拠点など、多様なビジネス機会を生み出す地域となろう。こうしたASEANの変化を機敏に捉え、新たなビジネス機会を確実に取り込んでいくためには、現地の経営資源、とりわけ優秀な人材をより高度な分野で活用していくことが重要となろう。人材育成に加えて、有能な人材が持てる能力の発揮を促すキャリアパスの提示、枢要ポストへの登用・権限委譲、透明性のある人事評価、昇給・昇格制度などの導入、意思決定の現地化など、長らく日本企業の課題と指摘されてきた改革が待ったなしの状況といえるのではないか。

1.日本銀行「対外直接投資残高(地域別・業種別)」(2022年末)
2.経済産業省「海外現地法人四半期調査」(2023年4−6月期統計表)
3.英フィナンシャル・タイムズ社データベース(fDi Markets)に基づくクロスボーダー投資案件。
4.2023年版ジェトロ世界貿易投資報告 [2023]
5.HV、プラグイン・ハイブリッド車(PHEV)、BEVの合計。いずれも乗用車に限る。
6.“2022 Joint Autonomous Universities Graduate Employment Survey” National University of Singapore, Nanyang Technological
University, Singapore Management University and Singapore University of Social Sciences [2023]
7.“World Population Prospects 2022” United Nations [2022]
8.筆者が参照した就職情報サイトではASEANにおいて大きなプレゼンスを誇ってきた日本企業の名前が少ないことも指摘しておきたい。例えば、タイ
の就職情報サイト(WorkVenture.com、2023年)によれば、人気就職先上位50社のうち日本企業は5社に限られた。
9.“Employer Branding Index Report” MarkPlus, Inc [2022]。学生・新卒者・新入社員(入社2年以下)を対象に調査。
10.“e-Conomy SEA 2023”, Google, Temasek and Bain & Company [2023]。シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピン
の6ヵ国。電子商取引(EC)、旅行、食品・運送、オンラインメディアの4分野の合計。
11.“Southeast Asia Tech Investment - 2022” Cento Ventures [2023]
12.“The Path to 2075 - Slower Global Growth, But Convergence Remains Intact” Goldman Sachs [2022]

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