インドネシアの「多様性の中の統一」

PT.Nagase Impor-Ekspor Indonesia COO
小嶋 宏一郎

はじめに


筆者

インドネシアの紹介は5月号に次いで本年(2017年)2度目となります。前回はPT.JFE Shoji Trade Indonesiaの関戸社長がインドネシアの概要、日系企業の状況、デモや通貨面でのご苦労、インドネシアの可能性を記述されておられました。その中で「多様性の中の統一」というインドネシアの国是をご紹介されていますが、私もそれはインドネシアの事情や今後の可能性を語る上で最も重要な言葉だと思っております。今年より、多様性の中の統一を意味する「パンチャシラ(Pancasila)」を記念して、6月1日が国民の祝日となりました。私の駐在歴4年半での経験や感じたことを交えながら、「パンチャシラ」の視点からインドネシアのことをお話ししたいと思います。


「パンチャシラ」とは


パンチャシラとは、インドネシア共和国憲法の前文に述べられている建国五原則のことで、その五原則とは①唯一神への信仰、②公正で文化的な人道主義、③インドネシアの統一、④合議制と代議制における英知に導かれた民主主義、⑤全インドネシア国民に対する社会的公正の五つのことです。建国の父といわれているスカルノ初代大統領がさまざまな宗教や地域に帰属する300を超える民族をまとめてインドネシア独立を目指そうとした1945年6月1日の演説で述べられたのが始まりとされています。「Bhinneka Tunggal Ika(インドネシア語で多様性の中の統一)」という言葉がインドネシア独立後に国是とされました。演説が行われたという建物は、現在は「Gedung Pancasila( 日本語ならパンチャシラ記念館とでも言うのでしょうか)」という名前で外務省敷地内に残されています。建物の正面上部には、インドネシアの国章が取り付けられていますが、これは五原則を意味するデザインを施された盾を首から下げて「Bhinneka Tunggal Ika」が書かれた巻物を足で持つ神鳥ガルーダであり、「Garuda Pancasila」と呼ばれています。

唯一神への信仰という点では、おのおのが必ず宗教を信仰しなければならないとされており、現在はイスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンズー教、仏教、儒教が公認されています。一般に日本ではインドネシア=イスラム教だと思われがちですが、憲法上そうではないことが明記されているのです。

インドネシアの民主主義は、多数決ではなく全員賛成するまで時間を費やすやり方であり、だから物事が迅速に進まないのだと聞くことがあります。労務面では従業員への配慮が非常に厚い法規になっていると感じます。この五原則を読むと、なるほどそうなるかな、と納得してしまいます。


何故今「パンチャシラ」


パンチャシラ記念館前にて

さて、何故今になって、ジョコウィドド大統領は「パンチャシラの日」を祝日として制定したのでしょうか。経済発展の中で拡大してきた新興勢力からの支持を受けたジョコウィドド氏が大統領になりインドネシアを革新していこうという中で、従来勢力と新興勢力による新たな対立が表に出るようになったからだと思います。

政治は原住民系インドネシア人(主にイスラム教系)、経済は中華系インドネシア人(主にプロテスタントまたはカトリック系)という暗黙の区別があったのが、民主化の進行や経済発展の中で中華系インドネシア人が政治でも表舞台に出るようになってきました。今年4月に行われたジャカルタ州知事選挙では、中華系インドネシア人知事が初めて選挙で選ばれるという見通しが高かったのですが、このジャカルタ州知事候補が選挙活動の中でイスラム教の教えを侮辱したとして反対勢力が複数回大規模デモを起こし(おかげで業務を切り上げざるを得ないこともありました)、宗教対決の選挙となりました。なお、選挙結果はイスラム教系の候補の当選でした。

海外に目を向けるとISをはじめとするイスラム過激派の動きが活発化、国内の過激派に同調しようとする動きが出てきました。実際、IS信奉者によるテロが2016年1月と2017年5月に起き、犠牲者が出ています。また、軍や警察がアジトに踏み込み、事前にテロを未然に防いだというニュースを目にすることもあります。

こういった状況において、国是を再認識し困難を乗り越えようというジョコウィドド大統領からのメッセージとして「パンチャシラの日」が制定されたのだと思います。


日々の中で感じる「パンチャシラ」


弊社はジャカルタ市内スディルマン通り沿いのオフィスビルに事務所を構えております。現在従業員は約70人、日本人、中華系インドネシア人(プロテスタント系・カトリック系・仏教系)、原住民系インドネシア人(イスラム教系)の混成で業務を行っております。10年ほど前は2、3人しかイスラム教系社員はいなかったと聞いておりますが、現在は30%程度にまで増えています。オフィスで宗教の違いが分かるのは、女性の服装でヒジャブをかぶっているか否か、お祈りをするか否か、といった程度です。社員の宗教や民族の違いで業務に支障を来すことはこれまで経験したことはありません。昼休みには一緒に食事をしているところをよく見掛けます。オフィスワークではうまく融合されていると感じます。

1日が始まり必ずすることの一つに、デモ情報の確認があります。デモを行う場合は警察への事前届け出が必要であり、その情報が毎日展開されているのです。デモの種類や規模によっては安全面・経済面での迅速な判断と対処が必要になります。宗教的なもの、雇用に関するもの、他国の行いに対するもの(最近ではミャンマーのロヒンギャ族問題)、学生運動など理由はさまざまですが、毎日複数件のデモが行われています。宗教、人道主義、社会的公正という五原則から国としてはデモを認めざるを得ないのでしょうが、それにしても多過ぎます。

宗教が国で重要視されているということが分かりやすいのは、暦の祝日からです。日本では宗教のための祝日はありませんが、インドネシアでは公認されている6宗教の重要な日が祝日になっています。仏教においては、ブッダ生誕祭が祝日と制定されています。

さて、インドネシアにはバティックと呼ばれる、ろうけつ染め布地の服があります。正装とされており、さまざまなデザイン、色、地域特有柄のものがあります。金曜日は「バティックフライデー」とされており、ほとんどの社員がバティックを着ています。さまざまな色、柄、ものによっては鳥獣や竜などが描かれており、よくこれを正装としているなというのが日本人的感覚ですが、この多様なバティックが「多様性の中の統一」の浸透に一役買っているように思います。もしインドネシアにいらっしゃる機会があれば、ぜひ着てみてください。インドネシア人は大変喜んでくれます。シャツ裾を外だしで着るので、暑い国では快適です。


インドネシアの食事


インドネシアのランチ

食事事情として、インドネシアのランチを紹介したいと思います。

皆さんがインドネシアの食事で思い浮かべるものというと、ナシゴレン(焼き飯)、ミーゴレン(焼きそば)やサテ(焼き鳥)ではないでしょうか。日々のランチではそういう注文してから調理するものではなく、大皿やトレーに作り置きしてある総菜数点をご飯の周りに好きなものを自分で取り置くスタイルが一般的です。ご飯は白米か赤米が選べます。総菜は鶏・牛・ヤギの肉や魚、卵、野菜を炒めたもの、カレー風に煮込んだもの、揚げ物にしたものなどで、ほとんどの調理に唐辛子とパーム油が使われており、辛くて脂っこい味付けです。容器に入れてテイクアウトもできます。

ジャカルタ等の都市部ではグローバルなファストフードも一般的です。マクドナルドでのインドネシア人のお気に入りは、ご飯+フライドチキンにチリソースです。「なんだ、この組み合わせは」といぶかしんでいましたが、食べてみると意外といけます。なお、グローバル標準のハンバーガー+ポテトフライ+ドリンクのセットもあります。ハンバーガーではチキンバーガーの方がおいしいと思います。


インドネシアの流行り


インドネシア人は、世界でも有数の歩かない人だといわれています。子供人口における肥満人比率の高さも世界有数であり社会問題になっております。先に述べたように脂っこい食事が多いことも一因でしょう。そんな状況ですから、健康志向の人々も増えつつあり、ジムでウェートトレーニングや街中でランニングをするような人が目立つようになってきました。ジャカルタでは私が赴任する前から「カーフリーデー」が日曜日午前にスディルマン通りの一部で実施されており、多くの家族や仲間内でウォーキング、ランニングや自転車走行を楽しんでいます。

昨今特に目に付くのが、スポーツ系自転車に乗る人です。日本よりも高い値段で売っているカーボンフレームの自転車を数台持ち、週末は郊外を仲間で走るという若手経営者・2世世代や中流階級が増えているようです。インドネシア各地でレースイベントも催されています。ジャカルタ市内のデパートやモールでは自転車のブースがどんどん広がっています。

日本では「健康マーケット」の対象というと熟年世代が中心ですが、インドネシアの場合はこれからを気にする若手世代という点が、両国の違いを如実に表していて、興味深いと思います。


ジャカルタ市内を走る自転車


ジャカルタ市内の自転車屋JF


最後に


ここ数年の成長率を見ていると、インドネシア経済は高成長期に移行するための生みの苦しみの中にいるように思います。これを招いたのは「多様性の中の統一」の副作用でもあると思いますが、しかし先送りされてきたインフラ整備などをやり遂げることで今後の飛躍的成長を受け止められる国の基盤ができてくれば、高成長期も数年先にはやって来るのではないでしょうか。ジョコウィドド大統領が再提唱された「多様性の中の統一」が真に実現されることによって。インドネシア共和国建国から72年、東南アジアの大国がそろそろ目を覚ましてくれることを期待したいと存じます。

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