美しい時代への過渡期ポーランド

稲畑ポーランド
General Manager
福家 秀近

はじめに



トルン旧市街地にあるコンサートホール


私は前任者から引き継ぎをし、この地トルンへ赴任して約9ヵ月であります。そこでこのポーランドを率直に感じたままに駐在員の目で紹介したいと思います。
偶然にも2010年はショパン生誕200年という節目の年であります。街中では至る所でコンサートが行われ、自らの日本での教養の無さと文化・芸術に触れる楽しみを実感しています。これを読んだ方が、芸術や文化にも洗練された“美しい国”ポーランドへ1度訪れたいと思っていただければ何よりです。
皆さんもまだ記憶に新しいことと思いますが4月10日、ポーランド主催のカティンの森事件追悼式出席のため、ロシアのスモレンスクへ向かった大統領機が墜落し乗員・乗客96名全員が犠牲になりました。大統領の突然の航空事故死はさまざまなナショナリズムがある中、ロシア側の遺体搬送・遺族支援に迅速な対応をしたことで2国間の関係は好転する局面も見られたとのことです。6月20日には大統領選が行われることとなり、今後の情勢がどうなるか注目を浴びています。
さてポーランドは、周りをドイツ・チェコ・スロバキア・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・ロシア(カリーニングラード)とバルト海に囲まれた国であり、国土面積32万㎢(日本の85%)の9割は標高300m以下という平坦な国であります。つい先日もポーランド南部で洪水があり、約1万3,000人が避難したとのことです。トルンでも市内中心地を流れているヴィスワ川の水位が上昇し一部道路で冠水していました。
ポーランドの人口は約3,800万人でEU内では第6位であり、北緯52度という高緯度の割には寒さが厳しくないといわれています。
EUへの加盟は2004年からで、通貨はズロチであります(1ズロチは約30円であります)。地理的に欧州の中央に位置すること、若くて安価な労働力が豊富という理由で海外からの直接投資が増え、欧州の自動車・家電製品の生産拠点になっており、EU内でもプラスの経済成長が見込まれる数少ない国として期待されています。日系企業は約230社(うち製造業が約70社)点在し、日本人はポーランド内に約1,000−1,100名程度住んでいるといわれています。


中世都市トルン


私の住むトルンは首都ワルシャワから北西へ約200kmに位置する人口約20万人の地方都市であります。
13世紀中ごろに築かれた都市であり、古くから北のバルト海とワルシャワを結ぶ街道の中間都市として交易で繁栄した場所で、特に当時は琥珀の交易の地として有名であったとのことです。太陽中心説(地動説)を唱えたニコラウス・コペルニクスが生まれ育った街としても有名で、生地トルンには名前を冠したコペルニクス大学があり、学生の街で若者が楽しく会話する光景はまぶしく感じられます。旧市街の真ん中には今でもコペルニクスの像が立ち、観光客や遠足で来た子供たちが記念撮影をしています。また私の会社の前にはプラネタリウムもあり、小学生の遠足コースになっています。
近年、この街に液晶関連・物流関連含め日系企業が集まり2007年夏にクリスタルパークが完成・稼働開始し、欧州液晶TV生産の重要な拠点と化して現在に至ります。
現在日本人はこの街に駐在員とその家族も含めると約70−80名ともいわれています。ちなみに私もクリスタルパークへの部材供給をさせていただいています。


生活環境


特徴としては日本と同じく四季があります。北西部は温帯気候で東部〜南部の山岳地帯は冷帯気候であります。

〈秋〜冬〉
私が赴任(2009年9月末)してからは日々の日照時間が短くなる一方で、午後の3時すぎには真っ暗になることもありました。昨年の冬はまれにみる寒さとのことで、通常はあまり雪が積もらないと聞いていましたが、深雪で毎日除雪車が街を走る状態でありました。気温はマイナス25度まで下がりポーランド内では凍死した人が100名以上出たほどでありました。
実は私も、その一番寒い日に仕事の後にアパートへ戻り入口で鍵を解除するため暗証番号を入れたのですが、運悪く停電しており、しばらく雪の中アパート内の住民が来るのを待っていました。本当に心臓を衝く寒さに身をもって体験させられました(それ以来、アパートの入口の鍵は必ず持ち歩くようにしています)。外にぬれたタオルを持って数分放置するとパリパリに凍ります。基本的に冬場の洗濯物は部屋干しですが、乾燥していますのですぐに乾きます。
停電は数ヵ月に1度、忘れたころにやってきます。日本であれば数時間も電気が止まればニュースになりますが、こちらの人は特に騒ぐこともなく、自宅でローソクを付け食事を取りいつも通りの生活をしています。

〈春〜夏にかけて〉
日差しが強くなり木々に新緑が生い茂り始めると、春ではなく初夏ではないかと思えるほどの好天になります。朝はこの時期(6月)は4時ぐらいから日の出となり夜は22時ごろまで明るいので時間的な感覚を見失います。日焼けの好きなポーランド人は、冬場は日焼けサロンへ通い、春〜夏場は川辺で一日中楽しんでいます。
私の事務所は旧市街地にあるため、一歩外に出ると犬と一緒にオープンテラスで食事を楽しみ、ビールグラスを傾ける人々を大勢見かけます。この時期は観光シーズンでもあり隣国のドイツだけでなく最近は日本からも観光客が押し寄せます。


食文化(おいしい家庭料理)


色鮮やかなアイスクリーム

主食はジャガイモや小麦になります。比較的日本人にも受け入れやすい味付けであります。
ポーランド料理は基本的に家庭料理であり代表的なものはジュレック(ライ麦を発酵させたスープで具材はソーセージ・ジャガイモ・ゆで 卵などが入っています)、ピエロギ(洋風餃子)、 カツレツが大変有名であります。個人的には豚肉が大変おいしく自宅でトンカツを作って食べると絶品であります。しかし胃の小さい日本人は、油を使うポーランド料理が毎日続くと少し胃が疲れてきますが、ハムやチーズなどはとてもおいしく毎日食べても飽きません。またビールの値段が大変安く、レストランではコーヒーを頼む価格とほぼ同じ値段で冷たいビールが味わえます。ちなみにウォッカやはちみつ酒も有名であります。
街中には至る所にアイスクリームショップが点在します。人気店になると冬場でも長蛇の列でアイスクリームを食べています。アイスクリームは種類も豊富で乳脂肪が濃いためか濃厚な味わいです。


週末の楽しみ方


新鮮な野菜や卵が手に入るわが家いきつけの市場

最近は大型スーパー(REALやCarrefourなど)が進出して大半の食材は手に入ります。わが家では朝早く起きてトラムやバスに乗って市場へ行くのが週末の楽しみです。市場では新鮮な卵売り場が人気です(これは生でも食べられます)。野菜は取れたてのもので色彩も鮮やかで購買意欲を駆り立てられます。この時期はホワイトアスパラやキャベツ、ホウレンソウなどが出回ります。日本では台所に立たない私でしたが、週末は“myエプロン”で料理をして近所の駐在員の方々と食事会と題して互いの自宅で飲んだりして和気あいあいと過ごしています。日本食材はこのトルンでは手に入りませんので、時々ワルシャワへ往復6時間電車に乗って調達をしたり、隣町のビドゴスチより格安飛行機を利用してロンドンへ入り食材の買い出しをします。
少し残念なのはゴルフです。冬場はクロー ズの期間が長いこともあり、ゴルフ場はいまだにポーランド内で約10ヵ所しかなく、プレーの機会はあまりありません。トルンには6ホールのショートコースがありますので当日にでも気分次第でプレーできます。
ちなみに私は学生時代から続けていたグランドホッケーを継続したく、こちらのクラブチー ムに入れてもらい汗を流しています(トルンには立派なホッケー専用競技場があります)。


終わりに


ポーランドは、過去には大国に挟まれていたことで侵略を受け地図上から国名が消えた時期もあり、首都は破壊されるなど、あまりにも悲劇的でありました。
実際にはポーランド国民は比較的穏やかで明るく愛国精神にあふれ、家族と自然を大切にするので私は日本にいた時とのこちらに来て感じたギャップには驚かされることもあります。民主化から約20年程度でまだまだ激しい経済・産業の競争には不慣れでありますが、経済成長の見込まれる国であることは前述の通りであります。
ちなみに稲畑ポーランドは、2006年の8月に設立いたしました。主は液晶部材の加工・販売や太陽電池部材・プラスチックの拡販を行っており、現在の社員数は私を入れて4名と小さい会社であります。
まだまだ新しい会社で前任者が苦労して立ち上げた会社をしっかりと軌道に乗せていくのが私の使命であります。経済情勢は目まぐるしく変わりますが、ビジネスの拡大と世のために役立つことを常に意識し社員とその家族がいつまでも幸せに暮らせることを祈っています。つい先日も社員の誕生日には、ささやかですが皆でケーキを買ってお祝いをしたり花束をプレゼントしたり、時には皆で食事をしたりと心温まることに気付けたことは私にとってとてもプラスであります。
ポーランドは2010年の南アフリカでのサッカーWカップには出場できませんでしたが、2012年のサッカー欧州選手権は開催国(ウクライナと共同開催)に決まっています。今年はショパンイヤーでもあり数多くのイベントが行われます。芸術・文化・産業にますます発展する“美しい時代への過渡期”であるポーランドに、ぜひ1度お越しください。


私が汗を流しているホッケー場


稲畑ポーランドメンバーとの懇親会

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