ブラジル駐在体験談

伯国三菱商事会社(サンパウロ本店)
Managing Director 人事総務部長
塩原 優

プロローグ


2008年3月11日、当時の上司に会議室へ呼ばれ「塩原君の異動が決まったぞ」と言われた際、まさかブラジルに駐在することになるとは思いもしませんでした。と申しますのは、最近、人事総務畑の社員がブラジルに駐在していなかったため、「人事総務畑の自分が海外駐在するなら別の地域」と勝手に思い込んでいたからです。しかし実際は、ブラジルをはじめとする中南米地域の著しい経済発展に伴う事業機会の拡大を背景に、営業面のみならず、人事総務を含めたコーポレートスタッフ部門の機能拡充という観点から、ブラジル現地法人(伯国三菱商事会社)への人事総務畑の社員派遣が検討され、上記の内示に至った次第です。
その後、種々の赴任前準備・手続きを経て、2008年7月31日にブラジル・サンパウロに着任、早いものでほぼ丸2年が経過しようとしています。この間、社内外のさまざまな機会を通じて、ブラジルに関する種々の情報・事象を学習・経験させていただきましたので、ここでその幾つかをご紹介させていただきたいと思います。もって、ブラジルという国に対する皆さまのご理解・ご関心が少しでも深化されましたら、望外の幸せです。


サンパウロ商業中心地



ブラジル経済について


ブラジル経済の発展ぶりについては、あらためて申し上げるまでもないかもしれませんが、最近の状況を少しご紹介したいと思います。
ブラジル経済は、2008年後半の国際金融危機の影響により、2009年前半には一時的に停滞したものの、影響は比較的軽微で底が浅く、その後急速な回復を遂げており、ブラジル経済の底堅さが証明されているといえるのではないかと思います。
従来の資源・エネルギー分野に加えて、農業関連における安定供給力は不変であり、輸出は堅調、また、2014年FIFAワールドカップや2016年オリンピック等の大規模イベントを控えて社会基盤の整備が進められるほか、中間層の台頭に伴う消費市場の拡大も期待されるなど内需拡大もあり、今後もさらに力強い成長が見込まれています。
国際金融危機を経たビジネス環境のダイナミックな変動を受けて、外国企業のブラジル新規進出、内外優良企業を含めた業界再編の動きも進展しており、新たなビジネス機会がめじろ押し、といった状況です。
2010年は、ブラジル大統領選挙の年に当たり、前後の政治的停滞や混乱、金融市場への影響等も予想されていますが、いずれの有力候補も極端な政策は打ち出しておらず、次期政権の基本政策は現政権から大きくは変わらないものと想定されており、ブラジル経済全体の行方には大きな変化はないと見られています。


ブラジル経済のさらなる発展のために


上述のように、今後もさらに力強い経済成長が見込まれるブラジルですが、その成長をさらに加速・拡大し、かつ確実なものにするためにも、例えば以下のような事項については、今後見直し・改善が必要なのではないかと考えています。


サンパウロ州工業連盟のビル

⑴ 複雑で負担の大きい課税制度
ブラジルは税金のデパートともいわれるほど、複雑で多種多様な課税制度となっており、経済活動を行う上で、税額のみならず、申告・納税に関する諸手続きも大きな負担になっているように思います。もちろん、課税制度は国家運営に必要な歳入確保の重要な要素であり、民間企業としても必要な税金を納付するのは当然の義務ですが、あまりに複雑かつ高率な税制だとすれば、経済発展に悪影響を及ぼしかねないとも思いますので、適切な見直しも必要になると思われます。


パウリスタ大通りの移動交番

⑵ 改善の兆しが見えない治安状況
ブラジル、特にサンパウロやリオデジャネイロ等の大都市圏では、大変残念なことに、相変わらず銃器を使った強盗等の凶悪事件が多発しており、治安改善の兆しが見られません。人口10万人当たりの殺人発生件数は日本の数十倍、強盗・窃盗は数百倍という状況です。
こうした状況を踏まえ、各企業ではオフィスや駐在員住居等の安全対策を強化したり、駐在員とその家族の心理的ストレスを緩和するための対策を講じるなど、さまざまなコストを要しているのが実態です。
治安の悪さはブラジルに限ったことではありませんし、一朝一夕に解決するのは困難とは思いますが、ブラジルのさらなる発展のためにも、誰もが安心して生活できる治安状況への改善が強く望まれるところです。


パウリスタ大通りでの昼食風景

⑶ 遅延しがちな行政手続き
ブラジルにおいても、外国人の駐在勤務には就労ビザが必要です。まずはブラジル労働省あて「労働許可」の申請を行い、これが承認された後、在日本のブラジル領事館あて「就労ビザ」を申請・取得するとのプロセスです。「就労ビザ」取得までに、通常でも3月程度の期間を要し、これがクリスマスやカーニバルの期間に重なったり、労働省職員のストライキ(近年は年に何度か発生)が発生すると、さらに長期化することも珍しくありません。
着任後に必要となる「外国人登録」や「納税者番号の取得」にも数ヵ月の期間を要しますし、各種営業許可の取得についても予想外に時間がかかることがあります。事ほどさように、各種行政手続きに予定外の時間を要し、なかなか思い通りに物事が進まなかったという経験をされている方も多いと思います。この点も、今後の改善が望まれるところだと思います。
ただし、これらは日本人の常識的な時間感覚に照らして「時間がかかり過ぎる」ということであって、ブラジルではこれが常識なのかもしれない、という意識も一方では併せ持っています。伯国三菱商事会社のブラジル人社員たちも、「時間がかかり過ぎる」と言う一方、「でもそれは最初から分かっていること」という感覚を持っ て事に当たっているようです。
また、ブラジルでは常に何でもノンビリしているかというと、決してそうではありません。ビジネスにおける意思決定のスピードは、時にはわれわれよりもはるかに迅速ですし、政府の政策決定・実行も極めてスピーディーです。特に国際金融危機後の政府やブラジル企業の的確で迅速な対応には、大いに感心させられました。


ブラジルにおける三菱商事


伯国三菱商事の職員たち

三菱商事のブラジル事業の原点は、岩崎家がサンパウロ州で始めた東山(TOZAN)農場です。以来、80年以上にわたり、食糧、資源、エネルギーなどの事業を展開してまいりました。
ビジネス以外の面では、1992年以降18年間にわたり、アマゾン熱帯林再生実験プロジェクトにも取り組んでおり、ブラジル北部ベレン市で開催している植樹祭では、地元の小・中学生や職業学校の生徒たちと共に、これまでに80種類、40万本以上の樹木を植栽しています。また、米州開発銀行(IDB)との間で締結した「中南米に於けるCSR活動の協力に関する覚書」に基づき、2009年度その第1号案件として、ブラジル・バイーア州南部でIDBが支援中の「小規模農家の自立支援」活動に関し、その第2フェーズに参画・支援することにしました。
今後一層の成長が見込まれるブラジルにおいて、ブラジルの、ひいては世界の人々の生活にプラスの価値をもたらすような事業・活動を、引き続き展開・拡充してまいりたいと思っています。


日系ブラジル人


「日本ブラジル交流年」ポスター

私にとってブラジルは、2度目(2ヵ国目)の海外駐在国です。最初の海外駐在は、1999年4月から2003年8月までの4年4ヵ間、大韓民国のソウル特別市でした。
韓国も、日本とは歴史的なつながりが非常に強く、深い国ですが、2度目の海外駐在国であるブラジルも、皆さんご存じの通り、日本にとって非常に関係の深い国です。2008年は、日本から初めての移民がブラジル・サンパウロ州のサントス港に到着してから100年の記念の年であり、「日本ブラジル交流年」と銘打ち、日本・ブラジル双方でさまざまな記念行事が開催されました。
100年の歴史を刻む日系移民は、幾多の苦難を乗り越えつつ、ブラジル社会に確固たる「信用」を築かれました。ブラジルでの日本人のイメージは、一般的に、「勤勉、まじめ、信頼できる」といったものであり、私たち日本人駐在員が日常生活で差別的な対応をされるなどの不愉快な思いをすることは全くありません。また、 日系人の方々のおかげで、サンパウロなどを中心に、日本食にもほとんど不自由しません。
現在、ブラジルで仕事・生活をさせていただいている私たちは、日系移民の方々が築いてくださった「信用」という財産の恩恵を、大いに享受させていただいているのです。この「信用」を決して損なうことなく、さらに確実で強固なものにできるよう、1日1日を誠実に大切に過ごしていきたいと思っています。


エピローグ


W杯の試合をくいいるように観戦

ブラジルご経験のない日本人の多くは、ブラジルと言えば、「リオのカーニバル(サンバ)」と「サッカー」を思い浮かべ、ブラジル人は全員、カーニバルとサッカーを愛しているというイメージを持っていると思います。私も赴任前はそうでした。
ブラジル駐在となって初めて認識したのですが、必ずしもすべてのブラジル人がカーニバルとサッカーを愛しているわけではなく、特にカーニバルについてはむしろ「好きでない」という人も相当数いるようです。カーニバル期間は、日本の5月の連休のように国民の祝日(連休)となり、国内外旅行に行けるのが楽しみという人も多いのです。サッカーについては、特に男性を中心に熱狂的なファンももちろん多く、ブラジルリーグの試合でも、ひいきチームが勝利すると歓喜の涙を流し、負けると今度は悲嘆の涙に暮れるという人もいますが、「サッカーは好きではない、あまり興味がない」という人もいます。当然と言えば当然のことで、日本人が全員空手や柔道をやるかと言えばそうではありませんし、全員が毎日お寿司を食べているわけではありません。
ステレオタイプや先入観、固定観念で物事を見てはいけないと頭では分かっていたつもりでしたが、いつの間にかそんな考えになってしまっていたことにあらためて気付き、ひそかに狼狽したことを思い出します。
そうは言っても、FIFAワールドカップは、やはり特別のようです。実は、この原稿を作成している現時点は、南アフリカ大会が始まる直前であり、ワールドカップ期間中のブラジルの盛り上がりぶりは未経験なのですが、今から皆が「ワールドカップ・モード」に入りつつあることを肌で感じています。ブラジル代表の試合当日は、その時間、官公庁・銀行なども業務を停止し、国を挙げてブラジル代表を応援するようです。ブラジル代表の試合は、ブラジル時間の午前11時か午後3時半の2種類のみですが、午前11時の日は10時半から14時半まで業務停止(長い昼休み)、午後3時半の日は午後2時で業務終了とのことです。次回2014年の第20回大会は、ブラジルで開催されることが決まっており、1950年の第4回大会以来なんと64年ぶりのブラジルでの開催ですから、どれほどの盛り上がりを見せるのか、想像もできません。さらに2016年には、ブラジル・リオデジャネイロ市において、南米で初のオリンピックが開催されます。
昨今の経済成長のみならず、ワールドカップやオリンピックの開催で、今後ますます世界の注目を集めるブラジルで、これからも日々、仕事に全力投球するとともに、プライベートも含めて貪欲にさまざまな事象を経験・勉強してまいりたいと思っています。

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