活気あふれるベトナム

住友商事株式会社 インフラ事業総括部 参事
初代ベトナム住友商事会社 社長
高山 俊朗

ベトナムは南北に2,000kmの海岸線を持ち、アジアの中心に位置し、地下資源・天然資源にも恵まれ、近い将来1億人にならんとする若い世代中心の人口は勢いを生み、今後間違いなく経済発展を遂げていくと思われます。私は、そのベトナムのハノイに2007年から2010年までの3年間駐在しました。その3年間は、外資100%の総合商社、ベトナム住友商事を設立するなど弊社にとって節目となる時期でした。また同時期はベトナムという国にとっても変化が一段と加速した時期ではなかったかと思います。今回はこの3年間を振り返りながら、ベトナムの事情についてその一部をご紹介したいと思います。


1. 発展する経済


ベトナムはハノイ、ホーチミンの2大経済圏を中心に急速に発展しつつあり、名目GDPは2007年の711億ドルから2009年には92億ドルになりました。その高成長の背景には外国からの直接投資の増加のほかにピラミッド型の人口構成があります。ベトナムの8,600万人の人口のうち約半分は30歳以下で、ベトナムの街角は活気にあふれ、路地からは子供や若い人がわき出てくるとさえも思えるほどです。1人当たりの所得も2008年には1,000ドルを超えました。ハノイ、ホーチミンでは全国平均の2倍以上の2,000−3,000ドルといわれています。都市部でも大家族での生活が残っており、夫婦共稼ぎで子供の面倒は祖父母が見ることが主流で、家族のきずなは強く、さらに過去5年間で所得が2倍になったことから多くの家族、人々が幸福感に満ちているように見えます。
このような所得水準の向上と将来に楽観的な若い世代の旺盛な消費意欲もあり、ベトナムの人々の生活も変わりつつあります。既に携帯電話は必須アイテムで、8,600万人のベトナム国内で携帯電話が8,000万台(一説には1億台)も出回り、中には2、3台持っている人もいます。ベトナムではオートバイが家族の移動手段で(4人乗りすることもあります)、日本のマイカーのような位置付けですが、最近ではそのバイクを数年で買い替えたり、高くても中国製ではなく日本のオートバイを購入するケースも見られるようになりました。さらに、富裕層には自家用車を購入する人たちも多く現れ、最近では川のようなバイクの流れの中を黒塗りの社有車やポルシェなどの高級車に交じって、自家用の日本製、韓国製小型車も走るようになってきました。以前は外国人専用の施設の趣のあったゴルフ場でもベトナム人を見掛けることが多くなりました。
2005年にはハノイ近郊に2ヵ所しかなかったゴルフ場も2010年には10ヵ所に増えています。ベトナム人は日本人と同じくらいに練習熱心で、市内のナイター照明付きゴルフ練習場も平日の夕方や週末は満席状態です。
このような国内市場の拡大を受けて、日系企業も国内需要の取り込みを強化しています。自動車・二輪車ではトヨタ、ホンダ、ヤマハ、家電ではパナソニック、三洋電機、食品ではエースコック、味の素などがベトナムに進出済みで、2009年にはサッポロビールも現地製造販売へ進出することを発表しています。商工会会員企業数で見ますとハノイが377社、ホーチミンが475社、2009年度に新たに設立されたダナン商工会は42社となっており、全土で900社以上が日本商工会に登録されています。


ベトナムの移動手段である
オートバイの中を走る自家用車


ゴルフ練習場で熱心に練習する多くのベトナム人


80社以上の日本企業が入居している
当社のタンロン工業団地


2. 改善が待たれる事業環境、生活環境


このように経済が成長している一方で、グローバル経済に対応し、その現状にあった産業政策(自動車産業、すそ野産業育成など)、経済政策の早急な策定とその実行が求められており、実際の行政手続きについても改善が望まれます。法人経営の中で困惑させられたことの1つは、代表者が署名しなければならない書類の多さでした。法人開業当初、日本からトラックを輸入した際に求められた書類は1件で80通にもなりました。契約関連の書類を税関などの関係当局に提出する際には投資認可証の写しを要求されますが、投資認可証には通常署名権限の取り決めが記載されることはなく、当局に署名委任状を提出しても前例のない場合は、いきおい対外登録された社長の署名が求められます。短時間のうちに80通の書類に署名をしながら、腱鞘炎になるのではないかと思ったほどでした。その後は関係当局に何度か説明を行い他の社員の署名でも受理されるようになり事なきを得ていますが、それでも時にはしゃくし定規に投資許可証に記載ある社長の署名を求められることがありますので、これからベトナムの法人にご赴任される方は腕を鍛えていかれた方がよいかもしれません。また、税務署といえば税法の解釈が各地の税務署によって異なり、往生することがあります。この場合上部組織の税務総局にお伺いを立てることになりますが、書類の流れが遅いことに加え、税務総局の意見に地方の税務署が反論したりして、当局の見解が示されるまでに1年かかったことがありました。税法に限らず他の法規制でも政府と実際の行政窓口の解釈が違うことはよくありますので、ここは根気よく対応することを求められます。また、ベトナムは食事、生活習慣、治安の良さなど日本人にとって生活しやすいところですが、医療水準はまだまだ低い状況です。ベトナムではようやく自動車、携帯電話、冷蔵庫、テレビなどの物質的な欲求が満たされ始めたばかりであり、まだ医療に対する意識はそれほど高くありません。2009年に世界的に新型インフルエンザが流行した際には、ベトナムでの流行が遅かったことや通常のインフルエンザでは家で寝て治すのが一般的という事情もあり、当初致死性の低い新型インフルエンザに対するベトナム人の関心は低く、緊張感あふれる日本人駐在員に対して泰然としている現地職員が印象的で、職員に配布したタミフルがすぐに市中で換金されてしまった企業の例もありました。一方で空港等での熱のある入国者を隔離する水際政策は徹底されていました。しかし、収容される病院は、かかる費用は国持ちとはいうものの、冷房設備はなく窓は開け放し、相部屋で近くにはさまざまな感染病の重症者が寝ているという状況でした。このように医療・衛生に関しては、意識の面でも設備の面でも日本とはまだ大きな格差があります。
しかし、これらの問題もベトナムの勢いをもってすれば今後、徐々に改善もされるでしょう。税制など企業経営に関する諸制度における不明点は外資系企業の活動が拡大するに連れて1つ1つクリアになるものと見られますし、ベトナムの人々の消費者としての意識が高まるにつれ、 安全・衛生基準も引き上げられると思われます。 既に医療サービスに関しては、国の健康保険が適用されない、サービスレベルの高い、評判の良い病院を選ぶベトナム人が増えています。


3. ベトナム人気質


ベトナムの人たちと仕事をしていると、いろいろ戸惑うことが多いのですが、その1つに「プロジェクトものがいつになったら決まるのか分からない」ということがあります。ベトナムでは 共産党の独裁政権で、その指導力は強く、現在でも人々がくつろぐハノイの公園にレーニン像も立っているほどですが、「すべてが迅速に決定され、実行される」という一党独裁のイメージとかけ離れた事例によく直面します。農村社会の名残なのか、南北分断に対する関係者への配慮からなのか、物事を決めるに当たっては関係者の合意・納得感が醸成されるのを待つために、物事の決定には総じて時間がかかります。われわれのような外国人には共産党、国家主席府、政府、国会が関係した意思決定のメカニズムが分かりにくく、「いつになったらプロジェクトが進むのか」、「いつになったら法律の解釈がはっきりするのか」等々、気をもむことになります。
関係者の合意が確認されてからでないと動き出さないというベトナム人気質は、裏返せばそれだけ関係者の立場、メンツを考える、またある意味で民主的ということでもあります。いざとなれば相手のメンツを立てて何とかするというのもベトナム流なのかもしれません。仕事をする場合、事前に計画を立ててもその段取り通りに進行するとは限らず(そもそも事前に計画が立たないこともありますが)、しかし、実際にイベントが始まってみると大混乱に陥るようなことはなく、なんとか無事に事態が進行することになります。
そのようなベトナム人がもてなしてくれるようなときには、それに応えるのにも覚悟が必要です。特に郊外、地方ではその地場の珍しい食材が振る舞われます。小動物や爬虫類などが料理され所狭しと並べられ後は、ワインや地酒の一気飲みに突入するパターンが多かったように思います。飲むお酒の量は南に行くほど増えていくとベトナム人から聞いたことがあります。冠婚葬祭は非常に大事なイベントです。ベトナムは若い国ですので、結婚式に呼ばれる機会も多くあります。新郎もしくは新婦のメンツをつぶさないように、都度、ご祝儀の相場を確認してから出掛けます(花嫁が式の後祝儀袋を確認するそうで見合いの祝儀が包まれていないと毒づくと聞いていましたので)。もっともベトナムの結婚式は簡単で合理的です。ベトナムの結婚式ではご祝儀を包んで受付に出し、フリーシートの席に座ると同時に食事が出ます。日本のようなスピーチや式次第がないケースが多く、笑顔をたたえた新郎新婦が挨拶に回るのを見ながら 一心に食事をし、終わったら退席。すると次の来訪者が席に座り食事を始めるといった感じです。ちなみに、結婚式が終わるとそれまではしおらしくしていた花嫁が強く主導権を握るのが社会常識のようで、夫の給与の全額手渡しは当たり前で、外泊の場合は30分置きに電話で確認を入れることも普通に行われています。
ベトナム人が人のつながりを大切にする姿勢は季節の行事にも表れています。ベトナムでは社会習慣として旧正月(テト)にテト・マネーや テト・ギフトを贈ります。前者はいわゆるお年玉、後者はお歳暮で、いずれも日本人にはなじみの深い習慣ですが、ベトナムではいずれも大掛かりなものです。テト・マネーは日ごろお世話になっている人々に目上の人が配ります。例えば、使用者が使用人に、会社では社長、上司が部下に配ったりします。テト・ギフトはお互いやり取りされるので、街中の店頭がお酒やクッ キー詰め合わせなどのテト・ギフトであふれかえります。テト・マネーやテト・ギフトを贈らないことはベトナム人にとっては「常識外れ」に映るようで、感謝の気持ちを表す年に1度の機会として欠かせないものとなっています。


ベトナムの旧正月


簡単で合理的なベトナムの結婚式


4.日本の高度成長期とのオーバーラップこれからのベトナム


ベトナム経済の現状と問題点、そしてベトナム人気質について3年間の経験からいくつかご紹介してきましたが、いずれも30年ほど前の日本の光景のようで懐かしく思えます。
最後にもう1つそのような例を挙げておきましょう。ベトナムにおいては、社員旅行はまだ非常に重要なイベントです。ベトナム住友商事でも毎年1回週末に実施しますがハノイ、ホー チミン、ダナンから約100名の従業員が一堂に会し綱引きなどのゲーム、食事、カラオケなどが行われ、ものすごい盛り上がりで夜が更けていきます。これらのアレンジはベトナム人スタッフが実行委員会を作って企画するのですが、その力の入れ様はかつての日本の社員旅行のようで昔に戻ったようです。1度ある従業員に「せっかくの週末は、家族でゆっくり旅行にでも行った方がよいんじゃないか」と聞いたところ、「会社のみんなで行くから楽しい」という答えが返ってきました。ベトナム社会でも「会社は家族」 というかつての日本の会社のイメージが一般的なようです。日本企業は欧米系の会社に比べドラスティックに物事を進めないという理解がベトナム従業員にもあるようで欧米系企業から高給与で誘いを受けた従業員が、家族会議の結果、「給与の高い米国企業よりも、辛抱強く将来を考えてくれる日本企業を」という理由で転職を思いとどまったケースもありました。
ベトナムではソフトもハードも含めて国造りの途上にありますが、それが故に、今の日本のように働くことの意義付けを見いだそうと努力しなくても、社会全体として働くこと、挑戦することへのモチベーションがあふれています。今後、ベトナムはさらに世界に目を向けていく必要に迫られるでしょう。2007年にはWTOへの加盟という画期的な出来事が起きましたが、政治の世界では抵抗する保守派に対し、WTOという外圧を利用して国を変えていこうとの推進派もいたようです。2015年にはASEANで自由貿易圏がスタートし、さらに世界経済への対応が試されることになります。2国間関係では、日越のこれまでの政府間交流に加え、最近、とみに米国との関係緊密化も進んでいます。米国がベトナムという国と正面で向き合った時ベトナムの国際化、構造改革はさらに加速するように思われます。でき得るならばその前に日本としては持ち味を生かしたさらなる関係の強化が望まれます。


経済発展著しいベトナムの街並み


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