米国 公民権運動の発祥の地 モントゴメリーより

興和株式会社
Kowa Pharmaceuticals America, Inc.
品質保証担当マネージャー
吉田 新一郎

1. はじめに


興和㈱では医薬品のグローバルな事業展開の一環として、アジア、米国、欧州をはじめとする世界各国における自社製品の開発、販売展開を順次進めております。米国においてはアラバマ州モントゴメリーにオフィスを構える現地の販売子会社(Kowa Pharmaceuticals America, Inc.)を拠点とし2008年より米国での販売をスタート、引き続いて、興和が国際戦略品として位置付けるピタバスタチンのFDA(米国医薬食品局)承認を取得し、その上市に至ります。
本製品の販売開始に先駆けてモントゴメリーに赴任してから約1年半、米国の中でもまた独特の文化や歴史的背景を持つといわれる「米国南部」での生活についてご紹介したいと思います。


2. 米国深南部(ディープサウス)


真っ白な砂浜が美しいメキシコ湾のビーチ

アラバマ州は米国南東部に位置しますが、一般的には「米国南部」その中でもとりわけ「深南部」、いわゆるディープサウスと呼ばれるエリアに該当します。北はアパラチア山脈の南端をかすめ、南はシュガーサンドといわれる真っ白で美しい砂浜の広がるメキシコ湾に面しています。日本との比較でいうと、面積が九州の約3倍、緯度が30-35度(九州が31-34度)ですので、ちょうど州の真ん中に九州がすっぽり収まるようなイメージをしていただければ分かりやすいかと思います。
ここアラバマでの季節は非常に長くて厳しい夏が特徴的です。4月に入ると日中の日差しが強くなり、最高気温も25℃を超え始めて早くも夏が始まります。5月から9月にかけては30℃を超える猛暑が連日のように続き、ハロウィーンの10月末くらいまで、つまり1年の半分以上が夏ということになります。一方、冬が暖かくて過ごしやすいかというと、意外にも最低気温は氷点下になり、年に数回は雪が降って街がうっすらとした雪景色に変わります。日本人の感覚からすると、夏から冬、冬から夏への変化が劇的で、ちょうど過ごしやすい春と秋の期間が驚くほど短いので、「四季折々」というより「二季オンリー」といったイメージでしょうか。
アラバマを含め米国南部は広大で肥沃な土壌に恵まれ、かつては農業が主要産業でした。また1860年代の南北戦争までは、奴隷労働力を背景としたプランテーション(大農園)が栄華を誇っていたエリアでもあります。これら諸州は別名「コットンステート」と呼ばれ現在でも世界的な綿花の生産地として知られている一方、農業主軸の基盤から転換を図るべく、ハイテク産業や外資企業の誘致に積極的に取り組んでいます。アラバマでは特にトヨタ、ホンダ、メルセデス、現代といった各国主要自動車メーカーの生産工場が多数進出しており、それらを取り巻く物流、部品メーカーと共に州内の新たな産業構造、雇用創出に大きく貢献しています。


3. 公民権運動発祥の地


モントゴメリー市内を流れるアラバマ川

モントゴメリーは人口約20万人のアラバマ州の州都で、市中心部(ダウンタウン)をかつて綿花貿易の重要な輸送手段として機能したアラバマ川が流れます。ダウンタウンには州政府関連の施設と米軍基地しかないといわれており、商用施設はあまりないため、週末は州都とは思えないほどひっそりとしています。その中にあって大きな白いドームが目を引くアラバマ州議事堂は圧倒的な存在感を放っており、街のランドマーク的な存在となっています。南北戦争当時、連邦を離脱した南部同盟はここモントゴメリーに最初の首都を置き、この州議事堂では初代アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイビスの宣誓やさまざまな重要な議決が行われるなど、南部の近代史において政治的に中心的な役割を担ってきた場所といえます。
もう1つ特筆すべきは、1950-60年代にかけて大きなうねりとして全米に広がっていった公民権運動がここモントゴメリーで口火を切ったバスボイコット運動(ローザ・パークス逮捕事件)に端を発しているという事実です。ダウンタウンには運動を指揮したマーチン・ルーサー・キング(「I have a dream」の演説で有名)牧師のバプティスト教会や公民権メモリアル(活動によって命を落とした人々の名前が刻まれたモニュメント。メモリアルの筆頭にキング牧師の名前が)など、それら生々しい歴史に触れる機会も多く、今からほんの50年前までは人種によって公共バスの席、学校、レストラン、教会に至る全てが分離されていたという事実にはあらためて驚愕させられます。アフリカ人を父に持つオバマ氏が合衆国大統領に選出される現在において、そうした名残を日常生活の中で垣間見ることはありません。しかしながら黒人の貧困率、失業率が白人のそれと比べて圧倒的に高いという現実は、こうした暗い過去の歴史を背景とする負のスパイラルから依然として抜け出られない人が多数いることを如実に示しているのかもしれません。
米国でのスポーツや各種イベントの前に行われる国家斉唱。ここでは老若男女、人種を問わず、例外なく全員が一斉に起立し手を胸に当て厳粛な面持ちで星条旗を見ながら国歌を斉唱する様が非常に印象的です。この光景を見るにつけ、移民、奴隷制度、南北戦争、人種問題、これらが複雑に絡み合った背景を持つこの国にとって、国民全員で共有できるものをこの星条旗に求めているような気がしてなりません。


南部同盟の大統領官邸として使用された
ファースト・ホワイトハウス


キング牧師ゆかりの
デクスター・アベニュー・バプティスト教会


公民権メモリアルにある犠牲者追悼の記念碑


4. モントゴメリーの中の日本


モントゴメリーは今日まで南部の経済発展の「蚊帳の外」でしたが、2005年より韓国大手自動車メーカーの生産工場が操業を開始しており、それら関連企業も含めて非常に多くの韓国人が住んでいます。進出以前は100名程度だった韓国人の人口が現在では3,000人を超えており、レストラン、食料品店、理髪店など街中の至るところでハングルを目にします。
一方、日本人はというと民間の日系企業は当社以外あと1社のみ、現地に住む日本駐在員はわずか数えることができるレベルです。後は市内に米軍基地があるため、自衛隊から毎年数名が1年間の現地研修として派遣されてくるのと、米国人と結婚しモントゴメリーに在住する日本人女性(お相手は米軍の方が多い)がいらっしゃいますが、モントゴメリーの中で日本人はまだまだ少数です。
日本食はヘルシーフードとして米国でも一般的に浸透しており、モントゴメリーにも多数の日本食レストランがあります。ただ残念ながらオーナー、シェフが日本人という正統派のレストランはないため、一風変わったメニューに出くわすこともあります。中華麺の代わりに日本そばを炒めた焼きそばが出てきた際にはさすがに目を疑いました(見た目のインパクトに反して味は意外にも普通です)。この名物?「焼き」「そば」はモントゴメリーの中の日本を象徴するメニューとして、日本から出張してきた会社の同僚には一度はトライしてもらうようお勧めしています。


5. 日米の会社組織の違い


こちらでは、私は主に高コレステロール血症治療剤ピタバスタチンの品質保証業務担当として、日本サイドとのコミュニケーションはもちろんのこと、委託メーカーの品質管理や販売提携会社との製品出荷スケジュール調整等、現地の会社とも頻繁に連絡を取り合う毎日です。米国では国内でも時差があり、広い国土故に国内の移動でも時間がかかるのと、また欧州のような格安航空会社も普及していないため、日常的な打ち合わせは電話会議が一般的です。この電話会議では顔の見えない多数の参加者のフルスピードの英語の会話が受話器越しで飛び交う状況で、参加メンバーの会社と名前と声が一致するまで、慣れるのにかなり苦労しました。
また米国の会社組織に身を置くこととなり、日米組織の違いや双方の強み、弱みなどを実感するケースにも遭遇することがあります。個人的な印象として、米国ではポストごとの役割分担および報告先が細分化して決められており、誰がどの範囲の業務を行い、どこまでの決裁権が与えられているかが比較的明確になっている、いわゆる個の「スペシャリスト」が組織という枠の線でつながっているイメージを持ちます。会議でも議題に応じて必要な情報を提供できる、または必要な決裁ができるポストの必要最低限の人が参加するため、いろいろな物事の決断も必然的にスピード感のあるものとなります。
一方、日本の会社組織は部や課といったグループ単位での役割分担となっており、グループ内またはグループ間のメンバーで情報を共有の上、1つのチームとして物事を相談、決定していくプロセスが典型的かと思われます。各メンバーが多数の情報を共有し、幅広い業務に関与することとなり、「ゼネラリスト」たることを期待される組織といえるかもしれません。
日本製品の品質は今や世界的にも確固たる信頼を築いています。また米国で手にする日用品の作りの粗さ(やっぱり大ざっぱです)を目の当たりにすると、日本製品の品質レベルの高さを再認識させられます。私見ですが、こうした日本の「ものづくり」の底力やきめ細かさは、市場からの細かい要求も一因としてあるとは思いますが、幾つものグループが1つのチームとしていろいろな意見交換を行い、それらを取捨選択して集約する中で生まれてくるボトムアップ的な思想を生む日本の会社組織も無縁ではないように思えます。


6. おわりに


社内の有志による東日本大震災の義援金を
アメリカ赤十字へ

2011年3月に発生した東日本大震災は米国でも連日のようにトップニュースとして取り上げられていました。被災地の惨状に胸が締め付けられ、原発事故の収束を祈るような思いで毎日CNNを見ていたことが今でもはっきりと思い出されます。またそれは同時に自分の日本人としてのアイデンティティーを強く意識させられる瞬間でもありました。米国にいる自分の無力感がそう感じさせたのかもしれません。
被災者の方々のチームとしての落ち着いた規律ある行動や助け合いの精神は図らずも日本が誇るべきこうしたメンタリティーを世界にも示す機会となりました。ビジネスの世界のみならず日常生活においてもグローバル化の波を感じることが多くなった昨今ですが、われわれはこの日本人としての素晴らしい財産を自分の子供を含め次世代にしっかり引き継いでいく責任があるのだということをあらためて考えさせられます。

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